第6話 他にも見た奴いるの?

 七瀬は別のクラスなので廊下で別れた。自分の教室に入ると、思わず立ち尽くした。


 窓という窓のガラスはほぼ全て割れており、床には大量の砕けたガラスが散乱している。さっきの地震でガラスが割れたのはウチの教室だったのか。クラスの連中は皆、窓側とは反対側の、廊下側の壁に固まってしゃがみこんでいる。


 窓の近くに無精髭を生やしたダンディなおっさんと、ややくたびれた初老のおっさんがいた。ダンディが葉月先生で、くたびれたのが校長だ。そしてその横に桐谷もいる。俺がいない間に教室に戻っていたようだ。しかし、額に包帯を巻いている。ガラスの破片が当たったのだろうか。


 七瀬の父ちゃんと校長は何やら難しい顔をして話し込んでいる。


「太一、」


 流介が声をかけてきた。


「おお、流介! 大丈夫か?」


 まぁ、全然大丈夫じゃないことは見りゃわかるんだけど、他に何て声をかけていいかわからなかった。


「地震、大丈夫だったか?」

「地震なのかな……、あれ……」

「何があったんだ?」


 流介に話を聞いたところ、文化祭の準備をしていたら、突如何の前触れもなく、窓ガラスが割れたという。その際、壁に物凄い衝撃が走ったという。割れた、というよいと言った方が正しいような感じだったらしい。


 幸い、窓際にも机が並べられていたので、窓のすぐそばに人はいなかったらしい。それでも、ものすごい衝撃は窓の近くにいた連中を吹っ飛ばし、皆、廊下側の壁際まで逃げたという。


「大怪我した奴はいないけど、飛んできたガラスが当たって切った奴らがいて、今保健室行ってるけど……。太一の方は大丈夫だった?」

「怪我はないけど……、俺、見たかもしれないんだ」

「何を?」

「多分……、危険生物?」

「え! 赤本くんも怪獣見たの?」

「怪獣?」


 横で話を聞いていたらしい、男子の制服を着た女子が声を上げた。その出で立ちは圧倒的にこの場の雰囲気に合っていなかった。そして危険生物は、どうやら生徒の間では「怪獣」と呼称されるようになったらしい。声を聞きつけたか、七瀬の父ちゃんが振り向いた。


「俺も、ってことは、他にも見た奴いるの?」


 俺は男子制服女子(なんのこっちゃ)に聞いてみた。


「桐谷くんのあの怪我。あれ、怪獣にやられたんだって」


 マジかよ……。桐谷まで犠牲になったのか。そうか、だからあいつ、七瀬の父ちゃんと校長の側にいるのかもしれない。カーストトップに君臨する男だから、また特別扱いですかあ?と思っていたが。まぁ、その線も捨てきれなくはないが。


「太一くん、」


 葉月先生、というより、七瀬の父ちゃんは幼馴染ということもあって、俺のことは学校でも「赤本」ではなく「太一くん」と呼ぶ。その七瀬の父ちゃん、続いて校長が足元のガラスを避けつつ、こっちに来た。窓際に取り残された形になった桐谷も、渋々といった感じでそれに続いた。取り残された桐谷、というのはなかなか良い風景だ。普段はあいつの後にゾロゾロと大名行列のごとく取り巻きがついて来るからな。


「太一くん、今、怪獣見たって、言ってたよね? それ本当?」

「はい、多分……」

「どこにいた?」

「釣り部の部室から割と近いところです。湖の岸辺のあたり」

「そうか……。見たのは、太一くんだけ?」

「あと、七瀬が怪獣に襲われたって……」

「え!」


 七瀬の父ちゃんの目つきが変わった。さすがに親である。しかし同時に、舌打ちが小さく鳴ったのを俺は聞き逃さなかった。桐谷である。




 話を聞きたいということで、七瀬の父ちゃんに別室に連れて行かされた。通されたのは、校長室隣の応接室だった。校長も同席し、桐谷、それから七瀬も呼ばれた。七瀬は「なんで私まで」と不機嫌さを隠そうともしなかった。しかし、七瀬の父ちゃんは許さなかった。


 部屋に入り、俺ら生徒三人は七瀬の父ちゃんと校長の向かいに並んで座らさせられた。入ってきた順番の関係で俺が真ん中になってしまった。ビロード地の、高そうな椅子だ。壁は板張り。名画なのかどうかわからない風景画が飾られている。まぁ安いと思う。初めて入ったが、広くはなく、小部屋といった感じ。滅多に外部から人も来ないので長らく使われていないはずだが、手入れはされているようだ。


 早速「どのような生物を見たのか」と問われた。俺はわかる範囲で答えた。俺が話している最中、なぜだか七瀬の父ちゃんは時折、チラッチラッと、七瀬を睨んでいた。こういう表情の七瀬の父ちゃんを見るのは初めてかもしれない。


 七瀬の父ちゃんは、元々は地元の大学で遺伝子に関する研究をしていたらしい(詳しくはわからん)。その研究が認められたらしく、七瀬が小六の時に東京の大学へ呼ばれた。多分、栄転と言って良かったと思う。


 本来なら、そのままずっと東京にとどまることになっていたと思うのだが、俺らが中学三年に上がる頃、突然この町に戻ってきた。何があったのかは、もちろん詳しくはわからない。ただ、七瀬の父ちゃんは元いた地元の大学には戻らなかった。この高校へ生物教師として赴任してきた。口さがない父兄の間では、学会から追放されたとか何とかいう噂が広まった。気になってネットで調べてみたら、ニュースサイトの科学カテゴリに、ごく小さな記事が載っていた。確かに七瀬の父ちゃんは、東京の大学を辞めていた。見解の相違とかいう理由らしい。それも細かいところはわからない。


 まぁ、ざっくり言ってしまうと、出世したと思ったら転落した、というところか。そう思うと、七瀬が今みたいになってしまったのも納得はできる。親の関係で振り回されても、自分では何もできない。親を助けることもできなければ、親から逃げることもできない。自分は関係ないのに、自分まで好奇な目で見られもする。でも仕方ない。俺らはまだ袋の中で暮らすカンガルーの子供のようなものだからだ。


 その七瀬の父ちゃんは桐谷にも怪獣について聞いた。しかし、桐谷はあまりよく見えなかったらしく、「大体、赤本が見たのと同じ感じだったと思います」と答えるに留まった。七瀬も自分が襲われた時はよくわからなかった上、俺が見た例のアレは見ていないので、特に有用な情報は得られなかった。七瀬は終始、眉間にシワを寄せていた。七瀬の父ちゃんや俺たちだけならまだしも、校長がいるのに、である。


 しかし、もし二人が襲われたのが、俺が見たのと同じあの生物だとすると、「あんなにデカいのによく見えなかった」ということになる。何か不自然なものを感じた。しかし、


「思った通りかぁ……」


 と、七瀬の父ちゃんは眉間にシワを寄せて呟いた。そして、


「やっぱり、辻褄は合います」


 と校長に言った。


「本当にそんな生物がいるんですか?」


 校長は限りなく疑に近い半信半疑、といったところだ。


「一連の不可解な出来事は、彼らが見た……まぁ、太一くんだけですが、その、巨大な生物が原因だと見て、ほぼ間違いないと思います」


 七瀬の父ちゃんの話では、近藤の件はもちろん、船が壊れたのも、ウチの教室の窓が割れたのも、全て未知の巨大生物の仕業らしい。


 曰く、その生物は消えることができるというのだ。


 もちろん、実際に消えるのではなく、保護色を使って擬態する、ということだ。完全に消えたように見えるくらいの擬態能力を持つということはにわかには考えられない。しかし、夕暮れ時というのがポイントらしい。薄暗いので、かなり高機能な保護色を使うことができれば、それこそ「消えることができる」のではないか、という。

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