第2話 今日、帰れなくない?

 ドアを開けようとすると、ドアの方で勝手に開いた。自動ドアではない。うちの学校はそんな未来的な学校では断じてない。うらぶれた田舎の高校でしかない。


 開かれたドアの向こうには桐谷が立っていた。桐谷は俺より十センチくらい背が高く、いきなり見下される形になった。奴の方でも少々面食らったようだったが、俺だと気付くと、すぐにつまんなそうな顔になった。


「……何だ、オメェか」


 俺はそれには答えず、横にどいた。奴はありがとうの一言どころか「チッ」と舌打ちを一発くれて、廊下の人混みの向こうへと消えていった。


 今ので、もうこれ以上は上がらないだろうと思っていたうんざり気分が更に上がった。


 教室に入ると、机と椅子は後方に移動され、前半分に広くスペースが取られている。そこでクラスでもカーストの上の方にいる女子が、男子の制服を着てはしゃいでいた。もう、どうにもこうにも気分が沈んでいく。


 俺たちのクラスは、今度の文化祭で劇をやるらしい。その舞台衣装なのだそうだ。しかも、そのド素人演劇の練習を目の前で見せられるという、拷問のような毎日が二学期に入ってから続いている。毎日である。


 教室の端の方、窓際を見やると、淡々とティッシュでお花を作っている平凡を絵に描いたような男がいる。たちばな流介りゅうすけだ。俺と同じ釣り部に所属している。


「ウンコ長いネ」


 流介の隣に座ると、いきなり下品極まりない挨拶をかましてきた。


「長くもなるだろ。こんな惨状なんだからよー」

「でも、君がウンコしてる間、僕一人で花作んなきゃいけないことを忘れて欲しくはないナア」

「悪かったよ。すぐ作るよ」


 カースト貧民の俺たちに与えられた役割は小道具だ。今は花を作っている。そう言うとなかなかにしてファンタスティックだが、ティッシュペーパーをそれっぽく丸めているに過ぎない。


「しかし、たりーな」


 ティッシュを一枚つまみ上げる。窓の外を見下ろした。校庭のど真ん中には後夜祭のキャンプファイヤーが呪術の道具の如く組みあげられている。全く忌々しい。どこを見ても文化祭だ。視線を校庭を突っ切った先にある正門正面の川に移す。生徒を乗せた船が川を渡っていくのが見える。


 この川を渡るのに、ちょっと前までは橋を使っていた。しかし老朽化のため、現在は新しい橋を建造中である。だから今は、代わりに船で登下校している。海で釣りに使うような小型の船だ。屋根がなく、座席もない。詰め込めるだけ詰め込んで、できるだけ人数をさばこうというのだろう。トラックの荷台に詰め込まれているようなものだ。晴れの日はまだいいが、雨の日は割と罰ゲームだ。まあまあスピードを出すので傘を畳まなくてはならない。だから割とずぶ濡れになる。船の意味が薄れる。ちなみに、橋の完成は来年春を予定している。


 冬は辛そうだなぁ、とぼんやり眺めていると、その船が向こう岸に着いた。生徒がわらわらと降りていく。最後の一人が降りた。


 その時だった。


 船が大きく、空中へと跳ね上がった。


 派手な音を立てて着水する。結構な距離がある上、ガラス窓越しなのに、ここまで音が聞こえてきた。


 何がどうなったのかわからない。一瞬のことだった。でも、はっきりと、その瞬間を見た。いくら小型とは言ってもはあるだろう。その船が、笹舟のように宙へ舞い上がった。


 音を聞きつけたクラスの連中も、何だ何だ、と窓際に集まって来た。校庭で部活やってた連中も川の方へと集まっていく。


 船は、船尾の方からみるみる沈んでいく。すると、運転席から運転手のおっさんが出てきた。どうやら無事だったようだ。そして、ジャンプ一番、岸へと飛び移ろうとしたが、落ちた。しかし、すぐ上がって来た。濡れ鼠だ。船を降りた生徒に助けられている。


 見ると、いつのまにか教室にいた連中がみんな、窓際に集まっていた。


「え? 今日、帰れなくない?」


 男子の制服を着た女子の一人が言った。



 俺が通うこの高校はかなり変わったロケーションにある。端的に言ってしまうと、学校の敷地のまわりをぐるりと水で囲まれている。ある意味、ちょっとした孤島である。


 正門の前の川は上流で二つに分かれており、もう片方は、校舎の横を流れ、そのまま学校裏にある湖へと注いでいる。正門前の川は更に二つに分かれ、片方はそのまま下流へと流れていくが、もう片方は校庭の脇に沿って校舎裏の湖へと至る。



 担任の先生が来て、改めて船が壊れたことを告げた。帰れなくなった。最悪だ。


 当面行き帰りの手段はなく、代わりの船が到着するまでには一両日はかかるという。従って、今日は学校に宿泊せざるをえないことになった。生徒の家には各クラスの担任が電話で報告とお詫びをするという。この学校は辺鄙なところにあるため、携帯会社の電波が届かない。だから、学校にいるうちはスマホでネットに繋げることはできないし、電話をすることもできない。ホントに二十一世紀の学校なのかと疑いたくなる。しかし、学校側は生徒がスマホを使えないので好都合らしく、アンテナ敷設の話は一向に出ない。先生たちもスマホが使えなければ不便だろうに。ちなみに今日の夕食は、購買部のものを一旦学校側が全て買い上げ、それを生徒に配るという。


 もう一度言おう。最悪だ。なぜ最悪かは言わずともわかるだろう。しかし、あろうことか、生徒からは歓声が上がった。もちろん、大半は不満顔なのだが、主にカーストの上位にいる奴らから歓声が上がり、不満な雰囲気を音圧と存在感でかき消してしまった。「臨時の修学旅行みてー!」「なんかテンション上がるね」などと口々にほざいている。


 この雰囲気の中、夜を明かすのか……。泳いで帰るか?


「釣り部の準備しに行かない?」


 流介が声をかけてきた。部活動をしている者は、クラスの他に部活での文化祭への参加を許可されている。正直、そっちもめんどくさかったが、なるべくクラスの準備から逃げたかったので、流介と相談して生徒会に参加希望書を提出した。


「え? でも、まだ花作り終わってないぜ」

「どうせ今晩は帰れないんだから、後でやればいいよ。時間はいくらでもある」


 そうしたいのは山々だが、教室を抜け出るのは、この盛り上がってる雰囲気の今じゃないような気がする。カースト上位連中に文句言われたらめんどくさい。


「それに、太一の苦々しい顔がすごいことになってるから、文句言われる前に逃げた方がいい」




「あれ?」


 釣り部部室に赴いた俺と流介は不審に思った。


 正確に言うと、釣り部部室の隣にある体育倉庫を見て、だ。コンクリでできている体育倉庫にひびが入っている。壁の中心から三本ほど、雷のような線が伸びている。


「こんなひび割れ、なかったよなあ?」

「老朽化……?」


 しかも、ひびは結構深い。細くはあるが、ひびの隙間から中が見える。俺は中を覗き込んだ。何かが動いた気がした。なんとなく怖くなって、逆に放っておいた。君子危うきに近づかず、だ。


「ま、いっか」


 俺たちは部室に向かい、釣りの用意をした。

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