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 副島は電車に乗って出かけるようで、二人は隣の車両に乗り込み後をつけた。彼女は運転席の真後ろの席に腰掛けている。朝の通勤ラッシュを終えた時間帯で、乗客はまばらで車内は閑散としていた。なるべく自然に彼女の周囲を見回すと、同じ車両の一番後ろの席に夫が座っている。カモフラージュのつもりなのか、スポーツ新聞を広げて顔を隠しながら妻の様子を伺っていた。

「ご主人でなければ通報してますね……」

 ホームの売店で買ったあんぱんを咥えながら、あとりはこそこそと呟いた。京介にあまりジロジロ見るな、と注意される。

「何でこのタイミングであんぱん食ってんだ」

「おなか減ったんだからしょうがないじゃないですか。ちなみに栗がひと粒入ってるんです。半分食べますか? 粒あんですけど」

「……いや、結構」

 食べ進めているうちに、あとりが声を上げる。

「秋月さん! 見て下さい、栗が二粒入ってました! めっちゃラッキーです!」

 あんぱんの中心に、彼女の言う通り大粒の栗が二粒埋まっている。

「……今日の幸運、それで使い果たしたんじゃないか」

「………………」

 京介は余計な疲労が増すのを感じた。

 そうしているうちに電車は終点に辿り着いた。乗客全員に降車するようアナウンスがされ、乗客達は各々の支度を整えて降車し始める。副島も鞄を肩に掛け直し、ホームに降り立った。夫も少し距離を保ちながら後に続く。

「降りるぞ」

「ふぁい」

 あとりは残りのあんぱんをすべて頬張りながら、京介に続いて電車を降りる。探偵はそっと彼女に耳打ちをする。

「……今から俺がすることに、何の反応もするな。声を上げるな。前だけ見て黙って付いて来い」

 少女は口いっぱいのあんぱんを咀嚼そしゃくしながらこくこくと頷いた。京介がさりげなく歩調を上げて夫に近付く。あとりも慌てて付いていった。彼は夫の背後とのすれ違いざま、臀部でんぶのポケットから覗く長財布に素早く手を伸ばし、少しだけ引き抜く。財布はポケットから三分の二ほど顔を出した。この間一秒にも満たない。

 夫は気付かず、妻を慎重に追っている。人波に紛れながら彼女が駅の階段を上っているのを追おうと、階段に足を掛けたその時、ポケットから財布が抜け落ちた。

 あとりは思わず目で追うが、五メートルほど後ろを歩いていた女性がすぐに拾い上げ、夫を呼び止めた。

「あの、落としましたよ」

「……! ありがとうございます、助かりました」

 夫は振り向き、親切な女性に感謝した。そしてそそくさと前を向いた時には、妻を見失っていた。慌てて改札をくぐるも、彼女の姿はどこにもいない。夫は大きな溜息をついて肩を落とした。

 二人は一部始終を改札外の物陰から伺っていた。

「よし、上手く撒けたな」

「びっくりした……スリの現場を目撃したかと思いましたよ」

 ほっと息を吐くあとり。夫が改札を出るより早く、副島は駅のロータリーに停車していたバスで移動したようだった。夫は諦めたのか、とぼとぼと折り返し運転の電車に乗り込んでいく。

「これからどうします? 副島さんを追いますか?」

「いや、あくまで夫妻が近付かなければ良いから、夫をつける。夫が素直に仕事に戻り、夕方まで出て来なければ完了だ」



 その日、会社に戻った夫が夕方以降も建物から出て来ないことを確認し、二人は事務所に戻ってきた。夜、副島から電話がかかってきたが、今日は夫の気配を感じずに外出できた、明日以降もこの調子でお願いしたいという内容だった。

「つっかれた――――」

「お前は一日あんぱん食って、張り込み中に物陰でうたた寝してただけだろうが」

 ソファーにダイブするあとりをなじる京介。そしてそこは俺の寝床だからどけ、と追い払う。

「お前は昨日と同じ屋根裏部屋だ。寝るならそっちに行け」

 しぶしぶソファーから降りた。

「あの部屋埃がすごいんですもん」

「文句があるなら、明日俺に付いてこないで部屋の片付けでもしたらどうだ」

「嫌ですー最後まで見届けたいですもん」

 あとりは寝るまで少し片付けしてよっと、と屋根裏部屋に慌ただしく駆けていった。もう一度、ぱたぱたと戻ってくる足音がして客間の扉が開き、

「おやすみなさい」

「……ああ」

 今度こそ自室に引っ込んでいった。客間に静寂が訪れる。

 しんと静まり返った空間で京介は先程の会話のやり取りを反芻はんすうし、ふと気が付いた。

「文句があるなら……出ていけの間違いだったな」

 俺も疲れているな、とソファーに横になり、黒い両手で顔を覆った。

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