第41話 エピローグ

 朱乃の自室にて、俺は頭を下げ彼女に謝罪の言葉を口にしていた。


「ごめん。俺は一緒に本を作るっていう約束を果たせなかった。許せとは言わないけど、せめて謝らせてくれ」


 俺の謝罪に、朱乃はやや困惑した様子で口を開く。


「別に、そんな昔のこと気にしなくていいわよ。あれ、小三のときの話でしょ」


 朱乃の言うことはもっともだ。


 全部、俺が勝手に空回っているだけで、こんなことを言っても自己満足にしかならないのかもしれない。


 けれど、それでも俺は朱乃にちゃんと謝りたい。

 

「……確かに、今のお前にとってはあんなの単なるガキの戯言で、今さら蒸し返されても困るだけかもしれない。でも、俺にとってお前との約束は特別だった。だから、俺と違ってどんどん絵が上手くなってプロとしの仕事まで受けうようになったお前に勝手に劣等感を感じて、心のどこかで俺とは違う世界で生きてるやつなんだって距離を取り逃げようとしてた」


 自分でも最悪だと思いつつも、ごまかすことなく思いの丈を全て口にする。


「今さら謝ったって仕方ないのかもしれないけど、それでも、ごめん」


 しばらくの間、頭を下げてじっとしていると不意に正面で朱乃が身じろぎする気配が伝わってきた。


 何を言われるにせよ、ちゃんと全部を受け止めたい。


 俺がそう思って顔を上げると、朱乃は何かを決意するかのような力強い表情を浮かべていた。


「そこまで言うなら、約束を破ったことは許してあげる。でも……」


 朱乃は一度言葉を区切り、大きく右手を振り上げた。


「っ、つう」


 頬に痛みが走り、周囲には乾いた音が響く。


 ビンタされたのなんて、小さい頃に朱乃と取っ組み合いの喧嘩をしたとき以来だけれど。

 久しぶりにくらってみると、結構、痛いものだな。


「真夏が変に気を回して余計な世話を焼くようになったのは許してないから。だいたい、真夏は私のことなんだと思ってるのよ! どんだけしょうもない話でも、私は真夏の言うことなら全部聞いてやるに決まってるでしょ。言いたいことがあるなら、ごちゃごちゃ考えてないでちゃんと言え!」

「……ホント、その通りだな」


 きちんと謝って、少しは近づけた気がしていたけれど。


 やっぱり、朱乃には全然敵わない。


 朱乃のこういう所は本当に恰好よくて、昔から変わらない俺の憧れだ。


 かつての俺は、憧れに向かって伸ばした手が何も掴めず空を切るのが怖くて、背を向け逃げることしかできなかったけれど。


 本当は、そんな心配をする必要はなかったのだろう。


 なにせ、折笠朱乃は憧れである以前に俺の友達なのだ。

 精一杯手を伸ばして、それでも届かないときは、きっと向こうからだって手を伸ばしてくれる。


 そんな簡単なことさえ信じられなかったとは、我ながら馬鹿としか言いようがない。


「罰として、真夏はこれから私の買い物に付き合って荷物持ちをすること」


 両腕を腰に当てながら、朱乃が冗談めかした声音で俺に下された判決を口にする。


「お前、締め切りはいいのか?」

「いいのよ。私は真夏が嫉妬するくらいの天才だしい? ちょっと遊びに出かけたくらいで落としたりしないわよ。それとも何? 私に付き合うのが嫌だって言いたいわけ?」


 判決を下す裁判長からこう言われてしまっては、罪人の俺には是非もない。


「まさか。当然、喜んで付き合うに決まってる」


 何となく、俺には締め切り間近の修羅場に陥った朱乃が半狂乱で液タブに向かっている未来が見えた気がしたけれど。


 まあ、いいだろう。


 そうなったらそうなったで、エナジードリンクでも差し入れてやればいい。 


 ……なんて、朱乃の絵のことでこんな風に軽く考えられるようになったのは、いいことなのかどうか。

 些か、判断に困るところではあるけれど。


 そういうのも含めて朱乃と一緒に考えられるなら、きっとそれは悪いことではないのだろう。



 ◇


 

 月曜日の放課後、何の変哲もないように見えて本当は白いマーガレットの花が欠けている教室にて、今はない花のことを知っている俺たちはセカイを元に戻した後の話を互いに報告し合っていた。


「昨日、お父さんと久しぶり……って気もしないんだけど、まあ会ってきたの」


 ツインテールにした金髪の毛先を自分で弄びながら、涼音が何ともなさそうな調子で言葉を紡ぐ。


「相変わらず、お父さんは自分の中で勝手に結論を決めて、私の言いたいことなんて全然わかってくれなかったんだけどさ。でも、それこそ小さい頃には神様か地獄の閻魔様に見えてたお父さんも、いざ覚悟を決めて話してみたら、案外普通のおっさんなんだなーって思って。今は、そんなに身構えなきゃいけない相手でもない気がしてる」


 涼音と父親が具体的にどんな話をしたのか、それはわからないけれど。


 力の抜けた様子で父親について語る涼音を見ていると、彼女と父親が次に語らう日はそう遠くはないような気がする。


「ま、私の方の話はそんなとこ」


 涼音は父親との話を切り上げると、机の中から一冊のノートを取り出した。


「それじゃ、明日は長瀬と映画観に行く約束してるし、今のうちにたくさん実験しよ」


 涼音が白紙のページを開き、そこに次の実験の概要と思しきものを書きこんでいく。


「お前、少しは懲りないのか?」

「懲りないよ。だって、そんなつまらない理由で夢を諦めたらもったいないじゃん」


 昨日の今日でもう二号を使って怪しげなことを始めようとしている涼音に俺が呆れ気味に声をかけると、彼女は少しばかり俺の心臓を早鳴らせる単語を口にしてから笑顔で手を差し出してきた。


 そういえば、約束したんだったな。


 そんなことを思いながら、涼音に向かって手を伸ばす。


 朱乃への劣等感が綺麗さっぱり消えたかと言われたらそんなことはないし、二号についてはまだわからないことがたくさんある。

 涼音だって、父親と何のわだかまりもなく和解できたわけではないだろう。


 あれだけ大騒ぎして、完璧に解決できたことなんて結局一つもない。


 でも、俺には憧れずにはいられない凄い友達がいて、常識を超えた事態へ手を繋ぎ共に飛び込んでいく仲間がいる。


 だから、ままならないことばかりのこのセカイのことも、少しだけ好きになれた気がした。

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セカイはご都合主義でできている @ts10

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