第35話 お姉ちゃん

 歪んだセカイを抜け出したことによってオフライン専用の電子書籍閲覧端末から、手軽に他人と連絡を取ることのできる通信デバイスへと変化を遂げたスマホを手に取り電話をかける。


 通話の相手は、もちろん涼音だ。


 幾ら彼女が最近は二号に関して些か消極的になっていると言っても、俺の目の前で周囲を不思議そうに見まわしている金髪碧眼の小学生のことを知れば、必ず興味を示すはずだ。


 そして、こういう超常現象の類に関して涼音より頼りになる人間を俺は知らない。


「涼音、緊急事態だ。実は――」

「小学生の私、今そこにいるの?」


 電話が繋がったので早速少女のことを報告しようと口を開くと、まるでそのことを見越していたかのように涼音が俺の台詞を遮り今の状況を端的に言い当ててみせた。


「……確かに、一ノ瀬涼音を名乗るお前そっくりの小学生は目の前にいるが。なぜわかる」

「わかるよ。全部、思い出したから」

「思い出した? そう言うってことは、つまり……」

「うん。藍川の目の前にいるのは、神隠しにあってる最中の私で間違いないよ」


 可能性自体は既に思い浮かんでいたし、どちらかといえば驚きより納得の方が勝るけれど。


 それでも、七年前の涼音と今の俺が顔を合わせ二号に類似した現象に巻き込まれているなんて、でき過ぎにも程がある。


「これ、偶然じゃないよな?」

「もちろん」


 念のため口にした俺の問には、当然の如く肯定の返事が返ってくる。


「けど、意外だね」

「何がだ?」

「その様子だと、藍川はまだ神隠しにあったときのこと、思い出してないんでしょ?」


 確かに、俺も涼音と同様に神隠しにあい、その際の記憶を喪失しているけれど。


 元々、多少は記憶の残っていた涼音と違って、俺は神隠しのことは一切覚えていなかった。

 当時だって、いろんな大人から散々尋ねられても何も思い出せなかったのだし、今さらそう都合よく記憶が戻るはずもない。


「仕方ないだろ。もう七年も前の話だぞ。というか、逆に何でお前は当時のこと思い出せたんだ」

「それは――」


 スマホの向こう側から誰かの足音が響き、何か答えようとしていた涼音が言葉を止める。


「お姉ちゃん、まだ?」


 薄っすらと聞こえてきたのは声変わりしていないのがわかる小さな男の子の声で、どことなく聞き覚えがある。


 いまいち状況が見えないが、どうやら涼音は子供と一緒にいるらしい。


 彼女に姉弟がいるなんて話は聞いてないし、親戚の子供を預かっているとかそんな所だろうか。


「ごめんね。今、お姉ちゃんは大事なお話してるの。だから、もう少しだけ待っててね、真夏くん」

「……ん? 真夏?」


 偶然の一致だとは思うのだが、涼音の口から俺の名前が出てきたのに驚いて、つい反応してしまう。


「あ、驚かせちゃった?」

「ああ、まあ、正直な。お前が面倒みてる子供、真夏っていうのか?」

「うん。藍川真夏くん九歳。お友達の朱乃ちゃんとの約束を破ったことが気まずくて、絶賛悩み中みたい」


 俺が問いかけると、涼音は面倒を見ている子供に関する信じがたい情報を淀みのない口調でスラスラと喋り始めた。


 名前、年齢、友達、涼音の口にする情報はその全てが全て俺を……いや、年齢まで込みで考えると行方不明になった際の俺を指し示している。


 涼音のことを信じるなら、今彼女の目の前にいるのは過去の俺ということになる。


「いや、待て。あり得るのか? 俺が行方不明になってる最中に、高校生のお前と会ってた? いくら何でも、それは……」

「じゃあ、嘘だと思う?」


 思わない。


 俺と涼音は二号というこの上なく嘘臭い、けれど確かに現実に起きたできごとを共に経験してきた。

 だから、どれだけ嘘みたいな事柄でも、彼女の言うことなら信じられる。


「大丈夫」


 スマホから聞こえてくる涼音の声は優しくて、まるで小さな子供をあやす様な声音だ。


 今まで、涼音が俺に向かってこんな風に話しかけてきたことはない。

 そのはずだ。


 なのに、涼音の声は何の違和感もなく俺の中に入ってきて、不思議と懐かしい気持ちにさせられる。


「……お姉ちゃん?」


 気づけば、俺の口からはおよそ涼音には似つかわしくない呼び名が無意識に飛び出していて、実際に口にしてから初めて、それが涼音を呼ぶ言葉だったのだと自覚する。

 

「は? 俺、何を……というか、涼音! 今のは違うからな。今のは、言う気なかったのに勝手に口から出てきたというか、とにかく、忘れろ!」


 俺が焦って言い繕っていると、スマホの向こうで涼音が笑う気配が伝わってきた。


「あはは、ごめん。それは無理かも。でも、安心して。ああいう言葉遣いだと、今の藍川も結構可愛かったから」

「ふざけんな。今のは、マジで忘れろよ!」


 俺の念押しを聞いているのかいないのか、涼音はしばらく笑った後で咳払いを挟み、声のトーンを真面目そうなものに変えた。

 

「藍川が思い出せてないのは残念だけど、それならそれで問題はないから心配しなくていいよ。藍川のことは、ちゃんと私が助けてあげる。……約束だもんね」


 約束、涼音が最後に付け加えたその言葉を聞いて、不意に年上の女の人が俺に向かって微笑んでいる光景が頭に浮かぶ。


 その女の人は眩い金髪と澄んだ碧の瞳が特徴的な美人で、飛憶高校の制服を着ていた。


 ああ、そうだ。

 今、思い出した。


 俺は七年前、行方不明となったあの日に、高校生の涼音と会っている。

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