(4)見知らぬ天井と秘密基地への道なのです

「……知らない天井です」


 目を覚ますと、嗅ぎ慣れない甘い匂いの部屋で、天井の木目を眺めていました。

 年季の入った煤けた天井は私の部屋の物では有りません。


「んん~~……ディジー、起きたの……??」


 甘い匂いの源が、私の横でごそごそと身動みじろぎします。

 というより、その右腕が、しっかり私を抱きかかえていました。


「ディナ姉?」


 問い掛ける声に、「ううー」と唸るばかりで、私の体越しに伸ばした右手をぱたぱたしています。

 そちらに目を向けても、ベッドの端の向こうに部屋の入り口の扉が見えるばかり。


「こっちには何も有りませんよ?」


 「むぅ!」と気合いを入れたディナ姉が、体を起こして私を跨いだベッドの向こうを覗き込みます。


「お姉ちゃん! また、落ちてる~……」


 一緒になって覗き込めば、リダお姉さんが床の上で丸まっていました。


 ええ、此処は私の部屋ではありません。ディナ姉とリダお姉さんの部屋みたいです。

 ええ、ええ、ディナ姉とリダお姉さんが姉妹だったなんて、今初めて知りました。

 でも、何で私は此処に居るのでしょう?

 ぺたりと座り直したディナ姉を見上げながら、私は首を傾げるのでした。



「酒は呑んでも呑まれるな、てねー」


 リダお姉さんは、私が此処に居る理由を口に上らせながら、手と目はさっきからずっと私の革鎧に注がれています。昨日の夜脱がした時には、もう暗い事もあってじっくり見ていなかったのだという事ですけれど、そんなに面白い物なのでしょうか。

 ひっくり返して留め金を見つけては、「ほほう」と感嘆の声を上げています。

 工夫を凝らした部分に感心されるのは、気分がいいのです。


「呑ませたのはお姉ちゃんでしょ! ご飯の途中で余所見しないで!」


 お椀を振り翳すのも、どうかと思うのですが、どうなのでしょう。


「呑んだのはディジーだよなー?」


 革鎧を横に置きながら悪怯わるびれずに告げるリダお姉さんに、私もこくこくと頷きます。


「いい勉強になりました」


 ディナ姉はウェイトレスなのに、料理もとても美味しいです。肉詰めのパンを小さく千切ってかぶり付きながら、出てもいない汗を手の甲で拭います。


「もう! ディジーまで! 何なのよ、もう!」

「でも、お酒を飲んだのがコルリスの酒場でなかったなら、とんでもない事ですよ? ……ふぅ、とても危ないところだったのです」

「はははは、その通り。冒険者ってーのは、ずーっと勉強って事さねー」


 リダお姉さんは、機嫌良さそうに笑いながら椀のスープを呷ると、また革鎧に一瞥を投げ掛けました。


「その勉強が足りていないのに、下らない噂や思い込みで振り回されるってのは、どうなのかねー。ま、冒険者としては慎重さが足りないって事かも知れないけどねー」

「ふん! ディジーを逆恨みするなんて、脳筋もいい加減にして欲しいわ! 情報を集めもしないで嫌がらせするなんて、腐ってるわよ! もうっ!」


 ディナ姉はどうやらおかんむりです。

 コルリスの酒場には若手は余り来ないので分かりませんでしたが、実はとっても怒っていた様です。


「ディーの未来の客だろーに。……ま、ディジーの革鎧を見て手作りだと気付けというのも無茶かも知れないけどねー」

「うわ、最悪! ディジ~~、早くランクを上げて、皆を黙らせてよね!」


 因みに、ランクはゼロを最上として値の小さい方が位が上の数字で表されるものと、ランク零を細分化したAから始まる記号の物が有ります。

 王国では数字のランクの二十から一に、それぞれ王国が定めた象徴が割り当てられていて、私の今の冒険者のランクは十二番目の神泉ルルカリス。街での依頼を受けている内に、いつの間にかそこまで上がっていました。

 王国では一人前とされていますけれど、自由に旅が出来るのはランク八の宝剣イグザガリテから。でも目標は、街や街道での税金が免除されるランク六の宝塔シリアズレンテです。神との交信を交わすという輝きの塔も、行ってみたい場所の一つなのですよ。


 でも、正直ランクの別名は、偶に入れ替えが起こったりもするので、憶えなければいけない物でも有りません。私は何となく格好いいから憶えましたが、ランク三の冒険者のガズンさんは、ころころ別名が変えられるので、もう憶えるのはやめたと呆れた様に言っていました。偉い人は考える事もよく分からん、と。酒の出来も毎年違う様なもんか、と。よく分からない様子でそう言っていた様に思います。


「……へー、ブーツも自作だったのねー」


 少し苦みを含んで、リダお姉さんが言いました。

 どうかしたのかと、首を傾げて見上げてみれば、


「足首の防御が薄い」


 少し不機嫌そうです。

 私も少し、むっとしてしまいました。


「それは、木登りをする人に甲冑を着る様に言う様なものなのです。足首が柔らかくないと、受け流しも出来なければ、飛び跳ねる事も出来ませんよ」

「足首をやられれば、それも出来なくなるってーの」

「ちゃんと鉄布を使って考えているのですから、大丈夫です!」

「鉄布? ……ぉおっ!?」


 もう食卓を余所に、ブーツをひっくり返しては矯めつ眇めつ確認しているリダお姉さんを眺めながら、スプーンでスープを掬ってカプリ。パンを小さく千切ってもぐもぐ。失礼してしまうのですと思いながらも、ディナ姉のご飯には罪は有りません。デザート代わりの蕃茄あかなすもナイフで切り分けてはむはむなのです。


「ふわぁ~……」


 気が付けば、ディナ姉がぼんやりした様子で私の食べる様子を眺めていました。

 と思えば、キリッと表情を革めて、ピシッと背筋を伸ばして、ナイフとフォークを手に取って、途中になっていた朝御飯を再開します。

 首を傾げて見てみれば、顔を赤らめながらパンをナイフでキコキコと切り分けようとしています。

 それは何だか違う様に思うのですよ?


「ディー?」


 ブーツの次に、鉄布の胴着も広げていたリダお姉さんも、顔を上げて訝しげに見ていました。


「ち、違うの! ディジーが凄い上品って言うか、気品が有るって言うか、だから!」

「…………あー……ディジーって変な色気が有るよなー?」


 そうなのでしょうか?


「でも、パンをナイフで切るのは違うと思うのです」


 そう言うと、ディナ姉は少し息を呑み込んでから、がっくりと吐き出しました。



 そしてそれから一時いっとき程経った後の宿の前で、お出掛けする格好の娘が三人。


「ディジーちゃんのー、お宅訪問~~」

「ぱふぱふ~~」


 何だかそういう事になった様です。

 お宅と言っても、実家じゃ無いですけれどね。


 丘を下ってぎりぎり商店街といった坂の途中の裏手の裏手、のんびりとした農園地区にも程近い所に、リダお姉さんとディナ姉が借りている部屋は有りました。風呂場、炊事場は共同で、裏には井戸も有るので水浴びも出来ます。いつもは早朝の噴水広場を利用していたので、井戸で水浴びが出来るのはとてものんびり出来たのです。


『噴水広場でって……』

『……ディジーぃい!? …………いやー、まー、怖くて聞けなかったっていうのも有るけどねー…………』


 朝御飯をご馳走になった後で、汗を流したそこでの会話では、ディナ姉もリダお姉さんも、随分とお疲れの様子でした。

 結局の所、私の住処を誰も知らないから送る事も出来なかったというのも含めて、一度私のねぐらを確認しようという事になったのです。


「でも、秘密基地は秘密だから秘密基地なんですよ!?」

「駄目!」「駄目!」


 私の主張にも、二人は声を揃えて、寧ろ使命感を燃え上がらせている様です。


「とっとと案内しなさいねー」


 つんつんと背中をつつく指先が非情です。


「ふふふ……私、何だか楽しみになって来ちゃったな~」


 楽しみだと言いながら、その眼は全く笑っていないのです。


「さー、ディジーちゃんのお部屋はどこかなー?」

「どこかな~?」


 にこやかに追い詰めるその様子が、はっきりと二人が姉妹である事を感じさせました。


「…………だ、誰も使っていないお部屋だからって、勝手に使うのは犯罪です。それくらいは知っていますよ!?」

「へーへー」「ほーほー」


 お姉さん達は怖い笑顔です。


「で、でも、誰も知らない木のうろなら、住み着いても問題有りませんよね!?」

「ほほー!」「ほほう!!」


 お姉さん達の目がギラリと光りました!


「誰も知らない壁の隙間だって、問題有りませんよね!!」

「…………ほほー?」「…………んん??」


 あ、少し収まりました。

 壁の隙間は大丈夫の様です。


「そう! 問題無いのですよ!」


 ここは言い切った者勝ちだと、胸を張ってみるのです。


 お姉さん達の宿から、まずは冒険者協会まで登ります。何でこんな場所の宿屋にと思いましたけれど、殆ど真っ直ぐ冒険者協会に続く小路が走っていて、成る程と納得したのです。


「……あー、本当に南地区に有るんだねー。……聞かなきゃ良かったかなー」

「怖いけど、知らないでいるのももっと怖いし!」


 それは確かに秘密基地を作ったばかりの頃は、蜘蛛の巣の張った汚れた小部屋でしか有りませんでしたけれど、一年も有れば掃除だってするのに少し失礼なのです。

 リダお姉さんは軽く装備を身に着けて、今日は休みだとか言っていましたけれど、ディナ姉は大丈夫なのでしょうか。いつもと同じエプロンドレスでは、秘密基地には少し厳しいかも知れません。


「ディナ姉は、その服で大丈夫ですか? 動き易い服でないと、秘密基地には入れないかも知れないですよ?」

「え? え?」


 ディナ姉が狼狽えている横では、リダお姉さんが片手で顔を覆っています。


「……あー、本当に怖いなー」


 それでその話はもうお終い。後は実際に見てのお楽しみとなったのです。


 てくてくと歩いている内に、話は私の装備の事へ。一頻ひとしきりリダお姉さんに褒めて貰った後に、私の装備が私の手製だという事をもっとおおやけにして、意味の無い反発の沈静化を図ろうかと言っていましたが、きっと上手くは行かないのでしょう。感情がこじれると、何をしてもグチャグチャになってしまうのは、経験済みです。


 冒険者協会の裏手に着いたら表に回って、そのままコルリスの酒場方面へ。

 コルリスの酒場に着いたら、その裏に回る道へ入って、そのまま西へと折れ曲がる小路を進みます。

 水路を渡って壁のアーチを潜り抜けて――


「これはまた随分と……よく、こんな場所を見つけたもんだねー」


 ここは六番目の門へと続く道と、七番目の門へと続く道の、丁度中間の辺りに有る区画。

 南の街は迷路ですから、門へと続く道を外れれば、途端に人気ひとけは無くなり廃墟の様な街並みが広がるのです。

 それでも職人気質な偏屈者は、寧ろ静閑なこの界隈にも暮らしていて、鉄を打つ音や鋸を引く音が其処彼処そこかしこから聞こえてきますが、ディナ姉はそんな音にもびくびくして、リダお姉さんのそばから離れようとはしませんでした。


 そして幾つもの曲がり角を曲がったその先に、その小さな空き地は在ったのです。

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