雪解けのフェアリーテール

 十月初旬。いよいよ迎えた文化祭当日。


 前の晩の雨が嘘みたいに朝から晴れていた。その雨がちょうど季節を分けるみたいだった。九月中、ずっとつきまとっていた暑さをどこかへ運び去った、秋らしい気候。それに十月からは冬服のブレザーに衣替えとなっている。実際のところ、まだブレザーを着込んでいると少々暑いぐらいなのでそれまでの合服期間を引きずったまま、指定セーターを着て、登下校だけブレザーを着ている生徒も多い。学校側も推奨こそしていないが黙認はしている。


 朝のHRで全校生徒に配布されたパンフレット(保護者・地域の方々向けの文化祭案内は別にあり、事前に配布されていた)には校舎案内図があった。それぞれの教室における出し物や展示物等々が掲載されている。そして体育館と講堂で行われるイベントについても。

 

 宮尾先輩が勝手にキャシー先輩をエントリーしようとして、未遂に終わったカラオケ大会は文化祭のなかでも注目度の高いイベントで、一方の演劇部の演劇は期待度は低い。それでも美術部の子が他の準備に片手間に、文化祭のイベントらしいポスターというのを演劇部のために制作してくれて、それを生徒会の許可を経て校内のいたるところに数日前から掲示してある。こういうのって、身内に生徒会メンバーがいるといいものね、と七尾先輩自身が言っていた。

 

 ステージの都合上、公演はたった一度。午後二時からの一時間。それが私たち演劇部のために組まれたスケジュール。

 正直なところ、大半の生徒にとってはその後にあるステージ上での催し物、たとえばチアリーディングや有志によるダンスパフォーマンス、立候補者による漫才、そして軽音楽部によるバンドのほうに関心があるのだと木下部長が話していた。演劇部の知名度を考えればしかたあるまい。「前座だって思われていたっていいの、目に物見せて、後のやつらを委縮させてやるのよ」とキャシー先輩が笑っていた。


 つい一昨日のリハーサルの帰り道に花恋が私に言ってくれたのを思い出す。


「今まで一番よかったです。でも、わたしは信じていますよ。その一番を明後日の本番で塗り替えてくれるのが夕夏さんだって。……それはさっきも聞いたわ、って顔しないでください。プレッシャーを与えたいんじゃないんです。ただ、わたしが本気でそう思っているのを誰よりもあなたに伝えておきたかったんです」


 私は伝わっているわよと言いながら彼女の頭を撫でた。

 強がるトラでもないし、ひ弱な子猫でもない同級生。私はまだ彼女との関係性、ひょっとしたら近い将来に変わるかもしれないそれに、自分なりの答えを見いだせずにいた。でも、その答えってのがまさに舞台にある気がしている。

 彼女が望み、私が応え、そして私自身が望んでとうとう舞台に立つ。皆で、作り上げる。独りじゃない。 私が上手に笑えたのなら、彼女も同じ、ううん、それよりもずっと自然に、綺麗に笑ってくれると嬉しいなって。


 

 


 午前中、花恋がクラス展示の受付当番をしている間、私は一人で校舎内を歩いた。

 どうせならと誘ってくれた照井さんたち、そして「そばにいてもいいですよ」と言っていた花恋には悪いが一人になりたかった。そばにいてくださいと言われたら、なんて仮定はよしておく。

 

 喧噪にまみれるのはうんざりで、ふらふらと静かな場所を求める。学校中が賑わっている。他校の生徒も多く来場しているようだ。人と人の間を抜けて、歩いていく。

 私はいつの間にか図書室前までやってきていた。文化祭中は閉じられている。一般開放している文化祭であり、老若男女、多種多様な人が来るせいか、図書の保護を最優先している。噂に聞く程度に存在している文芸部は別のブースを持っていた。

 

 ここから始まったんだよね、と思いつつ、施錠を確認する。なぜか鍵がかかっていなかったという都合のいい展開はなく、ドアは開かない。

 世の中、うまくできているようで、やっぱり劇的にはいかないのかな、そんなどうしようもないことをぼんやりを頭に浮かべていると突然、視界が真っ暗になった。


「花恋?」


 私は目を覆い隠す手のひらの主を推測する。


「せめて、だーれだって言わせてください」


 ぱっと手が離れる。

 後ろを向くと果たして、そこに花恋がいた。身長差があるから、背伸びしないといけなかったんじゃないかな。


「こんなことするの、あんたしかいないわ」

「悪漢や暴漢の可能性だってありますよ」

「それにしては優しすぎる」


 それに一瞬見えた手は小さかった。


「それでこんなところで何をしているんですか、お一人で。探したんですよ」

「だったら電話を、って……あ、ごめん見ていなかった。もうこんな時間なのね」


 午前11時に差し掛かるところ。

 廊下の天井から生えている時計はいくつもあるのに、そのどれも意識していなかった。花恋の当番の時間が終わる頃に教室に出向くと言っていた覚えはあったが、その時間は少し過ぎていた。開始十五分前集合厳守となっている。控室はなく、講堂の舞台裏に直接待機。早く行きすぎてもいけない決まりだ。昼食を少し早めにとらないとかな。

 何はともあれ一人から二人になった。


「落ち着かないみたいですね」

「まあ、そうね」

「緊張していますか」

「そこそこ」

「そういうときは人を飲みこむといいんです。頭から、こう、ガブッと」

「そうね、いくらあんたが小さくてもそれは無理そう」

「よく食えないって言われるんです」

「何食わぬ顔で冗談ばかり言うからよ」

「毒を食らわば皿まで、ですよ」

「もう、なにがなんだか」


 私たちはお互いに肩をすくめてみせて、そして笑う。普通の友達みたいに。


「おまじないをかけてあげましょうか?」

「おまじない?」


 配役オーディションのときみたいに手でも繋いでくれるんだろうか。今日はそんなカップルを既に何組か目にしている。廊下が狭くなるからやめてほしい。縦に並んで歩け、縦に。これはさすがに僻みか。


「ここまできたら、わたしにできることは、いかにあなたを舞台に心地よく送り出すかですからね」

「音響の操作やカンペ出し、そういうのも大事な仕事、舞台の一部で、花恋の役割よ。言うまでもなく」

「わかっていますとも。わたしは暴漢でもなければ、傍観者でもないのです」


 それこそわかっている。


「で、おまじないって?」

「少し耳を貸してくださいまし」


 いきなりお上品な調子で。まったく、演じるとなったら下手になるんだから。私が素の彼女を知っているからというのもある。ここで会ったときには全然知らなかったのに、と私は薄汚れた「図書室」と書かれたプレートをちらりと見やって、それから花恋に近づく。


「なによ」


 何を囁くつもりなのかと身構え、言われたとおりに彼女のために中腰になる私。

 息を吹きかけられでもしたら、平手打ちかましてやろう、優しく。そんなことを思っていたのだけれど……彼女がほとんど音も立てずに、私の頬に口づけをした。そしてすぐに離す。

 私は固まってしまう。え、おまじないにしては乙女チックすぎない? いや、そうじゃなくて。


 花恋がくるっと背を向け、歩きだす。ふらふらっと。


「さ、さぁて、キャシー先輩たちは体育館にいるはずですよ。カラオケ大会、わたしたちのクラスの、セリーヌこと鈴木さんが優勝候補だって専らの噂で―――――」

 

 広がっていく距離。私はつかつかと歩いていって、彼女の肩をぐいっとして、振り向かせる。


「……顔、真っ赤じゃないの」

 

 ここまでのは初めて見る。そんな恥ずかしくなるなら、やらなきゃいいのに。


「出来心だったんです」

 

 あわあわと弁明しだす花恋。あまりにも目が泳いでいるから笑ってしまう。つい。


「わ、わたしとしてはですねっ! ほんとは耳元でふーっと息でもふきかけて、その流れでふーちゃんって呼ばせようかなって思っていたんです、ほんとですよ?」

「いつの話よ、それ」

「でも、篠宮さんが綺麗だったから、つい」

 

 動揺して、呼び方が元に戻っている。

 私は大きな、大きな溜息をこれでもかとついた。


 「ああ、もうっ、あんたね」


 呆れた。

 ああいうのおふざけで、スキンシップでやるタイプじゃない。あんたも私も。

 それでもって私はそれなりに、その、乙女で大和撫子なのだぞ。知っておいてよ。


「ともかく、いろいろぶっとんだ。感謝はしないけれどね。ほら、お昼食べに行くわよ。それであんたのこのふざけたおまじないが消える前に舞台に上がる。いいわね」


 ぶんぶんと首を縦に振る彼女。やっぱり、変わったよね。いろんな顔を見せてくれるようになった。


 彼女の唇の感触。頬に長く残りはしない。ずんずんと歩いていく私の後ろを、やがて隣に並んでついてくる彼女。会話はなくて。言葉は不要で。あとは、そうだ、舞台でぎゃふんと言わせてやればいいのだ。

 

 そうして間もなく幕が上がる、私たちの『雪乙女』改め――――『雪解けのフェアリーテール』が。おとぎ話のようで、どこまでいっても私たちの現実が。

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