いわゆるツンデレ枠

 私たち三人が発声練習に移ろうとしていたところに、入ってきた生徒。彼女が入部希望者でないことは、藍沢さんの反応ですぐにわかった。


「キャシー先輩? なぜここに」


 ぴしゃりとドアを閉め、つかつかと部室に入ってきた女子生徒。黒のワンレンショートヘア。おでこが出ていて輪郭がはっきりわかるが、その髪型が似合っている小顔の美人。生活指導の先生に目をつけられないギリギリのスクールメイク。凛々しいかんばせが今、眉根を寄せている。目力強いな、この人。

 身長は藍沢さんよりは高いが小柄に入る部類で、スカートをけっこう短くしているのがわかった。内履きのラインの色が赤で、それはつまり宮尾先輩と同じ二年生であるのを意味していた。

 キャシーということは、ハーフなのだろうか。


「そのあだ名、やめてって言っているでしょ。てか藍沢、あんたに用はないわよ」

「つれないですね。それなら、どうしてここに?」


 藍沢さんが質問を繰り返した。キャシーってあだ名だったのか。


「……はっ! もしかして篠宮さんの隠れファンだったんですか。まさかの三角関係ですか、トライアングラー・キャシーの登場ですか」

「篠宮って誰よ。もしかしてあんた?」


 視線がこっちに向いた。に、睨まないで。

 こんな紹介の仕方あってたまるか、というのを飲みこんで私は「はい、そうです……」を頭を下げた。恭しく。下手したてに出ておいた。今のところ、雑な態度がとれるのは藍沢さん相手だけの私だった。


「ひょっとして例のヒロイン?」


 私を貫いていた視線は私の顔から逸れると、頭から足のつま先までを何度か往復する。当の私は肯きはしたものの、打ち解けた自己紹介はできずにいた。


「はい。気に入りましたか?」

「藍沢、静かにしていなさい。……ねぇ、あんたって重度のお人好しなの? それとも意外と目立ちたがり屋? いずれにせよ、やめておきなさい。舞台に立ちたいなら他を当たって。そうよ、もし歌が上手いんだったら、軽音部を紹介してあげるわ。サボりがちのボーカルにうんざりしているらしいのよ」

「歌、いいですね。篠宮さん、今度カラオケいきましょうか。宮尾先輩もどうです? キャシー先輩もどうしてもっていうなら来てもいいですよ」

「いくわけないでしょ! 何なのその上から目線は!」


 一触即発とはまさにこのこと。火花が散っている。でも、なんというか同レベルだ。じゃれ合っているなんて口にしたら睨まれるだけでは済まないだろうな。


「アイちゃん、ストップ。キャシーちゃんで遊んじゃダメだよぉ。シノちゃん、困っているでしょ? キャシーちゃんも、もっと言い方を考えてほしいなぁ」


 ああ、宮尾先輩がいてくれて助かった。藍沢さんは素直に「失礼しました」と宮尾先輩と私に対してぺこりと頭を下げる。本名がわからずじまいの先輩は不服そうだが「悪かったわ」とだけ言った。ぼそっと。誰に向けてでもなく。


「ん、ん。はい、それじゃぁ、シノちゃん、軽く自己紹介して。その次にキャシーちゃんね」

「だから、そのあだ名はやめなさいっての」

「可愛いのにぃ。さ、シノちゃん、お願いねぇ」

「は、はい。えっと……一年の篠宮夕夏です。藍沢さんとは同じクラスです。よろしくお願いします」

「マブダチって言い忘れていますよ」


 目つきの悪い美人先輩と私は揃って、藍沢さんを目で制した。この減らず口め、と。


「あたしは二年の樫井玲子かしいれいこ


 樫井……かしい、きゃしぃ、キャシー。なるほど? あれかな、宮尾先輩が藍沢さんや私に対するあだ名ルールに則って苗字から二文字取った際に変化したのかな。

 藍沢さんの単なる思いつきかもしれない。本人は少なくとも表面上は気に入っていないようだ。本気で嫌がっていれば、藍沢さんたちが呼び続けはしないだろうから、そこまで嫌ではないのかなとも思う。


「で、藍沢。台本書けたの」


 キャシー先輩は私よりも短く自己紹介を切り上げて、藍沢さんに問う。

 さっきは藍沢さんに用はないと言っていたのだから、もともとは台本の出来具合を聞きにきたのではないだろう。


「いいえ、まだです」

「今日はねぇ、シノちゃんに基礎トレーニングの方法を教えようってことで集まったんだぁ。キャシーちゃんもやっていく? 暇っぽいから」

「暇じゃないわよ。てかね、台本が出来上がって部員みんながオッケー出すまで集まらないんじゃなかったの? 違反よ、違反!」


 鬼の首を取ったような言いぐさだった。口角が上がってニヤリとしている。


「まぁまぁ、そう言わないで。アイちゃんが面白い台本書いてくれるの、るるもシノちゃんも信じているんだからぁ。キャシーちゃんも信じてくれるよねぇ?」

「いや、全然」


 ゆるふわとした宮尾先輩の言葉をばっさりと切る。「ええ~」と驚いているのか、実はそうでもないのかわかりづらい宮尾先輩だが、にこにことしたままだった。


「部の再建自体を目指すのはよしとしても、台本なんて素人高校生のものより、いいのがいくらでもあるわよ。篠宮、あんたはさ、ほんとにこのちっこいのを信じているわけ?」

「キャシー先輩だって、わたしとそんな変わりませんよ。背丈も胸も」

「うるさいわね」


 なんで漫才しているんだ、このふたりは。仲良いんだな。


「あの、先輩」


 キャシー先輩と呼ぶのは気が引けて、私はそう呼んだ。


「たとえばの話、藍沢さんが自分で台本を書くのを辞めて、既存台本を採用して舞台を作っていくという話になったのなら、先輩はそれに全面的に協力を惜しまないのですか?」

「藍沢と宮尾以外にも、全員がやる気になったって言うなら、そうかもね。演劇部に入っている以上は力を貸すわよ。でも藍沢は博打をわざわざうった。それが気にくわないわ」

「部員たちが演じてみたい、作ってみたい舞台、その台本を書くのを宣言した……ってことですよね」

「そんなはったりかますなら、一人ずつ説得するほうがよかったのによ? うちの部に不良生徒やその他の厄介な境遇の生徒っていないはず。ただちょっと演劇に後ろ向きだったりそんなに関心がなかったり、なくなってしまったり。そんな彼らに、演劇をやらなくていい理由を与えたってわけ」


 納得のいく台本がなければ、演劇をしなくていい。部活動に消極的になる正当な理由をあたかも作ってしまう賭け。

 けれど、そんなの――――。


「先ほどの質問ですが、私は信じていますよ。藍沢さんのこと」


 藍沢さんを一瞥する。何かまたつまらぬことを言いだそうものなら、と思っていたのに、黙って見つめてくる。続きに耳を傾けてさえいる。そしてまた、あの微笑みを浮かべていた。


「彼女に類まれな文才を見出しているという話ではないんです。ただ、彼女が演劇をすごく好きで、それでたった一度の高校生活、その青春を演劇に託したいってのがわかるんです。万一くだらない話を書くようであれば私たちで直していけばいいじゃないですか。みんなで作っていけばいいじゃないですか。私はそうします。友達ですから。大見得切った彼女を、短気にも怒って、突き放すなんて器が小さいんですよ。……先輩はそんな人じゃありませんよね?」


 自分でもびっくりするぐらいに、流暢に言葉が出てきた。こういう場面で噛んじゃったらどうしよう、というのは後になって思った。ええい、何十人、あるいはもっと多くの人前に立とうとしているのだから、単なる目つきの悪い先輩風情に後れをとるまいと自身を鼓舞した甲斐があった。


「やっぱり気に入りましたか?」


 口をつぐんだままでいるキャシー先輩に向かって、藍沢さんが言った。なんで偉そうなんだ。

 宮尾先輩は私たち三人を楽しげに眺めていた。そして、藍沢さんがぽんと手を打った。文化会館でもこの仕草していたわね。


「篠宮さん。持ってきていますよね、プロット。加筆・修正版のやつです。せっかくなので先輩たちにも確認してもらおうかなって。あ、ちがいますよ? あくまで決定権を一番に持つのは篠宮さんです。わたしはそう考えています。それは譲る気はないです」


 私は言われたとおりにバッグから、加筆・修正版の書かれたルーズリーフを挟んだプロットノートを取り出す。「ん」とキャシー先輩が手を差し出していた。藍沢さんが「では、まずは宮尾先輩に」と言うが「もう意地悪しないの。ほら、キャシーちゃん。どうぞ」と宮尾先輩が譲ったので、私はキャシー先輩に手渡した。そのまま制服で床に座ろうとするキャシー先輩に「お行儀が悪いよ」と宮尾先輩が言い、部屋の隅にあった椅子を持って来る。そうなると、私たちが床に座り込んで椅子の上のキャシー先輩を見ているのも変なので、四人分の椅子を用意することになった。


 まさか裂かないよね? 一瞬、そんな急展開を予期したがきちんと目を通してくれるキャシー先輩だった。ほどなくして、読了するとそのまま宮尾先輩に渡した。その渡し方が丁寧であったので、私は安堵した。


「演者、それと演出しだいね」


 宮尾先輩の読後を見計らって、キャシー先輩が口を開いた。


「藍沢。あんたの書いたこれを貶めるつもりはないわよ。ただ、うまくいくかは舞台に上がる人間、そして舞台全体をコントロールする人間しだい。でしょ? 演じてこそ舞台。演出してこそ舞台。だから、まぁ……。あれよ、どれを書くことになっても、あたしにいい役やらせなさいよね!」

「キャシー先輩、指を差さないでください。それでわたしも篠宮さんに前に怒られました」

「そんなのは今は流しなさいよ!」


 と言いつつ、指をすっと下ろすキャシー先輩に宮尾先輩がくすりと笑う。


「キャシーちゃんは可愛いなぁ。ねぇ、アイちゃん、このお話についてちょっと聞いていい?」

「それならあたしも聞きたいことが…………」


 そうして先輩たちが藍沢さんと話し合う。藍沢さんは得意気な口ぶりだ。表情は相変わらず無に近い。

 けれど、私には、ううん、先輩たちだってわかっているはずだ。嬉しそうだった。そんな藍沢さんを目にして私も温かな気持ちになる。


「ねぇ、藍沢さん」


 私は決心して立ち上がると、座る藍沢さんの後ろから今は彼女が手に持つプロットを覗き込み、とあるページを指で示す。そして言葉にした。


「これでいきましょう。私、このヒロインを演じたい」


 振り向いた藍沢さんと互いの吐息が触れ合うぐらいの距離。彼女の澄んだ瞳に移る小さな自分。

 覚悟を決めた。私は彼女が信じてくれる私を信じる。

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