第32話「ドロシーとユウキ」

"歌手が大成するかどうか。本人の努力の他に、運による部分も大きい。その運が試される最初の試練が、自分に合った指導者を見つける事が出来るかだ"


ランカスター芸術学院 音楽史教本より




「うちの事はマスター・ドロシーと呼ぶとええ、若きパダワソよ!」


 じゃじゃーんと、自分で効果音を付けて、ドロシー・ナツメはくるりと回って見せた。

 そしてそれを、ゴミを見る目で注視したのはオリガ・バランである。


「言ったでしょ? 常識人かどうかは保証しかねるって」


 スーファは早速眉間に手を当て、やっぱり紹介したのはまずかったかと後悔を始める。


「……パダワソとは?」


 オリガと言えば、さっきからずっと眉のしわが緩んでいない。これは相当苛立っている。


「SF映画の話さ。姉さんもふざけないでちゃんと見てやってよ」

「そもそも何でナツメ先輩がいるんです? 文学科でしょう?」

「まあこまけえことはいーんだよ」


 ユウキ・ナツメは姉の暴走を半ば無視し、2人を練習室に押し込んだ。


 マイクの前に立つ彼女は、半信半疑と言ったところだろう。「疑」の方はナツメ姉弟のふるまいに対する失望で、「信」の方は昨日勝ち取ったらしい・・・スーファへの信頼だ。


 つまりオリガとの信頼関係はドロシーにかかっているわけだが、その実何とかなる気がしている。


 実際、練習室の窓からのぞく2人のレッスンはかなり熱がこもっている。


「しかし驚いたよ。君が僕らを頼ってくれるなんてさ。いよいよ真の文学を一緒に探し求めてくれる決心が……」


 馬鹿(弟の方)の妄言は聞き流すとして、今回オリガを任せることについて、特に器具を持っているわけでもない。


「最近分かったけど、あなたたちは自分の好きなものは裏切らないもの。打算で動かない、というより動けなく・・・・なるみたい」

「良い得て妙だね」


 テーブルに置いた袋からクルミの実を取り出し、左手で放る。クルミは見事口でキャッチされた。

 そのまま袋を差し出されたので、ご相伴にあずかることにした。美味しい。


「本当に好きなものはね。裏切れないよ。ナードオタクなりの信義ってやつかな?」


 信義、ねぇ。「ナード」と言う単語と結び付けるには、少々ちゃんとしすぎている言葉だが。しっくりくるものではある。


「ふんふん、だいたい分かったわ」


 30分ほど談笑していたら、練習室から2人が出てきた。


 もうわかったのかと思うが、ドロシーは自慢げに胸を張り、スーファたちにも中に入るよう告げる。


 それから何曲か歌ってもらい、どういう印象か? どうしたらよいか話し合った。


「スーファっちはどう思う?」

「うーん、昨日と同じで上手いと思うけど、私に技術的なことは……」


 ふむふむと、ドロシーは楽譜とオリガの顔に視線をいったりきたりさせる。


「ユウキはもうわかったやろ?」

「うん、何となくだけどね」


 どうやら自分だけが分からないらしい。

 一方でそれだけ明白に分かることがあるなら、上達も見込めるのでは? と、素人ながら思う。


「パダワ……やない。オリガっち、キミ基礎が足りないのを無理に補おうとして、気持ちを込め過ぎや。そーいうんをうちら声楽科の間じゃ『がなってる』言うんや」

「!!」


 オリガがドロシーの顔を覗き込む。はっとした顔で。

 自覚があるのだろう。ただちに最敬礼で頭を下げた。


「先程まで失礼しました! 是非基礎を教えてください!」


 ドロシーはにししと笑い、音楽科の基礎テキストを渡した。


「とりあえず、必要な部分に印付けといた。ここからやってみるとええ。あと歌詞の唄い方やけど、これはユウキの領分かもな」

「そうだなぁ」


 ユウキは少しだけ考えるが、すぐに答えを見つけたようだ。いつもの楽しそうな調子で笑う。


「歌詞に感情を込めると言うと、良い意味に聞こえるけど、やり過ぎると所謂『入れ込み過ぎ』な状態になるんだ。そうすると歌い手と客の歌詞への思いがミスマッチを起こすんだけど……」


 説明しつつ、も鞄を置いて、中身をごそごそやりだす。どうやらテキストを探しているらしい。出てきたのはペラペラの冊子だったが。


「とりあえず、1日2回これを読み上げなよ」

「え? 何ですかそれ」

「『外郎売ういろううり』を知らないかい? 言葉と向き合う練習ならこれが一番だよ」


 ユウキの話すところでは、『外郎売』は東方から伝わった演劇役者の練習法らしい。もともと薬売りの口上だったのが、そのリズムの良さから芝居に使われるようになり、そのまま演技の練習法として定着したのだ。


「まずは言葉をひとつひとつ、大事にするところから始めるんだ。そうすれば観客が歌詞と歌詞に込めた想いに共感してくれる筈だよ」


 歌も文学も同じ。一方通行では駄目だ。受け手とのキャッチボールが成立してこそ、娯楽は娯楽たりうるとユウキは言う。


「あとは、習慣的に文学を読むか芝居を観るようにした方がいい。言葉言霊に思い入れが出来て表現が広がるからね。作詞をやるならなおの事」


 感嘆の溜息を吐くオリガに安堵するしかない。彼女たちはやると決めたことはやり抜くのだ。人間はアレだが。


 オリガは信じられないような目で姉弟を見つめる。

 まあ、今までが今までだったのでしょうがないが。


「おふたりは、何者なのですか?」


 何者。

 何者なんだろう。


 何と答えるか興味深く見ていたら、ふんぞり返って言いやがった。


「何者って、僕らは――」

「しがないナードオタクやな」


 オリガは、絶句した。驚きではなく、頭を抱えて。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「で、どんな感じだい?」


 2人を見送った後、ユウキは尋ねた。

 聞きたくないけど、踏み込まねばならない。


「うちは評論家じゃないで。歌手がモノになるかどうかが分かったら、まず自分を診断しとるわ」

「そう言うお題目は良いよ。……どうなんだい?」


 ドロシーはうーんと両腕を組んで、率直に告げた。


「技術的には拙い。でも彼女と組んだら楽しそうやな」


 それだけ聞いて、溜息を吐く。本来は喜ばしい筈なのだが。

 楽しそう。それはドロシーにとって、現状で臨める最大級の評価だ。


 それでも気は進まない。


「今回は随分過保護やな。憧れのスパイトフルのお誘いならオリガっちも断らんやろ? 『次の作戦に協力して欲しい』ってな。彼女がいればあの作戦・・・・が使えるんやろ?」


 その通りだ。ブレイブ・ラビッツは有志の集団。何者も加入を妨げる事はない。本人にその意思と能力があるなら。

 リーダーの情で志願者をはねつけるのはアイデンティティの否定だ。密偵や獅子身中の虫は別にしても。

 だが……。


「ここで彼女を誘ったら、僕らを信じて任せてくれたスーファとの信義に反するだろう?」


 怪盗の頭目が何を甘っちょろいことをと思う。

 一方で自分たちに躊躇なくオリガを任せたスーファ・シャリエールと言う女性をに感嘆の念を抱かざるを得ない。


 それを裏切るのは、面白くない。いや、きっとそんな話ではない。完全に嫌われるのが、嫌なのだ。


「それにさぁ、オリガは何と言うか、そっとしてやりたい気持ちも強いというか……」


 はあっと。ドロシーが大げさに溜息を吐いて見せた。

 ユウキがやらかした時、駄目出しをする合図だった。


「まあ、信義云々は置くにしてもな。キミ、昔の自分にオリガっちを重ねとるんやろ? 正確には『あの日が来ないまま、まっすぐに夢を追いかけることが出来ている自分』にや」


 図星だった。見事心中を言い当てられて、ユウキは言葉を失う。


 仕事・・の合間に始めた、ほんの手慰みのつもりだった。無趣味を咎められて、何か始めろと先輩に命令された。作家の父に教えを乞ううち、どんどんのめり込んで、どんどん好きになっていった。子供向けのコンテストだけど、賞だって取った。これからだと思っていた。思っていたのに。


 あの日さえ、アノヒサエコナケレバ……。


「やられたよ。この間の仕返しをされちゃったね」


 姉はにやりと笑って、ユウキの傍らに立つ。そのまま左手の袋からがさごそとクルミを取り出して。口に向けて放った。


「やられたんなら未練は捨てや。キミの未来もうちの未来も、もうあの国にはあらへんのや。作家としてのユウキ・ナツメはキミが今いる延長線上にあるんやないの?」


 考えてみれば、あの頃は楽しかった。訓練で汗を流して、同期たちとこっそり持ち込んだ酒を楽しみ、眠い目をこすって原稿を書いた。


 でも、今だってかなり楽しいんじゃないか?

 過去を捨てなければ、仲間たちと徹夜でアニメを見る事も、即売会ではっちゃける事も、師匠たちと文学論を戦わせることも無かった。


 どや? ドロシーがにんまり笑う。

 所詮、姉より優れた弟など存在しないのだ。多分。


「……ちょっとオリガを追いかけるよ」


 やれやれと、空き教室に向かうユウキの背中越しに、ドロシーは声をかけた。


「頑張ってナンパするんやで!」

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