第6話「ランカスター芸術学院(後編)」
”確かに、学院の業績は現在低迷している。
だが情熱をもって創作に励む学生はまだ山ほどいるのだ。
何のテコ入れ策も無く、ただ予算を切ってしまえは、あまりにも乱暴ではありませんか”
共和国議会の議事録より
「良くあるのさ、事務の対応が雑になることが。ここは出てゆく人も入って来る人も多いからね」
青年を苦笑気味に見やる。
フォローしてもらって今ひとつ素直に感謝できないのは、その軽薄そうな笑いである。
とはいえ、学院の事情を彼から引っ張り出しておくのも良いかも知れない。普段なら適当に受け流すのだが。
さっきの眼鏡君も然り、他の学生はどうも意識高い匂いがするのだ。
「この学校って、皆こんな感じなの?」
問われた青年は、苦笑するでもなくへこむでもなく、悪ガキのような笑顔を向けてきた。「それ、気づいちゃった?」とでも言いたげに。
「芸術の都なんて渾名は過去のものだからね。かつて最先端だったカリキュラムも錆びついて、今じゃ通うのは箔を付けたいだけの人か意識高い人かどっちかかも」
「じゃあ、貴方は?」
他人事のような物言いが癇に障ったのか、つい聞き返してしまう。
彼の笑い顔に軽薄さが強まる。
「僕ほど真摯に文学を追い求めている学生はそういないね。ああ、僕はユウキ・ナツメ」
「リーファ・シャリエールよ。それで御用は?」
「どうだろう? 文学論でも語りながら昼食でも」
やっぱりナンパのつもりらしい。
こう言う斜に構えてる風を演じつつ情熱をアピールする輩は好みの外なので、そろそろお暇しよう。
そんな反応を見せると、ユウキの顔に初めて苦笑らしきものが浮かんだ。
「白状するよ。君に興味があるのはその通りなんだけど、さっきの講義であんまり君が
まっさらな事とやらが喜ばしいのか分からないが、要は自分が何の準備も無くここに飛び込んできたことが気になったようだ。
「まあ確かに、今日みたい妙な蘊蓄と嫌味を練り込んだ脂っこいペーストはこりごりね」
「言うねぇ。ただ、逆張りで君に声をかけたんじゃないよ。嬉しかったのさ」
何が嬉しいと言うのだ?
正直うさんくさい。
「僕もジョージ・フォートには思い入れがあってね。登場人物は皆エキセントリックで毒舌家。ヒロインは散々主人公を振り回すけど、結果はいつもハッピーエンド。世間様は下世話なんて言うけどね」
ユウキはころころと笑う。
どうやら彼は好きな事に対して多弁になる人種のようだ。不思議と煩わしさを感じなかったのは、素の人懐っこい部分が覗けたからだろう。
「……私は『傭兵王』が好きだけど。主人公の真意を知った家臣たちが涙するところとか」
「処女作だね! あれを読んでくれているとは!」
「くれている? 妙な言い方ね」
「あーいや、読んでくれてないとその話が出来ないだろ?」
何か隠しているとは思ったが、まあどうでもいい。
要するにこの男は、マイナー小説のファンだったから話をしたかったと言うだけらしい。
「で、何故なんだい?」
「何故って、何が?」
いきなり何故と聞かれても答えようが無いが、それは詰問ではなく、好奇心を満たすためのものらしい。
「さっきの話さ。君、どう考えても学院に通いたくて来たわけじゃないだろ?」
まあ、態度を見れば分かるだろう。元々興味がある風に取り繕う気は無かった。やればボロが出るからだ。
「仕事の関係でここに来るように命じられたのよ。まあ、探偵商売ってやつ」
探偵の仕事については隠すつもりはない。というより隠したくてもどうせバレる。こそこそと動き回るより公にしてしまった方が色々やりやすいのだ。
知りたいことがあれば「職業柄ちょっと気になりまして」で押し切れることも結構ある。
要はラビッツの捜査である事を伏せておけばいい。
「潜入捜査とか?」
「そうじゃなくて、『必要になるから学んでおけ』って。おかげで仕事と掛け持ちよ」
ユウキは疑う風でもなく、納得した様子で頷いている。実際曖昧だが嘘は言っていない。
実際この街では芸術絡みの事件も多く、最低限の知識を得ようと受講しに来る探偵は少なくないと言う。疑う類の話でもないのだろう。
「だけどさ、せっかくここに来たのに、こんな講義ばかり受けてちゃつまらなくない?」
思わず鼻白んでしまう。確かにそれは大いなる時間とリソースの損失だ。
とは言っても、自分が小説だの詩だのを書くところなど想像もできない。
「
「シラバス? 貰ったばかりだから持ってるけど……」
頷いて鞄からシラバスを取り出す。シラバス――講義要綱は講座の説明書だ。全何回の講義で、どんな事をやるのか。それが細かく書いてある。
ユウキは左手を懐に突っ込んで万年筆を抜くと、一度机に置いた。
「……怪我でもしているの?」
だらりとたれたままの右腕が気になって声をかける。人によっては気分を害するだろうが、おそらくこの青年はそうではない。
「ああ、これね。革命のどさくさで、今は義手なんだ」
「……そう」
隣国ローランで革命が起き、王党派の難民が大挙して逃れてきたのは数年前。恐らく彼もその際に右手を失ったのだろう。つまり彼もローラン難民という事だ。
ここで謝っては本当に気分を害すかも知れないだろうから、話を流してシラバスを広げる。
机に置いた万年筆を手に取り、講義の一覧に小さく丸印を付けてゆく。
「エーリッヒ先生の少年文学論は普通に聞いても楽しい講義だよ。あの人はジュブナイル作家として超一級だけど、教え方も上手く課題の論評も的確。こっちのミハエル先生の比較論は他のと違って予習無しでやるんだ。まっさらな状態でディスカッションするから、さっきみたく知識自慢になったりしない。楽が出来ないから人気無いけどね」
丸印が10個ほど付けられると、彼は再び万年筆を置いた。
「とまあ、こんな感じで面白い講義も多いから、探してみると良いよ」
シラバスを受け取って、ペラペラめくってみる。
丸が付いた講義の紹介文は、専門用語や独特の言い回しを抑えて読み手に配慮してある。イコール学生の方を向いた講義を行っているという事だろう。
「でも、どうして?」
どうして? 隻腕の青年は、その質問を笑い飛ばした。
「そりゃさ、どうせここに来るなら、少しでも来てよかったって思って欲しいじゃないか」
どうやら認めなければならない。
彼の軽薄さは、それなりの情熱を隠すオブラートであると。
ついでにこの男が次に何を話すか期待している自分もだ。
だが、会話は正午を告げる鐘でピリオドとなった。
「ごめん、話し込んだせいで学食がいっぱいになっちゃったかも。少し時間を置けば入れると思うけど」
なんて事を言ってくれるんだ。今日初めてそう思った。思い出さないようにしていた空腹感が復活したからだ。
朝食は忙しくて抜いてきた。食事は体だけでなく、心のエネルギーだと言うのに!
「でも、うちの学食は期待しない方が良いよ? 昔は拘ってたらしいけど、今はお金持ってる人は仕出しを頼むもの」
それを聞いて更にうんざりする。
勉学の方は少しだけ前向きになれたが、一番大事な食事がそれでは学院の存在価値が無い。
放漫経営も大概にしてほしい。
「……あのさ」
遠慮がちにユウキが告げた。さっきナンパしてきたことが嘘の様に。
言うべきかどうか迷っていた様子だが、観念して口を開いた。
「今日これから友達と食事会なんだけど、来る? 味
普段なら考える所だが、「味は保証」の一言をぶら下げられては、後退の選択肢はなかった。
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