第53話:旅路の終わり03


◆◆◆◆


 どれだけ時間が流れたのだろうか。どれだけ涙を流したのだろうか。


「気が済んだか」

「……うるさい」

「どうやら、済んだみたいだな」


 自然と、俺はリチャードの肩から手を離した。一生分泣いた気分だった。どうせ俺はひどい顔になっているだろう。それに比べて、色男のリチャードは涼しい顔をしている。さっきまで涙を流していたとはとても思えない顔だ。


「なあ、あの女の子がお前の教え子か?」


 ふと、リチャードが視線を遠くにやった。誰のことを言っているのかはすぐ分かった。


「ああ、お前もファントムの一部ならもう紹介しなくてもいいだろう? エミリア・スターリング。『隻翼』のエミリアだ」

「竜症を克服し、ここまで羽ばたいてきたのか。すごい奴だ」

「俺の自慢の教え子だぜ。まったく、腐っていた俺をもう一度空に引っ張り上げてくれた、命の恩人だ」

「俺が生きていたら、それは俺がやるべきだったんだろうな。あの子にも、お礼をしないと」


 リチャードが「お礼」と言うとなんとなく嫌な予感がした。そう言えばこいつは、恐ろしいくらいに女の子にもてたからなあ。俺は一応くぎを刺すことした。


「おい、手を出すなよ。お前はもう死んでいるんだからな」

「はは、するわけないだろ」


 どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。


「――俺は、もう行く」


 リチャードがそう言って、トライアンフを自分の元に招く。彼と共に空を飛び続けた深紅の竜は、静かに従った。唐突に現れたように、こいつは唐突に俺の前から消えようとする。だが、それを止める気はさらさらなかった。


「そうみたいだな」

「引き止めないのか?」


 わざとらしくリチャードが首をかしげる。


「こうして再会できたのが奇跡なんだ。これ以上望んだら罰が当たる」

「少し見ない間に信心深くなったんだな」

「バカ。そんなんじゃない」


 けれども、俺はつい尋ねた。


「どこへ行くんだ?」


 俺の質問を予想していたらしく、にやりとリチャードは笑った。


「なんて言えば納得する? 天国、あの世、ニルヴァーナ、大いなる循環、あるべき場所、集合無意識。どれがいい?」


 もっともらしく並べ立てる名前のどれも、これからリチャードが旅立とうとする場所にはふさわしくない気がした。そもそもその先が場所なのか、状態なのか、それとも現象なのかさえ定かではない。いや、そういう区分さえ意味をなさないのだろう。


「そのどれでもないんだろ?」

「正解。はっきり言って、俺にも分からない。ただ言えるのは――絶対に悪いようにはならない、ということだけだ」


 その言葉だけで、俺は充分だった。親友の行く先が悪いところでないのならば、俺は潔く見送るのが順当だ。せめて、笑って送り出してやりたい。


「お別れだな、リチャード」

「ああ、いつでも空でお前を見守っている、とは言えないな」


 リチャードが右手を出した。俺は渾身の力と思いを込めてその手を握り締める。決して、決して、この感触と熱と感情を忘れないようにと。


「やめろよ。お前は俺の父親か?」

「そう言うと思ったぜ」


 手を離すと、リチャードは白い歯を見せて俺の胸を小突いた。けれども次の瞬間、これ以上ないくらい真面目な顔でリチャードは俺をしっかりと見つめた。


「でも、俺の魂はいつだってお前と共にある。俺の炎は、お前の中でずっと燃えている。俺はお前の相棒だからな」


 俺の胸に当てたリチャードの右手。その拳越しに、俺はこいつの竜炎を感じた。俺の心臓に、リチャードの竜炎がともる。一人のライダーの炎が、別のライダーの炎へと継ぎ足されていく。情熱と渇望と信念と憧憬をすべて織り交ぜたそれを――人は魂と呼ぶのだろう。


「――確かに受け取ったぜ、リチャード」


 俺が心を込めてうなずくと、リチャードは「ありがとう」と短く言うとトライアンフにまたがった。その手が手綱を取る。トライアンフが翼を広げた。インディペンデンスが別れを告げるかのように吠えて、トライアンフが応じた。


「じゃあな、ジャック。良いフライトを。――いつかまた、この空で会おうぜ」


 無風、無音だった世界に風と音が生じる。

 竜が空へと舞い上がっていく。

 その背に、一人のライダーを乗せて。


 ――そう言い残し、リチャードを乗せたトライアンフは空に昇って行った。


 俺はそれを見送った。ただじっと、その姿が空の彼方に点となって消えるまで。


「じゃあな、リチャード」


 もう二度と、生きてあいつと会うことはないだろう。でも、それでいい。俺は生きていく。生きていける。


「その時まで、俺は力いっぱい翼で語り続けるさ」


 右手に触れる。

 もう――――あの痛みはどこにもなかった。


◆◆◆◆


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