第52話:旅路の終わり02


◆◆◆◆


 リチャードの視線が痛くて、俺は必死で記憶を探った。いきなりそう言われて完全に意識は混乱していたが、不思議と記憶の糸は楽々と手繰り寄せることができる。リチャードのその言葉は、はっきりと思い出せた。


――お前が落ちたら、俺が必ず助けてやるからな。


「お、『お前が落ちた時は――』」

「――俺が受け止めてやる」


 リチャードはかすかに笑った。彼は手に持った槍を、切っ先を下に向けて雲を突く。雲が固まった。リチャードが竜から降りて、俺の方へと歩いていく。俺もおずおずと竜から降りた。そっと足を雲の上に置く。固い感触があった。なんとなく、リチャードが俺に合わせてこうしてくれている気がした。


「バカ。あれは単なる言葉の綾だろ……」

「少なくとも、俺は本気だったんだぜ」


 俺たちは、雲海の中まっすぐに見つめあった。夢のような情景だ。いや、本当にこれは夢かもしれない。でも、リチャードは確かにここにいる。死んだはずの親友が空に遺した何かが、俺と話している。すぐそこに、手を伸ばせば届く距離にリチャードがいた。

 これは夢じゃない。現実だ。


「ずっと、後悔していた。やり直せるならやり直したかった。だから俺は、俺の最後に残った何かは、空でお前を待っていた。――許してくれ、とお前に伝えたくて」


 リチャードの顔がゆがむ。激しく深い痛みに苛まれるかのように。


「空から落ちたお前をあの時、手を伸ばして受け止めたかった。約束を守りたかった。お前が何もかも失って、ふらふらと知らない竜で低空を飛んでいるのを感じるたびに、悔しさと辛さで身が切られるようだった。親友をこんなにした俺は――本当にバカだった。お前の言うとおりだったな」

「違う!」


 耐えられなくなった俺は絶叫した。


「お前の選択は間違ってなんかいない! お前は勇敢なライダーだった! お前が飛んだから、あの女の子は助かったんだ! お前は人の命を救ったんだよ! 妹の二の舞にはしなかったんだ!」

「でも、俺はお前を苦しめ続けた」


 リチャードの声が死人の声に戻る。暗く冷たく、生気が何もない冷え切った声だった。


「お前が量産型の竜に乗るたびに、お前の気持ちが俺にも伝わってきた」

「通信機か、お前は?」

「俺はファントムの一部だからな」


 かすかにリチャードは笑う。


「お前の中はいつも、後悔と自責と痛みと苦しさでいっぱいだった。何度も何度も願ったさ。お前の痛みを取り除いてやりたいって。――でも、ようやくそれも叶う」


 リチャードの手が伸ばされ、俺の義手に触れた。


「悪かった、相棒。いや、こんな俺だ。『元』相棒でいいだろ。もう苦しむなよ。この痛みは全部、俺が持っていくから。落ちたお前を受け止められなかった俺に、せめてこれくらいはさせてくれ」

「やめろ!」


 俺は思わずその手を振り払った。


「この痛みはお前を忘れないためのものだ! 俺の罪を、俺の傷を持っていくな!」

「それはできない」


 リチャードが首を振る。


「もう先のない俺と違って、お前にはまだこれからがある。これからお前は、きっとたくさんの良い人たちと出会うに違いない。その度に俺を思い出すのか? 罪悪感に苛まれるのか? 違うだろ」


 一度振り払われたにもかかわらず、もう一度リチャードが手を伸ばした。


「俺という残骸が、お前を苦しめるのは我慢できないんだよ。死人は死人らしく、あるべき場所に行かなくちゃならないんだ。これが俺の罪滅ぼしだ。それくらいさせてくれ」


 ……懐かしい、あまりにも懐かしい感情がよみがえってきた。つまりそういうことだ。俺は何度、こいつに振り回されてきたんだ? ああもう、数えきれないほどだ。そして、今この瞬間だ。


「……おいリチャード。お前、つくづく何も変わっていないな」「何がだ?」


 懐かしい感情。それはつまり――純粋な怒りだ。


「この……大バカ野郎! 一人で全部勝手に決めて俺を巻き込むところが死んでも変わってないんだよお前は! ぶん殴ってやろうか!?」


 俺はきょとんとした顔のリチャードに自分の全部の感情をぶつける。


「何が『元』相棒だ!? 俺を受け止められなかっただ!? 舐めるなよ俺を! 俺が落ちたのは全部俺の責任だ! 俺が、俺のミスで、俺のせいでこうなったんだ! お前は俺の教官か!? 気色悪いんだよ。勝手に俺に未練を感じて、ファントムなんてへたくそな道化師の一部になって空にへばりつきやがって。ずっとお前をサポートできずに苦しんでいた俺のことも少しは考えろ!」


 ああ、そうだ。

 まったくもってリチャードは変わっていない。いつもいつも、勝手に何もかも決めて、勝手に俺を巻き込んで、そのくせ不始末は全部自分だけで解決しようとする。バカは死ななきゃ治らないらしいが、死んでも治らないらしい。

 そして、まくしたてていて俺は気づいた。リチャードに言った理屈はすべて、俺自身に返ってきていることに。俺だって、勝手に背負い込んだ自責だった。


「俺を……許してくれるのか、ジャック」


 リチャードが信じられないものを見る目で俺を見る。そんな目で見るなこの野郎。俺を被害妄想の達人だと思ったのか?


「当たり前だろ! 許すなんて、そもそも最初から俺はこれっぽっちもお前を恨んじゃいないんだよ!」


 ひとしきりわめくと、当然思い出すのは自分のミスだ。こいつが死んだのは俺のせいだという事実だけは変わらず残る。


「……むしろ謝るのは俺の方だ。済まなかった、リチャード。俺が落ちたせいで、お前が死んだんだ」


 俺が頭を下げたにもかかわらず、死んだ親友は俺を笑い飛ばした。


「ははははっ! おい、俺の話を聞いてないだろ。俺こそ、お前を少しも恨んでないぜ。蒸し返すなよ」

「本当か……?」

「お前が俺を恨んでないんだったら、それと同じように俺も恨んでないんだぜ」


 俺はリチャードの顔をまじまじと見つめる。絶対にもう見ないと思っていた、死んだ親友の顔だ。一度も忘れたことのない、あの懐かしい顔。死人にもかかわらず、その顔は笑っていた。生きていた時と同じ、軽薄で女の子にもてる、憎たらしいくらいにいい笑顔で。


「リチャード…………ッ!」


 どうしようもなく涙がこぼれた。

 自然と、俺は作り物の右手で奴の肩を抱いて泣いていた。涙が、ずっと心に残っていたわだかまりと罪悪感を溶かしていく。


「まったく、こんな作り物の手になっちまって。痛かっただろ。本当に済まなかった」


 リチャードの手が、俺の作り物の右手を優しく撫でる。


「俺は……ずっと、お前に謝りたくて……ずっと……でも……でもっ!」

「分かった分かった。もういい。泣け泣け。生者は泣けるんだ。付き合ってやる……ッ」


 そう言いつつ、リチャードも泣いていた。初めて見る、リチャードの泣き顔だった。

 俺たちを、二頭の竜はただじっと静かに見守っていた。


◆◆◆◆


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