第34話:展翅された竜04


◆◆◆◆


 その日の深夜。俺は既に散らかっている自宅をさらに散らかしていた。エミリアに「物置なんかじゃなくて、普通に空いている部屋を使って。その方がこっちとしても安心よ」と言われ、エリザベスの屋敷に住む許可が下りたからだ。


「ええと……これとこれとこれ。あとこれもだ」


 床にうずたかく積まれた本の書名を一冊ずつ確認し、自分の横に並べていく。とんでもない量のほこりでせき込んでしまう。俺が探しているのは、救命ライダーに関連した教本だ。どれもこれも、監獄時代に教官にどやされながら必死で覚えた内容だ。幸い、今のところ一冊も欠けていない。酒代に売り払わなくて本当によかった。

 そして、壁際に積まれた本とライダー関連の装具の山の中から、俺はあるものを見つけ出した。


「これは……」


 俺はそれを取り上げて、ほこりを払う。それはアームだった。ライダーがドラゴンライディングの際に握り、他のライダーを竜の背から落とすために振るわれる武器。エミリアはランスを使い、アーサーは大きな剣を使う。そして俺が本と装具とゴミとほこりの中から発掘したのは……一振りの優美な曲線で構成された刀だった。美しい漆塗りの鞘に収まっている。明らかにこのプランタジネットの工房が作ったアームではない。極東の鍛冶が、あたかも竜に魂を食わせるライダーの如く、鋼と炎に魂を分け与えて鍛造する本物の名刀だ。


「こんなところに落ちてたのか……」


 それは、俺が極東天覧試合で三位に入賞した時に、ミカドから直々に賜ったアームだった。手に持っただけで、あの時のミカドの目を思い出して体の芯が震える。極東において、ミカドは竜よりもさらに古いオロチの血を引くとされている。あの人間離れした瞳孔に見つめられると、自然とひざまずきたくなるプレッシャーがあった。

 騎竜武装「昇竜久賀守新藤正永改打(しょうりゅうくがのかみしんどうまさながあらためうち)」。

 ためらいがちに鞘から抜くと、信じられないことに錆一つない雷光のような刀身があらわになった。思わず頭を下げたくなる鋭利さだ。


「ミカドの恩賜に恥じないようになれ、ということか」


 俺は生唾を飲み込んだ。今ここでこの一刀を再び手にする。そのことの意味を、俺は必死で理解しようとしていた。


◆◆◆◆


 それから一週間後。俺はエリザベスの屋敷の敷地に立っていた。上空には既にフェザーが配置されている。レースのようなスピードを重視したコースではなく、明らかにライダーが通常の乗り方をしていたらバランスを崩すような配置だ。だが、これでいい。これから俺がエミリアに教えるのは、レースで最速を目指すための乗り方ではないからだ。


「気分転換だが、これは本気だ。エミリア――救命ライダーの訓練を始めようか」


 俺は自作のコースの出来栄えに満足しつつ、後ろを振り返った。


「一週間コースと自室を行ったり来たりして、それが結論?」


 俺の後ろには、エンタープライズの手綱を引くエミリアの姿があった。


「ああ。お上品な競争ライダーのトレーニングじゃ最近物足りないだろう? 君が冒険家を目指すのだから、一足先に競技場の外を飛ぶライダーの飛び方を教えてやろうと思ってな」


 俺がエミリアのふさぎの虫を取り除く方法として思いついたのは、一足早い彼女の将来への投資だった。エミリアは競争ライダーとして大成するのではなく、競争ライダーとして名を上げることにより、冒険家を導く先導者のライダーとして推薦されることを願っている。

 未知の大陸、未知の海原を開拓し、新たな足跡を残す冒険家。当然その先導者に求められるのは、ありとあらゆるサバイバルの知識と、過酷な自然環境でも飛ぶことのできる技術だ。俺が教えられるのは、救命ライダーとしてあらゆる悪天候下でも飛ぶ知識だ。


「どうだルーキー? 『元』だが本物の救命ライダーのしごきは怖いか?」


 俺がわざと挑戦的に笑うと、エミリアは顔を輝かせた。久しぶりに見る、彼女の掛け値なしの笑顔に俺は、信じられないくらいに安堵していた。この子の笑顔から曇りを拭い去るためならば、俺は自分にできることならなんでもしたいと心から思ってしまう。


「素敵じゃない。ぜひお願いするわ!」

「俺の指導は監獄流だ。厳しいぞ」

「望むところよ。力いっぱい空を飛べないなんてお断りなんだから!」


 ぎゅっと手を握り締めてこちらを見据えるエミリアに、つい俺は口が滑ってしまった。俺も浮かれていたんだろう。


「ようし! お前が口からクソを垂れ流して、尻から脳ミソをひり出すまでしごきにしごいてやるからな! ――監獄の教官ならこう言うんだぜ」


 昔さんざん聞かされた教官のスラング。それを俺はそっくりそのまま口にする。まったく、本当に教官が俺たちを罵るスラングは多種多様だった。恐らく本にしたら分厚い奴が数冊は刷れる。まあ、今となっては教官には一応感謝している。気を抜いたら死ぬような環境で空を飛ぶには、本能のレベルにまでフライトの技術を覚える必要があったからだ。そこまで刷り込むには、教官に尻を蹴っ飛ばしてもらわなければ、俺たちは誰一人できなかった。

 しかし――下品なスラングは当然、スターリング家のお嬢さんには受け入れてもらえなかった。


「……ジャック。下品なのはいただけないわ」


 にこりともせずに、眉を寄せてエミリアははっきりと俺に警告する。いくら嬉しくても、はっきりとよくないものはよくないと言うエミリアは実にまともだった。


「すまん。レディには失礼だった」


 俺は素直に謝る。冷静に考えれば、本当に失礼だ。いいところのお嬢さんにスラングを浴びせるなんて、場合によっては警官を呼ばれるレベルの非礼だった。


「でも、本当にありがとう。ずっと落ち込んでいた私のために、ここまでしてくれて」


 俺がすぐに謝ったからか、エミリアはスラングなど聞かなかったような顔ですぐに表情を元に戻す。彼女の切り替えの早さがつくづくありがたかった。


「君が俺にしてくれたことに比べれば、こんなのは百万分の一の返礼だ」


 真顔で礼を言われ、俺は照れくさくて横を向いた。手にしたケースを振るい、竜炎から量産型の竜を呼び出す。


「それで、何を教えてくれるの?」


 エミリアの問いに、俺は笑った。エミリアが竜症から復帰し、再びレースに参加することを目指す。それが反撃ならば、今俺がエミリアに教えようとすることも反撃だ。俺の過去。竜嵐の中で失った親友。その事実に対する反撃だ。自然の脅威か惑星の憤怒か知らないが、もうお前には俺の身近な人間は誰一人奪わせないからな。その方法をみっちり教えてやる。

 俺は竜にまたがり、エミリアに告げた。


「――竜嵐の中の飛び方だ。俺についてこい」


◆◆◆◆


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