第22話:あの日の罪02


◆◆◆◆


「リチャード・ウィルキンソン。二つ名は奴の乗っていた竜の色にちなんだ『真紅』。でも、大抵は『伊達男』って呼ばれていたライダーだ。知ってるか?」


 俺は話し始めた。時が流れてなお、俺の記憶は容易にあの日々へと飛ぶ。毎日が喧騒と騒動に包まれ、それでも輝いていた、あの何物にも代えがたい日々と――その終わりへと。


「たしか、災害救助に携わっていた救命ライダーだったと思うわ。勤務中に殉職したんじゃなかったかしら……」

(よく覚えているな、エミリア)


 俺は内心驚いていた。今のライダーを取り巻く業界は、金儲けと売名で成り立っている。それはすなわちレースに集約されていた。競争ライダーこそがライダーであり、それ以外のライダーは隅に追いやられているのが現状だ。だからこそ、レースを卒業して他の任務に就いたライダーが忘れ去られるのは驚くほど速い。今年もてはやされた時の人が、来年は過去の遺物だ。リチャードは競争ライダーだった時は注目の的だったが、災害救助の救命ライダーに転向してからはたちまち人々の口の端に上ることはなくなった。


「そうだ。あいつは俺の同期で、俺の相棒で――俺のたった一人の親友だった」


 恥ずかしい話だが、俺には友達らしい友達は一人もいない。人間嫌いで、口下手な俺は昔から人づきあいが悪かった。そんな至極つまらない俺の人生で、唯一の親友と言える奴はリチャードだけだった。


「どんな人だったの?」


 俺の過去を懐かしむ声に感化されたのか、エミリアは興味ありげな様子で尋ねる。 


「口から先に生まれてきたかのような軽薄な奴だった。腹が立つくらい美形で、人をその気にさせるのがやたら上手で、憎たらしいくらいに女の子にもてた。同期の俺たちは、休日にはいつも歯ぎしりしてたよ。いったい何人のライダーが、片想いの女の子をあいつに取られたことか」


 懐かしい日々だ。もてない男たちで雁首揃えて「今日こそリチャードを捕まえてみんなで袋叩きにしてやろう」と悪だくみしていた時、俺だってその中にいた。もっとも、いつも決行しようとすると、なんとなく理由をつけてやめてしまったのだが。あいつは確かに恋多き男だったが、女の子の純情を弄ぶような奴ではなかった。


「それ、一方的に思いを寄せてただけで、取られたって言わないんじゃないかしら?」


 エミリアがこちらを白眼視する。


「やかましい。もてない男にとっては、充分取られたんだよ。告白してなかっただけだ」

「あきれた……」


 そう言いつつも、エミリアはおかしそうに笑った。


「同郷ってだけで、あいつは俺とライダーの養成学校でよくつるんでいた。知ってるか? オークランド諸島の通称監獄って呼ばれてる場所だ。俺はあそこの出なんだよ」

「災害があれば竜嵐にだって恐れずに飛んでいく、勇敢な荒くれライダーが育つ要塞でしょ。立派だわ」

「そんな御大層なものじゃないさ」


 エミリアの賛辞に、俺はわずかに右腕を押さえた。かすかに疼く。竜嵐にだって恐れずに飛んでいく、か。それは勇気なんかじゃない。正真正銘の無謀なんだよ。


「あいつは馬鹿で、お調子者で、気分屋で、でも――いい奴だった。今でも思い出す。あいつの真紅の竜『トライアンフ』がレースを終えて着地すると、一斉に女の子たちが花束を手に駆け寄ってくるのを」


 大胆な急上昇が特徴で、長柄の槍を華やかに振り回すリチャードの派手な騎乗スタイル。それはまさに、地上で待つ女の子たちを虜にするものだった。

 司会の騒がしい誉め言葉。着地して翼をたたむトライアンフ。サドルから降りて手を振るリチャード。身にまとった竜炎をマントのようにひるがえすその様は、憎たらしいくらい様になっていた。失神する女の子だったいたそうだ。


「くくく、バイロン賞でリチャードは五位だったんだが、一位になった生真面目な堅物よりも人気でなあ。そいつがかんかんに怒ってたから関係者がなだめるのに必死だったぜ」


 あれは傑作だった。無数の花束をもらって満面の笑みを浮かべる五位のリチャードに対し、司会が誉めるだけでほとんど誰も注目していなかった一位のライダー、アイザック・アップルトン。そいつのクソ真面目な顔が真っ赤に染まり、主催者に向かって猛抗議に行くのを周りが必死になだめていた。そんな奴に対し、リチャードは白々しく平然と握手を求めていた。奴はもう、発狂しそうなくらい怒りながらも、一応握手に応じていたのは本当に笑えた。


「やっこさん、今じゃ国際ライディング協会の重鎮だ。妻子だっている」


 アイザックは今、その生真面目さを活かして、ドラゴンライディングの国際ルールの制定に忙しくしているらしい。確かに、一位が無視されて五位が不自然に持ち上げられるようじゃ、レースの公平さも何もあったもんじゃないからな。ちなみに妻は、リチャードに目もくれなかったアイザックの幼馴染らしい。試練を経て真実の愛が証明された、ということか。


「俺のような陰気な奴のどこがよかったのか、リチャードは俺とコンビを組んだ。一通り若手のライダーが出られるレースで名声と賞金を得てから、俺たちは災害救助に携わる救命ライダーになった。レスキューチームって奴だ」

「知ってるわ。危険と隣り合わせでも、真っ先に災害の現場に急行して、一人でも多くの人を助ける空の英雄よ」

「英雄ってのは、アーサーみたいな奴のことだ。俺たちはちやほやされたくてライダーになったわけじゃない」


 俺みたいな、競技である程度優秀な成績を収めてもちっとも冴えないライダーと違い、リチャードはレースの花形だった。もっともそれは見栄えがするレースをするライダーだからであり、成績は案外そこそこだったりする。そんな彼があっさりとレースから背を向けて救命ライダーになったことは衝撃だった。でもリチャードは、名声も人気もすべて放り出して危険な仕事に従事した。


「リチャードは勇敢だった。普段はへらへらしていて、ふざけてばかりなのに、本当に大事な時は打って変わって真面目になって、俺たちの中で誰よりも速く現場に飛んでいくんだ。いつの間にか、嫉妬したり陰口を叩く奴はいなくなっていた。――そんな日々が、引退するまでずっと続くと思っていた」


 痛みが存在しない右腕に這いあがってきた。過去を思い出すたびに、痛みが俺を抉る。俺にとって追憶は痛みだ。何度も俺は左手で義手を撫でる。撫でたところで、痛むのはなくしたはずの右腕だ。気休めにもならない。


「ジャック、辛いならやめても…………」


 俺の不自然な動きに気づいたのか、エミリアが身を起こす。


「いや、できれば聞いてくれ。君こそ体調が……」


 俺はなぜか、エミリアの勧めを断った。この痛みは耐えられない苦しみなのに、それでも俺は痛みの原因である追憶を止めない。むしろ、エミリアの方がずっと聞いていて体調を崩さないか不安だった。


「私なら大丈夫。あなたのそばにいるわ」

「……ありがとう」


 情けないことに、年下の女の子にそう言われて安堵する俺がいた。俺は息を吸い込む。数え切れないほど思い出して、数えきれないほど後悔して、数えきれないほど打ちのめされた、あの日について俺は語り始める。


◆◆◆◆


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