第14話:アイルトンカップへ


◆◆◆◆


 相変わらず、うるさい上に品のない司会が叫ぶ。だが、その下品さえ、俺の耳には快く届いていた。何しろ――


「エンタープライズ! エンタープライズが一着でゴールイン! もはやギャロッピングレディの姿はここにはない! ここにいるのは力強きライダーと彼女の乗る竜だ! 我々は彼女の進撃からもう目が離せない! エンタープライズとエミリア・スターリング、女王杯を制し次の栄光へと駒を進めました!」


 俺の視線の先に、白銀の竜が着地する。サドルから優雅に下りたエミリアは、アームを置き、貴賓席に向かって淑女らしく丁寧に一礼した。作法通りの完璧な一礼だ。彼女の敬意が向けられているのは、この国の最高権力者だ。女王の観覧する名誉あるレースで、見事エミリアは一位を勝ち取ったのだ。


「よくやったな、エミリア」

「ジャック!」


 関係者席を離れ、俺はエンタープライズの隣に立つエミリアのそばへと近寄った。それまで優雅に周囲を見回していたエミリアの顔が、まるで花が咲いたかのように明るくなる。


「勝ったわ、私! ありがとう、あなたのおかげよ!」

「まさか。助言一つで勝てるようになるなら、今頃俺はドラゴンライディングのキングメーカーだぜ」


 笑って俺は言う。実際その通りだ。俺がしたことは基本的なトレーニングでしかない。何か魔法のようなことをしたのでもなければ、呪文のようなものをかけたわけでもない。すべては、エミリア本人の実力だ。


「謙遜なのね、あなた」

「身の程をわきまえているだけさ。……どうした?」


 ふいにエミリアが俺に近づいた。


「ごめんなさい。少し、後ろに隠れていい?」


 俺が同意する前に、エミリアは周囲の視線から隠れるように俺の後ろに回った。

 次の瞬間、背を曲げたエミリアは激しくせき込んだ。ただ単に喉に痰が絡んだような咳じゃない。まるで肺と喉が焼けているかのような、耳障りで嫌な咳だった。


「エミリア!?」


 慌てて振り返った俺だが、その時すでにエミリアは口元を覆ってて咳を懸命に抑えていた。


「へ、平気。平気だから。少し、ばい煙が喉に入っただけ」

「入っただけだと!? そんなレベルじゃないだろ!」


 大人げなく俺は叫んだ。医者ではない俺でも分かる。今の咳は尋常ではない。


「昔からずっとこうなの。私、過敏症だって言ったでしょ」


 ようやく手を離し、何事もなかったように無理にふるまっているのがすぐに分かる態度で、エミリアは背筋を伸ばす。


「だからこそ、私は憧れてるのよ。――あなたが言った『自由』に」


 俺は何も言えなかった。嫌な予感がする。今、エミリア・スターリングは冒険家として推薦されることを目指して、華々しいライダーの道を歩もうとしている。けれども、その光に照らされた道を進むエミリアの後ろに、暗い影が忍び寄っているように思えてならない。


「エミリア・スターリングさん、少しお時間よろしいでしょうか?」


 だが、口下手な俺が何か言える言葉を思いつく前に、新聞記者たちが押し寄せてきた。


「ええ、もちろんよ」


 カメラを向けられたことを意識したエミリアの笑顔に、一斉にシャッターが切られる。


「ありがとうございます。まずは今回の女王杯についてですが――――」


◆◆◆◆


 女王杯で一位を取ってから数日後。学院の廊下を歩く私を呼び止めたがいた。


「見事だったね、エミリア」


 振り向くと、目の覚めるような笑みを浮かべて、アーサーがそこに立っていた。


「アーサー、あなたこそ、海外の帝国杯で新記録ですって? 聖剣の面目躍如ね」

「きつい連戦だったけど、みんなの声援にこたえられて何よりだよ」


 あくまでも、応援あっての自分だというスタンスを崩さないアーサー。本当に、骨の髄までみんなの注目を浴びることに慣れているし、それを当然のようにふるまっている。


「それで、今回は健闘をたたえに来た……というわけじゃなさそうね」

「当然だ。僕は強いライダーが好きだ。そして、君は強い」


 どこまでも余裕な彼を見ていると、ついからかいたくなる。


「異性として私のことを好きなのかしら?」


 ちょっとそう言ってみると、面白いくらいにアーサーはうろたえた。


「ち、違う! そうではないんだ。誤解しないでくれ!」


 へえ、意外ね。「デートのお誘いならば、いつでも歓迎だよ」ってあっさりと受け流すと思ったのに。アーサーは外見も家柄も性格もいいし、ライダーとしての実力も一級だ。たくさんの女子が彼に憧れている。てっきり、そういう色恋の話は聞き飽きていると思ったのに。


「冗談よ」


 私がさっさとそう言って撤回すると、アーサーはほっとした顔をしてから言葉を続けた。


「アイルトンカップ、君に出てほしい」


 アイルトンカップ。若き学生ライダーのために設けられた、登竜門ともいうべきレースだ。年齢制限があって一生に一度しか出られないこのレースは、多くの人が注目している。


「どうしてかしら?」

「君と競い合いたい。ただそれだけだよ」


 当然のようにアーサーは言う。ずいぶんとアーサーは私という人間にこだわっている。確かに今、私はへなちょこだったスランプから抜け出して、どんどんライダーとして成長している。この前の女王杯を優勝したのは、はっきりとした実力の証だ。もしかすると「生意気なギャロッピングレディの鼻っ柱をへし折ってやろう」と思っているんだろうか。


「私が鼻持ちならないの?」

「逆だよ。僕は君に敬意を払っている。レディ・エミリア。だからこそ、僕は君と正々堂々と戦い――勝利して己の強さを証明したいんだ」


 一瞬だけアーサーの目に、勝利を求める強い炎のような輝きが宿った。聖剣のアーサー・フィッツジェラルド。彼以外に背を許さない狂暴な竜、ル・ファンタスクを駆り、剣のアームを振るい空を駆ける現代の騎士。決してそれは見掛け倒しじゃない。彼は確かに、本物の実力を有するライダーだ。


「あなたは人々の声援にこたえて強くなりたいのね」

「そうだよ。万人の目が僕に注がれている。ドラゴンライディングは崇高なスポーツだ。僕たちのレースは人々の魂を熱狂させる最高のエンターテインメントでなければならないんだ」


 でも、彼と私のドラゴンライディングに求めるものは違いすぎる。どうしようもなく、私と彼の目標は異なる。私はドラゴンライディングを通して冒険家として推薦されることだけを求め、一方アーサーはライダーとして人々を熱狂させることを求めている。


「あなたと私は見ている視点が違いすぎるようね」


 私ははっきりとそう言う。私は自分の目標を譲る気はない。


「でも、アイルトンカップは出場するわ。どのみち、私も強くなって己を証明しなければならないから」


 彼とはいつか戦わなくてはならない。今この時、私の同級生としてアーサーがいる以上、きっと周囲は「世代最強」を知りたくて私とアーサーを戦わせる。ならばそれが、アイルトンカップでも全然問題はない。


「君と戦える日を心待ちにしているよ」


 アーサーは静かにそう告げた。


「ええ、私もよ」


 きっと私たちは同姓ならば握手をしただろう。でも私は女で、彼は男だ。アーサーは一礼して、私に敬意を示した。どこまでも彼は、品行方正なナイトだった。


◆◆◆◆


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