第8話:ランカスター賞02


◆◆◆◆


 エミリア・スターリングはとにかく不器用な少女だ。並行して二つのことが行えない。もちろん訓練すればできるようになるだろう。アームを振るいながら竜を駆るくらいできなくては困る。だが、今はまだ無理だ。なまじ彼女は礼儀をわきまえている。だからこそ、中途半端に余計なことばかり考えて、最終的に自滅して最下位に落ちるか失格になる。

 だから俺は、彼女に何もかも捨てて、恥も外聞もない三流ライダーのようなレースをさせるように提案したのだ。少しはためらうかと思いきや、即座に目を輝かせて乗ってきたのには驚いたが。


「来た! 来た! エンタープライズの独行を阻むべくここで追い上げてきたのはデビッド・モーガン騎手の乗るコールドウェルだ! 逃げ切るのは許さない! お前のアームは飾りかと叫んでいるかのようだ! これは素晴らしい!」


 何が素晴らしい、だ。俺は司会に何か投げつけたくなるが、あいにく周囲には何もない。俺が今までいた野良のドラゴンライディングなら、気に入らないレースや気に入らないライダー、気に入らない司会には常にモノが投げつけられていた。石、レンガ、腐った野菜、ボール、酒瓶。ここにはないものばかりだ。


「おいデビッド。そのお嬢さんは、逃げるしか能がない奴だと思ったら大間違いだぜ」


 俺がつぶやきながら見上げる上空。先頭を駆けるエンタープライズに追いつこうとする一匹の竜がいる。変形能力を持った竜、コールドウェル。そしてそれにまたがるライダー、デビッド・モーガン。高性能の双眼鏡で俺は追う。これだけは、なぜか質屋で飲み代に変わらなかったライダー時代の遺物だ。

 追いすがるコールドウェルを迎え撃つべく、エンタープライズがスピードを緩める。明らかに驚いた様子のデビッド。エミリアがひたすら戦闘を放棄して逃げると思っていたんだろう。あいにく、彼女が苦手にしているのは、周囲を他のライダーと竜に囲まれ、あれもこれもと頭がいっぱいになって混乱する状況だ。つまり、一対一なら……。


「なんと! エミリア騎手の一撃が見事にヒット! これは偶然か幸運か!? コールドウェルを撃破しそのまま一直線にゴールへ! 誰も彼女を阻めない!」


 エミリアが右手に持ったアーム、すなわち巨大な円錐形のランスを振るい、一撃で長柄の斧を持ったデビッドを竜から叩き落したのだ。むろん下には風圧のネットが配置されているから、デビッドが地面に叩き付けられることはない。この辺りは、ドラゴンライディングが騎士の試合だったころからの伝統だ。競り合いも何もなく、交錯した一瞬での撃破に、会場がさらにどよめいた。

 だが、エミリアはそのどよめきをまったく気にする様子もなく、見事にゴールを駆け抜けた。他のライダーと競ることのない文句のない一着。しかし、そのスタイルそのものは大いに文句が出るようなものだった。


◆◆◆◆


「エミリアさん! 今回のレースの展開は偶然だったのでしょうか?」

「伝統あるランカスター賞で、今回のような一切競り合いのないレースを取るという方法についてどう思っているのでしょうか?」

「これは、従来のレースに対する挑戦と取ってもよろしいのでしょうか?」

「周りからは『これはドラゴンライディングではない』という意見も聞かれますが、そのことについてどう思われますか?」


 あらかじめジャックに「レースが終わったら覚悟しておけ。おそらく君は、めちゃくちゃに批判されるぞ」と言われていたから、覚悟はできていた。

 でも、改めてこうやって新聞記者たちに取り囲まれると、本当に辟易してしまう。みんな鵜の目鷹の目で、私から何か面白いことを言わせようと質問攻めにしてくる。何度も何度もフラッシュがたかれて、シャッターが切られて、目と耳がおかしくなりそう。

 でも、もう一度言うけど私は覚悟していた。私の飛び方が、伝統あるランカスター賞にふさわしくないものだということを。観客は今まで通り、ライダーたちが空で入り乱れ、アームを振るって互いをけん制しながらゴールを目指すレースの展開を期待していたはずだ。でも、ジャックは「そんな方法を取っていたらお嬢さん、君はまた最下位か失格だ」と言って首を左右に振った。

 恥も外聞もない逃げるだけの戦法。それが、今の私が勝つための方法だった。でも、私は逃げることしかできないんじゃない。アームを使って戦うことだってできる。最後にデビッドを撃破できたのは、その証明になったかもしれない。けれども、新聞記者たちはそんなことただの偶然だと言わんばかりに、私が逃げて逃げて逃げまくったことしか関心がない。

 遠くから新聞記者たちを押しのけながらこっちに来るジャックを見ながら、私が口を開こうとした時だった。


「――待って下さい、皆さん」


 突然、よく通るきれいな声が響き渡った。それまで騒いでいた人たちが、ぴたりと黙った。


「皆さんの疑問に思われる気持ちは僕もよく分かります。しかし彼女、エミリア・スターリングの取った戦法が伝統あるランカスター賞にふさわしくないというのはいかがなものでしょうか?」


 人混みが自然に左右に分かれて、アーサーが私の方に向かって歩いてくる。


「そ、それはどのような意味でしょうか?」


 記者の一人が質問すると、にっこりとアーサーは笑った。みんなを虜にする完璧な笑顔だ。


「質問をありがとうございます。僕が注目したのは、もともとこの竜に乗る騎士たちは戦場での戦いのほかにも、伝令の役割を果たしていたということです。伝令に求められているのはなんでしょうか? それは、誰よりも早く空を駆け、戦場の正確な情報を敵に邪魔されることなく届けるという技術です。その点において、エミリア騎手の取った臆することのない勇敢な戦法は間違っていないと僕は思います。僕たちはこのレースを通じて、よりスピードという点においても、成長しなければならないと痛感しました」


 立て板に水とばかりに、アーサーは報道陣の方を向いて話し続ける。いつの間にか、新聞記者たちは全員私の方じゃなくて彼の方を見ていた。本当に助かったわ、アーサー。どういう意図か分からないけど、ありがとう、と言いたくなる。


「……なんなんだ、あのナイト様は。君のファンか?」


 ようやく、私に横にジャックがたどり着いた。人混みを無理やり押しのけてこっちに来たから、ただでさえさえない格好がもうめちゃくちゃだ。


「レースに勝ったあなたの教え子に、開口一番それなの?」

「うるさい。俺は給料さえもらえればそれでいいって言っただろ。勝ちたきゃ勝手に勝て」


 あの一瞬だけ見せてくれた真面目なジャックは、今はもうどこにもいない。また彼は、あのふてくされて不愛想な人に戻ってしまっていた。それも仕方ないけど。いきなり人が変わるってことはあり得ないものね。


「何よりも! 聞いてください!」


 アーサーが両手を広げて高らかに宣言する。まるで演説する政治家、あるいはオーケストラを従えた指揮者だ。


「彼女のコーチは波乱のアウレリウス賞を制した、あのジャック・グッドフェローです! 比類なきライダーであり、尊敬するべき人格者である彼は長らく空から遠ざかっていましたが、今エミリア・スターリングのコーチとして再び空に竜と共に帰ってきたのです! その彼が彼女にこの戦法を取らせたのですから、必ずや重要な意味があるに違いありません。僕たちは安心して、彼女のこれからのレースを見守ろうではありませんか!」


 なぜか巻き起こる拍手。本当に、顔が良くて声が良くて態度が良いと得をするのがよく分かるなあ。


「むしろ、彼は私のファンじゃなくてあなたのファンみたいね」


 私がくすくす笑いながらそう言うと、ジャックは心底嫌そうな顔をして頭を抱えた。


「エミリア、彼をなんとかしてくれ。このままじゃあることないこと新聞に書かれること必至だ」


◆◆◆◆


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る