第2話 オーナー宅にて
オーナー宅は玄関だけで、悠樹が暮らすアパートの面積より広い。広大な平屋建ての一室の荷物をまとめて、地方鉄道本社近くの自宅に送り、自宅の荷物を東京宅へ送るという、ある意味、大規模な部屋の模様替えを手伝う様な作業である。
「忙しい時に、ごめんなさいねぇ。東京の家は人手が少なくて、年寄りだけだと荷物が片付かないのよ」
品よく和服を着こなした、優し気なお婆さんが作業を説明した。なんでも現オーナーの母親らしい。コテコテの方言が有名な地方なのに、大奥さんの口調からは訛りは全く感じられなかった。
東京から運び出す荷物を梱包し、一時玄関横の倉庫へ運び入れる。梱包が終わったらトラックの荷物を中に入れ、開いた荷台に倉庫の梱包した荷物を運ぶこととなった。
「この倉庫、何に使うか知っているか?」
作業をしながらチリは悠樹に軽口を叩く。彼は何度かオーナー宅の作業を経験していた。
「結構な荷物が入りそうだよねぇ。何に使うの?」
「中元と歳暮の荷物置き場だと。実家の倉庫は、もっと大きいって言ってたぞ」
盆暮の付け届けが今でも盛んな地方のあるあるではあるが、途方もない話だった。
「昔、学校で資本主義は格差の少ない、優れた社会制度だって教わった気がしたけど……」
「何、難しい話してんだよ。そっちのパット(梱包用の腹巻のような物。繰り返し使えて、エコな感じがする)、引っ張ってくれ」
大きな荷物の運搬や梱包には、かなりの基礎体力が要求される。大男のチリは当然として、悠樹も見た目に反し大した力持ちなのであった。新入りでガタイの良い作業員は、一見華奢な悠樹を見ると頭から舐めてかかる。そんな新入りに大概な態度を取られても、悠樹は怒らずにヘラヘラしてる。サブの作業員が嗜めようとしても
「いいのいいの」
と言って気にも留めない。タチの良くない作業員は注意されないと分かると、途端にサボり始める者もいる。チームリーダーである悠樹に注意されても、人目のない所で一発喰らわせば、問題無いだろうという態度だ。そういう輩程、現場に見た目の恐ろしいチリでもいれば、甲斐甲斐しく働き続ける。社会の荒波は厳しいと言わざるを得ない。
「おい、リーダー。この冷蔵庫デカすぎてエレベーターに入らねーぞ」
輩は腕を組んで冷蔵庫に首を倒す。確かに物が大きすぎて、狭いエレベーターに冷蔵庫は入らない。窓から吊るして出すこともあるが、新入りばかりのチームには荷が重いケースである。下手をしたら、落下した冷蔵庫にぶつかって大怪我をしてしまう事も考えられる。
「大丈夫、大丈夫」
悠樹はヘラヘラ笑いながら、巨大冷蔵庫を一人で持ち上げ、楽々と階段を下りて行く。夢でも見たのかと目を擦り、輩は悠樹を追いかける。トラックの前で悠樹が置いた冷蔵庫を持ち上げてみるが、ビクともしない。
「あ、慣れないと腰を痛めちゃうから、気を付けてね。悪いけど、こっちのダンボール運んでくれる?」
「……はい」
相手と自分の力量差を図るのは、野生動物の性だという。見た目で悠樹を舐めていた輩は、従順な手下に早変わりするのだった……
チリと一緒に重厚なオーク材のタンスを二人掛りで梱包していると、視界の隅で何かが動いている。良く見ると5歳くらいの痩せっぽちの子供だった。入口の扉に隠れながら、梱包作業を興味深そうに観察している。チリが大きなタンスを一人で抱えた時には、
「うぉ」
とか小さな声を上げていた。いつもはこの邸宅から出ることも無く、肉体労働者を見る事が無いのだろう。チリは鼻に皺を寄せる。
「ここの
「そんな事をしても、また来ちゃうよ。ちょっと待ってて」
悠樹はチリにウィンクをして人差し指で口を押えると、扉の裏側に隠れた。しばらくして、作業員の一人がいなくなった事に気づいた御曹司は、そっと首を部屋の中に突っ込んで確認しようとする。
ポン
彼の頭の上に、隠れていた悠樹が優しく右手を乗せた。余程ビックリしたのだろう。彼は、その場で小さく飛び上がる。
「少年。ここは重たい物が一杯あって危ないよ。作業に興味があるの?」
御曹司はコックリと頷く。悠樹は彼の両脇に手を入れると、軽々と持ち上げる。クルクル回りながら梱包済みの荷物の上に、ソッと座らせた。彼は目を大きく開き驚いている。
「ここで監督していてくれる? 見飽きたら教えてくれれば、降ろしてあげるから」
「……お前、上手いなぁ」
チリは呆れて肩を竦める。大人しくなった御曹司をおいて、二人は黙々と作業を続けた。大物の梱包が終わった辺りで、悠樹は首に巻いたタオルで、額の汗を拭く。その時、初めて彼が口を開いた。ボーイソプラノの声が響き渡る。
「御祖母様、御祖母様! こちらの方々に何か冷たい物を差し上げて!」
ブフォ!!!
厳つい大男は腹を抱えて、その場に沈み込んだ。こんな話し方をする人種って、本当に居るんだ。漫画みてぇ…… と呟く。チリの様子を見て、御曹司は顔を赤くする。悠樹は荷物から彼を降ろしながら、ニコリと微笑んだ。
「どうもありがとう。でも他の人たちも働いているから、もう少し頑張るよ。大奥さんに他に運ぶものがないか、聞いてきてくれないかな?」
御曹司はコクリと頷くと、母屋に向かって走り出した。
三時の休憩時間になった。お偉いさんに睨まれたく無い悠樹達は、休憩も取らずに作業を続けている。
「休憩時間よ! 手の空いた人から飲み物を取って!」
大奥さん自ら、作業員たちに声を掛ける。チョイチョイと作業着の腰の所を引っ張られた。悠樹が下を向くと先ほどの御曹司が居て、母屋の方に引っ張って行く。玄関ではなく裏庭のある縁側に良く冷えた麦茶や軽食が並んでいた。
自動販売機やコンピニで買うペットボトルの飲み物しか、飲み慣れていない作業員たちは、高価なガラス容器に入れられた麦茶に手を出すことを躊躇した。そこで大奥さんがガラスのコップに麦茶を注ぎ、それを御曹司が作業員たちに配り始める。勿論、一番初めに受け取ったのは悠樹だ。彼は遠慮せずに、大ぶりのコップの麦茶を一息で飲み干す。
「美味しい! ペットボトルのお茶と全然違う!」
「それはそうよ。地元の農家で焙煎して貰った、本物の麦茶なんだから」
大奥さんはニッコリと微笑んだ。市販の麦茶に比べると、ずいぶん色が薄い。何でも焙煎を弱くするから色は薄いが、その分、麦の香りと甘味が良く出るのだそうだ。理屈は分からないが、男たちは喉を鳴らしてそれを飲み干してゆく。あっという間に大ぶりの容器の麦茶は無くなった。
「あれあれ、気持ちの良い事。ちょっと待っててね」
大奥さんは、奥から大きなヤカンを下げてきた。慌ててチリが受け取る。この方が緊張が少ないのか、作業員たちはワイワイ言いながら麦茶を飲んだ。
その後の作業も順調に進み、予定より1時間ほど早く積み込みが終了した。作業報告を行う悠樹の横には、御曹司がピッタリと張り付いている。
「あらあら。随分懐かれたわね。この子は人見知りが激しいのにねぇ」
大奥さんは、報告書にサインをしながら微笑んだ。作業員たちはゾロゾロとワゴン車に乗り込む。悠樹が御曹司にお別れの挨拶をしようすると、彼は道路に向かって走って行った。きっと車が見えなくなるまで手を振るつもりなのだろう。
「あれ? ちょっと危ないかな」
閑静な住宅街の生活道路である。通る車の数も知れているし、スピードを出す車も居ないだろう。でも何か大きな爆音が近づいてきている。悠樹は運転席を下りて、御曹司の傍に走り寄った。
嫌な予感が当たる。曲がり角から爆音をまき散らすバイクが現れた。サングラスにジージャン。アウトローを気取った三十代の男が跨ったバイクが、物凄い勢いで飛び込んで来る。そのバイクの進行方向で、余りの衝撃に固まる御曹司。悠樹は彼に飛びつく
「ほら、ちょっと!」
バァーン
少年を後ろに回した悠樹が、バイクに跳ね飛ばされた。バイクもバランスを崩し、壁に激突する。少年の悲鳴。オーナー宅から人が飛び出してくる。茫然としていたバイクの運転手が、逃げ出そうとして立ち上がると、
「ウチの若い者に手ぇ出して、逃げられると思っているのかぃ?」
いつの間にか近づいた、ガリガリに痩せた目付きの悪い作業員が、アウトローの肩に手を回す。
チキチキ
梱包作業用の大型カッターナイフの刃を押し出す音。耳元でクスクスと笑う痩せた作業員。アウトローはカッターから目を離せなくなった。さらに本物の悪漢達(チリを含めた引越作業員)に囲まれて、アウトローは腰を抜かしてへたり込む。それを見たチリは舌打ちする。
「格好だけか。おい、救急車を呼べ。大急ぎだ! 悠樹大丈夫か!」
「少年は?」
額を割った悠樹の顔は血に塗れている。
「無事だ。よくやった!」
「良かったぁ……」
悠樹は、意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます