第21話 その「もう一つの理由」

 数刻前に目を覚ました私は、ベッドの淵に腰を掛けたまま、思案にふけっていた。

 シャロンとファリスに全てを話し、その翌日、別荘から男爵邸に帰還した。先日の事件で精神的に参っていたらしく、帰宅するや否や、二人の対応をメルに任せ、ベッドに倒れ込んでしまったのだった。

 帰宅したのが夕方で、外を見れば、今も夕方を回ったくらいの日の高さだった。

どうやら丸一日寝込んでしまったらしい。


 酷く憂鬱な気分だった。


 冷静に考えてみれば、二度と会うことがないと思っていたレーリアと再び相まみえることができ、起こってしまった死の宿命ブラッドバーンにおいても、どちらも滅ぶことなく、何とか事なきを得た。

 間違いなく、優秀な使い魔メルのおかげだったが、なんにせよ不幸中の幸いだ。

 しかし、気分は最悪だった。

 これまで、間違いが起きないように慎重に事を運んできた。アーサーの一件以来、ヴァンパイアが増えないように細心の注意を払って生きて来た。レーリアをヴァンパイアにしてしまった後は、きちんと根回しをし、ブラッドバーンが起こらぬよう、ロチェスターから一切出ることなく生きて来た。


 しかし、今回、渾然たる事実として、こういう事態が起きてしまったのだ。


(私は、何をしてきたのだ。)


 分かっている。この憂鬱の正体は自責の念だ。アーサーに、代々のロチェスター伯爵達に、そしてレーリアに対しても顔向けできない。そんな自責の念に苛まれていた。


 コンコン。

 ノックの音がした。


 短く「入れ」とだけ答えると、優秀な使い魔が、ワゴンにお茶を乗せて入って来た。


「ご気分は如何ですか?」


 メルは、珍しく神妙な声色で私を心配した。普段とは違い、部屋に勝手に入って来なかったことが、その態度が本心であることを物語っていた。


「良いとは言えないな。」


 私の返事に反応せず、メルはカップをサイドテーブルに置き、お茶を注いだ。


「あまりご自身をお責めにならないでください。」


 私の目の前に、紅茶の入ったカップを差し出し終えた後、彼女はゆっくりと言った。全く、どこまで優秀なのだろう、この娘は。


「あれは不慮の事故でした。それに、その対処のために私がお仕えしており、その役目を果たしました。なんの問題もございません。」

「お前には本当に感謝している。良くやってくれた。」

「はい。」


 ペットを使い魔としてヴァンパイアにするのは、この屋敷の文献から得た知識だった。

 以前ローガンにも語ったように、ヴァンパイアは、同種同族のヴァンパイアを見ると、我を忘れるほどの殺戮衝動に襲われる。上手い言葉が見当たらないが、言うなれば「ヴァンパイアの設計図」のようなものにそう記録されている、と言うのが近いかもしれない。


『ヴァンパイアが人間を致命的に傷つけ、血や汗、体液を混入すれば、その人間の設計図が、ヴァンパイアに書き換わる』

『ヴァンパイアがヴァンパイアを致命的に傷つければ、その設計図は、お互いの破壊プログラムとして作用し、一方の設計図を破壊する』


 これが、長年をかけて文献から読み解いたヴァンパイアのルールだ。

 そして、これは『どちらも同種同族のヴァンパイア』の場合に限られる。

 例えば私とメル、つまり元人間と元猫であれば、そもそもの設計図が違うから、互いにブラッドバーンの対象にはならない。そして、ブラッドバーンの対象にならない分、仮にどちらかが攻撃をされても、破壊プログラムとしての機能も弱く、弱らせる程度にとどまるのである。


 つまり……


『主が、別のヴァンパイアとブラッドバーンを起こしたときは、主とその相手を倒す』


 これが、ヴァンパイアの使い魔の存在意義であった。


 そして、そのために生み出されたメルは、しっかりと役目を果たしてくれた。そして「だから何も問題はありません」と彼女は言うのだ。


 しかし……。


 メルのその言葉を額面通りに受け入れることが出来ずに、カップの紅茶に映る自分の顔と目を合わせていた私に、メルが再び口を開いた。


「階下で伯爵がお待ちです。まだお話があるとのことで、目を覚まされてから伯爵邸には戻らずにこちらに留まっておいでです。後悔も自責も結構ですが、あまりお待たせすると、もう一つ自責の種が増える事になるとメルは愚考いたしますが?」


 心配していても、コイツのこの感じは相変わらずだった。



******



「おはようございます。アルクアード。ご加減は如何ですか?」

「すまない、待たせてしまったようだね。ああ、もう問題ない、大丈夫だ。」


 応接室に入ると、既に空になった紅茶のカップを前に、ファリスが神妙な面持ちで座っていた。ちなみにメルに対してと答えが違うと思われるかもしれないが、「ご気分」は「最悪」だが、「ご加減」と聞かれれば、特段問題は無かったので、こう返したまでだ。


 メルに、紅茶のお代わりを要求して、私はファリスの向かいに座った。メルによれば、ファリスの方から話がある、とのことだったので、私はファリスの言葉を待った。

 一昨日話したのは、初代ロチェスター伯爵アーサーとの一連、そしてレーリアをヴァンパイアにした時のローガンとのやり取り、そして「ヴァンパイアの秘密の理由わけ」を「事実」として羅列して伝えたまでだった。そこから派生する意見や質問などは当然あるものだとは思っていた。しかし……。


「アルクアード……その……。」


 話がある、と言う割には、ファリスの口調はなぜか重かった。


「なんだい。私にはもう隠していることは無い。なんでも好きに聞いてくれ。」


 そう返す私を一瞥し、再び目線を落とし黙りこくったファリスであったが、しばしの沈黙の後、口を開いた。


「改めて……アーサー様の事はお気になさらないで下さい。人間は欲深い生き物です。アーサー様が永遠の命を望まなかったとしても、いずれ別の代々の伯爵が同様の行動を取っていたでしょう。そしてそこでブラッドバーンが起こっていた。もしかしたらそれは僕だったかもしれない。考えてみれば、代々のロチェスター伯爵の誰かとあなたの間で、ブラッドバーンが一度起こるのは避けられない運命です。それに……。」

「それに?」

「アーサー様との約束に永遠に縛られ続け、そして、同じ時を歩む同志が作れない事実を知っても尚、孤独に生き続ける、あなたが一番苦しいのかも知れません。」

「同情はよしてくれたまえよ、伯爵。確かに、代々の君たちを託したアーサーの願いは、終わりのない約束だ。しかし、おかげで私は友を得た。代は変わるがな。むしろアーサーには感謝してもし足りないくらいさ。」


 私は、彼の口が重かった理由を理解した。彼は私に同情しているのだろう。しかし、それには及ばないし、ロチェスター伯爵からそう言われるのはいささか心外でもあった。

 ファリスは私の言葉にするでもなく、そのまま言葉を続けた。


「アルクアード、あなたが父の、ローガン前伯爵の見舞いに来なかったのは……。」

「ああ。我々ヴァンパイアは、自分の命を犠牲にして、愛する人、大切な人を一人生き永らえさせられる。その代わりにこの呪いを引き継いでいく。そういう存在であり、それが我々の存在意義だ。しかし、私はその宿命に抗った。レーリアの時はローガンのおかげで何とかうまくいったが、それでも自らを滅ぼす存在を増やしていけばいずれは……。」

「……はい。」

「私は、そこで人の意志の弱さを知った。もしも、ローガン……ローガンだけではない、代々のロチェスター伯爵の、そのいまわの際に、私が立ち会ってしまったら……私は、彼らが……彼らを……そのままにしておくことに耐えられるのだろうか。分からない。最愛の友の死を看取ってやりたい。世話になった礼を、出会えた幸運を、生まれてくれた感謝を、沢山伝えたい。しかし、私は……私には……自信が無い。」

「アルクアード……。」

「……今だから言おう。もしも、もしも私が、ローガンの見舞いに通っていたとしたら。弱っていく彼を間近で見続けていたとしたら。彼と、彼の横で毎日のように思い出話に花を咲かせていたら。私は……彼を絶対にヴァンパイアにしていただろう。反対する彼の了解など得ずに。」


 ファリスは、父が亡くなる前に「親友のくせに何故見舞いの一つもしに来ないのだ」と、愚痴をこぼしていた自分を恥じた。目の前の、父の親友であったヴァンパイアは、涙を流し、拳を血がにじむほど強く握り、父への友情を噛みしめ、その証として、『見舞いをしない事を選択していた』のだから。

 もしも自分が、アルクアードと同じ立場であったなら……そう考えそうになって、ファリスはその思考を頭から打ち消した。どんなに豊かな想像力を駆使したとしても、たかだか二十数年しか生きていない自分には、その胸中は到底及ぶべくも無いことは明白だった。


「アルクアード、父ローガン・ロチェスターに変わり、あなたに御礼申し上げます。父を支えて下さって、父の無二の親友でいて下さって、本当に、本当にありがとうございます。」

「……ファリス。」

「そして、どうか不肖この私にも、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。」

「……ああ、もちろんだ。」


 これで、八代目ロチェスター伯爵、ファリスとの『儀式』は終わった。

 代々のロチェスター伯爵と繰り返してきた『儀式』。


 ヴァンパイアの秘密を景品に、わざわざ長い長いチェスの勝負を持ち掛け、お互いに親睦を深め、信頼を勝ち取る。

 初代殺しの罪を告白し、ヴァンパイアの秘密を明かす。

 そして、友として、手を取り合い、ロチェスター領を、この呪われた島を守っていく。


 そのための『儀式』が……、

 二代目から続く、七回目の『儀式』が……、


 終わった。


――


 良い歳した男二人が、揃って涙ぐんでしまった。

気を使ってか、メルは室内に入って来なかったが、それが余計に恥ずかしかった。


「うん? ところで、シャロンは?」


 すっかり忘れていたが、シャロンの姿が見えないことに今更ながら気づいた。それにしても何故二人してその話題にならなかったのだろう。


「え? 彼女なら、一度仲間たちの所に戻ると、着替えて出立しましたよ。え? てっきりメルから聞いていたものとばかり……すみません。」


 犯人は、黒猫だった。


「……メル?」


 私は、頃合いを見計らい、しれっと室内に闖入ちんにゅうしてきたメイドを窘めるように見た。


「塞ぎ込んで、自分の世界に入り込んでいらっしゃって、私の言葉など耳に入っていなかった様だとは思いましたが……一応言わせてもらいますと、伝えましたけどなにか?」


 犯人は、私だった。


「そう、そうです!」


 ファリスが急に思い出したように声を上げた。別に私が犯人であったことを念押ししたわけでは無さそうな彼のその言葉に、ひとまず乗っかることにした。メルの目線が怖かったので。


「どうした、ファリス。」

「私たちはまだ、全てを聞いていません。いや、聞きそびれていた、と言う方が正しいか。」

「何がかな?」

「『ヴァンパイアを追い求める人間がいた場合、その理由は二つしかない』。前にそう仰いましたね。」


 ああ、それか。確かに、伝えそびれていた。


「一つは、『探求心』でしたよね。そして……もう一つの理由。ここまでの話を聞いて、ひょっとしたらと思い当たったのですが……。」


 そして、ファリスは一つの答えを口にした。


 正解。


 私は、彼の回答に対し、肯定の意を以って頷いた。


「シャロンとカーティス君は、復讐のためにヴァンパイアを追っている。その言葉に嘘は無さそうでした。でも、『ヴァンパイアは人を殺さない』。これは自分の死と直結しますから、これは絶対です。つまり……。」

「その残りの仲間のうちどちらかの目的が……。」

「はい、あるいは、両方とも、ということもあり得ます。」


 やれやれ、確かに、ファリスの予想は至極もっともである。

 全く、面倒なことにならなければよいが。


「恐らくは、どこかで、アルクアードかレーリア様のどちらかに接触してくるでしょう。そして、ロチェスター領にずっと留まっているらしい、というところから鑑みるに、アルクアードの方が可能性は高いかと。」


 私は少し考えて、意見を述べた。


「シャロンにしろカーティスにしろ、私やレーリアとの仲介役、橋渡し役として自由にさせているのだろう。であれば、当面二人に危険はないだろう。こちらから何かできる訳でも無い以上、四人で接触してきたらきたで、その時に上手くやるしかないな。」

「……確かに、そうですね。」


 頷く伯爵と主人である男爵を見て、傍らに立っていたメルは嫌な予感が拭い切れないでいた。


 その原因がどこから来るものか分からない。


 しかし、外の人間の接触で、ブラッドバーンが引き起こされた。

 レーリア様があの犬コロにしっかりと教育をしていれば、そもそもこんな事にはならなかった。

 そう言えば、自分が窓口となっている、男爵邸の取引相手の商人と連絡が数日前から途絶えている。

 そのせいで、屋敷の物資が一つ補充出来なかった。お使いの未完は、まだ主人には報告していないが。


 上手くいかない時はとことん上手くいかないものだ。


 しかし、その普段の彼女に見合わない心配が、『初めてできた同性の友達の身を案じている』などという感情であることは、当の本人は知る由も無かったのであった。



******



 カーティス・レインは、その街にいた。

 いや、正確には、たった今到着した。


 レーリアの屋敷を出立してから向こう、ほぼ休みなく夜通しで彼はロチェスターに向かった。幸い、以前にしたこの島の散策で、最短でのルート、夜行の乗合馬車のポイントなどは把握済みであった。そしてようやく、自分とその仲間たちが拠点にしている宿がある街、つまりマックスの宿がある『ロチェスター領ルークシア』に到着したのであった。それはおよそ、シャロン達が、伯爵家の別荘からアルクアード邸に到着した翌日の事であった。


 カーティスは、足早にマックスの宿に向かった。


 彼には、一つの予感があった。いや、予想と言うべきか。


 ヴァンパイアに姉を殺された自分。

 ヴァンパイアに両親を殺されたシャロン。

 レーリアから聞いた、「ヴァンパイアは人を殺さない」というその事実と理由。

 レーリアとアルクアード男爵のあの「ブラッドバーン」


 そして……。


 カーティスは自分の鞄から、ベルトの切れ端のようなものを取り出した。


 それは、彼らが初めにこのアトエクリフ島に辿り着いた時に起きた、フィルモア領でも殺人事件。

 その被害者の傍らに落ちていた、彼の肩に巻き付いていた皮のベルトであった。


 これらを総合して導き出される答えは……。


 もしもそれが真実であったならば……。


 とにかく早くシャロンと合流しなくてはならない。

 シャロンには酷かも知れないが、両親の事件の詳細を、もう一度根掘り葉掘り確かめる必要があった。


 カーティスは、自分の泊まっていた宿に到着した。

 二人はまだこの宿に滞在しているのだろうか。

 二人と言うのは、ヴァンパイアハンターの先輩であり、旅の仲間であったウォーレンとアリスの事だ。

 まあ、別の宿に映っていても構わない。どこに行くにしても言伝くらいは残しているだろうし、ひとまず、優先順位はシャロンとの合流である。


 ゆっくりとマクブライト亭の入口のドアを開ける。


 今は既に深夜。一階の酒場も既に閉店しており灯りも人気も無く、「キィッ」と軋むドアの音が無駄に大きく響いた。


(マックスも居ないのか?)


 不用心だな、とも思ったが、そんなことを気にしている状況では無い。

 カーティスは鞄から取り出したマッチで携帯用のランプに火をつけ、足を忍ばせながら、シャロンとアリスが滞在していた部屋へと足を運んだ。


 不気味に床の軋む廊下を通り過ぎ、部屋のドアの前までたどり着く。そしてゆっくりとノブに手をかけ、部屋の扉を開ける。


 部屋の空気の生温かいが不意に廊下に流れだす。その空気でカーティスは認識する。

 これは誰かが居るか、或いはついさっきまで誰かが居た。そんな空気だ。


 部屋から漏れる灯りは無い。

 二人ともが眠っているのだろうか。

 或いはアリスだけが眠っていて、シャロンはまだアルクアード男爵邸から戻ってきていない、と言う可能性もある。

 それならばそれでいい。このままこの足で男爵邸に向かうだけである。むしろ、そのパターンが最も最善の可能性にも思えた。


 しかし、部屋の中に灯りを差し入れたカーティスは、そのどちらの可能性もが否定されたことに気が付いた。

 この部屋の正面には窓がある。誰も居ない、或いは誰かが眠っているのならば、その窓は綺麗に長方形に浮かび上がり、月明かりを差し込ませているはずであった。

 しかし、そうでは無かった。

 その窓からの灯りを塞いでいる影がある。

 人影だ。

 そのシルエットから推測するに、どうやらその窓の前おいてある椅子に座っているようだ。

 ちらりと部屋のベッドを確認するが、そこには人影は無い。


カーティスはすぐに認識した。


これは、異常事態だ。


 灯りも無い暗い部屋で一人、椅子に座って動かない。

 少なくとも彼の過去おいて、そんなシチュエーションが訪れる経験は無かった。


「……ん……はぁっ……。」


 その時人影がかすかに声を漏らした。

 苦しそうに漏れ出したその声は、彼の聞き覚えがあるものだった。


「……シャロン? シャロン!」


 慌てて駆け寄り声の主を確かめる。

 やはり、その声はシャロンのものだ。

 しかし、その姿を確認し、彼の感じた異常事態がまだまだ終わっていないことは明らかであった。いや、寧ろ、異常事態の予感が、確信に変わった。そう言っても良かった。


 シャロンは、椅子に後ろ手に縛られていた。そして時折苦しそうに、まるで熱にうなされているかのように微かに吐息を漏らしていた。


「シャロン! シャロン!」


 揺さぶってみるが、意識はない。それどころか目を覚ます気配さえ皆無だった。


 何が何やら分からない。

 しかし、ひとまず、相棒の拘束を解いてやらなくてはならない。


 そう思い、彼がランプをテーブルに置いた瞬間……。


 背後から声がした。


「お帰り、カーティス。待ちわびたぞ。」

「ウォーレン……。」


 声の主は、ハンターチームのリーダーのものだった。

 カーティスは用心深くゆっくりと振り向いた。


 本来であれば、互いの労を労い、情報交換にでも勤しむところなのだが、既に状況が違っていた。

 目の前でシャロンが縛られてうなされている。

 それに言及してこないということは、シャロンのこの状況は、目の前の男にとって想定内、と言うことである。いや、まどろっこしい言い方はよそう。シャロンをこうしたのは、ウォーレンだろう。


「それで、何が聞きたいんだ?」

「なんだと?」


 急にそう言葉を発したウォーレンに、思わずカーティスは聞き返した。


「ん? いやなに。こういう時は大抵『聞きたいことがある』ってな問いが相場だからな。先に訊いてやったまでさ。すまんがあまり時間がないものでな。」


 確かに、的を得ていた。ウォーレンに先手を打たれなければ、まんまと「聞きたいことがある」と答えていたに違いなかった。

 カーティスは少しの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。


「思えば……おかしな話だ。」

「ん?」


 怪訝そうに首をかしげるウォーレンをよそに、カーティスは言葉を続けた。


「……シャロンの村は、領地の外れにある過疎村だ。旅人はおろか、隣の村からも人が来ることはほとんどない。」

「ああ、そうらしいな。」

「そして、俺の村も。」


 ここに来る前に、俺は改めて情報を整理した。


 姉リーファも、シャロンの両親も共にヴァンパイアに殺された。

 遺体の首筋には、不可解に空いた二つの穴があった。

 だから、その地が、どんなに領地の外れにあろうと、旅人が訪れない土地だろうと、その犯人を追っていたヴァンパイアハンターが居てもおかしくは無かった。

 いやむしろ、助けられた、とさえ思った。殺害現場と犯人に遭遇したシャロンなんかは尚更だろう。そしてその時、シャロンの両親が殺されたちょうどその日、無性に眠くなった俺は、先に宿で眠りこけていた。

 初めてのアルクアード男爵邸から二人で帰る最中、シャロンは男爵の事をこう言っていた。


「ヴァンパイアの目ってあんなに綺麗な赤色なのね。あんなの初めて見た」と。


「初めて見た」

シャロンは確かにそう言った。


 その時は、俺も、レーリア様に会ったときに俺もそう思った、などと当たり障りのない返答をしたが、よくよく考えてみるとおかしい。

 シャロンは、両親の殺害現場で、顔を隠した犯人の目を、一瞬見ているのだ。


 そして……最後に明らかになった真実。


「なあ、ウォーレン。『ヴァンパイアは人を殺さない』らしい。」

「ああ、どうやらそうらしいな。」


 ウォーレンは相づちを打つことしかしない。聞かれたことは話してくれるのだろうが、聞かれた以外の事は話さないのだろうか。

 クソッ。上手い事言葉が出てこない。俺はどこかで、決定的な言葉を、自分の口から発することに恐怖を感じている。そんな気がしていた。

 もしも、それが真実だとしたら、俺のこの旅は、姉が死んでからの俺の人生は、一体何だったというのだろうか。


「まどろっこしいわね。時間がないと言っているでしょう。」


 不意に部屋の外から声が聞こえた。確認するまでもない。もう一人のハンター、アリスのものだった。


「アリス……。」

「カーティス、あなたも同じことを言うのね? 『ヴァンパイアは人を殺さない』って。」

「ああ。」

「そう、それは真実なのね?」

「ああ。」


 カーティスには、アリスの表情が読めなかった。どこか悲しそうでもあり、深刻そうでもあった。


「そう。大方予想はつくわ。至近距離で殺した相手は、ヴァンパイア化してしまう可能性が高い。違うかしら?」

「……ああ、どうもそうらしい。」


 どうやら、シャロンからそこまで詳しい内容は教わっていない様である。


「そう……。まあ、それじゃあ仕方ないわよね。殺したいほど憎い相手がいたとして、その相手を殺そうとしたら、逆に不死の存在になってしまうんだもの。それに永劫の時を生きるものにとって、相手を殺す方法は簡単。ただ待てば良い。その存在の寿命が尽きるその時まで、ね。」

「ああ、確かに……その通りだ。」


 アリスたちは、シャロンから詳しい話を聞いてはいない。そしてこの『予想』から推察するに、どうやら二人は知らない様だった。


『ヴァンパイアの死の宿命ブラッドバーン』を。


「そう……困ったわね。」


 カーティスの内心をよそに、アリスは、心から残念そうに、かぶりを振った。そしてまたしても、その真意をカーティスは捉えることは出来なかった。


「困った……だって?」

「だってそうでしょ? ヴァンパイアは人間を殺さないなんて思いもよらないもの。人間だって人間を殺すのに。これじゃあ、もうヴァンパイアのせいに出来ないものね。」


 聞いてしまった。決定的な言葉を。

 カーティスは、改めて、微塵でも彼らを、旅の仲間たちを疑いたくないと思った自分の気持ちを恥じた。

 そして、その直後に湧き上がってくる、赤黒い大波のような感情。

 それは憎悪であった。


 最愛の姉を殺したのも、旅の道中の殺人事件も、全てこいつらの仕業だ。

 そして、俺は、その仲間として、一緒に旅をしてきてしまった。

 絶対に……絶対に許さねえ!!


 しかし、全てを忘れて襲い掛かりそうな衝動に駆られたカーティスであったが、それを全力で押しとどめた。


 この二人の事だ、この真実を明かしたということは、自分をこの場で始末するつもりなのだろう。そして、今、もしも自分が急に襲い掛かったら、の時の事も考えているだろう。生き延びるために、少しでも長く、情報戦に持ち込まなくてはならない。


「ヴァンパイアのせい? アリス、何を言ってるんだ?」


 カーティスは、生き延びるために、理解出来ていないふりをした。圧倒的有利に立った悪人と言うのもは、得てして、全てを理解させてから殺したがるサディスティックな心理を持つものである。

 そして、アリスもまた、まんまとその心理を持ち合わせていた。


「カーティス、あなた物分かりが悪いわね。シャロンは気づいていたわよ? すごい剣幕で近寄ってきて『もしかして、あなたたちが犯人でしょ?!』って。おかげで少々手荒くなってしまったけど。」


 アリスのその言葉に、縛られてうなされているシャロンに目をやった。完全に振り向いて背中を向けるわけにはいかないから、横目でちらりと、ではあったが。

 しかし相手を警戒したその動きが、逆にカーティスに敵認定されている事を二人に分からせる行為となってしまった。

 再びアリスとウォーレンに目をやったカーティスは、その向けられた二人の冷たい目に、背筋が凍りかけた。

 例えようのない、その眼差し。

 例えようのない、その表情。

 興味のないものに、無理やり「喜びと悲しみの表情を向けて下さい」、と言われたらこんな感じだろうか。


 そして、カーティスが身構えるより先に、ため息をついたアリスが、言葉を発した。


「ねえ、カーティス。残念だけど、あなたとはここでお別れ。だから最後に、聞きたいことを教えてあげるわ。一緒に旅をしてきた仲間だもの。それくらいは、してあげるわ。」


 ここで逡巡すれば、既にマントの下で銃の引き金に手をかけているウォーレンに、即座に殺されるだろう。

 しかも、聞きたいことは山ほどある。あまり時間は無い、と言っていた。その理由は分からないが。

 少しでも、会話をつなげるしか今は術が無さそうだった。


「お前たちの目的はなんだ!?」


 こう言う状況においては、至極ありきたりの質問を投げかけてしまったが、その刹那、よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりに、アリスの目が見開いた。その目が、妙に気味悪く、『絶対的捕食者の立場+研究職=爬虫類の目』だとしたら、生涯、王立研究所には近づかない、と心に誓ってしまった。


「マックスとか言ったかしら、ここの主人。あいつが言っていた、『ヴァンパイアが人を追い求める理由』って奴よ。あの時はひやひやしたけどね。ねえ、カーティス、質問です。ヴァンパイアを追いかける人間は、どういう人間かわかる?」

「……知るか。」


 クソッ、むかつく。

 普段、冷静沈着で無口な、面倒見の良い姉御だと思っていたアリスが、まるで優越感という酒に酔ったかのように、急に饒舌に質問形式で聞いてくる。

 こんなアリスは見たことが無かった。そしてそんなアリスに違和感を受けた。

 いくら殺人犯だったとしても、長い旅を、苦楽を共にして来たのだ。流石に、その旅の間中、自分の性格を偽っていたとか、猫を被っていたとかは考えにくい。そう、正にこれは、あれである。


(何かに、浮かれている……のか?)


 カーティスが、アリス・ホーリーランドという人間に、似ても似つかわしくない形容をしたその瞬間、ウォーレンが口を開いた。


「……ヴァンパイアになりたい奴さ。」


 その、少し嬉しそうな、少し照れたような、冷たい微笑みを見て俺は確信した。

これが、このウォーレン・コールと言う男の、人には見せない素顔なのだと。


 そして、こいつのこの表情はきっと、人を殺める時にするものなのだろうと。



 (つづく)

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