第20話 布衣之交《ふいのまじわり》

 シャロンとファリス・ロチェスター伯爵、そしてアルクアードが、前ロチェスター伯爵ローガンの墓参りに向かっていたころ。

 つまり、レーリア・クローデット子爵とアルクアード男爵による……二人のヴァンパイアによる死の接触「ブラッドバーン」が発生したころ、その二人の姿は変わらず、マクブライト亭にあった。


 シャロンとカーティスと旅を共にする、ヴァンパイアハンターの二人、ウォーレン・コールとアリス・ホーリーランドである。


 二人は、それぞれヴァンパイアと接触し親交を通じたシャロンとカーティスに情報収集を任せる傍ら、主にロチェスター領で、彼らとは別に情報収集を行っていた。


「もうそろそろ、ここで集まる情報も出そろってきたわね。」


 アリスは、ため息交じりにそう言った。


 彼らも、この数日、暇を持て余していたわけでは無い。彼らが街で詰めて来たその情報量は、机の上に広がる十数枚の紙の量が物語っていた。しかし、それももう限界に達していた。集められる限りのヴァンパイアの情報は、もう出尽くした。アリスはそう感じていた。


 とはいえ有力な情報はそれほど多くはなかった。どれもこれも、「らしい」「ようだ」で締め括られる、定かでは無い情報の集まりだった。


 しかし、そんな中でも、有力な情報はあった。主に2つ。


 一つ、この島には、現在二人のヴァンパイアが存在している、逆に言えば、「ヴァンパイアは二人しか存在しない」という事だ。


 そして、もう一つは、その片方の「レーリア・クローデット子爵」は、「アルクアード・ブラッドバーン男爵によって、ヴァンパイアとなった」という事だった。


 彼らにとっては、この情報がえられただけでも僥倖ぎょうこうであった。


 後は二人の帰りを待つ。

 それ以外に、彼らが出来ることは無かった。


「ああ、後は、シャロンと、カーティス次第だな。無事に帰ってくると良いが。」

「何、心配?」


 難しい顔をするウォーレンに、茶化すように冷やかしの視線をアリスは送ったが、意外にもウォーレンは、照れ隠しもなく、兄貴分の顔を崩さずに言った。


「ああ、そりゃあな。ここまで一緒に旅を続けて来たしな。」

「そう……。そうね。」


 普段ならば、「やめてよ、気持ち悪い」とアリスに一蹴される場面ではあったが、珍しくアリスは、そんなウォーレンの言葉に同調した。


 その後、何とはなしに沈黙が訪れた。それはまるで、二人の弟分妹分との別れが近い、そんな予感を予期させるような沈黙であった。

 そして、その沈黙をアリスが打ち破った。


「シャロンってさ……いいよね。」

「ん? なんだ急に。」


 優しい顔をして、遠い目をするアリスに、ウォーレンは戸惑った。常に冷静で、理論的で、現実主義のアリスから、そんな言葉を聞くとは思ってもみなかったからだ。


「明るくてさ、前向きで、可愛い。泥やすすにまみれていなきゃ、そこらの貴族の娘に負けないくらい器量だって良い。」

「……まあ、そうだな。少し泣き虫だけどな。」


 アリスのこの感じは気持ち悪かったが、ウォーレンは素直に彼女の言葉に頷いた。それくらい、アリスのシャロンに対する評価は正しかったし、そう素直に思ったからであった。


「正直、カーティスが何でシャロンとそういう仲になろうとしないのか、理解出来ないわよ。」

「全くだ、唯一の年頃の異性だというのに。」


 ウォーレンは再度、アリスの言葉に同調したが、アリスの意を測りかねていた。

 彼女は何が言いたいのだろうか。本当はシャロンとカーティスがくっついて、一緒にヴァンパイアハンターの旅を辞めて欲しかった、などと親心をちらつかせでもしている、とでものだろうか。


(いや、それだけは絶対にありえない。)


 頭に沸いた、可能性の薄すぎる予想をウォーレンは打ち消した。そもそも、我々がシャロンやカーティスを連れて旅をしているのも、ただの二人の仇討ちの手助け、という慈善事業では無いのだから。


「落としてはいたけどね。化粧をね、していたのよ。」

「ん?」

「シャロンが。」


 ウォーレンは、アリスの言葉の意図の要領を得られずにいたが、何も言わずに彼女の言葉を待った。アリスがこういう遠回しな話し方をするときは、必ず何か大切な核心を持っている事を知っていた。


「初めて、男爵とやらの屋敷から帰ってきた時の事よ。」

「そうなのか? 私には全くわからなかったが。」

「でしょうね。」


 普段ならば小馬鹿にしたようなニュアンスを込めてくる返しだったが、アリスはそんな素振りも無く、真剣な表情でウォーレンに向き直った。


「ねえ、ウォーレン。憎しみに燃えるヴァンパイアハンターの少女が、ヴァンパイアを追いかけて、その先で化粧を施されて帰って来たのよ。」

「……言っても貴族の館を訪ねたんだ。途中で身だしなみを整えたのかもしれん。」

「あの子が、そんな事まで頭が回ると思う? 銃を乱射して突入するのがオチよ。」


 アリスにそう指摘され、自分の考えがいかに現実から程遠いものかを思い知るほどに、アリスのシャロンへの指摘は的確だった。そして、もしもこの場にシャロンが居たならば、「なんでわかんのよ!」と怒鳴った事だろう。


「では、一体どういう……?」


 そう言ってアリスの顔を見たウォーレンは、思わず凍り付いた。

 アリスは、彼が見たことも無いほど……、


 薄気味悪い微笑みをたたえていた。


 そんなウォーレンの表情に気づいたのか、アリスは、わざとらしく咳ばらいをしてごまかした後、いつもの表情に戻って、改めてウォーレンに向き直った。


「そろそろ次の段階に移行しましょうか。」




******




 夢を見ている。


 彼は、そう認識した。


 そしてその後、更に、その認識に、確信をもって付け加えた。


 悪夢を見ている。


 また、この悪夢を見ている。


 と。


 でも、どうせ、いつもと同じように、何も抗えることなく、進んでいくのだ。


(くそっ!)


 そして、夢の中の彼は、あの時の出来事を繰り返していた。


「……姉さん、今日もここにいたんだ。今日は一段と冷える。風邪、引くよ。家の中に入ろう。……もう、兵隊さんはみんな帰って来たって……。姉さん、きっと、彼はもう……。いや、何でもない……早く帰ってくると良いね。」


 過去の彼、カーティスは姉にそう言った。

 戦争は終わった。しかし、姉リーファの恋人を、優しい自分の兄同然だった彼、フリック兄さんを連れて行ったその戦争は、彼を返してはくれなかった。


 戦争が終わり、フリックにぃの死亡通知が届いたのは、去年の夏。それから寒い冬が来て、年が変わり、そしてまた夏が来て、終わり、二度目の冬が訪れた。痩せこけた姉は、最愛の人の帰りを、今日も家の外で待っていた。


 そして、そんな日が続いた数か月後、とうとう、仕事から帰ったある日。


 姉は倒れていた。


(だって、もう耐えられなかったんだ。フリックにぃだけじゃなくて、このままだと、最愛の姉さんまで……。)


 虚空に向かって、意識下のカーティスは言い訳をした。その瞬間、目の前に、次のシーンが展開した。


「姉さん、もう言わせてもらうよ! 姉さんも新しい幸せを見つけた方が、彼もきっと喜ぶって。だって、戦争が終わってからもう二年だよ! もう……もう……帰ってこないって! フリック兄は……死んだんだって!」

「フリックが……し、死んだ?」


 弱った体で、しかし、驚いたように、この世のものでもないものを見たかのように目を見開いて、姉リーファはそう言った。


 姉は、少しも彼の死を信じてはいなかった。

 必ず、別れの時に約束したように、生きて帰ってくることを信じて疑わなかった。

 目を瞑っていただけかもしれない。

 恐ろしい事実から目をそむけていただけかもしれない。


 しかし、これだけは事実だった。

 これだけは確信した。


 姉の耳に、姉の心に、


『フリックが死んだ』


 そう初めて告げたのは、自分だと。


 どんなに姉を想おうが、どんなに姉を心配しようが……、


 姉の心を殺したのは、姉の心にとどめを刺したのは、

 自分なのだと。


 そしてそれは、

 「姉の為」と言う大義名分を振りかざして隠ぺいした『軍からの死亡通知書』で知らせるよりも残酷な事をしたのだと。


 それだけは……分かった。



 リーファはそれから、泣き崩れ、部屋から出なくなった。



 そして……。その数日後。

 その日がやってくる。


 カーティスの夢は、無慈悲にも、またその日を映し出した。


 その日のカーティスは、少しでも姉が元気になるようにと、いつも通りわざとらしくおどけて大声を上げ、家に戻って来た。


「ただいま、姉さん。いやー今日はしんどかったよ、親方がさ、若造は金払ってでも苦労しろ、とか言ってさ……。」


 そこで気づく。

 家からするはずもない臭いに。

 涙がにじむほどの、むせ返るような鉄の匂い。


 慌てて、家の中に駆け込む。


 そこには、首から血を流し、変わり果てた姿で転がる、姉の骸があった。


「あ……あ……。ああああああああ!!! うわあああああ!!!」


 喉が潰れんばかりに悲鳴とも怒号ともつかない叫び声を上げた。

 それを聞きつけて、慌てて人が入って来た。


「なんだ!? どうした!? ……うわ……なんてこった。ひでえことしやがる。」

「首の傷を見て……これは……ヴァンパイアの仕業ね。」

「くそっ! すまねぇ! 俺たちが取り逃がしちまったせいで……こんなことに……。」


 入って来た男と女はそんな会話をした。


「ヴァンパイア……?」


 視界が歪む。

 怒り、憎しみ、恨み。

 感情に蝕まれ、人間であることを保てなるような感覚。


 そして……。



「うわっ! ……はあっ……はあっ……。」


 彼は、目を覚ました。


 正直、ここしばらくはここまで鮮明なあの夢は見ていなかった。それゆえに、今回の夢による精神的負荷は、彼のびしょびしょになった衣服を見れば毅然であった。


 ひとまず袖で汗をぬぐい、呼吸を整えた。


(ここはどこだっけ。)


 まだ頭が働かず、落ち着いて記憶を思い返してみる。すると、徐々に、先日のことがよみがえって来た。


(そうか……。)


 先日、ロチェスター領の墓地で、アルクアード男爵とレーリア様の「ブラッドバーン」とやらを目撃した。そして、慌ててここフィルモア領にレーリア様を連れ帰り、疲れ切っていた自分も、借りていた客間のベッドに倒れ込んだのだった。

 挙句にこんな夢を見てしまった、と言う訳だ。それほど、昨日の事件は、彼にとってはショックだった。


 コンコン。


 部屋の扉をノックする音がした。この屋敷に居るのはレーリア様と使い魔のフィオだ けである。フィオは、客間に入る時にノックなどしないから、来訪者の主は容易に特定できた。


 彼は慌ててベッドから飛び起き、この館の主を迎えに上がった。

 扉を開けると、予想通り、赤い目をした、赤いドレス姿の美しい館の主が立っていた。


「起きたのね、カーティス。」

「……レーリア様。すまない、眠りこけてしまった。」

「いいえ。それに、ありがとう。あなたがここまで運んでくれたのね。」


 レーリア様は、昨日の事をどこまで覚えているのだろうか。少なくとも、アルクアード男爵と目が合う瞬間までは、レーリア様は正気だった。それに、アルクアード男爵の使い魔のあのツンツン猫娘は本気でフィオにブチ切れていた。つまり、どう考えても、昨日のアレを引き起こした犯人は自分とフィオの二人の用だった。

 カーティスはそう思い、レーリアの傍らに、伏し目がちに立っていた使い魔に目をやった。彼も、昨日、あちらの猫娘に怒鳴られて以降、元気が無かった。


「自分の主を滅ぼす気か!」


 以前、男爵邸でも会った、あのメルとかいう使い魔は、確かにそう言った。レーリア様の忠実なしもべであるフィオにとっては、ショックな言葉だったに違いない。

 ともあれ、事の主犯は自分である。まずは彼の擁護に入ってあげるべきだと、カーティスは思った。


「ああ。……その、フィオは悪くないんだ。俺が、その、レーリア様が寂しがっているみたいだったから。」

「……もう、察しがついているのね。ヴァンパイアが引き起こす『ブラッドバーン』の。」


 しかし、カーティスの考えをよそに、レーリアは核心を突いた質問を口にした。

 確かに、カーティスには、昨日の事件については、確信めいた予想があった。しかし、今は、「罰せられるべきはフィオでは無く自分」という意志表示の方が先決であった。


「いや、あの。」

「良いのよ、カーティス、フィオも。あなたにも、フィオにも、教えていなかった私が悪い。全ては私の責任。」


 レーリアはそう言って、頭を下げた。

 仮にも子爵閣下である。こんな、迷惑をかけたゴロツキ風情の自分なんかに頭を下げることがあってはならない。

 カーティスは慌ててレーリアの行動を制した。


「ままま、待ってくれ、俺が悪い! レーリア様が頭を下げる必要なんかねぇ!」

「いいえ、私が悪いのです。ごめんなさい、カーティス。」

「いや、俺が悪いんだ、すまねぇ。」


 二人して頭を下あってしまう奇妙な行為に気づき、二人は顔を見合わせた。そして思わず、どちらともなく笑みがこぼれる。


「はははは。」

「ふふふ。」


 カーティスは嬉しかった。

 姉と重ねて見ていたレーリアと、お互いに謝罪し合い、笑いあう。

 ずっと姉に謝りたかった。ずっと、姉と、こんな風に笑いあいたかった。心の奥底でくすぶっていた姉への贖罪の気持ち。それがほどけて行くような気がした。


「ありがとう……。」


 思わず微かにこぼれたその感謝の言葉がレーリアに聞こえたかどうかは分からなかったが、カーティスはそう呟かずにはいられなかった。こんな些細な日常の一コマが、彼がこれまでの数年間抱えて来た沈鬱ちんうつたる気持ちを霧散させてくれたのだから。


「分かった、お互いに謝るのはよそう。レーリア様、ヴァンパイアが、その……そういうのだって知っていたら、男爵と引き合わせたりしなかった。だから教えてくれ。ヴァンパイアについて、全てを。」


 カーティスの力強い言葉に、レーリアは少し驚いたような表情を見せた。そして、少し考えるように目をつぶると、何かを心に決めたように顔を上げ、部屋の窓際に近づいた。


「……ありがとう、カーティス、フィオ。」

「え?」


 外の景色を眺めながら、レーリアが礼を言った。その意味はカーティスには分からなかった。


「もう一生会えないと思っていたのに、会えた。……それに、良かったわ。新しく隣にいてくれる人が見つかって。彼が寂しい思いをしていないのが分かって、本当に良かった。」


 レーリアはアルクアード男爵を愛していた。

 それはカーティスも理解していた。

 しかし、今でもなお、彼女のアルクアード男爵への深い想いと感謝は、ずっと残り続けている。

 それが分かる言葉を聞いて、カーティスの胸は苦しくなった。

 姉、リーファとどちらが苦しいだろうか。

 帰ってくるか分からない恋人を待ち続けるのと、殺し合ってしまうがゆえに一生会えない人を想い続けるのと。


 カーティスの沈黙をおもんぱかってか、レーリアは振り向いて、自嘲気味に続けた。


「……これがヴァンパイアの存在意義なのよ。」

「……存在意義?」


 急に出て来たその言葉に、カーティスは戸惑った。


「もしも、私が、私の命を犠牲にしても助けたい人が居たら一度だけ助けることが出来る。そうして私を滅ぼしてヴァンパイアになったその人も、自らを犠牲にして一度だけ誰かの命を助ける。本来死ぬはずだった者が、生き永らえ、この延命装置を愛する人に引き継いでいく。それがヴァンパイア。アルクアードに貰ったこの命は、私が愛した誰かに、永遠の命を引き継ぐための宿り木。」

「……そんな。」


 なんでそんな言い方をするんだろう。まるで、自分の存在が、自分以外の誰かの為でもあるかのような、そんな言い方を。


 カーティスは、自分の心に沸いたどうしようもなくモヤモヤした感情を抑えられずに、顔をしかめた。


「そんな顔しないで。死ぬはずだった私はあの時生きたいと願って、生き永らえた。彼から命を貰ったの。アルクアードは神の作ったこの宿命に抗って、今も生きている。ヴァンパイアが増えすぎたら、いたるところで殺し合い起こってしまうけど、今のヴァンパイアは私とアルクアードの二人だけ。お互いに二度と近づかなければもう大丈夫よ。」

「そうじゃねぇ!」


 カーティスは思わず声を荒げてしまった。


 そんな事はどうでもいい。

 アルクアード男爵も、レーリア様も、リーファ姉さんも、なんでそうなんだよ。どいつもこいつも、美しく自己犠牲しやがって。


「どうしたんだよ、カーティス。」


 急に声を荒げたカーティスに驚いたフィオが、心配そうに声を掛けるが、カーティスのもやもやした気持ちは収まるはずも無かった。


「くそっ! なんなんだよ、どいつもこいつも畜生! むかむかするぜ!」

「おい!」


 流石にあまりに礼を逸した発言にフィオも強めに諫めるが、今度はレーリアがそれを制した。


「良いのよ、フィオ。……ありがとう、カーティス。貴方は優しい人ね。」

「……レーリア様。」

「貴方も昔、大切な人を失ったのでしょう?」

「……ああ。」

「もしも貴方がヴァンパイアだったら、その人を救ったかしら。」


 カーティスは答えに窮した。


 そんな事、考えもしなかった。

 姉さんを失いたくはなかった。

 でも、仮にアルクアード男爵と同じ方法を取ったとしても、二度と会うことは叶わない。

 会えば最愛の姉さんを手にかけてしまうかもしれない。

 偶発的に会うことが無いように、絶対に手の届かないところへ行かなくてはならない。

 それにその後、フリックにぃと俺を失った姉さんが、一人で、たった一人で、長い長い時間を、一体何を思って生きて行くのだろうか。


「……わかんねえよ、そんなの。」


 歯を食いしばり、窓の外を見つめたままのレーリアに、その言葉を絞り出すのが、カーティスには精いっぱいだった。


「そうね。」


 確かにカーティスには、レーリアの問いに明確な答えを返すことは出来なかった。

 でも、彼は認める訳にはいかなかった。

 それを認めてしまえば、姉と同じような大馬鹿野郎二人の言い分を認める事になってしまう。

 それこそ、彼の存在意義の否定に他ならない。

 そんな気がしていた。


「……でもな。」

「でも?」

「大馬鹿野郎だ。あんたも、アルクアード男爵も。」

「どうして?」


 カーティスの不敬な言葉には気にも留めずレーリアは聞き返す。それほど彼の言葉には何かの意志を感じた。同じく、貴族を馬鹿呼ばわりした不敬など気にも留めず、カーティスはまくしたてた。


「存在意義とか、宿命とか、そんなので納得しちまってるあんたらは大馬鹿野郎さ。」

「仕方ないわ、それが私たちの存在している理由だもの。」

「仕方なくねえ! そうかもしれねえけど、そんなの関係なく、あんたらだって普通に幸せになって良いはずだ!」

「普通の幸せ……。」


 レーリアには、その言葉の意味が分からなかった。人であった時も、ヴァンパイアになってからも、「普通の幸せ」などとは縁遠い生を歩んできたのだから。

 死ぬために旅をし、愛する人と離れる「目前の死」を恐れ、死を免れれば今度は愛する人を失う。


 それが、彼女の「普通」だった。


 彼は、アルクアードは確かに言った。「叶う願いは一つだけだ、二つは叶わない」と。

 だから、一つを叶えてもらった。

 でも、決して幸せでは無かった。

 だったら、

 だったら「普通の幸せ」とは、一体何だというのだろう。


「ああ、そうさ。普通の人間と同じように、一生懸命生きてさ。前に進んでさ。また幸せ探してさ。」

「……探す。」

「ああ。このフィルモアにだってあるだろう。レーリア様を慕っている島民だって沢山いる。『レーリア様がフィルマの花を管理してくださるから、不法な採集も無く安泰だ』って、港町サヴァトマの酒場の主人ヤンは言ってたぜ。お美しい子爵さまと一度お話してみたいって声だって、商店主から町娘にいたるまであちこちから聞こえてくる。」

「……なぜ、あなたがそんな事を知っているの?」


 この島に来て間もない彼が、そんなに島民と親しくなって、そんなことまで話しているはずがない。レーリアはそう思ったが、カーティスは笑って返した。


「俺はヴァンパイアハンターだぜ。」


 ヴァンパイアの前で堂々とそう宣言する彼に、レーリアは思わずきょとんとしたが、そんな彼女の顔を見て少し笑いながらカーティスは続けた。


「つまり、レーリア様の情報はほとんどの町から収集済みさ。まあ、はじめは極悪非道のヴァンパイアの情報を聞き出したかったんだけどな。参ったぜ。『領地のヴァンパイア様』の話を自慢げにする島民のみんなが、そりゃあ幸せそうでさ。」

「みんなが、幸せ……。」

「ああ、どうやらロチェスターでも、フィルモアでも、ヴァンパイア様はこの島の自慢の守り神らしい。宿命だの存在意義だのに縛られて、それを分かってねえのは、男爵とレーリア様、あんたらお二人だけだ。」

「でも……私たちは人と、みんなと同じ時間を歩むことは出来ないのよ。普通の幸せなんて。」

「そんなの関係ないって、それこそ男爵様に教わったはずだろ?」


 レーリアは不思議だった。


 理詰めで一つ一つ、逃げ道を塞がれているような、そんな感じなのにもかかわらず、何故、こうも彼の言葉は、一つ一つ、自分の視界を遮っていた壁を壊していような、そんな気分になるのだろう。なんでこうも、自分の半分も生きていない様な若者の言葉に、こうも説得力があるのだろう。


 理不尽に兄を失い、不幸に姉を失い、泥と怒りと憎しみにまみれて、騙し騙されて旅を続けて……。

 もしかしたら、彼の生きて来た人生は、私などが想像もつかない程、壮絶なものだったのかもしれない。

 それでいて、それでいて尚……

 私に笑いかけているのだとしたら。


(もしそうなら……)


 レーリアの中で、一つの気持ちが芽生え始めていた。


「それに、もしも辛い事がまた起こっても、それは時間が癒してくれる。時間だけは無限にあるだろ?」

「……あなたももう癒えたの? 辛い過去は。」

「少なくとも、毎晩泣いて、夢に見ることは無くなったな。」


 笑ってそういうカーティスの表情が、レーリアには眩しく見えた。


(もしそうなら……)


(なんて、強さなのだろう。)



「どうしたんだ、レーリア様?」



(私も、この人のように、強くなれるのだろうか。)



 レーリアは、初めて抱くその感情を自覚した。


 強くなりたい。


 アルクアードから貰ったこの命を使って、フィルモアの皆の為に。

 彼の生きて来た地獄が私を導くなら、その私は、彼が味わってきた地獄を起こさないような世界を作ろう。


 とりあえず、レーリアには今二つ、目の前の彼に伝えたい言葉が出来た。


「……あなたの方が、よっぽど長生きしているみたいね。」


 レーリアは、そのうちの一つ、「本題の前の照れ隠し」を皮肉っぽく伝えた。


「これじゃ私の方が、『自称ヴァンパイア』みたいよ。」


 そして、いざ、大切な方の言葉を伝えようとした時……。


 カーティスの表情がこわばった。


 そのただならぬ雰囲気に思わずレーリアは息を飲んだ。


「……カーティス?」


「『自称』……? 長生き……? ……まさか……そう言う事か……。シャロンの時も、確か……。」


 急に考え込みながら、ブツブツと呟くカーティスをレーリアは見守ることしか出来なかった。それほど、彼の表情は真剣そのものだった。

 そして、しばらくして考えがまとまったカーティスは、レーリアに向き直った。


「レーリア様。やり残したことがある。恐らく、俺の旅はこの島で止めだ。終わったらまた会いに来ます。構いませんか?」

「……待ってるわ。」

「良かった。」


 そう言うやいなや、自らの荷物を引っ掴むと、カーティスはレーリアに一礼してから、走りだした。

 玄関を抜け、屋敷から遠ざかっていくその姿を、窓外そうがいに追いながら、レーリアは、先延ばしになってしまった、伝えられなかった方の言葉を胸の奥にしまい込んだ。


 彼は帰って来る。そう言ってくれた。だからきっと、遠くない未来に伝えられる。


 私が強くなるまで、私を支えて欲しい、と。


 しかし今は、その代わりに沸きだした言葉を、傍らで成り行きを見守っていた使い魔にこぼすのであった。


「フィオ……私は、弱い女ね。」



(つづく)

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