クエント vol.01 ヒモ男と愛人やってた女

志麻寺みのら

第1話 ヒモ男と愛人やってた女

 里中裕人さとなか ひろとのスマホに見知らぬ番号からの着信があった。敢えて出ずにいたが、向こうも、なかなか切ろうとしない。放っておいたら、やっと切れたので、画面に表示された相手の電話番号をパソコンで検索してみたが該当はなく、どうやら悪質なセールスとか勧誘の類ではないらしい。


 その夜、同じ番号から、また着信があった。「あ、まさか…」ちょっと悪い予感がしたので出てみることにした。


「…里中さんですか?ダニエル・フレッチャーの婚約者の橋場美和はしば みわです。

 先月、三人でアイリッシュパブで飲んだんですけど…覚えていますか?」


 たしかに彼女とは先月、新宿のアイリッシュパブで飲んだ記憶がある。ただ、この先の展開は読めた。彼が消えたんだな。橋場さん、彼の本名はアーサー・バンフィールドだよ。そのダニエル・フレッチャーは偽名ね。


 電話の内容は裕人の予想どおりだった。結婚を前提にダニエルと同棲していたが、出掛けたまま帰ってこない。着替えや荷物は部屋に残っているけど、スマホも通じない。事故にでも巻き込まれたんじゃないか心配している等々…


「ダニエルは、置手紙を残していませんか?」


 アーサーが女性を見切って出て行くときは、置手紙を残していく。それがあったら、彼は二度と戻らないとわかる。


「…はい。彼のメッセージがありました。内容はちょっと勘弁してください。

 でも、私たち喧嘩とかしてないし、いなくなる理由がないんですよ」


 裕人は置手紙の内容を知っていた。なぜなら、昔、アーサーに頼まれて、その文面を考えてやったからだ。3パターンを用意したけど、今回は、どれを使ったのかな。

 三人で飲んだとき、知り合って一ヶ月とか言ってたから、合計二ヶ月か。アーサーにしては短い。たぶん彼女がアーサーが嫌になるくらい、しつこく結婚を迫ったか、地雷女なんだろうな。


 橋場美和は二人が、どれだけ愛し合っていたかを懸命に語っている。裕人にとってはどうでもよかったが、一応、最後まで聞いた。


「…橋場さんの御心配も無理ないです。

 このところ、ダニエルから連絡がないと思ってましたが、

 まさか、そんなことになっていたとは。

 私の方でも、彼を知っている友達に聞いてみて、

 何かわかったら橋場さんに、すぐに御連絡しますね。

 大丈夫、きっと彼は元気にしていますよ。

 そのうち、ひょっこり帰ってくるかも」


 頭の中に埋め込んである定型文を告げながら、心の中では呟いていた。


「お気の毒に。アーサー改め、あなたのダニエルは、もう戻らないし、きっと今頃、別の女と暮らしている」


 電話の後、アーサーのフリーメアドに「橋場美和から電話あり」とメールすると20分後に、アーサー本人から着信があった。


「ミスターPCT、いつも面倒を押し付けてごめんなさい。助かりました。

 美和は、何か言ってましたか?」


 ミスターPCTとは、Mr.Proper con trick、「ちゃんとした人たらし」の意味で、アーサーが里中裕人に与えた称号だ。アーサーは裕人のことを自分と同族と思っており、いつでもヒモ暮らしができる人材だと太鼓判を押してくれたが、裕人は、そんな裏人生は真っ平御免だった。


「うん。ダニエル・フレッチャーの婚約者だとか、

 いなくなる理由がないとか言っていた。

 怒っている様子はなくて、行方を探してる感じだったけどね。

 今回の橋場さんは二ヶ月と随分と短かいけど、何があった?」


「彼女はメンヘラちゃんだったよ。

 部屋はゴミ屋敷で、どこを歩けばいいかわからなかったし、

 食べ残しや飲み残しが、あっちこっちに置きっぱなしで、

 すごく臭かったし、小さい変な虫が沢山いた。

 感情の起伏が激しくて、突然、怒ったり、泣いたりする。

 仕事は美容師って言ってたけど、正確には元美容師で、

 デリヘルの風俗で働いてた。いや、それは別に全然OKなんだけど、

 結婚願望が強過ぎで、いつも婚姻届けを出そうって言うの。

 ずっと誤魔化していたら、急に夜中に起こされてね。

 彼女が包丁を持ってて、明日、婚姻届け出さないなら、

 今、お前を刺すって言うから『明日、区役所に行く』って嘘ついて、

 とりあえず、彼女を抱いて突きまくって、疲れて寝た隙に逃げた」


「それ、相当ヤバい奴だよ。そんなもん2~3日で逃げろや!」


「相手を満足させてから逃げるのがポリシーだから。

 部屋を片付けてキレイにするのが時間掛かったんだよ。

 今はピカピカ。でも、また汚れるな。

 あと生活時間が昼夜逆転してたから、一緒に寝起きして、

 朝起きて散歩とかしたよ。結構、心も健康になってたんで、

 刺すって言われるとは思わなかったよ」


「ヒモなんだか、心理カウンセラーなんだかわからんな。

 今は、もう新しい女のとこ?」


「そう。今度は38歳の看護師の鍛冶沢かじさわさん。

 町田市にいるけど、この人は久々の大当たり。長く暮らせる気がする。

 近いうちに、いつものように信用できる友達として、

 サトナカさんを紹介するから、そのときは、よろしく!」


 里中裕人とアーサー・バンフィールドは、もう10年以上の付き合いだ。彼はイギリス人で身長は185㎝もあって、ジェームズ・ボンド俳優のダニエル・クレイグに似ており、元イギリス軍兵士だったので体格も良い。

 以前、香港に住んでいた頃は、人気俳優やアスリートのそっくりさんを抱える芸能事務所からスカウトされたこともあった。そのため、女性相手の偽名には、しばしば「ダニエル」を使う。年齢は裕人より10歳上だった。


 彼は2016年頃から、女性を点々として生きているkept man(ヒモ男)をやっているが、自分で決めたルールを几帳面に守っていた。


 まず、声を掛けるのはプライドが高い美人な30代半ば以上の女性。それより若い女性は、男性不信になっては可哀想なので、向こうから近づいてきても、どんなにタイプでも絶対に相手にはしない。

 美人を狙うのは、彼女たちは容姿に自信があるので、声を掛けられて当然と思っているし、プライドが高いと彼が逃げた後でも、決してヒモ男に騙されたとは言わず「外国人の彼氏とは、お別れしたの」みたいな説明で済ませてくれるので、都合がいいらしい。


 結婚詐欺師ではなく、ヒモなので女性の財産は奪わず、与えてもらうのは衣食住のみ。女性が気持ちよくなってもらうため、料理、洗濯、掃除はもちろん、求められたら、いつでも何度でも抱くし、一緒にいるときは、彼女を褒めまくり、愛しているを言いまくる。


 過干渉な女性だったり、執拗に結婚を迫られたり、精神を病んでいたら逃げるが、逃げた後、誰にも相談できないと大変なので、信頼できる日本の友人として、里中裕人を紹介しておく。事実、アーサーが消えると、ほぼ全員が裕人に連絡してくる。


 もう戻らないという意味で、女性の部屋には置手紙を残す。手紙の文面は、アーサーに頼まれて、数年前に裕人が書いた。


「君との思い出は生涯忘れない。いなくなった理由は聞かないで。愛してる」

「君のことは愛している。でも再び旅をしたくなってしまった私を許して欲しい」

「君の結婚相手として相応しくないので身を引く。どうか幸せになって欲しい」


一応、三種類あり、アーサーが自筆で書いて置手紙とし、女性から電話があったとき、この手紙の有無を聞けば裕人は、アーサーが本気で出ていったか確認できた。


____________________________



 アーサーは、元駐香港イギリス軍の軍人で、1997年の中国への返還と共に一旦は本国に帰還したが、香港人の恋人がいたので除隊して香港に戻ってきた。

 彼女のアパートで暮らし、貿易会社に勤めていたが、2006年に映画「007 カジノ・ロワイヤル」が公開されると彼の生活が一変した。この映画から、ジェームズ・ボンド役の俳優がダニエル・クレイグに変わったが、アーサーは彼に似ていたので、信じられないくらいモテるようになった。

 屋台で食事をしているだけで、女性から電話番号を書いたメモを渡されるし、仕事をしてても、お誘いが途切れない。当然、彼女とは喧嘩が絶えず、アパートを追い出されたが、すぐに拾ってくれる次の女性が現われる。それを繰り返す生活をしていた。


 一方、大学卒業後、食品商社に就職した里中裕人は、勤続3年目の2008年、海外新規事業のメンバーに抜擢される。事業内容は、日本の大手水産会社が中国広東省で展開していたアナゴの養殖事業から撤退することになり、その施設を丸ごと買収した香港の投資会社と合弁企業を設立して、運営を継続することだった。

 養殖場を共同運営する合弁企業は、裕人の勤務する会社の香港支社と同じビルに置かれたが、先方から派遣されてきたのがアーサー・バンフィールドだった。彼は、英語・広東語・日本語ができて貿易実務経験もあるので、両企業の連携・連絡役だった。


 香港でアーサーと最初に会ったとき印象は、やはり「007だ!」だった。お互いの自己紹介を済ませるや「サトナカさん、彼女いますか?」と日本語で聞いてくるので「いない」と返事すると、アーサーが裕人を指差しながら広東語で何か話すと、居合わせた数名の香港人女性スタッフがワーと盛り上がる。


「彼女たちは言ってますよ。サトナカさんはカッコイイって。

 だから、サトナカさんに彼女がいるか気にしてる。

 私は彼女たちの疑問を解決しました」


「自分ではカッコイイと思ってない」と謙遜すると、それを聞いたアーサーが広東語で何か言ったら、女性たちが前にも増して盛り上がっている。


「謙虚は日本人の美徳ですね。でも今のケースではどうかな?

 だから『私はカッコイイです。しかも恋人募集中です』と言っておきました。

 サトナカさんは自分の武器が何か考えるといい。

 同じことをオオスミ部長やタケダ課長が言ったら嘘だし、恋人募集はキモイ。

 人によっては、セクハラにも感じるよ。

 でもサトナカさんは許されるし、明るく言えば冗談とわかるだから楽しい。

 男性多い仕事場に冗談言う美人がいると、みんな嬉しいよね?同じです」

 

 彼は年齢が10歳も上だったが、不思議と馬が合い、二人で養殖場への出張に行くことが多かった。彼から香港での仕事のやり方から、香港人女性の口説き方、上手な別れ方、酒の飲み方など、大人に大切なことを色々と教わった。


 彼に日本語をどこで勉強したのか聞いたら「前の彼女が日本人学校の先生でした。彼女が丁寧に教えてくれたし、私も彼女と話したかったんで、一生懸命に勉強した」とのことだった。


 香港暮らしに裕人が慣れてくると、アーサーは彼を飲みに誘うようになった。最初は道路に椅子とテーブルを並べただけの下町の露店や、地元民で溢れている子汚い店だったが、やがて名物料理のある店になり、半年後にはビジネス街のお洒落な店に連れて行ってくれた。


「サトナカさん、私は香港に住んでいる日本人の女性と仲良くなりたいんだよ。

 だから、口説くの手伝ってよ。

 その代わり、サトナカさんが香港の女の子を口説きたいときは、

 私が広東語で手伝うから」


 お互いの得意な言葉で女性を口説くなんて、そんなに上手くいくのかよ?そもそも俺は香港女性と付き合う気がないと裕人は思っていたが、アーサーの広東語の御陰で女優のビビアン・チョウ似のキャサリン・チャンという彼女が簡単にできたし、アーサーは裕人のアシストで、香港の金融企業で働く日本人女性の朝倉真由美あさくら まゆみと知り合うことができた。


 養殖事業は三年目にアナゴの出荷量が飛躍的に増えて、完全に軌道に乗った。裕人には「香港の仕事は年内一杯までで、来年から、新規の国内プロジェクトに加わってくれ」と内示があった。


 裕人が今の仕事から離れると聞いたアーサーは、この事業には裕人が不可欠だと、自分の所属する香港の投資会社への転職を強く勧めてきた。提示された年収は魅力的で、嬉しかったが裕人は断った。着任当初は、あれほど気に入ってた香港の街の喧噪と活気にワクワクしなくなっていたからだ。


 裕人が東京に戻った翌年、アーサーから日本人女性と結婚したという手紙が届いた。朝倉さんとは別人物で、旅行会社の添乗員をやっている松岡さんという女性だった。

 結婚後、日本に来て、松岡さんの故郷である埼玉県に住んでいたが、彼女の束縛に耐えられずに5年で離婚する。それ以降、知り合った女性の家を点々とするヒモ生活を始め、里中裕人にも手を貸して欲しいと連絡してきた。


 ____________________________


 看護師の鍛冶沢聡美かじさわ さとみが、裕人のところへ連絡してきたのは、橋場美和から電話のあった半年後だった。用件は案の定、同居していたグレッグ・バーグマンが消えただった。


 ただ、これまでと違うのは、彼女は一度、結婚に失敗していたので、グレッグことアーサーに結婚を迫ったことはなく、性格的にも過干渉や束縛するタイプでもないし、橋場美和のようにメンタルがヤバいということもない。

 裕人と三人で飲んだのも一回だけでなく、香港時代の二人の話を聞くのを楽しみにしており、また、アーサーの口から彼女に対する不満も聞いたことがなかった。


 しかし、置手紙があったので、確実に別れるつもりで出て行ったのは間違いない。いつものようにメアドにメールを送ると「聡美には申し訳ないことをした。彼女は本当の天使だった。幸せになって欲しい。ミスターPCT、今まで散々迷惑をかけたけど、これで最後だ。ありがとう」と返信はあったが着信はなかった。裕人が初めて遭遇するパターンで、一体、何が起きたのか理解できなかった。

 


____________________________



 アーサーとの再会は全くの偶然だった。彼が音信不通になって約8か月後、取引先である冷凍食品会社の営業スタッフが、キッチンカーを集めた大きなイベントが、来週末に埼玉県で開催されると教えてくれた。

 ある出店業者に、彼の会社が新開発した冷凍総菜を使ってもらい、顧客の反応を見ると聞き、個人的に興味があったし、会場で提供される様々なメニューの中に、次の仕事のヒントがあるかもしれないと考えて、裕人も行ってみることにした。



 会場にはケバブやカレー、ハンバーガー、ステーキ丼、ロコモコ丼など多種多様なメニューを提供する沢山のキッチンカーが並んでおり、どのメニューに人が集まっているかを確認しがら歩き回っていたら、会場の端で車体に大きなユニオンジャックを描き込んだキッチンカーが、フィッシュアンドチップスとフィッシュバーガーを売っていた。


 日本でフィッシュアンドチップスなんて珍しいなと思い、近くまで行ってみると、それなりの行列ができて、車の前で、ユニオンジャックをあしらったTシャツとキャップを被ったアラフォー女性が「いらっしゃいませ」「イギリスのフィッシュアンドチップス、いかがですか?」と呼び込みをしながら、メニューを掲載したチラシを配っている。


 そういえば、会社うちで扱っているノルウェー産の冷凍鱈、今は用途が定食用白身フライと鍋用ばかりだけどフィッシュアンドチップスとか流行ったら、もっと消費量が増えるんかな?などと事を考え、とりあえず、チラシをもらおうと手をのばすと、女性が驚いたように「えっ!、里中さん?里中さんですよね?」「うわ~懐かしい!え?やっぱり今日は、食品関係のお仕事ですか?」と言うではないか。


 彼女の顔を見て裕人は驚いた。かつてアーサーに頼まれて、香港島の中環のパブで声を掛けた女優の檀れい似の朝倉真由美だった。


 彼女が、キッチンカーの車内に向かって「アーサー、里中さんだよ!里中さんが来てる!」と大声で叫ぶと、顔を出したのがアーサーだった。裕人は「へぇー今回は珍しく本名のアーサーなんだと」思ったが、香港時代に彼と付き合っていた朝倉真由美に偽名を使う必要などないよな、とすぐに気付いた。


「おお~ミスターPCT! どうして、このイベントに?仕事?マーケティング?

 あーごめんなさい、お客さん待ってるから、今は手が離せない。

 たぶん、イベントの人気投票が終わる午後3時は暇になるので、

 もう一度寄ってよ。ゆっくり話そうよ」


 どうやら、イベントに参加したキッチンカーの人気投票があるらしい。


 裕人の頭の中は混乱していた。どういうことだ?アーサーと朝倉真由美は別れたんじゃないのか?なぜ、一緒にキッチンカーをやっているんだ?

 朝倉真由美に尋ねたかったが、そこは我慢をした。彼女が不安気に車内を見ていることに気付いたからだ。「どうしたの?」と話しを聞くと、普段ならば、アーサーがオーダーを受けて、真由美が調理と盛り付けをし、完成した品物をアーサーが渡すという手順だそうだが、イベント初日の売り上げが振るわなかったので、アーサーの提案で、二日目はアラフォーながら美人の彼女が車外で呼び込みをすることになった。

 そのため、朝からアーサーが受注から金銭授受、調理・盛り付け、引渡しを一人でやっているが傍から見てても、供給スピードがよろしくない。


「朝倉さん、俺が呼び込み代わるから、アーサーを手伝ってあげてよ」


「さっきから折を見て、キッチンを手伝うって言ってるのに聞かないの。

 女性の呼び込みが大事って言い張るだけど、どうにかできる?」


 困った奴だと、すぐにアーサーのところに行き、自分は食品見本市やPRイベントの応援などに行ってて、呼び込みもチラシ配りも、行列のお客さんのあしらいも全てやれる自信がある。もし今、朝倉さんをキッチンに入れないと、これから忙しくなるランチタイムに破綻するぞ?わかっているのか?と英語で直訴すると彼も頷いた。


「里中さん、ありがとう。本当に彼は頑固だから助かる。

 あ、スタッフTシャツ、余分あるの。Mサイズで大丈夫だよね?」


 車の裏手で着替えて、ついでに車内の冷凍庫を見せてもらい、食材の質と残量をチェックする。メニューの要である白身フライとフライドポテトは意外にも高品質のものを使っており、これならば味は間違いない。昨日が売上不振だったのは事実らしく、イベント用に仕入れたであろう食材が、かなり残っていた。

 もうすぐランチタイムなので客寄せのため、朝倉真由美にメニューのフライドポテトの10%増量を提案すると「うん。それやろう。アーサーには私から言っておく」とOKしてくれた。


 行きかう人に呼び掛けてチラシを渡し、行列に並んでくれた人には「揚げたてご用意させていただきますので、並んでお待ちください」と声を掛ける。初日と異なり、天候に恵まれたこともあり、人出は良く、キッチンカーの前には常に10名弱の行列ができていたので、これなら今日はいけると裕人は確信した。


 午後2時前には、あれだけあったフィッシュバーガーが完売し、人気投票の締切時間の午後3時にはフィッシュアンドチップスも用意した材料の80%を使った。

 行列がなくなったので、朝倉真由美が撤収の準備をし始めた。一息ついたアーサーがギネス缶ビールとフィッシュアンドチップスを裕人に渡してくれた。


「お疲れ様、あ~ぁ、また、ヒロトに助けてもらった。

 こういうの何っていう?そう!腐れ縁だよ。ありがとう、ミスターPCT」


「アーサー、どうして朝倉真由美とキッチンカーをやっているんだ?」


「見てのとおりだよ。香港から帰国した真由美から、

 フィッシュアンドチップスのキッチンカーをやろうって連絡があったから、

 一緒にやっている。昔、香港で付き合っていた頃、彼女に言ったんだよ。

 仕事をリタイヤして、お爺さんとお婆さんになったら、

 フィッシュアンドチップスの屋台をやろうって」


「アーサーは朝倉さんと別れたんだよね?」


「そう。2012年に真由美にプロポーズしたら、結婚はできないって断られた。

 だから、旅行会社で添乗員やっていた松岡さんと結婚した」


 アーサーのフィッシュアンドチップスは、身が厚くて味付けもよく、想像以上に美味しかった。あ、これはフィッシュバーガーも食べたかったなと余計なことを考えながら、裕人は話を聞いていた。


「…鍛冶沢さんには、今でも悪いことをしたと思っている。

 最初は寝る場所がなかったから、仕方なく始めたヒモ男だったけど、

 新しい女性と出会うたびに、恋愛をリ・スタートできるので楽しかった。

 どうすれば、今度の彼女は機嫌良くなるんだとか、

 どういう食べ物を出したら、喜んでくれるのか?とかね。

 体力に自信があったから、求められるまま、何回でもできたしね。

 この子は、どんな体位が好きなのか、どういうプレイを好むのかとか。

 でも、年齢が50歳に近くなると気持ちが変わって、全てが面倒になってきた。

 自分のやりたいように生きたくなったんだ。

 そんなとこに、共通の友人を通じて真由美から連絡があったから、

 人生をリセットすることにした」


「真由美、サトナカさん、ケイト(キャサリン・チャン)と過ごした

 香港での三年間は、私の人生の中で最高の時間だったよ。

 真由美は、その時間に一緒だった女性だよ。特別な存在なんだから、

 連絡があったら、一緒にキッチンカーやるでしょう?」


 キッチンカーの片付けが終わったのか、朝倉真由美が声を掛けてきた。


「ねぇ、アーサー、ケイトのことを教えてあげたいから、

 ちょっとだけ、里中さんと二人っきりにしてくれる?」


 アーサーが「サトナカさん、真由美に聞かれて、私の悪事、言わないでね」と笑いながら席を外す。裕人は、朝倉真由美がアーサーのプロポーズを受けなかった理由を知っていた。彼女は香港に支店があった地方銀行の支店長の愛人で、しかも、その人物を結構本気で愛していた。最初に教えてくれたのは、上司の大隅部長だった。


「里中、ちょっといいか?最近、アーサーが自慢してる朝倉真由美だけど、

 彼女は総武銀行香港支店の小此木おこのぎ支店長のガチな愛人だぞ。

 香港の日本人社会うちらのなかでは有名な話だ。

 この小此木って男は、えらく男前で、しかも有能だから、

 朝倉真由美もぞっこんなんだよ。

 あんな美人に惚れられるなんて、本当に羨ましいよな」


 また、裕人自身がキャサリン・チャンと旺角のランガムプレイスホテルに泊まったとき、朝倉真由美が満面の笑みで石丸幹二似の男性と腕を組みながら、宿泊フロアに向かうエレベーターに乗ってきて、偶然に鉢合わせたことがあった。

 一瞬、三人でフリーズしたが、朝倉真由美が男性にケイトのことを香港人の友達で、彼氏は日本人なのと紹介して誤魔化した。

 このとき男性が「はじめまして。小此木と申します」と自己紹介をしたので、例の支店長だとわかった。石丸幹二vsダニエル・クレイグか。大隅部長の情報どおりのイケメンで高身長、細マッチョタイプ。しかも朝倉真由美のあんな幸せそうな笑顔、一度も見たこともないぞ。これはアーサーには厳しいなとは思っていた。


「…里中さんは、変わってないね。まだ独身?そうなんだ。

 ケイトから聞いたよ。彼女が里中さんを追いかけてって、

 東京で三ヶ月同棲したけど、結局プロポーズしてくれなかったって。

 香港じゃ、あんなに仲良くしてたのにね」


「昔、旺角のランガムプレイスホテルのエレベーターで、

 里中さんとケイトに鉢合わせたことがあったよね。

 きっと今、私のことを狡くて酷い女だって軽蔑しているよね」


「エレベーターの件は忘れました。

 でも、朝倉さんの笑顔だけは、生涯忘れません。

 あんなに幸福に満ち溢れた女性の笑顔を、これまで見たことがない。

 きっと、小此木さんを心の底から信頼して、愛していたんだろうなって。

 それは、すごく素敵で胸を張っていいことだし。

 小此木さんがいての、今のアーサーでしょう?

 だから、狡くて酷いなんて微塵も思わない。

 あと、旧友二人の幸せを壊すような趣味ないから。

 アーサーだって、そっちの面では、決して朝倉さんに胸は張れないので、

 全く気にする必要はないよ。どうか、御二人でお幸せに」


 朝倉真由美は驚いたような顔をしてから、「よかった」と呟いて笑顔を見せた。


「ありがとう。里中さんはアーサーに告げ口はしないって思っていたけど、

 ずっと軽蔑されていると思ってた。これからは気軽に連絡するからね。

 ねぇケイトって、今年33歳だよ。里中さんと別れてから、

 香港人と結婚したけど、すぐ離婚してね。

 今でも連絡があって、たまに里中さんの様子を聞いてくるよ。

 私は、もう何年も会ってないよって返事しかできないのにね。

 ずっと年下だけど、私はケイトが好き。いい子だもん。

 彼女、今でも、とってもきれいだよ。里中さんは、今、誰かいるの?

 将来、また四人で会いたいけど、それは無理なのかな?」


「ねぇ、アーサー、里中さんとツーショットの写真を撮ってよ。

 ケイトに送ってあげるの。また、四人で会いたいじゃない?

 まずは、煮え切らない里中さんをその気にさせるから」

 

 アーサーを呼ぶ朝倉真由美の顔が、さっきよりも、ずっと晴れ晴れとしていた。

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クエント vol.01 ヒモ男と愛人やってた女 志麻寺みのら @shimaziminora

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