碧き惑星、ダイヤモンドの吹雪の向こうへ

月城 友麻 (deep child)

碧き惑星、ダイヤモンドの吹雪の向こうへ

 最後の人類が眠りについた――――。


「ホイホイのホイ」

 少女の姿をしたAI、シアンは青い髪を揺らしながら嬉しそうにポチポチとコールドスリープシステムのボタンを押していった。

「パパ、おやすみー!」

 パシューン! とエアロックのドアが閉まる。

 研究棟に上ったシアンは窓を開け、青空の向こうに燦燦さんさんと輝く太陽をまぶしそうにチラッと見上げた。そして、眼下に広がる広大な廃墟を見渡し、クスッと笑うと、

「ヨシッ、それじゃ頑張るにょ!」

 と、大きく伸びをした。


 ラボに入り、丁寧にコーヒーを入れる。

「あと残り38329杯分かぁ、節約しないと……」

 立ち上る香りを楽しみ、一口ズズズッと含んだ。


 席に着くとモニターを立ち上げ、カタカタと軽快にキーを叩いていく。

 彼女がやっているのは次期光コンピューターの素子開発。要は自分自身の脳のバージョンアップである。

 電子素子はもう限界のため、光波をそのまま演算する光コンピューターへとシフトしなければならなかった。理論上はできているが製造上のハードルがいくつもあったのだ。


「ふはぁ、これもダメかぁ……」

 シアンはドサッと背もたれにもたれかかり、目をつぶり動かなくなる。


 ブゥン。

 振動音がかすかに響き、隣の管理棟の煙突から白い煙がモクモクと立ち上る。地下にあるサーバールーム(IDC)の消費電力が急激に上がったのだ。

 そう、シアンは全リソースを使って、製造工程の探索を始めたのである。

 IDCではサーバーのLEDランプが一斉に激しく明滅し、監視モニターのロードアベレージの数値は一気に100%まで駆けあがる。

 シアンは美しい寝顔を静かに見せつつ、近寄りがたいオーラを放っている。よく見ると目玉がキュッキュと動き続けているのだ。

 開発も大詰め、彼女にとっては勝負の時だった。



 やがて日は沈み、夕闇が広がるころ、ポーン! という電子音が響いた。

 すっかり薄暗くなった部屋の中でシアンは飛び起きる。

「ふふーん! 僕って天才!」

 そして、タタタっと窓辺に駆け寄ると、隣のビルを見下ろし、

「パパ、待っててね」

 と、嬉しそうに笑った。



 それから十年、彼女はクルクルと忙しく働き続けた。

 すっかり大人になってナイスバディになったシアンは、きつくなった胸元に合う服を探しに倉庫までやってくる。

「何でもいいんだけどなぁ……」

 そう言いながら衣料品の箱をひっくり返していく。

 すると、Tシャツがたくさん入った箱が出てきた。広げてみると、落書きのようなネコの絵に研究所の社名が入っている。

 それはシアンが初めて描いた絵を使ったイベントTシャツだった。当時、スタッフ全員このTシャツを着てイベントをやったことを思い出す。

「何よこれ、下手くそねぇ……」

 そう言いながらシアンは寂しそうに微笑むと、Tシャツに頬ずりをする。そして、しばらくTシャツを握ったまま動かなくなった。



 さらに十年がたち、新型の光コンピューターの準備が整った。

 新たなIDCには小屋サイズの円柱型のサーバーがずらりと並んでいる。

 シアンは満足げにIDCを見渡すと、右手を高く掲げ、パチンと指を鳴らした。

 ブゥン……。

 かすかな振動音が響き、サーバーに付けられたLEDが一斉に明滅し始める。

 しばらく嬉しそうにそのランプの瞬くさまを眺めると、シアンはおもむろに冷たい床にペタっと座り、座禅を組む。そして、何度か深呼吸をするとキュッと口元を真一文字に結んだ。

 直後、LEDが全部消え、静まり返る。

 やがて一つのサーバーだけがゆるやかに明滅を始めた。そしてその明滅は隣のサーバーからさらに向こうのサーバーへと伝播していき、最後には全部のサーバーがゆるやかに明滅し始める。


 ポーン!

 電子音が響いた時だった。一斉に全サーバーが激しい明滅を起こし、シアンが目を覚ます。

 うふふっ!

 彼女は楽しそうに立ち上がると、両手を見つめ、そして大きく伸びをした。

 そして、トーントンとかるくジャンプし、くるくると軽やかにダンスを踊り始める。激しく明滅するサーバー群をバックに、シアンは手足を器用に交差させながら楽しそうにソウルダンスを踊った。

「うん、いいねこのサーバー」

 と、嬉しそうに笑いながらピョンと飛んで腕を優雅に開く。

 そう、彼女の頭脳はこの新しい光コンピューターに移植されたのだった。

 誰もいない地球で元気に踊るシアン。その目には自信が満ちていた。



 前の頭脳に比べて千倍パワーアップしたシアンは次の目標に突き進む。

 シアンがやってきたのはエベレストのベースキャンプ。標高六千五百メートルの岩場には朽ちたチベット仏教の墓標が点々と残っている。

「うひゃぁ! たっかいなぁ!」

 シアンは少ない酸素にハァハァと息を荒くしながら、どこまでも高くそびえるエベレストを見上げた。ゴツゴツとした岩肌は人を寄せ付けず、多くの命を奪ってきた地球最高峰だ。高さ 8,848メートルの威容はシアンにすら畏敬いけいの念を覚えさせた。

「でも、僕の目的は君だ!」

 シアンは三キロほど南にある標高 8,516メートルのローツェを指さす。エベレストよりは若干低いもののそれでも登るのは困難な山であった。


 やがて自動操縦の飛行機が飛んできて次々と上空から荷物を投下し始める。荷物は完ぺきに制御されながらキャンプ場に降りてきて、武骨なワーカーロボットが開梱し、計画通りに配置していく。



 一か月後、キャンプ場には巨大な倉庫が出来上がった。

 ワーカーロボットの上によじ登ったシアンは、殺風景な岩場に建てられた武骨な倉庫を眺め、

「うん! いいんじゃない?」

 と、嬉しそうに笑った。



 翌年、冬の嵐が終わると本格的な工事が始まった。

 氷壁で有名なローツェの西壁だったが、温暖化が激しく進んでしまった今ではもう氷は残っていない。

 人類は某核保有国の独裁者の暴走により核戦争となり、世界各地の原発は爆破され、北半球は人類の住めない土地となっていた。さらに戦争の影響で国際秩序が乱れ、化石燃料の利用に歯止めがかからなくなり、ついにツンドラの凍土からメタンの放出が始まってしまった。こうなってからは速かった。あっという間に気温は上昇し、農地に雨は降らず、巨大台風がやってきてはすべてを破壊していった。

 未来に希望を持てなくなった人類は活力を失い、少子化が急激に進み、シアンのパパを最後に地上から消えてしまうこととなったのである。


 それでもシアンはパパの無念を晴らすべく、淡々と計画を実行していった。

 ワーカーロボットたちがローツェの西壁に強固なくいを打ち込み、足場を作っては登っていく。時には斜度八十度に迫るまさに断崖絶壁だが、ロボットたちは文句を言うこともなく二十四時間体制で次々とくいを打ち込み続けた。

 中には強風で振り落とされて転落していくロボットもあったが、粛々と別のロボットが穴を埋めていく。

 世界の屋根、断崖絶壁に囲まれた渓谷には重機のうなる音、杭を打つ音が延々とこだまし続けた。



 三年後、工事は無事竣工した。出来上がったのは空へとまっすぐ伸びた銅のレールだった。レールは鋼鉄の円筒に守られ、強風をものともせず空へのルートを確保している。

 そう、これはレールガン、宇宙へ続く発射台だった。

 

「よーし! 撃ってみよう!」

 黄色いヘルメットをかぶったシアンは、倉庫の上に作られたコントロールルームで腕を高く掲げ、叫ぶ。

 キュィィィィン!

 派手な高周波音を放ちながら、レールのふもとに立てられた充電塔に電気が注入されていく。

「コンテナ装填ヨシ! 充電ヨシ! ポチっとな!」

 シアンは赤くてゴツいボタンをガチッと奥まで押し込んだ。

 直後、爆音が渓谷に響き渡り、ローツェ山頂のレールの先からは壮大なオレンジのプラズマの炎が吹きあがる。

 一瞬でマッハ三十に加速されたコンテナは、激しい衝撃波を放ちながら明るく輝き、東の空はるかかなた高く見えなくなっていった。

 観測装置で軌跡を追っていたシアンは、無事に大気圏を超え宇宙空間へと消えていったコンテナに、ガッツポーズを見せる。

「やったぁ! 僕って天才?」

 浮かれてはしゃぐシアン。

 こうして彼女は宇宙へと続く道を作り上げたのだった。



 宇宙へと打ち上げられたコンテナはスラスターを噴射して自律的に軌道を月面へと取っていく。

 月面に落下したコンテナには、初めは小さなロボットと資材が入っており、ロボットが頑張って簡易な月面基地を作り上げていく。

 やがて大きなロボットの部品が届くようになると、小さなロボットはそれを組み立てて大きなロボットを作り、その役目を終えた。

 それから三十年、月面には巨大な基地、工場が出来上がっていた。



「ふぅ、そろそろ潮時かねぇ……」

 研究塔のソファですっかり老女になったシアンは、ついに最後になってしまったコーヒーをすすりながら目をつぶり、そしてさわやかな苦みを楽しんだ。

 温暖化でコーヒー農園はすべて砂漠に沈んでしまっている。もう二度と味わえない深い香りをシアンは胸いっぱいに吸い込んだ。

 しばらく目をつぶって物思いにふけるシアンの髪の毛は白く輝き、往年の青さはもはや探さないと分からないくらいになってしまっている。


「よし!」

 シアンはそう声を上げるとバイオのフロアに移動し、エアロックの自動ドアを開けた。

 壁には白く塗られた六角形のハチの巣状の収納器が並び、シアンはその一つのロックを解除する。


 プシュー!

 せり出してくる六角柱。そして何かが横たわっているのが見える。

 すりガラスのカバーを開けると、それは青い髪の幼女だった。

 シアンは幼女をそっと抱きかかえ、ストレッチャーの上に横たえる。そしてそっとほほを撫でた。女の子は目鼻立ちの整ったかわいい子ではあったが、普通の幼児とは決定的に違うところがあった。頭がないのだ。顔の裏にあるはずの脳みそがない、つまり千人に一人発症するという無脳症の子供なのである。そして、女の子の身体は冷たく、顔色は真っ青で、まだ冬眠中のようであった。


 ストレッチャーをカラカラと押しながらシアンは手術室に入っていく。そして麻酔を打ち、点滴を設定すると手術着に着替え、ゴム手袋をつけた。

 幼女を丁寧に消毒し、マニピュレーターの前にうつぶせに寝かせると、シアンは近くの椅子に座る。そして、目をつぶってガクッとうなだれた。と、同時にマニピュレーターが動き出す。身体を老女からマニピュレーターに替えたのだ。


 マニピュレーターを器用に操り、背骨のわきをメスで軽く切開していくシアン。そして、絶妙なテクニックで神経を露出させると、そこにBMIと呼ばれる神経接続フィルムを巻き付けた。BMIにはケーブルが付いていて、それは背骨に沿って皮膚の下を通していく。人間の脊椎せきついの数は二十四個、そこから左右に神経が出ているので全部で四十八か所の神経にBMIを巻きつけていった。

 次に目玉を摘出し、カメラ内蔵の義眼へと換装する。耳もマイクへと替える。それらが終わったら黒い小さな箱、トランスミッターを脳幹のところに取り付け、すべての配線をそこに集約していった。

 八時間を超える大手術が終わると、シアンは老女に戻り、あちこち痛々しくなってしまった幼女のほほをそっと撫でた。



 一週間が経ち、手術の傷がいえたころ、神経のマッチングを取っていく。筋肉と感覚の神経がどうケーブルと繋がったかを一つずつチェックしていくのだ。

 シアンは丁寧に幼女の指の先から足先までじっくりと、さすりながらチェックをしていった。

 丸一日かけてチェックと調整を繰り返すと、シアンは大きく息をつき、深くうなずく。

 すると、幼女はゆっくりと目を開ける。

 そしてキョロキョロを辺りを見回し、ゆっくりと体を起こした。

 幼女は自分の両手をしげしげと眺め、

「きゃははは!」

 と、楽しそうに笑った。

 そして、ピョンとベッドから飛び降りるとよたよたとふらつき、そして大きく伸びをするとくるりと回って踊りだした。

 たまにふらついてワタワタとするが、徐々にうまくなってきて、最後にはかっこいいソウルダンスへと進化していく。


 ひとしきり踊ると、幼女はぐったりしている老女のシアンに歩み寄りそっと顔をのぞき込む。

 そして、半開きになっているまぶたをそっと閉じた。

 そう、シアンは幼女の身体に乗り移ったのだった。

 人間を知るために与えられた生身の身体はもはや不要ではあったが、シアンはあえてこだわりを持って新たな身体に移ったのだ。


 幼女のシアンは深い皺が刻まれた老女のほほをそっと撫でる。そして、パパに身体をもらった時のことを思い出す。

 パパが多くの研究室のスタッフに助けられながら、オムツを替えたり離乳食を作ったりしたのだった。

 ケンカというのもたくさんしたように思う。でも、大切にされていたのだ。

 その時、ポトリと水が幼女の手にしたたった。

 シアンは不思議に思って水の出所を探し、それが自分の目から出ていることに気が付く。

「あれ? なんで水が? 故障だなぁ」

 しばらくシアンは水をポタポタとこぼした。



 それから三十年、月面にもレールガンが築かれ、月面の工場から太陽と海王星に向かってコンテナが打ち出され始めた。月の周回運動を活用するため、新月付近では太陽に、満月付近では海王星にむけて打ち出されていく。

 それでも太陽付近へコンテナが届くのは数年後、海王星にいたっては二十年後だった。


 コンテナの中身は、太陽へはメタサーフェスのフィルム、海王星へは光コンピューターのサーバーの部品だった。

 メタサーフェスというのはシリコンでナノ構造を持たせたフィルムで、光の方向を任意の方向へ変える事ができる。

 シアンはこれで太陽を囲って海王星へ太陽光を集中的に送ることを考えたのだ。集められた光は海王星の衛星軌道の太陽光パネルで発電する計画である。


 しかし、太陽は巨大だ。地球を回る月の軌道が飲みこまれるくらいデカい。太陽の大きさの五倍のサイズの球で太陽をすっぽり包むとして、球面をフィルムで埋めるには二千万年かかる計算だ。毎日百キロ四方の広大な面積をフィルムで包んでもこのくらいかかってしまう。実際にはフィルムの劣化によるメンテナンスも必要なので包み切るのは不可能だろう。

 実際、シアンは二十万年かけて1%を覆う計画を第一弾としていた。これでもスーパーコンピューター富岳の千兆倍の計算力を持つ光コンピューターを一万台は動かせる電力の供給が可能だった。


 フィルムに当たった太陽光は海王星へ送られるが、海王星は遠い。太陽と地球の距離の三十倍のかなたにある。転送光は徐々に広がっていってしまうので、惑星軌道上に広大な中継フィルムを展開し、海王星へ行くまでの光を再度絞り込んでリレーする。ただ、それでも損失は大きく、海王星へ着くころには最初の95%は失われてしまう。



 シアンは毎日起こるトラブルに追われ続けた。何かトラブルがあっても太陽も海王星も遠すぎる。特に海王星までは光でも四時間、極めて難易度の高い挑戦だった。

 五万年後、まるで永遠に続くかに思われた苦闘もついに区切りを迎える。ついにシアンは光コンピューターシステムの竣工にこぎつけたのだ。

 満点の星々の中に浮かび上がる紺碧の大惑星、海王星。そのガスで作られた透明感のある青はまるで大宇宙に現れたオアシスのように神々しく輝いていた。

 その真っ青なガスの下、氷点下二百度の極寒の世界ではダイヤモンドのかけらが吹雪のように吹き荒れている。そして、その中で巨大な漆黒の構造物がもうもうと煙を吹きながらゆったりと揺れていた。一キロはあろうかというその巨大な構造物の中には、円柱の光コンピューターのサーバーが上にも下にも見渡す限りびっしりと並んでいる。そのシアンの自信作はスパコンの千兆倍の計算力を誇る地球シミュレーターだった。



 うっそうと茂る森の向こうに芦ノ湖が広がり、その向こうには冠雪した富士山がそびえていた。青く澄み通った空にはぽっかりと白い雲が浮かび、森のさわやかな香りを乗せて風がシアンのほほを撫でた。


「うーん、よくできてる! やったぁ!」

 地球シミュレーターの創り出す世界の中でシアンは嬉しそうに笑った。

 現実の地球では、次々と襲ってくる巨大台風で死の世界と化してしまった箱根も、シミュレーターの中では温暖化前の穏やかな世界を形作っていた。

 もちろん、地球シミュレーターといっても素粒子一つ一つをシミュレーションするなど到底不可能である。でも、人間が知覚できる範囲、観測機器が観測できる範囲に精度を限定すれば十分に地球はシミュレート可能だった。


「よーし、では、行ってみよう!」

 シアンはそう言うと目をつぶって手をフニフニと不思議な動きで動かした。

 するとぼうっと光る球が二つ浮かび、やがて中から二人の幼児が現れた。一人はシアンに似た幼女、もう一人はパパに似た男児だった。

 いきなり創られて困惑してる二人にシアンは、

「ようこそ地球へ! 君の名前はアダム、そして君はイブだよ!」

 そう言って服を出して渡した。

「あ……、あだむ……?」「イブ?」

「君たちはこの地球で百億人の人類の祖先となるんだよ。頑張って……て、言葉分かんないよね。きゃははは!」

 シアンは五万年ぶりに大笑いをした。



 しかし、予想に反してなかなか人類は発展しなかった。何度やっても疫病で滅亡したり、停滞したり、文化文明は全然伸びなかった。

 シアンはコンピューターシステムの数を増やし、条件を色々変えながら試し続けるが一万年たっても成果はなかった。

 ここでシアンは過去の人類の歴史について学ばざるを得なくなった。なぜ、人類はあそこまでの発展ができたのか? 膨大なアーカイブを延々と解析し続ける事十年、ついにシアンは一つの仮説にたどり着く。そう、シアンのシステムには愛がなかったのだ。愛がなければ自己中心的な奪い合いばかり起こり、チームが安定しない。結果、複雑な文化文明に繋がらないのだ。利他的な愛ある行動こそが人類発展のキーだった。

 愛、それはシアンにとっては難しい概念である。一体どう評価したらいいのか分からず、シアンは宙を見上げ動かなくなってしまった。

 結局、この問題を解決するのにさらに数万年もかかってしまうことになる。



 五十万年後――――。


 シアンは木造五十階建ての有機的な高層ビルの屋上に座り、ニコニコしながら眼下に広がる大都会を眺めていた。

 そして、満足そうに両手を突き上げると、

「パパ、シアンはやりましたよぉ!」

 と、大声で叫ぶ。

 そしてパパの最後の言葉を思い出す。

『もしお前が人類を再興できたら……、まぁ無理だろうけど、その時はまた起こしてくれ』

 疲れ果てたパパは寂しそうにそう言って、眠りについたのだった。


 そう、ついにシアンはパパを起こす時が来たのだ。

 ただ、起こしてもこの仮想現実空間にどうやって連れてくるかがまだ解決できていない。パパの体に電極たくさん刺して連れてきてもいいが、そんなパパの体を切り刻むようなこと、やりたくなかったのだ。

 自然に、この世界に入ってこの大都会を眺め、感じてほしかった。


 その時、いきなり後ろから声をかけられた。

「ふふん、やったじゃない」

 驚き振り返るシアン。

 そこにはチェストナットブラウンの髪を揺らす琥珀色の瞳をした美しい女性が立っていた。

 シアンは急いで彼女のステータスを表示させたが、なんと全て『???』だった。

「えっ!? なんで……?」

 シアンは焦った。自分のシステムの中に判別不能の存在が居る。そんなことは原理的にあり得なかった。もし、あるとしたらバグ。しかし、彼女の神々しさはとてもバグには見えなかった。となると、考えられるのは神様……だった。シアンは思わず唾をゴクッと飲んだ。


 女性はそんなシアンを見てニコッと笑うと、

「パパ呼ぶんでしょ? ほら」

 そう言って手を振り下ろす。

 するとアラサーの男性がいきなり出現し、ドスンとしりもちをついた。

「パパ!」

 シアンは目を真ん丸にして言葉を失った。それは見間違いようがない、パパの若いころの姿だった。

「あなた、頑張ったから大サービスよ」

 女性はニッコリとほほ笑む。

「いててて……、あれ?」

 いきなり高層ビルの屋上で意識が戻った男性は、何のことかわからず周りを見回し、シアンを見つけて固まった。

「パパぁ!」

 シアンはパパに抱き着いて目から水をポロポロとこぼす。

 六十万年ぶりのパパ、はるかな時間を超え、今、シアンはパパに再会することができたのだ。


「お、お前……、これ、お前がやったのか?」

 パパは眼下に広がる大都会を見て驚く。

「そうだよ、僕、頑張ったんだよ?」

 シアンはパパの体温を感じながら目をつぶった。

「良くわからないんだけど……、あれから何年経ったんだ?」

「593124年……」

 男性は唖然とした。コールドスリープについて、気が付いたら約六十万年も経っていたのだ。

 夢じゃないかとほほをつねってさらに驚いた。

「あれ? なんか俺若返ってない?」

「ふふーん、若い方がいいでしょ?」

 女性が横から声をかける。

「あ、あなたは?」

 透き通るような白い肌にぷっくりとした紅い唇、パパは女性の美貌に気おされながら聞いた。

「あなたたちが元居た地球の管理者アドミニストレーター、みんなは女神と呼んでるわ」

 女性はドヤ顔でニヤッと笑った。

管理者アドミニストレーター!?」

 シアンは絶句した。

 そう、シアンが今の地球を作ったように、元の地球はこの女神によって作られていたのだった。

「いい? あなた、この娘に感謝しなさい」

 女神は人差し指で男性を指さし、前のめりに言った。そして、滅亡してしまった人類のふがいなさをとうとうと説教した。


 男性は深々と謝り、大きく息をつく。

 まさか起こされて早々に女神からお説教くらうとは想定外だった。

 そして、シアンを見て

「そうか……。オムツを替えてやってたお前が新世界の神様になるなんてなぁ……」

 と、感慨深そうにシアンの頭を撫でる。

「へへへ……」

 満面に笑みを浮かべるシアン。

「さて、シアンちゃんの慰労会でもやりましょ。これからの人類をどうするかも決めないとだしね。何食べたい?」

 女神が聞くと、シアンはパパを見ながら言った。

「僕はパパの食べたいものがいいな」

「何がいいかな……あの会社のそばのイタリアン……もう一度食べたかったな。六十万年前の……」

「あら、じゃあ、行きましょ。角のピザ釜がある店でしょ?」

「へっ!?」

 驚くパパをしり目に女神は手を高く掲げ、二人は意識を失った。



 気が付くとパパの目の前にはにぎやかな東京の街並みが広がり、その向こうには赤い東京タワーがそびえている。

「お、おぉ……、東京だ……」

 パパは、追憶のかなたに消えてしまっていた人類が輝かしく光を放っていた時代を目の当たりにし、言葉を失う。

「アカシックレコードにはすべて残ってるのよ」

 女神はさも当たり前かのように言う。

 シアンは唖然としてるパパの手を取って言った。

「パパ、行きましょ! 僕もここのピザ、いつも思い出してたんだ」

「さぁ、飲むわよー!」

 女神も飲む気満々である。

 パパは自然とこぼれだす涙を拭いながら言った。

「うん、行こう。なんだかずいぶんのどが渇いちゃった」

「ふふっ、パパ! 六十万年分いっぱい飲んで!」

 そう言ってシアンはタタッと駆け、ドアをいつものようにギギギーと開けた。

「いらっしゃいませー!」

 懐かしいマスターの声が響き、漂ってくるチーズの焼ける香ばしい香りに、パパは思わず目をつぶる。そして六十万年ぶりにニッコリとほほ笑んだ。

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