第15話 社長の怒り

「わしはそんな話は聞いてないぞ、斎藤取締役、その話をちゃんと聞かせてくれ」

 慶次は椅子から立ち上がり、ギョロリとした目で斎藤を睨み付けた。


「わかりました。社長がこういうことを聞いてないと言うことが問題なんです。例えば、在る部署においては従業員に過剰な労働を課し、ブラック企業として見られ始めていることや、防衛関係においては内部告発があり、その関係で会計監査院の調査が入るという話も上がっているようです。又、防衛装備品の禁輸出の疑惑、さらに会社の丸秘情報を漏した社員の懲戒解雇問題、それから……」


「まて、斎藤取締役、そんな重大な話があるのなら聞き捨てならぬ! 詳しくその話を聞こうじゃないか。そういう問題があるとは、今日までわしは聞いていなかったぞ。それが解明されるまで今日の社長交代は延期だ。今日はこれで終わりにしてくれ、蒼井君……斎藤君は後でわしの部屋まで来て貰おうか」


 慶次はそこで一つ溜め息をついて座った。慶次は自分がこの会社を経営していて、すべてうまくいっていたと思っていた。だが、自分の知らないところで、こんな重要なことを知らされてないことに、腹がたつと同時に情けなくなってきた。


 慶次は一息ついて再び椅子から立ち上がると、皆を睨み付けるようにして言った。


「わしはこの会社を一から立ち上げて、ここまでやってきたと言う自負ある。そしてここにいる役員の方々の会社も併合、合併して大きくなったと思っている。それが今聞いた話では、なんということなんだ。信頼があってこそ、この株式会社・浦島機器製造はお客様から仕事を頂いてきたのだ。それをわしの知らないうちにそんな問題があろうとは思わなかった。問題があった時点でなぜわしに相談せんのだ? これで会社という組織と言えるのか……」


 慶次は震える言葉で言うと、席を立ち肩を落として足早に会議室を出て行った。急に足元から崩れ去るような不安が彼を襲う。


 いつもは自信に溢れ、威厳さえも放つこの社長は失望に打ちひしがれていた。その目には涙がうっすらとにじんでいる。そんな慶次の姿を、今までは誰も見たことがなかった。


 その慶次をみて驚く人もいれば、薄笑いを浮かべる役員もいる。どうやら、順調にも見えたこの会社に暗雲が漂い始めているようである。


 このような状況の中では、社長交代などという事は今の段階では無理のようである。その日の臨時取締役会では、次期社長を決めるはずだった。それが思いもよらないことになろうとは、それを予測できる人間はいなかった。


 もともとこの会社は初期のころのように電気製造販売だけで活動していればよかったのだが、社長の浦島慶次が、強引とも言うべき合併に力を入れ過ぎたためである。その後、直ぐに斎藤取締役は社長の浦島慶次に呼ばれた。部屋のドアを斎藤はコンコンと叩きノックしをた。


 斎藤は心の中で或る決心をしていた。背広の懐には『辞職願』を忍ばせている。こうなることを予想していたのだろう。

 そして、ネクタイを締め直し意を決して社長室をノックした。


「失礼します。斎藤です」

「はいりたまえ」中から重い沈んだ言葉が返ってきた。

 社長室には慶次以外、誰もいなかった。


「失礼します。社長」

「ああ、ご苦労様。斎藤君」

 斎藤は慶次が立腹している姿を想像していたが、意外に冷静なので驚いた。

「まあ、そこに坐りたまえ」

「はい。失礼します」 


 窓際の前に、どっしりと置かれている深々としたソファがあり、そこにまず慶次が座り、斎藤が座った。慶次は斉藤に向かって静かに言った。

 会議室での、あの怒れる慶次の顔は、並み居る役員達に見せる為の顔だったようである。


「先ほどはお疲れさん。ところで、なぜもっと早く私にあのことを言ってくれなかったのかね」


「はい。申し訳ありません。私よりも当事者の役員の方が、自分から言うべきでした。それを部外者の私が言うことでありませんが、私があの場所で言わなければ、社長が知らないままに、選ばれた方が新社長になってしまうのです。それからことを起こすのでは遅いと思ったのです。ですから私が敢えて言ったまでのことです」

 斉藤は社長を前にして堂々と自分の意見を言った。


「なるほど。それは一理あるな」


「それに、このことは役員の方で知ってることなのです。我が社は事業部制をとっており、それぞれの権限及び責任は、その事業ごとに与えられています。しかしその事業部長は、そのトップである社長に重大な問題があったときには報告しなければなりません。それを各責任たる人達が、それをおこたっているのではありませんか……」


「その通りだ。君の言うとうりだ。ことの真相を知るために担当の事業部長を呼んで直接聞いてみよう。ありがとう……斎藤取締役」


「いえ。よろしくお願いします」


 斉藤は礼儀正しくきちんと挨拶をして部屋から出て行った。部屋から出た斉藤は懐に忍ばせた『辞表願』をポンと叩き、右手を握りしめてガッツポーズをした。それをみていた年配の掃除婦が怪訝な顔をしていた。


 社長の慶次は(うちには、あんな骨のあるやつが少ないなぁ)と部屋の天井を見つめながら嘆いていた。



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