第14話 波乱の役員会

 社長の慶次とて、強引に娘婿の真一郎を次期社長にしたいわけでは無い。気持ちよく皆の同意を得て、すんなりと次期社長の座を真一郎に引き渡すつもりでいたのだ。そのほうが慶次としては会長に退いても、経営がやりやすいからである。


 小川取締役の発言で、その場の空気がどよめいた。社長の慶次は彼が何を言おうとしているのかよく理解できなかった。進行役の蒼井は怪訝けげんそうな顔をして言った。


「ほう。小川取締役、言葉に少し気をつけてください。親族による経営の引き廻しとは問題になりますよ」

 さすがの蒼井も、ここぞとばかりに社長の顔色をうかがいながら語気を強めた。


「そうですか。ではその言い方を変えましょう。今この会社は昔とは規模が違うのです。機械を組み立ててそれを売り、修理で食べて行く会社ではありません。現在、我が社は、今や大手の機器製造メーカーとして、また新しくこの国の防衛産業にも参入しています。IT関連でも決して評判が良い訳ではありません。これからはしっかりした体制でシステムを構築せねばなりません。そういう意味で言っているのです」


「言っている内容が、抽象的で私には良く分かりません。それで、あなたは誰を推薦するのですか?」


「はい。ですから私は貴方を……蒼井氏を推薦します」

(えぇっ?)というどよめきが聞かれる。


「わ、私ですか」

「そうです」

「はぁ。なるほど、ではその理由をお聞かせ下さい」


「はい。ですから先ほどから言っていますように、これからはIT産業に詳しい蒼井氏が適任だと私は思います。貴方はそう言ったではありませんか、銀行や工場、また交通機関などあらゆる業種に渡り、ITは無くてはならない存在なのですと……ですから私は蒼井専務を推薦いたします」


 それを聞いて、どこかで陰口を言う者がいる。


(あれは芝居じゃないか? 小川取締役)

(打ち合わせでもしたんでは?)

(そうかも……)


「よくわかりました。ではすでに届けている候補者以外の方で、誰か他に推薦する方おりますか?」


 蒼井は思わぬ擁護を受け、顔を赤くした。それから気を取り直し、見回したところ特に何もないようである。

 ひととおり候補者の趣旨説明が終わったところで、慶次が言う。


「それではここらで三十分ほど休憩をしたらどうかね。わしも喉が渇いてきたしな」

「あ、はい。そうでしたね。用意はできておりますので、社長」

「うむ」


「では、皆様。ここらで三十分ほど休憩をいたします。社員がお茶をお運びしますので、そのままでお待ち下さい」


 候補者の白熱した説明を聞いていて、出席者達はそれぞれに思いを感じており、休憩という言葉を聞いてほっとした。


 蒼井が総務課長の大崎保雄に指示を出すと、控え室で待機していた女子社員達が役員達に茶を運ぶことになるのだが、ここでもドラマがあった。


 控え室にはすでに各部署から見栄えの良い女子社員が選ばれていた。これは好色好みの慶次からの指示である。


 給湯場所に隣接した控え室には十名ほどの選別された女達がいた。彼女たちはこのときに選ばれることに一喜一憂していた。この会議でお茶を運ぶ選に選ばれたということは社内での自分の価値を認められたと言うことでもあり、およその女達は意気が高揚していた。


「ねえねえ始めて選ばれたの。わたし。ここにいるっていうことは、私達が洗練された女だと言うことのあかしよね」という女もいれば、「それもあるけれど、単なる綺麗な女達を集めた役員達の目の保養のための客寄せじゃないの……」というようにまんざらでもない顔をした女もいた。


 女にもそれぞれの思いは違うようである。

 しかし、その部屋の中で他に様々な女もいる。その中の一人にあの社長秘書の青木ひろみがいた。


  彼女はこの場では誰とも馴染めずに合図があるまで一人でポツンと座っていた。無機質なその部屋の中で、一輪の花が咲いたように彼女の存在はひときわ目立っていた。彼女は少し派手で高めのヒールを穿いていたが、そんなスタイルをする女子社員は一人もいない。


 社長の秘書になる前には目立たない事務員だったのが、美しいというだけで社長の秘書になったということで、それをうらやむ女も少なくない。


 そのときひろみに近寄った一人の女がいた。次期社長との噂が立っている浦島真一郎の秘書である神崎沙也香だった。


 同じ秘書として共感するところがあるのだろう。それまでにお互いに言葉を交わしたことはなかったが、沙也香には孤独なひろみとはなんとなく自分に似ていると思い声を掛けたのだった。


「失礼します。あの、青木ひろみさんでよね」

「はい、あなたはたしか、神崎沙也香さんですね」

「あら、私のことをご存じなんですね、光栄です」


「ええ。おなじ秘書ですもの。あなたは浦島真一郎さんの秘書ですよね。お噂は聞いていますよ」


「あら……」


 お互いに、社長と次期の社長の噂が高い秘書ともなれば意識をするというのもうなずける。そんな二人を遠巻きで見ている女達は、それぞれ何かを話していたが、いずれにしてもつまらない勘ぐりをして憂さを晴らしているだけのようだ。

 

「あの……会議が長引いているようですね。あなたも皆さんにお茶を?」


「はい、そうしたいのですが。社長はお茶を飲みませんので。ですからわたしは社長がお飲みになるコーヒーをお作りする役目です。本当は皆さんと同じお茶くみをしたいんですよ」


 そう言いながら寂しそうな顔をした青木ひろみがなぜかとても孤独に見えた。その同じ孤独を味わっているのも自分だと沙也香は思った。


 その二人が談笑しているのを、冷たい目で見ている女達は少なくない。大企業とは言えなくても、それなりの業績を残しているこの企業にも相変わらずこのようなことが起きていることの不思議さを感じないわけにはいかない。


 青木ひろみが社長の慶次の前に慶次特製のコーヒーを持って行ったとき、誰もがそれを見つめていた。ひろみの美しさに誰もが圧倒されたからだが、女達の誰よりも派手な服を着て、高いヒールを穿いていたからである。


 或る役員からみれば、その姿が高級キャバレーの女と思えるほどだった。本当は社員と同じユニホームを着たいひろみだったが、慶次はそれを許さなかった。それは、そういう秘書を持つ自分は他の役員とは違うのだ、という彼一流の顕示欲ゆえなのだろう。

 皆の視線を浴びながらも、ひろみは広い会議室の中を高いヒールで落ち着きながらゆっくりと歩き社長の前にコーヒーを置いた。


「おお。ありがとう。ひろみ」


 慶次は皆の視線を意識してか、得意げにその熱いコーヒーを口で吹きながらゆっくりと喉に流し込んで飲みほした。


 休憩の時間が終わるといよいよ、会議の再開である。

 再び議長役の蒼井が演壇に立つ。


「ではこの辺で採決に入りましょう。ここに投票用紙が用意してあります。それぞれ無記名でお願いします。では大崎君」


 そう言って蒼井は大崎保雄に指示をした。そのとき、それに待ったを言った人物がいる。


「ちょっとお待ち下さい! 採決の前に重大な問題があります」

「おぉ!」と言うどよめきが再びあちこちから聞かれる。


 皆はその主の方に顔を向けた。社長の慶次は渋い顔をしていた。その時、手をあげたのは、斉藤取締役だった。彼は営業担当の第二営業本部長を勤めている。斉藤明夫は熱血漢だった。


 自分がこうと思ったら、納得がいくまで突き進める男である。年齢は六十歳代ではあるが、いつも服装はパリッと着こなしてセンスが良い。


 斎藤は高学歴で、頭脳は優秀であり行動派である。

 あまり役員たちからは良く思われていない。学歴に劣等感を持っている社長の慶次が斎藤を引き入れたのは、そんなところにも理由があるようだ。


 司会の蒼井はこれでようやく採決に入れると思っていたのに、斉藤のいきなりの発言に少し苛立っていた。これ以上話がこじれてくると社長からどんな雷が落ちるか分からないからだ。


「斎藤取締役、もっと早く手を挙げて下さい。もう少しで採決をするところだったんですよ。その重大なこととはなんですか? 手短にお願いします」


「発言の機会を与えていただきありがとうございます。実は前から言おうと思っていたのですが、いろいろなことがあり、その機会を逸してしまいました。しかし今日、ちょうど皆様が集まってる時にこそ問題提起をしたいと思ったのです。手短に言いますと、今この会社はいろいろな問題を抱えています。その問題をクリアしなければ、新しい社長を選出することはできません。或る役員の方達はすでにご存じのはずですが……」


「斉藤さん。そのお話は端的にお願いします」

「ちょっと待て、蒼井君」

 そういって蒼井を止めたのは社長の浦島慶次だった。


「はい社長」

 司会役の蒼井は、何か不吉な予感がするのだ。

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