第6話 愛人として生きる決意

 それからのひろみは、愛人兼務の秘書としての選択を迫られ悩んでいた。

 聞こえてくる慶次のうわさでは、彼の欲望は半端ではないらしい。


 それを聞いたとき、もしそれを受け入れれば、自分は欲望の塊である慶次の性的な奴隷になってしまうと思った。


 このまま一人の事務員として生きていくのか? しかし、物価の高い東京では今の給料では実家に仕送りをする余裕は無い。そのつもりで母を説得して出てきたのに、もう限界を感じていたときだった。


 こんなチャンスは二度と巡ってこない。死んだと思ってここで自分を捨てよう。そう思うと気が楽になってきた。そして一晩悩んだ後に出した結果は、その彼の提案を受け入れることだった。


 それは家族への仕送りの為に犠牲になる、という自分に対する言い訳だったが、それ以上に彼女の心の中には或る種の欲望が芽生えていたのも事実だった。それは慶次が求めている女に自分が相応しいのかと自問するひろみだったが、鏡を見る自分の顔は悪くないというその自信だった。


            *

 それはひろみが慶次の『愛人』になると始めて決めた夜だった。新しいマンションを契約し、慶次と部屋に入ったとき、彼はまだ片付けも終わらず、家具も置いていない部屋に入ると、休む間もなくひろみを抱きキスをし、いきなり服を脱がせようとした。


 ひろみは男臭く野性的な慶次に圧倒されていた。普通、男が女を愛するときにはそれなりの愛し方があるものなのだが、彼は違っていた。


「あっ! 社長。もう、いきなりですか?」

「そうさ、これがわしなりの愛し方でな……」


 たばこ臭い口で、ひろみの唇はふさがれその中に舌が忍び寄ってくる。この間とは違う慶次に圧倒されていた。


(ううう……)


 そのまま、クッションのきいた床に押し倒され、ひろみのスカートはずらされて下着姿になっていく。若い女の身体は美しい。くびれた腰と桃のように弾んだ乳房、柔らかな下腹など若い肉体は慶次を夢中にさせた。


 そのひろみの雪のような白い肉体を蛇のように慶次の手が忍び寄りまさぐっている。感じ始めてきたひろみを楽しむように慶次はひろみを弄んでいた。

 そんな彼の愛撫を受けながら、ひろみは次第に身体が反応していた。


「感じてきたかな、ひろみ」

「はい」


 こういう強引な男のやり方は、ひろみは初めてだったが、なぜかいやではなかった。幼いころに父親を亡くしていたひろみには慶次の中に父親を求めていたのかもしれない。それがセックスの行為だとしても。


 慶次はすぐにひろみの身体の中に入ってくるものと思っていたが、以外と彼はそれを楽しんでいるようだった。しだいに登りつめていくひろみを見つめながら、慶次はゆっくりとひろみの中に入ってきた。


 始めは痛みを感じながらもいつしか、それも遠のき、我を忘れたひろみの両手は慶次の背中を抱きしめ、思わずその背中に爪を立てていた。


 こうしてひろみは慶次の愛人として、また会社の中では忠実な秘書として生きることに決めた。それ以来、慶次はだいたいは週末にやってくる。

 たまに泊まっていくこともあるが、およそ彼は愛してもいない妻が待つ家に帰っていく。

 辣腕の経営者として厳しく、どんなときも慶次は忙しくしていたが、彼がひろみのマンションに寄るときには、だいたいは疲れたときが多かった。その疲れた身体と心を若い愛人に癒やされに来る慶次をひろみは心から嬉しかった。

 彼の行為は性欲の処理の為が殆どだったが、ひろみはそれを身体と心で癒やしていた。


 休日に慶次が訪れることはあまりなく、その日はひろみにとってはリフレッシュに当てていた。ジーパン姿で部屋を掃除したり、近くのスーパーで買い物をするのが楽しかった。その買い物袋をぶら下げて近くの公園のブランコに乗っているときに幸せを感じていた。


 同じ公園ではよく子供を連れた家族を見ることがある。

(ああいう家族って良いな……でも今の自分には無理ね)そう思いながらも、涙がちょっぴり出てくる。


 年は離れていても、彼に愛されているときには一人の女になれる。終わったあとで、愛のないという彼の妻の元へ帰って行くとき、ひろみは無性に寂しくなり、悲しくなるときがある。


 慶次は粗野で強引であり、あまり女心を介さない男ではあるが、彼によって女としての喜びも経験し、愛人としてのひろみはしだいに彼が好きになっていった。それは悲しい女としてのさがである。

 あるときなど、慶次に激しく愛された後で、珍しくひろみは慶次にお願いしたことがある。


「あの、慶次さん。わたし今日はとっても寂しいの。今日だけは泊まっていただけないでしょうか……」

「それは無理だ。じゃあまたな」


 振り向きもせず、別れのキスさえもしないまま慶次は帰って行った。それを見送りながらひろみは無性に寂しくなり、思わず部屋で泣きわめき、ソファにあったクッションを誰とも無く投げつけたときがある。


 クッションはテーブルの上の花瓶に当たり、ガシャンという音をさせ床に落ちた。飾ってあった美しい花が散り床が水だらけになったこともある。それを拭かずにただ泣き続けた夜だった。


 その次の朝、会社でひろみは何事もなかったようにいつもの仕事に向き合っていた。慶次を見つけると、丁寧に頭を下げた。


「おはようございます。社長」

「うん」


 慶次はちらとひろみを見たが、彼の脳裏には昨日の余韻がまだ残っている。昼ころになって、トイレに立ちチャックを下げて股間の自分の一物を見た彼は昨日のことをふと思い出した。

(まだまだ、俺はこれからもいけそうだな)と一人悦に浸っていた。


 或る日、仕送りをした後の母からの電話があった。


「ひろみちゃん、いつも有り難うね。これでまた助かるわ」

「ううん、いいのよ。どう身体の具合は?」


「そうね、母さんもこの歳だし、でも大丈夫よ。それよりもあなたはどうなの? 無理してないの?」


 久しぶりの母の声を聞いて、ひろみは涙が出そうで嬉しかった。


「ううん、大丈夫よ、わたしは……なんとかやっているわ」


「そう、なら良いけれど。それからまり子はあなたのおかげで専門学校へ通っているわ。まり子もあなたのことを心配しているわよ」


「そう、まり子は頑張っているのね」

「そうね、ところで好きな人は出来たの?」

「ううん。まだよ。わたしにはまだやることが一杯あるしね」

「わかったわ。好きな人が出来たら教えてね。それじゃ電話を切るわね」

「うん。じゃあまた」


 ひろみが好きな人とは社長の慶次であり、愛してはいけない人だった。

 その彼の秘書で愛人でもあり、その関係でこの仕送りが出来ているのだとは母にとても言えなかった。


 電話を切ったひろみは、実家のことを思い出していた。母や妹のまり子にも合いたい。東京に上京をしてからは、数年は経っていたが、それがなぜか遠い昔のような気がしていた。


 その目には熱い涙が溢れて彼女の白い頬の上に流れ落ちていった。

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