第52話 私の出逢った名探偵 4

「あなたの腕前なら大丈夫よ。うふふふふ」

「冗談じゃあない。第一、登場人物の設定をそんなにいじったら、ストーリー展開を変えざるを得ないし、トリックも元のままでは使えなくなる」

「それぐらい、考えなさいよ。プロの作家なんでしょ」

「何と言われてもだね、モデルにしてないんだから……。おおい、どうにかしてくれよ」

 私が男二人に助け船を求めると、房村だけが苦笑いを浮かべて腰を上げ、遠藤の肩を押さえた。

「貴子さん、酔ってるな。いい加減切り上げて、寝るのが君のためだぞ」

 その間に楠田は静かに立ち上がり、台所に行ったかと思うと、コップ一杯の水を持って来た。それを房村に渡す。

「ほら」

 水を与えられた遠藤は、存外素直に、そしておいしそうに飲み始めた。コップを空っぽにすると、一息つき、まだとろんとした目で我々男三人を眺め渡す。

「言いたいこと言ったから、まあまあすっきりしたわ。酔わなきゃ言えないでしょうが、こんなこと」

「あ、ああ」

「安心して。もうこれっきりだから。それに、誰にも言わないから」

 彼女の宣言により、ようやく空気が緩む。が、不意に面を起こした遠藤はにんまりと笑って、最後にこう付け足した。

「多分ね」


 嫌な思いをしたせいで、なかなか寝付けなかった私は、遠藤には黙ってブランデーを持ち出し、ストレートで飲んだ。アルコールの力を借りて、何とか安寧を得られたが、代わりに深夜から明け方にかけての記憶が曖昧になったようだ。何時に部屋に戻り、布団に潜り込んだのか、全く思い出せなかった。

 その割に、朝の目覚めは爽やかに訪れた。まるで映画かコマーシャルみたいに、寝床で上半身だけ起こし、両手を大きく突き上げる。「ああー」と声が勝手に出た。肩の荷が下りたような、清々しい気分である。

 部屋のドアが慌ただしく叩かれたのは、ちょうどそのときだった。何か叫んでいるようだが、はっきり聞き取れないし、誰の声かも分からない。

 私が布団から飛び出てドアの隙間から顔を覗かせると、楠田が立っていた。呼吸が荒い。その後ろには、目を充血させた房村もいる。

「朝っぱらから血相を変えて、どうかしたのかい」

「よう、無事だったか」

「無事?」

「落ち着いて聞いてくれよ。遠藤貴子が死んでいる」

「……」

「頭から血を流して倒れていた。今、志保が一人でそばにいるんだが、早く戻ってやらないと」

「ああ、分かった。すぐに行く」

 私は一旦室内に引っ込み、上着を羽織って廊下に出た。まだ頭の中にもやが掛かった状態だ。どちらかと言えば、朝早くからの知らせにかえって頭がぼんやりしてしまったようだ。

 異変のあったリビングに着くと、仰向けに横たわった遠藤が嫌でも目に入った。薄手の寝巻姿は、美人故に色っぽく見える。だが、間違いなく遺体だった。

「志保。大丈夫か」

 跪いていた吉口はすっくと立ち上がり、無言のまま顔を我々の方に向け、そして両手で覆った。彼女の足下にはオレンジ色の毛布が置いてあった。

「掛けられなかった。怖くて」

 蚊の鳴くような声で吉口が言う。私は手を伸ばし、毛布を拾うと、遺体の上に被せた。

「誰が見つけたんだい?」

「志保だ。彼女が一番早起きしたからな」

 私の問い掛けに答えるのは房村。

「早起きと言っても、午前七時ぐらいだったかな、俺が叩き起こされたのは。遺体を確認したあと、楠田を起こし、さらにおまえを起こしに行ったという訳だ」

「警察に知らせたのか」

「いや、まだなんだ」

「どうして? 事故だろ?」

「事故? 何故、そう思うんだ」

「だって……」

 と、私は毛布を指差した。

「転んで、頭を打ったんじゃないのか。ほら、テーブルの角が、ちょうど当たりそうな位置に来る」

「死因は俺もそうだと思うよ。後頭部をテーブルの角で打った。だが、事故かどうかは分からないじゃないか」

「……つまり、誰かが突き飛ばしたと?」

 房村は強く首肯した。

「立っていた位置から考えて、それが自然だろう。もしも転倒事故だとしたら、彼女はテーブルのすぐそばに、テーブルに背を向けて立っていたことになる。何のために? 推理作家のおまえなら、合理的な解釈を示せるか?」

「……分からないな」

 酔いが残っているようだ。良策をひねり出そうとすると頭痛が激しくなった。元々、酒に強い方ではない。

「しかし、事故にしろ事件にしろ、警察に知らせないと」

「本当にいいのか、それで?」

「……この中の誰かが、突き飛ばしたって言いたいのか」

「事件だとしたら、可能性はそれしかない。鍵はどこも開いてないんだ」

 内部犯は間違いないところだ。房村はさらに悲観的説明を加える。

「仮に貴子が勝手に転んだ事故だったとしても、警察を呼べば、一応調べられる。運の悪いことに、俺達には動機がある」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る