第46話 閉ざされたキョウキ 2

「あそこですよ、箱」

 花畑刑事が太い腕で示すよりも早く、地天馬は駆けだしていた。片手をついて舞台に跳び乗ると、遺留品などをマークした捜査の痕跡を避けつつ、凶器が収められていたという箱のセットに近付いた。

「触れても?」

 地天馬の振り返っての問いに、刑事は黙って首を縦に振った。私と刑事も舞台に上がる。

「セットと完全に一体化している。それどころか、セット自体、舞台上に固定されているな」

 部屋の角を表したのであろう、壁二枚を直角に合わせたセットがある。色は全体にダークなトーンで、表面がややざらざらしてるようだ。高さは二メートル半はある。客席から正面に見える方の壁に、問題の箱は付いていた。ランドセル大の金庫といった体の箱には、大きな錠前がぶら下がっている。

「根本的な疑問が浮かんだ。このような物が固定された舞台では、使い勝手が悪くないんだろうか」

「その辺の事情は、我々警察も気になったので、尋ねましたよ。劇団美波のトップが答えてくれた。猫村三流ねこむらみつる、ご存知で?」

「性格俳優として知られる猫村なら、コメディ作品で見た覚えがある」

「その通り。どうでもいいことだが、本名は三田村光流みたむらみつると言うらしいですな。で、彼の説明によると、この館を建てた支援者の意向だそうで。何でも、思い入れのある劇作品を最適に演じられる舞台にしたかったとか」

「その作品というのが、今度の事件が起きたとき、リハーサルをしていた?」

 地天馬の問いに、刑事はしっかり頷いた。それから手帳を取り出し、何かを確認する。

「ええっと、題名は『微睡みの朝、栄光の夜』。ファンタジーというやつで、ざっと粗筋を聞いたが、正直言って、子供向けでつまらんと思った口でして。ジェネレーションギャップなのかどうか……」

「花畑刑事。思い入れがあるからと言って、使い勝手の悪さは解消されない。他の作品をやる際は、どうするのだろう?」

「動かせないんだから、仕方ありませんや。そのままセットに溶け込ませて使うんだそうです。どうしてもそぐわない場合は、全体を覆ってしまうとも言ってたな。邪魔と感じるのは、舞台いっぱいを平らな空間として使うときぐらいだとか」

「なるほど。念のため、スポンサー個人について、教えてもらえますか」

「どうせここで隠しても、地天馬さんに依頼した人物に聞けば、分かることだから」

 そう前置きして刑事が答えたのは、二舟貞邦にふねさだくになる男性に関する情報だった。映像や写真の権利を取り扱う事業で一儲けした後、財テクで成功した一端の資産家で、元来、芸能に興味はなかった。何でも三年ほど前に、女優を志していた一人娘を若くして亡くしたのをきっかけに、有望な劇団への援助を始めたという。

「美波に肩入れするのには、何か理由でも? 芸能に関心がなかったのなら、どこの誰が有望なのかなんて判断できないでしょう」

「娘が所属していたのが、美波の前身の劇団『生前奏』なんです。有望な劇団に援助というのは建前で、思い入れでしょうな」

「……まさか、娘の死の原因は劇団にあるんじゃないでしょうね。そこまで調べていないかもしれませんが」

 期待しない口ぶりで言った地天馬。だが、花畑刑事は意外にも「いや、それが調べたんですな」と嬉しそうに答えた。

「二舟はリハーサルが始まってから、この稽古場まで、劇団員を送迎していた。つまり事件が起きた日も、現場に居合わせた。直接の関係者ってことになる。調べない訳には行かない」

「それで首尾は?」

「確かに、二舟の一人娘――千夏の死には、劇団が関係していた。美波ではなく、生前奏の方ですがね」

「劇団の名前を変えたのも、その辺に事情がありそうだ」

「さすが、いい勘をされている。ただ、名前の変更じゃあ、ありません。生前奏と美波の二つに分かれたんでさあ」

「分裂したと」

「ええ。方向性の違いってことで。千夏の死後、半年と経たない内に分かれていました。で、千夏の死んだ経緯ですが、遺書はなかったが自殺であり、事件性はないとされてます。が、原因は劇団にあると言えなくもない。ある劇で、劇団初の試みとして、派手なアクションを取り入れたんですな。リハーサル時に手違いが起き、千夏は奈落に転落してしまった。命に別状はなかったものの、大きな怪我で神経にも影響を及ぼした。舞台に再び立つのは難しいと言われ、その絶望感から死を選んだものと推測されたようで」

「奈落転落の直接の原因を作った人物は、判明しているんだろうか」

「いいえ。劇団内部ではどうだか知らんが、公的には不明で通していますな」

 花畑刑事は捜査資料から引用したと思しきメモを一瞥し、そう答えると、ぱたんと音を立てて手帳を閉じた。

「そんなことよりも、折角現場に足を踏み入れたんだから、もっと見て回ってくださいよ。もったいない」

「必要があればそうしている。だが、現時点では箱の鍵が唯一のポイント」

 喋りながら、しゃがんだり背伸びしたりと箱の鍵や後ろの壁を子細に観察し、時折触れる地天馬。と、ふり向いて刑事に尋ねた。

「スペアキーの存在や製作に関しても、否定的な答が出てるんでしょうね」

「複製は不可能ではないが、困難な造りになっているそうです。それでも近隣の鍵屋を当たったが、空振りでしたよ。そもそも、櫛原宮子が肌身離さず持っていたと言うから、スペアを作るために持ち出せやしない」

「……」

 刑事の返事を聞いて、地天馬は考え込む仕種を見せた。しばらく静寂が続いたあと、地天馬は錠前を指で弾き、やおら言った。

「花畑刑事、実は一つの仮説が浮かんでいるんだ。いや、今のところは仮説とも呼べない、妄想の領域にあるんだが」

「もったい付けずに、ずばっと言ってくれませんか。あなたの閃きには何度も驚かされてきた。今更どんな突飛なことを言われても、対応させてもらいますよ」

 花畑刑事はにこやかに答え、促した。初対面のときに比べると、口調も態度も随分と柔らかくなったものだ。

 地天馬は口元で微かに笑うと、改めて刑事に向き直った。

「ありがとう。では、もう一つの稽古場がないか、探してみてください」

「は? もう一つの?」

 花畑刑事は最前の頼もしい台詞とは裏腹な、きょとんとした表情をなした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る