第28話 溶解する屍 7

「そこまで分かっているのなら、早く調べるといいわ」

 促され、福井は彼女の前を横切り、螺旋階段を下った。駆け降りても、やはり静かだ。

 福井は階段の一段目で停止すると、床への第一歩で踏み締めるであろうタイル二枚(左右どちらの足から下りるかは人それぞれだ)に当たりを付けた。床に降り立ち、伏して顔を近付ける。取手や切れ目がはっきり見える訳もない。拳で軽く叩き、耳を澄ませる。

「……反響が大きいような」

 当たりを付けたのとは別のタイルも叩く。何度か繰り返し、比較する。

「どう?」

 声のした方を振り返ると、降りてきた琴恵が愉快そうに見下ろしていた。

「ホームズみたいにはいきませんね。はっきりしない。ここが入口ではない可能性もある」

「見ただけじゃ、分かりっこないわ。開けるのも、素手では無理。ある特殊な鍵を差し込み、引っ張らないといけないのよ。それに、推理作家さんはどんなヒントを期待している?」

「え? それは……考えもしなかった」

 立ち上がり、膝や肘をはたく福井。

「地下室いっぱいに、消失の方法が書かれていたら嬉しいんですが」

「まさか」

「ですよね。じゃあ、考えられるのは一つ。消失のために地下室が使われる、これしかありませんね」

 自信を持って福井は言い切った。どうだとばかり、美しき出題者を見つめる。

「ふふふ。本番をお楽しみに」

 琴恵は軽く受け流した。そして忠告する。

「地下室の存在を誰にも言わない方が、あなたのためよ。たとえ竹中さんが相手でもね」

「ははあ。それは困ったな」

「秘密は一人の胸の内に仕舞っておけば、完全に管理できるけれども、誰か一人に喋った途端、不安定になる。仲間内でも情報をコントロールしなくちゃ、ゲームに勝てなくてよ」

「理解できる話です。しょうがない。聞き入れて、ひとまず、僕一人の秘密にしておきます」

 福井が承知すると、琴恵は満足そうに首肯した。

「賢明な人だから気付いていると思うけれど、あなたはもう一つ、大きな情報を入手したのよ」

 虚を突かれ、首を傾げる福井。多少の時間を要したが、やがて思い当たった。

「消失は、本館で行われる?」

 相手は無言で、ただ艶然と微笑んだ。


 夕食のために全参加者が本館に揃ったのは、午後七時ちょうどのことだった。

「野球中継を観たかったんだが、これほど豪勢な食事にまたありつけるのなら、不満を引っ込めねばならないな」

 テレビなどない食堂で、幸田が大きな声で言った。聞かれもしないのに吹聴する裏には、大方、このゲームに挑戦するために、野球中継のテレビ解説を断った経緯でもあるのだろう。

「福井君。何遍も言うようだけれど、結局、一人で全部調べちゃうなんて、ひどいじゃないか」

 ナイフとフォークを不器用に動かしながら、竹中が言った。彼に肘で脇をつつかれた福井は、顔には反応を出さず、平気の体で食べ物を口に運んだ。飲み込んだところで、応じる。

「さっき、部屋で聞きましたよ。三度も。これで四度目だ。その都度、謝ったんですから、いい加減に許してください」

「一人で待たされたこちらの身にもなってよ。ほんと、退屈で退屈で」

「そんなこと言って、僕が持って来たポケットゲームに熱中してた癖に」

 部屋と同じやり取りの繰り返しだ。福井は嘆息した。水を一口飲むと、上座の席に目をやる。

 主催者の姿は、食堂になかった。

 ゲームスタートを宣言したときの格好で現れた琴恵は、食事を始める挨拶をすませると、じきに出て行ってしまった。元々、ここで食事をするつもりがなかったのは、彼女の席の前に、何ら料理が置かれていないことだけで明らかだ。

「いよいよ、消失現象とやらをご披露してもらえるのかな」

 食事を始めて三十分も過ぎた頃、飯田が言った。他の者の反応を探るかのような視線を、左右に飛ばす。

「そない言うたら、もうすでに消えてますなあ、琴恵さん」

 山城栄一が呑気な調子で応じ、フォークを持った手で空の席を差し示した。

「不思議なことなんか何もあらへん。ふつーに歩いて、出て行きはっただけや」

「ねえ、あなた達、何にも聞いてないの?」

 中澤がそばに立つお手伝いの一人に聞いた。ふっくらした顔つきのその女性は、水をコップに注ぐときと同じように腰を曲げ、答えた。

「いくつかお聞きしていることはございますが、申し上げてはいけないと厳しく言われておりますのでご了解ください」

「やっぱり、何かあるのね」

 ほら見てご覧なさいとばかりに、肩をそびやかす中澤。酒が入ったせいか、アイドル時代の仕種は影を潜め、地が出つつあるのかもしれない。

「メイドの皆さん全員が、琴恵さんから同じ言い付けをされているのかな」

 三人のお手伝いを等分に見渡してから、ヘンリー定が聞いた。返事はイエスだった。

「私もちょっと聞きたいことあるんやけど」

 寿子が口元を拭い、挙手の格好をした。そんな言い方をするのだから、許可を求めているのかと思いきや、そのまま続ける。

「真夜中に消失現象が起こるんやないやろね? なんぼ今日中や言うたかて、午後十一時五十分とかにやられたら、眠うてしゃあないわ。そのことが心配で、お酒も気持ちよく飲めやしません」

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