第20話 箱船は行方不明 5

「次は世山吉成せやまよしなり、中堅出版社で雑誌編集長を務めている。出版社に菓子を置きに来る鍋倉に言い寄っていたらしい。そのしつこさを聞きつけた青野が、一度、編集部に乗り込み、もめ事を起こしていた。以来、鍋倉はこの出版社への配送からは外れたが、世山も執念深いというか、鍋倉の住所を調べていた節がある。調べ当てたかどうかは、はっきりしない。本人は知らないと言っているがね。五十を目前にした独身で、離婚歴一回。えー、釣りが趣味。船舶免許を取りたがっている」

 釣り。ぴんと来るものがあった。

「警部。これ、使えませんか」

「釣りが?」

「ええ。重りを付けた釣り糸を、あの格子窓の間だから通して……。熟練者になると、かなり離れた的に命中させると聞きますから」

「だが、あんな狭い場所で、あれほど大きくカーブさせるのは不可能では? ガラス瓶が見えないから、割ってしまう危険もある」

「……うーん。多分、無理のようです」

 肩を落とす私の前で、花畑刑事が続きを喋り始めた。

「最後は冬木正明ふゆきまさあき。鍋倉の務めるメーカーと同系列の洋菓子店で働く若手の菓子職人ですな。と言っても、彼は鍋倉との関係ではなく、青野とのつながりから、捜査線上に浮かんだ。中学まで同じ学校に通い、そこそこ親しかったのが、二十歳を過ぎた頃、鍋倉を通じてお互いの近況を知り、旧交を温めた。温めただけならよかったんだが、金の貸し借りをしたのがいけない。ヨーロッパへ修行しに行く資金が足りなかった冬木が、青野を頼った。青野には幸か不幸か、薬の横流しで得た金があり、気前よく貸した。その返済を巡ってトラブルになっていた」

「冬木は、薬物の不法販売の件を知っていたんでしょうか」

「いや、それはなかったようです。ただ、危なそうな薬が部屋にあることには気付いていたと言ってる」

「ふうむ……。それで、冬木の特技なんかは」

「冬木は無趣味な人間との評判で、菓子馬鹿の面があって、休みの日もよく菓子の研究をしている。最近は、初夏の頃から冷菓の研究を繰り返していたとか。えっと、アイスクリームに新しいコーティングをし、溶けにくいようにしつつ口当たりをよくする狙いとか何とか」

 菓子作りと密室は結び付きそうにない。無理矢理に知恵を絞ると……飴細工で細長い滑り台を作って格子窓からガラス瓶までキーホルダーを送った後、熱で飴を溶かした? まさか! 空想的に過ぎる。

「どうです? 何か閃くものはありましたかな」

 下田警部に水を向けられたが、飴の滑り台のアイディアを話す訳にもいかず、首を横に振るしかない。

「引き続き、考えることとしましょう。我々は本来の捜査に戻りますから、そちらは地天馬さんに一刻も早く連絡してください」

 下田警部の言葉で、散会となった。


 いつ連絡があるかしれないため、ここ数日、私は地天馬の探偵事務所で寝泊まりしている。

 無論、彼は私の自宅の電話番号を知っているが、たとえば地天馬が過去の事件のデータやその他資料を参照したいと電話で言ってきた場合、事務所に行かないと分からないことが多い。故に、事務所に泊まり込んでいるのだ。

 私は密室漬けになった頭を一旦リセットすべく、テレビをぼんやり見ていた。午後十一時を前にニュースが始まったので、特に天気予報を注意する。

 台風は大陸方面に抜け、地天馬のいる島はすでに安全圏だと分かった。が、こんな夜遅くに先方へ電話を入れるのは気が引ける。地天馬自身、あちらの事件で疲労困憊しているかもしれない。

 明日の朝一番に掛けようと心に決め、毛布を被ったちょうどそのとき――デスクの上の電話がけたたましい音を立てた。

 毛布のトンネルから飛び出し、送受器を鷲掴みにする。こんな時間に掛けてくるのは、地天馬に違いない。

「はい、もしもしっ。こちら――」

「ああ、僕だよ」

 予感が当たった。地天馬の声だ。

「決着した。明日の昼過ぎには帰り着くと思う。そちらは何か起きていないか、新しい依頼がないか気になってね。電話してみたんだが、まずは元気そうな声が聞けてよかった」

「地天馬! こっちは難問を抱えてるんだ。力を貸してくれ」

「分かった。話してくれ。メモの用意はできている」

 私の急な願いにも、地天馬は戸惑った気配を表すことなく、即座に応じた。頼りになる存在だ。

 事件のあらましから入り、細かな説明をし、地天馬からの質問に知っている限り答えていった。

「――ガラス瓶の中は、乾いていたか、濡れていたか」

「あ? ああ、確か乾いていたよ」

「じゃあ、家の中の気温は? 暖房は入っていなかっただろうか?」

「入っていなかった。入っていたら、教えてくれる」

「なるほど。テレビ台の下の部分の日当たりは? 太陽の光をいっぱいに浴びて、水分がすぐに乾く状態にはないだろうか」

「ええっと、いや、部屋の北側にあるから、なかなか日の光は届かないんじゃないかな」

「そうか。……もう一度聞くが、自殺の可能性はないんだね」

「ないだろう。他殺を装った自殺だとしたら、手が込みすぎてるよ。チケットを買うだけならまだしも、現場を密室状態にするのはやりすぎだと思う」

「僕も同感だ。となると、思い付く事件の経過は一つだ」

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