第9話 反転する殺意 5




 翌日までに、森谷の六日のアリバイには一点の曇りもなしと認められた。捜査陣にとって、予期していた結果である。共犯の有島が吉山を襲うときに、森谷がアリバイを作っておかなければ交換殺人の意味がない。森谷への疑いを取り下げる訳には行かず、引き続き事情聴取が行われている。

 一方、下田達は先月三十日夜の有島のアリバイの有無を洗うべく、葬式に足を運んだ。有島洋に向けた疑惑をお首にも出さず、焼香をなるべく機械的に済ませると、遺族の前でお悔やみの言葉を述べ、事件の早期解決を誓う。

 刑事はここからが本領発揮だ。関係者をつかまえ、話を聴く。有島のアリバイのみならず、彼の人となり、さらには他にも犯行に関与しようとした人物がいるかどうかも見極めたい。

 問題は、葬儀当日は被害者と関わりのある者の多くが一堂に会するが、その多人数故に誰に話を聴くべきか絞りづらい面もあることだ。また、忙しく動き回る遺族らの煙たがられない程度に短い時間で切り上げなければならないため、この雰囲気の中での聞き込みにはそれなりのコツを要する。

 だから、逆に向こうから近寄ってくる関係者があれば、たとえ犯人逮捕を急かしたり、警察への文句や非難を口にしたりするためだとしても、チャンスと捉える。相手が有島洋と親しければ親しいほど、ありがたい。

 その意味で、有島洋の弟と話す機会を早い段階で得られたのは、幸運と言えるかもしれない。

「久しぶりに実家に戻ってくる用事が、これですからね。やりきれませんよ」

 達観した口ぶりではあったが、有島千鶴夫ちづおの顔色はよくなかった。元来ほっそりした頬が、青ざめたせいでまるで病人のようだ。死んだ洋が実家から大学へ通っていたのに対し、弟の方は大学入学と同時に家を出て、今は製紙会社勤務という。洋のオールバックとは対照的に、千鶴夫は長めの前髪を垂らしている。

 下田警部は本心から慰めるつもりで、「お力を落しのことでしょう。我々も全力を挙げて解決に」云々と悔やみの言葉を連ねた。

「どうも。家族の期待を一身に背負っていた兄貴が死んで、親達は惚けてしまっていたでしょう」

 千鶴夫は皮肉っぽい笑みを浮かべた。無理をしているように見えなくもない。

「兄貴は勉強、スポーツともに秀でていました。助教授なんて聞くとひ弱いイメージを持つかもしれませんが、兄貴は中学は野球、高校と大学はラグビーで鳴らしたものです。僕にとって憧れの存在であり、一種の目標でした。でも、兄貴は僕と同じ目線でいてくれた。僕と兄貴は持ちつ持たれつの関係というか、結構気が合ってましてね。だが、さすがに双子のように精神感応は起こらないらしい」

「精神感応?」

「ご存知ありませんか? 一卵性双生児のどちらかが怪我をすると、もう片方も同じ部位に痛みを感じるという話」

「ああ、それなら」

「兄が死んだ時間帯、僕は学生時代の仲間と飲み会をやっていた。殺人現場からほんの三駅向こうの隣町にいたというのに、身体のどこにも痛みを感じなかった。六時三十分から二時間、ただただ馬鹿騒ぎに興じていただけでした……」

 下田は継ぐべき言葉を見つけられず、少々戸惑った。質問に入ろうにも、同居していない千鶴夫に有島洋のアリバイを尋ねても、明快な答えが返ってくるとは思えない。迷う合間に、花畑が代わりに尋ねた。

「こんなときになんですが、洋さんの知り合いで、森谷裕子という方を知りませんかね。歯科医院の助手さんなんですが」

「……いや。記憶にありません。その方が、事件に関わっているのですか」

「いえいえ、まだ何とも」

 花畑が曖昧に答え、下田が会話を受け継いだ。

「ただですねえ、お兄さんの知り合いの中で、森谷さんだけが、どの程度親しかったのか、分からないもので。歯医者で知り合ったのははっきりしているんですが、たったそれだけのことで、アドレス帳に残しておくものなのか、私には納得しがたい」

 アドレス帳にあったという部分は嘘だった。今の段階で、交換殺人のメモの件を話す訳にはいかない。無論、公にされていないし、この弟を見ていると打ち明けるのははばかられた。

「兄貴は堅物のところがあったけれど、惚れっぽい面も持ち合わせていました」

 懐かしむ口ぶりの弟は、遠くを見つめるポーズをした。

「一目惚れをして、名前や住所、電話番号を聞き出したのかもしれませんよ」

「ありそうな話だと思います。だが、森谷さんの方は洋さんとの交友を否定しているため、前進できんのです」

「その人が嘘を言っている?」

 色めき立った千鶴夫をなだめようと、下田は断固とした口調で言った。

「まだ分かりません。弟さんにも言ってないなら、親しい関係ではないのかもしれませんしね」

「そうですか……」

 被害者の弟は、残念そうにうなだれた。早く真相を掴んで教えてやりたいと思う反面、仮に有島洋が交換殺人の片棒を担ごうとしていたと判明したら、遺族にどう告げればよいのだろう……。

 下田は頭を振った。現時点で気を揉む対象は、そんなことではない。感情を肉体の奥底に押し込んで、質問を重ねる。

「洋さんが嫌っていた人物に、心当たりはないでしょうか」

「兄貴が嫌っていた? どういうことです、それ」

「逆恨みという犯行動機も考えられますからな。洋さんが訳あって距離を置きたがっているのに、それをひねくれて解釈するような輩が暴走すれば、事件に発展しかねない」

「そういう意味ですか。ううん、だけど、心当たりはないなぁ。刑事さん、こういうときにこんな問い掛けをされると、自分のことばかり考えてしまうんですよ。僕が変なのでしょうか」

「自分のことばかりと言いますと?」

「兄弟喧嘩の思い出がよみがえる。まさしく走馬燈のようにってやつです。あのとき、あんな理由で喧嘩になったけれど、兄貴はあれで僕を嫌うようになったんじゃないかな……ってね」

 ますます顔色が悪くなったように見えた。下田は千鶴夫からの事情聴取を早めに切り上げようと思った。

「最後にもう一つだけ。洋さんが遺体発見現場である郊外まで行かれた理由を、何か聞いていませんかね」

「さあ……最近は電話でたまにやり取りするくらいだったから、確かなことは言えません。でも、兄貴の専門を考えれば、別段、悩むような問題ではないんじゃないですか、刑事さん?」

「ご専門は植物関係とだけ伺ってます。では何か珍しい植物の採集に行かれたんじゃないかというんですな?」

「ええ、まあ。他に考えられませんし」

 最後に来て、薄く笑った千鶴夫。兄の専門馬鹿の一面を思い起こしていたように見えた。

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