第3話 二人の距離 3



「またまたお手柄です。すでにご存知とは思いますが、大当たりでしたよ」

 殺人事件の犯人逮捕が小さく報じられた翌日、事務所に姿を見せたのは花畑刑事ではなく、上司格の下田しもだ警部一人だった。

「おや。花畑刑事は?」

 芝居がかって地天馬が聞くと、警部は苦笑に相好を崩した。

「あいつはここのところ腹の調子がよくなくて、しばらく出歩けやしません。何を気に入ったのか、同じパンばかりずっと食ってて、おかしくなったみたいでしてね。いやはや、嘆かわしい」

 あの日、ここで食べたパンもそうなのだろうか。思い出そうとしたが、何パンだったのかまでは、覚えていない。

「それよりもまあ、事件の話だ。毎度のことながら、ご協力、感謝します」

 軽く敬礼のポーズをしてから、下田警部はかぶりを振った。

「いやあ、私も最初に花畑から聞いたときは、唖然としましたよ。鹿間の奴は、大げさなアリバイ作りをしたものですな。自宅とよく似た家をわざわざ借りるとは、よくも思い付いたもんだ。よほど変わった思考経路の持ち主じゃないか」

「僕も思い付きましたよ」

 地天馬はそう言って笑ってみせた。

「多分、鹿間は内山のマンションの近くに、自宅とよく似た造りの賃貸住宅ができたのを知って、このアリバイ作りを思い付いたんじゃないかな」

「そう、それですよ。賃貸契約の裏を取って問い詰めたら奴さん、白状しましてね。そんなことを言っておりました。およそひと月前に知り、殺人計画を立ててから、ぽんと金を払って借りた。殺しがうまく行った暁には、何だかんだと理由を考えて、契約解除するか、又貸しするつもりだったようです」

 同僚三人は鹿間に、この偽の自宅へと案内されたが、初めての訪問だから気付くはずがない。万が一、三人があとになって本物の自宅に来る機会があり、周りの景色が違う等と言い出したとしても、その内の二人は事件当夜ほろ酔い。言いくるめるのは簡単だ。残る一人、素面の証人さえを丸め込めれば、鹿間にとって安全である。

「しかし、家を借りるばかりか、調度品もある程度揃えなきゃならないんだから、相当な出費だなあ」

 我ながら貧乏性の発想ではあるが、費用の掛かる犯罪であることは事実だ。鹿間にすれば内山は、それほどまでして殺したい相手だったのだろうか。

「鹿間の行動は、判明したんですか」

「ええ、ええ。ほぼ、地天馬さんが推測した通りだったと言っていいでしょう。観念したら、奴も案外素直でしてね。まあ、指紋を残した上に、アリバイ工作を崩されたんだから、当然と言えば当然です」

 鹿間は事件前日の金曜日、仕事が終わってから仲間三人と合流し、会社近くで食事を済ませると、鹿間の家(偽の自宅)に車で向かった。

 会社から自宅と偽の家までの距離の差を考え、適当に遠回りしてから到着すると、鹿間は三人を先に通し、用意しておいた飲食物を振る舞った。この合間にコンビニエンスストアでの買い物を前もって車に詰め込み、鹿間自身も家に落ち着く。そして麻雀やゲームをしつつ、三人の意識を時刻に向かせるよう、テレビ番組の開始を気にしたり、「この一時間、負けっ放しだ」などとぼやいてみせたりしたという。

 一時十分前を目安に、買い出しの話を持ち掛け、皆の了解を得て出て行く。計画のために借りた家から内山のいるマンションまで、車で十分足らず。一時五分には、内山の部屋の前に立っていた。

 深夜の会合をいかにして内山に承知させたか気になるところであるが、今度で最後にするからと下手に出て、約束を取り付けたとのことだった。

 部屋に上がり込むと、もう何にも返さなくていい、ただし慰謝料は勘弁してくれ等と会話をつなぎながら、相手の警戒心を解く。内山が隙を見せた瞬間、花瓶で殴り付けて殺害。返り血は付かなかったらしい。

 その後、台所で手を洗い、自らが触れた箇所を丁寧に拭き取ってから、部屋を出たのだが、このとき電灯を消したのが失敗の端緒となった。眠る時刻なのにいつまでも明かりが灯っていては不審に思われるだろうとの計算が働いたようだが、指紋のことを完全に忘れてしまっていた。

 雨の中、三人の同僚が待つ家に引き返し、さも、たった今コンビニエンスストアで買ってきたというふりをして、皆の前に袋を投げ出した。

 三時過ぎまで麻雀を続けた後、一眠りをし、全員が目覚めたのは午前九時。朝食を簡単に済ませると、ボーリング場兼ビリヤード場に車で繰り出した。もうこの家には戻らないからと、三人に荷物を忘れないように何度も確認させたのは言うまでもない。

 鹿間は夕刻、三人を駅やアパートまで送り届けたあと、偽の自宅に立ち寄り、麻雀やゲーム機器及びソフト、さらにはグラスやごみまで持ち出し、自宅まで運んだという。後日、警察にアリバイを尋ねられた際に、証拠の一つにしようと考えてのことだった。

「鹿間自身、嘆いておりましたよ。自宅とマンションの距離を縮めるのではなく、被害者との距離を縮める努力すればよかった、とね。今さら遅いって言うんだ、まったく」

 下田警部が吐き捨てる。そのフレーズについ、笑いを誘われた。

「なるほど、それじゃ下田さんもですね。花畑刑事に養生に努めるようにと伝えてください」

 地天馬が言った。

「はあ。それはどういう意味で?」

「コンビを組む相手がいないと調子が出ないんじゃありませんか。早く復帰してもらわなくてはね」

 そう言い放つと、地天馬は私の方をちらりと見た。


――『二人の距離』終

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