3 俺の脳ミソを喰って行け



 俺たちはそのまま半ば拉致らちのような形で運営棟の応接室に導かれた。尻が飲み込まれるほど柔らかい椅子に、部屋中に香りが広がるほどの濃厚な紅茶。案の定、セツナは気が落ち着かず、終始そわそわモゾモゾしている。それを微笑で見守りながら、魔法学園のニキは遠慮もなしに話を続ける。

「興味深い学生がいると、こちらの学長先生からうかがっていたんですよ。ご存知のとおり、我が学園は世界中から優秀な生徒を募集していますから」

 ニキの横手にはうちの大学の学長と、セツナの担任教授もいる。彼らの目を見れば、とっくに話は通っていたのだとすぐに分かる。

 そうかい。知らなかったのは俺たちだけかい。

 魔法学園――正式名称セレン魔法学園は、異界の英雄セレンによって300年ほど前に設立された世界最初の大学だ。なんでも異世界での先進的な教育法を導入したとかで、素晴らしく有能な魔術士を次々に世に送り出し、またたく間に内海ないかい世界全域に影響を及ぼすに至った。この成功を見た各国が学園を模倣して立ち上げた無数の大学組織……その中のひとつが俺の勤めるここというわけ。

 まあ要するに、魔術士の世界の権威なわけさ。

 気に入らない。

 今すぐぶん殴ってやりたいくらいに気に入らない。

 セツナは……この子は俺が育てたんだ。寝る間もないほど頑張って、やっとここまで磨き上げたんだ。なのに、何年も何年も眠っていたつぼみがいよいよ花開こうかというその時、横からしゃしゃり出て「最高の環境で学んでみませんか」だと!? ああそうだろう。俺ごときは最高じゃねえよ。むしろ底辺と言っていい。それでも俺はあんなにも、あんなにもセツナのことを……

「セツナさん」

 壁や天井にせわしなく目を動かしているセツナに、ニキは驚くほど優しい声で語りかけた。

「最近の授業の様子も聞きました。ここ2ヶ月ほどで急速に力をつけてきたそうですね。なにか特別な勉強をしたのですか?」

「……本読んだです」

「どんな本を?」

「『緑柱文書』フィナイデル写本。『敬意論』。『存在と不確実性』」

「おお」

「『クレクト分解』『呪文子仮説』『並列する時間』『一般運命方程式』『神々の併存に関する一考察』……」

 次から次へと淀みなく並べられていう書物の名前。俺は思わずセツナの横顔に目を奪われた。なんて真剣な目をしてるんだ。まるでかけがえのない大切な何かを訴えようとするかのように彼女が語る書物は全て、俺が選んで読ませたものだ。一冊も欠けていない。全部だ。全部覚えてるんだ。俺の教えをセツナはこんなに大事にしてくれている。

「……すばらしい」

 魔法学園のニキが目を丸くしている。

「驚きました。いずれも最良の名著ばかりだ。必要な本は全て読んでいるし、逆にくだらない本は一冊も読んでいない。どうやって選んだのです?」

 ぐい、とセツナが俺の腕にしがみつき、二の腕に顔をうずめる。

「なるほど。クライド先生が選別なさったのですね?」

「まあ……」

「感服いたしました。貴方は立派な教育者であるらしい」

 そんなおべんちゃらを……

 ……いや。

 俺は少しずつ、かたくなな自分の心が融けていくのを感じていた。魔法学園のニキ、彼の目は澄んでいる。もちろん他人の心の中なんて分かりはしない。分かりはしないが、少なくとも俺には、彼が本心で俺を褒めているように感ぜられる。

「誤解のないよう、はっきりと申しておきますね。

 僕は、セツナさんに強制するつもりなんて、まるでないのです。こちらの大学に残っても、何も悪いことはない。立派な教師のみなさん、きちんと構成された授業、充実した書庫ライブラリから充分な学びが得られるでしょう。

 ただ、セツナさんの素養はいささか特殊です。

 共通語コモンで術式を発動させる、それがどれほど異質なことか、むしろ貴方がたこそよくご存知ぞんじのはずだ。

 しかし僕たちの学園では、それは異質でも特別でもない。共通語コモン術式を専門に扱う研究室さえ存在するのです」

「つまり、そこに行けば……?」

 思わず俺は口を挟んだ。俺の心をなだめようとするかのように、ニキは穏やかにうなずく。

「セツナさんの才能を最も活かせる、と思います」

 俺は言葉を失った。

 俺は、俺はなんて自分勝手なやつなんだろう。

 セツナと離れたくない。ずっとにしていたい。そんな欲望にとらわれて、一番肝心なことを見失っていた。いつからかな。セツナに追い抜かれそうになり始めた時からか。俺が書庫で猛勉強していたのはセツナを育てるためじゃなかった。彼女を俺のそばに縛り付けておくためだった。本当は、あったはずなんだ。俺の手にはおえなくなった時点で、もっと他の、誰か優秀な教師の手にゆだねるという道が。

 そうさ。

 それが一番いい。

「セツナ」

「んぅ」

 鼻を鳴らして見上げるセツナに、俺は冷たく吐き捨てる。

「授業は終わりだ。俺はもう、お前に何も教えられないよ」



   *



 そう。これで話は終わりだ。

 結局、俺は根っから凡人だったのさ。綺羅星のような天才に出会い、彼女に関わることで、自分も一角ひとかどの男なんだと思い込もうとしていた。そんなはずないのにな。結果はむしろ、「本物」との覆しようもない格差を思い知らされただけだった。

 セツナが旅立つその日、俺は見送りにも出ず、いつもの“隙間”に身をひそめていた。彼女に合わす顔がない。顔を合わせる必要もない。学園までの付き添いには教授が自ら行ってくれるらしいし、向こうに付けば世界最高学府の非の打ち所もない学習環境がセツナを待っている。俺にできることは何もない。

 俺の仕事は、終わった。



   *



 だから、馬車の中でのできごとは、俺が直接見たわけじゃない。後にニキさんから茶飲み話で伝え聞いただけだ。

 とにかく、ニキさんとセツナと付き添いの教授を乗せた馬車が大学をってまもなく、教授がいらないことを言い出したらしい。

「まあ、良かったじゃないか、セツナくん。いつまでもなぞに囲われていては、日の目を見ることもできないからな」

「教授、それは……」

 とニキが慌てて割って入ったが、時すでに遅し。

「……あ?」

 異様な気配に身震いして振り返れば、セツナが、見たこともないような目で教授をにらんでいた。

「《バカにすんじゃ》……《ね―――――ッ》!!」

「いけないセツナさ……うわあっ!?」



 ずどんっ!!

 地の底から天の果てまで突き上げるような衝撃! “隙間”にいた俺は悲鳴を上げて石壁にすがりついた。地震か? いやただの地震じゃない。肌にビリビリと感じるこの魔力。俺は知ってる。よく知っている。凄まじいまでの憤怒の術式、これは間違いなくセツナの術だ。

 俺は“隙間”から身をねじるようにしてい出して、正門に向けて疾走した。どこもかしこも騒然としている。学生も教員も誰も彼もが空の一点を見つめ、口々に驚愕と恐怖の声をあげている。畜生! 俺にも見える。やめてくれよ! 大学の門のすぐ先に、雲まで届くほどの背丈で立っていたもの……それは、セツナの術で構築された俺。巨大な俺の姿だったのだ!

先生センスェをバカにすんなァ!』

 “俺”が叫ぶ。。セツナは“俺”の肩の上に立ち、遠すぎて見えないけど、きっと涙目で大学を見下ろしている。“俺”が蹴る。大学の門と壁の石材が、球技大会のボールみたいに蹴り飛ばされ、緩やかに弧を描き、本講堂の屋根を粉砕する。

『おまえら全然ずぇんずぇんわかんなかったもん!!

 先生センスェが一番わかりやすかったもん!!』

 俺は足を止めた。

先生センスェが! セツナの一番なんだも―――――んっ!!』

 こんなの。

 こんなのずるいだろ。

 こんなの泣かずに、いられないだろ。

 俺は呆然と立ち尽くし、セツナと“俺”の破壊活動を見つめ続けた。周りでは騒ぎがどんどん広がっていく。「逃げろ!」「信じられない、なんて密度の具現化だ」「《解呪》! 誰か《解呪》を!」「あんなの打ち消せっこないですよ」「誰かなんとかしろ!」「教授、ご無事で……わあああ、走って! こっち来る! 教授走ってーっ!!」

 ありがとう。

 ありがとう、セツナ。

 お前のその想いだけで、俺は、きっと無価値じゃなかった。

 だから、大人の責任、果たさなきゃあな。

「セツナァッ!!」

 俺の絶叫が、空に響き渡る。巨大な“俺”が動きを止めた。肩の上のセツナが、瞳をうるませ、俺を見ている。

 ダメだ。戻ってくるんじゃない。

 俺の言ったことは嘘じゃない。俺にはもう、お前に教えられることなんてない。お前はとっくに俺の知識と技術の全てを吸収してしまった。

 ならば、贈る言葉はただひとつ。

「俺の脳ミソを喰って行け。

 そして――でっかくなって帰ってこい!!」



 セツナが叫ぶ。俺だけを見て。

先生センスェ―――――っ!!

 結婚しよ―――――っ!!」



 は!?

 え!? いや……は!? なんなんだ唐突に。全然受け答えが成立してねえだろ!? お前いっつもそうだ。人の言うことを聞いてないっつうか、聞いてるけど話の展開が二つか三つ飛んでるっつうか……いやそれより、なんて答えりゃいいの、これ!? わあっ、セツナが泣きそうになってる! 巨大な“俺”がアップを始めた! 待て、暴れるな! 暴れるんじゃねえぞ! 今答えるから、えっと……

「お……おう!」

 あっ。

 いや。

「ふゅん」

 セツナが鼻声を出したとたん、巨大な“俺”が煙を吹いて縮んで、消えた。セツナは門の外の地上に降りたらしい。周囲から安堵の声が湧き起こる。

「はあ。収まったか」

「あの子は本物ですね。やはりうちの大学に閉じ込めておくには惜しい」

「ま、いずれ戻ってくるんじゃないですか?」

「婚約もしたし」

 はっ?

 引きつった顔で振り返る俺。学長以下教授陣が俺の肩を叩きながら通り過ぎてく。

「いやあ若いもんはええのう」

「熱がこもってましたしねえ」

「いいプロポーズでしたよ」

「評価は?」

「“優”」

「“優”」

「“優”」

「全会一致」

「いや!? 教授、俺はその……」

「クライド君。ところで、来期から本講堂で講座持つ気ある?」

「一年生に基礎を叩き込むの得意みたいだし」

「私ら、苦手分野なんだよねえ」

 言いたいことがありすぎて、もう何を言っていいんだか分からねえ。だがとにかく、今はこう答えとくしかない。

「はい! よろしくお願いします!」



   *



 こうしてセツナは旅立った。

 寂しくなるな、と思ってたが、これが大間違い。魔法学園で《遠話》の術を覚えたセツナが、毎晩声を送ってくるんだ。その日学んだこと。学園にいる面白い人たち。矢継ぎ早に繰り出される世間話のあと、最後の一言は必ず、

先生センスェ! セツナのこと、好き?〕

 どう答えてるかって? うるせえ。察しろ。

 あいつの言うことはイマイチ要領を得ないが、ニキさんによれば、セツナはすでに画期的な発見を三つばかり成し遂げており、着実に世界一の魔術士への道を歩んでいるって話だ。




THE END.

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俺の脳ミソを喰って行け 外清内ダク @darkcrowshin

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