第2話 本編 その一

裕太ゆうた~」

 甘ったるい声を上げたのは凜藤りんどう彩音あやね。ロシアとのクオーターで綺麗な銀髪を肩よりも長いくらいに伸ばしている。

 それは俺が髪が長い方が好きだからだ。

 幼さを残した顔立ちに、整った目鼻立ち。まるで西洋人形のような顔つきは不思議な魅力がある。

「裕太。着替え、お願い」

「はいはい」

 朝シャンを浴びた彩音は、裸のまま更衣室を出てくる。

「ああ。もう、少しは拭いてから出てこい」

「うん。拭いて」

 もう分かったよ。千瀬ちせは可愛いな。

 俺はおもむろに立ち上がり、千瀬のすべすべな肌をタオルで拭いていく。そこにやましい気持ちは生まれない。なにせ、俺の妹なのだから。

 妹に欲情する兄などいるはずもないのだ。

 拭き終えると、彩音は裕太に尋ねる。

「パンツは?」

「ああ。今日はこれがいいだろう」

 ピンク色のショーツを渡すとしげしげと履き始める彩音。

「千瀬は可愛いな」

「えへへへ」

 彼女は断じて千瀬などではない。彩音のなのだ。

 しかし裕太は彩音を千瀬と扱うことでなんとか正常を保っているのだ。

 だがそれも過去のこと。今は少しずつ彩音と千瀬が別人であると認識し始めている。

「彩音はピンクが似合うな」

「わたし、千瀬よ。勘違いしないで」

 彩音は自らを千瀬と名乗る。妹と違えばすぐに離れ離れになってしまう不安からそう言ってしまうのだ。

「すまん。千瀬。ブラジャーは同じ色のものだから」

 そう言って豊満な胸にブラジャーを被せていく。

 ブラジャーを脱がせたイケメンはいれど、ブラジャーを履かせるイケメンは裕太以外にいないのではないだろうか?

「それにしても、また大きくなったんじゃないか?」

 セクハラと捉えても仕方ない言葉に、苦笑する彩音。

「もう。そんなことはないって」

「いやでも、ほら。少しはみ出ているぞ」

「そうね。じゃあ今度、買って」

「おう。いいぞ」

 ブラジャーとショーツを履かせると今度は制服を着させる。

「千瀬は俺がいないとダメだな」

「そう、ね」

 戸惑いの声が漏れてくる。

「わたし、お兄ちゃんがいてくれて嬉しいの」

 うんうんと頷く俺。

 やっぱりまだまだ子どもなんだな。お兄ちゃんが助けにならないと。

 ふんすっと気合を入れ直すと朝食をすませ、朝支度をすませる。

 自転車に乗り、同じ高校に向かう彩音と裕太。

「おはよう。バカップル」

 冷笑を浮かべ、彩音と裕太に投げかける葵。

「おはよう。葵」

「葵ちゃん、おはよ〜」

 能天気な二人に若干の苛立ちを覚える葵。

「ずいぶん楽しそうね。まあいいわ。そんなごっこ遊びなんてすぐにやめさせてあげる」

 棘のある言葉を隠すでもなくぶつける葵だった。

「葵ちゃん、怖いの」

「茶化さないで。二人にとって大事な話をしているんだから」

「わたしは裕太さえいればいいの」

「うぐぅ〜」

 言葉に窮する葵。

「裕太〜」

 自転車の後ろから裕太の腰にすりすりと頭を寄せる彩音。

 それを見ているのが辛くなり、顔を背ける葵。

「千瀬危ないぞ」

「というか二人乗りはダメなのでは?」

 葵がそんな疑問をぶつけると彩音は降り自転車の横につく。それを見てか、裕太も自転車を降りてあるき始める。

「素直なんだか、そうでないんだか……」

 呆れ返っている葵。

 二人の依存っぷりは見ていて不愉快になるレベルだ。

「今日は入学式なのよ。シャッキとしなさいシャッキと」

「シャキッとシーチキン!」

「いやシーチキンはシャッキとしていないからね!」

 俺のボケに千瀬が対応する。

「それならレタスやキャベツがいいね」

 葵も苦笑いを浮かべながら応じる。

「語呂が良いじゃん、なんだか」

「それはそうかも……」

「懐柔されているんじゃないよ。まったく」

 葵はプンスカと怒り、足早に高校に向かう。

 裕太と彩音、それに葵は昔なじみ、つまりは幼馴染なのだ。その中には千瀬もいた。

 しかし、今はその影しか見えない。

 談笑しながら高校の校門をくぐると、体育館までの道が色鮮に飾られている。

 入り口で花飾りを受け取ると胸につけ、会場に足を踏み入れる。

 赤と白で鮮やかになった道を歩き、パイプ椅子に腰を掛ける。

 と隣になった男が話しかけてくる。

「よう。おれ虹丘にじおかひとし。よろしくな!」

「俺は天野あまの裕太。よろしく」

「そっちのべっぴんちゃんは?」

 虹丘は俺を挟んで向こうにいる二人に話しかけていた。

「わたし、凜藤りんどう彩音あやね

 震えた声で応じる彩音。

「私は結城ゆうきあおい。よろしくね!」

 彩音は警戒するように呟き、葵は無邪気に言う。

「で。二人と天野の関係は?」

「いきなり呼び捨て!?」

「ダメだったか?」

「まあいいけど」

 俺がそう呟くと嬉しそうにする虹丘。

「で。どっちが彼女?」

「バカ。葵は幼馴染だ。それに千瀬は大事な妹だ」

「千瀬……?」

 困惑する虹丘。

「わたしのことだよ」

 警戒しているのか彩音は虹丘をすっと睨む。

「凜藤は怖いな」

 耳打ちをしてくる虹丘。

「まだ慣れていないんだよ。ジョジョに仲良くしていけばいい。――だが」

 俺はすっと息を吐き、耳に寄せる。

「妹はやらん!」

「お前が一番怖いわ!」

 虹丘がパイプ椅子から転げそうになっているところで入学式が始まる。

 粛々と行われる入学式。

 黙々と行われる式辞。

 淡々と進むお言葉。

 それを熱心に聞き入るのも裕太くらいだろう。

 虹丘を始め、多くの生徒はつまらなさそうに目を伏せている。

 ようやく入学式が終わり、体育館から出ると虹丘が駆け寄ってくる。

「おう。連絡先交換しようぜ!」

「いいけど、妹とは直接連絡させないぞ」

「厳しいなぁ。まあいいけど」

 スマホでLionのIDを交換し終えると満足げに呟く。

「凜藤ちゃんはフリーなんだろ?」

 ぞわっとした。気持ちがざわつくような気持ち悪さ。

 なんだろう。

「まあフリーだが……」

 絞り出して答えたが、違和感を覚える。

 俺にとって葵はなんだ? その疑問がふわふわと浮かんでは消えていく。

 とるに足らないもの。

 そう割り切ることもできないのだ。

 有り体に言えば幼馴染ではある。だがそれではない何かがあるように思えてならない。

「まあすぐに仲良くなる気はないさ。じっくり攻めるわ」

 虹丘がにかっとスマイルを浮かべて白い歯をのぞかせる。

「お前、チャラい感じがするから無理じゃないか?」

「非情なことを言うな! おれだって傷つくんだぞ!」

 泣きそうな顔を見せる虹丘。

「わ、わりぃ。そんなつもりじゃないんだ」

「お前はいいよな。彩音ちゃんと妹プレイができるんだもの」

「妹、プレイ……?」

「だってそうだろ? でなきゃあんなに付き合ってくれないって」

「ち、違う!」

 言い訳をしようとすると他の男子が虹丘に呼びかける。

「おっと。急がねーと。このあと合コンだけど、お前はこないよな?」

「あ、ああ……」

 歯切れの悪い声で返すといかにもちゃらそうな男子と一緒に股の緩そうな女子と一緒に歩き出す虹丘。

「嫌な感じがするわね」

 隣に立つ葵が怪訝な顔でその集団を見やる。

「わたしは裕太さえいればいいの」

 すりすりと頭をこすりつけてくる彩音に頭を撫でる裕太。

 俺たちには関係ないのかもしれない。それでも居心地の悪さを感じるのは、俺たちがおかしいからなのか。

 ともあれ入学式が終わり、俺たちは下校することになった。


 葵の家は裕太と彩音からは離れている。何もできない彩音は凜藤家の了承を得てうちに住み着いている。それもこれも裕太のためである。

 精神科の医者いわく、千瀬と思い込んでいる彩音と離れるのは良くないと言われている。だから彩音の両親にも許可を得て、彩音は裕太の家に住んでいる。

 彩音と言えば、甘やかしてくれる裕太に依存しているのだ。恋心を超して依存になっているのだ。それを知らない裕太は罪作りな男と言えよう。


「今日はわたしが作るね」

「ああ。頼む千瀬」

「ふふ。楽しみに待っていてね♪」

 こういうと彩音は料理上手に思えるが、実際はそうではない。彩音の料理は中の上。そこそこのおいしさなのだ。

 手際良く、制服の上にエプロンを羽織ると、鼻歌交じりにフライパンを出す。

 俺はソファに横たわり、スマホで電子書籍を読み始める。

 ……。


「ゆ、……裕太。起きて」

「彩音……」

 俺はいつの間にか寝ていたらしい。幼馴染みの名前を口にしていた。

 起き上がると俺はくしくしを目をこする。

「ああ。千瀬か」

「もう、びっくりさせないでよ」

 少し悲しそうに眉根を寄せる彼女。

 目の前にはオムライスが用意されていた。彩音の得意料理である。他にも肉じゃがや親子丼、生姜焼きなどが得意である。

「さあ、ご飯にしましょ?」

「ああ。ありがとう」

 オムライスを食べ始めると、不思議と目から涙がこぼれ落ちていく。

 死んだのだ。彩音は。

 幼馴染みは。

 俺が殺した――否、殺し続けている。

 代わりに千瀬いもうとがいる。これでいいと思っている裕太がいる。

 幼馴染みは最初からいなかったのだ。その記憶が彩音にとっては悲しい。辛い。それを直感で分かっている。

「どうしたの? 裕太。なんで泣いているの?」

「分からない。でも、なんだか悲しい」

 味も分からなくなるほど、嗚咽を漏らす裕太。

 胸のモヤモヤを晴らすように泣き続ける。


 しばらくして落ち着いた裕太は、湯船に浸かっていた。浮かんでいるアヒルのオモチャは千瀬が子どもの頃から使っている。

 静かに落ち着いていると、風呂から上がり、着替える。

 いわゆるラブコメ的な展開はないが、本物の妹に欲情するはずもなく、実際には起こりえないのだ。

「彩音……」

 口にした言葉に驚き、ベッドに横たわると、またもや寝落ちする。


 翌日。

 俺と千瀬は学校に向かって歩き出す。

「今日も仲良しね。裕太、彩音」

 葵が不機嫌な顔でしゃべりかけてくる。

「あー。うん。そうだな」

「それでいいの? 彩音」

「……」

 難しい顔をする千瀬。

「何を言っているんだ? 彩音じゃなくて千瀬だろ」

「そう、ね……でも二人は別れた方がいいと思うわ。そんなの愛じゃなくて共依存よ」

 葵が苛立ちを露わにし、腕組みをしトントンと指を鳴らす。

「言うな!」

 それに刃向かうように声を荒げる彩音。

「それはお医者さんから止められているの!」

「だからって、このままでいいわけ?」

 葵の言葉は彩音の胸を貫く。

 自分を殺し続けて千瀬を振る舞う彩音。

 握りこぶしを作る。

「千瀬が困っているだろ。俺には葵の言い分が理解できない」

「あんたも、しっかりしなさい! いつまで呆けているつもり!?」

 葵が悲鳴に似た声音を上げる。

「共依存なんてサイテーよ!」

 葵はそれを言い終えると学校に向かって走り出す。

「待てよ!」

 俺は直感に身を任せ、走り出す。

 葵を泣かせたのは俺だ。

 他でもない俺がそうしてしまったのだ。

 酷いことをしている自覚はないが、それでも自然と彼女を傷つけてしまっている。それは許されることではない。

 むしろ自覚がない方が酷すぎる。

 涙を見せた葵。俺は彼女を守らなくちゃいけないんだ。

「行っちゃうんだね」

 遠くから彩音の声が漏れる。

 寂しそうな、苦しそうな声音が耳をつんざく。

 でも足は止まらない。

 俺はあんな状態の葵を放っておくことができなかった。

 共依存。

 確かに言われて初めて気がついた。

 俺は毎日、千瀬にパンツを履かせ、身体を洗っていた。でもそれはイケないことなんだ。

 分かっている。

 思春期の男女がそんなことをしてはいけないと。

 でも止められなかった。止まらなかった。

 そうでもしていないと自我が保てない自負がある。

 そこまでして俺は生きていたいと願った。

 彩音を殺し、千瀬を生かす――それは裕太の最大限の妹への愛なのだ。それを咎めることが出来る者など、そういない。

 実際に妹が死んでしまったのがショックで、記憶を掛け違えているのだから。

 評論家は言う。それは詭弁だと。

 哲学者は言う。それは必然だと。

 科学者は言う。それは防御だと。

 どんな言葉で彩られても、裕太の価値観を決めるのは裕太自身である。

 それを咎めることが出来る者などいない。

 何せ、誰も経験したことのない世界なのだから。

 経験がなければ、記憶が、感情が分かるはずもない。追体験をし、悲しみを背負って、それでもなお生き続ける。それがどれほど残酷で冷徹なのか。その筆舌しがたい困難はその人が受け止めること。受け止められるのは本人しかいないのだ。

 だから裕太には葵の言い分が分からない。彩音と千瀬の気持ちが分からない。

 裕太もまた、他人の価値観なんてわかりはしないのだから……。


 下駄箱で雑に履き替えると、葵を追って屋上へと向かう。

 その頃には生徒も集まっていて、廊下は障害物競走のようになっていた。

「こら! 走ったら危ないでしょ!」

 そんな声も聞こえてくるが、俺は走るのをやめない。

 ここで葵を失えば、本当に全てがダメになる。そんな予感がした。

 悲しみを抱えている彼女だからこそ、俺は助けになってやりたい。

 もう共依存だって言わせないようにする。

 屋上の扉が勢いよく開く。

 その後で、俺が飛び込む。

「葵!」

「な、何よ! 私は、正しいことを言ったのよ! なんで誰も分かってくれないのよ!」

「俺には分からない。でも話し合えばわかり合える。俺たちは幼馴染みなのだから」

「!! だったら、もう一人の幼馴染みを助けてあげてよ! あまりにも残酷で見ていられないのよ! なんでこんなことになっちゃったのよ!」

 ワンワンと泣き出す葵に、どう接していいのか分からずに、頬を掻く。

「それはたぶん、俺には無理だ。でも、共依存は治していかないといけないと思う。パンツ一つ履けないなんて……」

「パンツ、履かせたのかしら……?」

「そうだと、言ったら?」

「軽蔑するわ」

 単刀直入に言うな。

「でも安心してくれ。千瀬とは仲の良い兄妹なんだ。それだけだ。やましいことはしていない」

「パンツ履かせるのはやましいことじゃない?」

「うぐっ!」

 クリティカルヒットを受けた俺は身もだえる。

 なんだかちょっとゾクゾクする。

 葵に罵られるのも悪くない気がする。

 それでも、言わなくちゃいけないことがある。

「俺には葵の気持ちは分からない。でも歩み寄ることが、わかり合えることができれば、葵をそんなに悲しませることはないと思う」

「……」

 しばらく熟考する葵。

「裕太くんの妹、千瀬はとっくの昔に死んでいるのよ」

「ははは、まさか。何せ今日も千瀬と一緒に登校したじゃないか」

 俺はからからと笑うと、葵を見やる。

 その顔は悲しみで歪んでいた。

「本気、なのか……?」

「そうよ。あなたの記憶は入れ替わり、幼馴染みの彩音ちゃんを殺して、千瀬の代わりとして扱ってきた」

「いやいや、そんな。科学的に言ってありえない」

「自己防衛本能よ。それくらいのこと、分かるでしょ?」

 記憶喪失。

 記憶違い。

 物忘れ。

 それらは精神の、脳の防衛本能である。

 それを知っている。知らないはずなのに知っている。

『こういった症状はまれですが、防衛本能の一種です。これからは彼の前では千瀬さんと名乗るのがよろしいかと……』

 白衣を着た中年のおっさんの声が頭に響く。

 その言葉が、俺の心を掻き乱す。

「うそだ……。嘘だ! 俺はそんなの認めない。俺の愛する千瀬が死んだなどと!」

「これは事実なのよ……。裕太くん!」

「嘘だ。うそだ!」

 俺は階段を駆け下り、千瀬を認めると、抱きしめる。

「お前はもうどこにもいくな!」

「裕太。わたし、本当は彩音なの」

「千瀬はそんなこと言わない!」

 俺は、俺の千瀬はここにいるじゃないか。

 その千瀬が自分を否定するはずがない。


 俺が千瀬を間違えるはずがない。


 俺はまだ依存しているのかもしれない。

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②愛と呼べるもの、共依存に在り! 夕日ゆうや @PT03wing

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