第19話 エルフ妻との旅は悠久の旅

 地上に戻るとミアは、


「戻ってきた!」


 と涙を流す。


 なんでも無事戻ってくるか、心配で心配で仕方なかったらしい。


 俺は彼女の赤毛を撫でながら、最高の結果を得たことを伝える。


 ミアと共に浴場を見に行くと、獅子の口からどぼどぼと黒い湯が流れているのを確認する。


「す、すごい! まっくろ!」


「コーラみたいだろ。甘いのにベタベタしてない最高のお湯だ」


「す、すごいです。こんなお湯、ヤンカースのどの宿屋も持っていません」


「これで夜明けのいちじく亭の売りが出来たわけだ」


「ありがとうございます!」


「あとは君の親父さんがやる気を出してくれればいいんだが……」


 そのように漏らすと、件の親父がやってくる。


 最後に見た酒乱姿とは正反対の姿をしていた。


 ぴしっと服装と髪型を整えている。料理人の命である包丁もぴかぴかだ。


 後光を差しているようにさえ見える。


 フィーナはとても驚いている。


 この変わり様をミーナは胸を張って説明してくれる。


「皆さんがダンジョンに潜っている間にわたしがおとーさんを説得したんです」


「ほお」


「見ず知らずのお客様がわたしたちのために駆け回ってくれているのにお父さんはお酒ばかり飲んでいて恥ずかしくないの! って」


「すごいな。そこまでびしっと言えるなんて」


「えへへ。――お母さんが夢枕に立ったんです。いつまでもお父さんを甘やかしちゃ駄目って」


「それは正解だ。八歳の娘に負担を掛けるような親は親じゃない。子供は子供らしく生きるべきなんだ。これからはちっとは遊べ、親のすねをかじれ」


「……はい」


「そのための手伝いもする。具体的には陽光樹のしげみ亭にお灸を据える」


「え? どうして?」


「強欲な奴らのことだ。黒湯の存在をすればあの手この手で黒湯を奪おうとするだろう。だから先手を打つ」


 宿の窓から外を見上げるが、陽光樹のしげみ亭によって夜明けのいちじく亭は昼間でも薄暗かった。物理的にも精神的にも夜明けをもたらしたかった。


 というわけで、強欲なやつらが行動を起こすのを待った。



 案の定、陽光樹のしげみ亭はすぐに行動を起こした。


 隣の宿から黒湯が出たという情報を聞きつけると、悪巧みを始める。


「あんな貧乏宿に黒湯が出ようが、どうということもないが、あの黒湯をおれたちが独占できれば、陽光樹のしげみ亭はさらに発展できる」


「温泉好きの貴族様が目を付け、参勤交代の本陣にしてくださるかもしれん」


 そのように計算すると、金貨一〇〇枚を革袋に入れ、夜明けのいちじく亭に持ってくる。


 それをミアの父親の前に置くと、


「おい、貧乏人、これでおまえの宿ごと買い取ってやる。この金で好きなだけ飲んだくれるといい」


「…………」


 元々、自尊心が高いミアの父、それに娘のために改心した彼は、胆力が座っていた。


 交渉に来た陽光樹のしげみ亭の使者を文字通り蹴り出すと、ミアに塩を持ってこさせた。


「はーい!」


 やる気を回復させ、自尊心も取り戻した父にテンションが上がるミア。


 嬉々と塩を持ってくると、一緒に撒く。


 夜明けのいちじく亭とミア家族としては最良の行動であったが、陽光樹のしげみ亭にとってはそうではない。金貨一〇〇枚ですら〝慈悲〟を掛けてやったと思い込んでいる陽光樹のしげみ亭の経営者は怒りを覚える。


「こっちが下手に出ればいい気になりやがって……」


 僅かばかりも下手に出ていないのだが、悪党というのは羞恥心がないから悪党になるのだ。彼は強硬手段に出る。


 人足を雇って地下迷宮のパイプラインに細工を加えることにしたのだ。


 要は前回やったことをまた繰り返すことにしたようだ。


「パイプラインに手を加えるのは温泉組合の御法度。しかし、温泉組合と幹部とおれはねんごろだ。夜明けのいちじく亭の訴えなど聞くものかよ」


 けっけっけ、と品のない笑いを浮かべる陽光樹のしげみ亭の経営者だが、その奸計が命取りになった。


 そんな浅知恵などお見通しだったのだ。


 パイプラインから黒湯を強奪した陽光樹のしげみ亭の経営者、「なんという上質な湯!」と大満足であったが、さらさらだった黒湯が徐々にドロドロしていくことに気がつく。


「なんだ? ベトベトし始めたぞ。それに変な匂いが……」


 お湯をすくって確かめるが、さらさらだったお湯は重油な泉質になっていた。


 首をひねる悪徳経営者?


 そんな彼に俺は避難勧告を出す。


 陽光樹のしげみ亭の外から、《拡声》の魔法を使って警告する。


「あー、このようなこともあろうかと、黒湯の源泉の横にあった重油っぽいぽのが流れ込むように細工していた。ちなみに黒い液体は可燃性であり、爆発性もあるぞ」


「げ!? なんだと!?」


「おまえの宿屋はすでに可燃性のガスが充満している。僅かばかりの良心が残っているのならば、客と従業員を避難させろ」


 最後の警告のつもりだったが、彼は従わない。


 思った通りだったので、近所の宿屋の亭主たちに頼み、宿泊客の避難を誘導する。


「勝手なことをするな!」


 激怒する悪徳経営者。従業員に止めさせるように命令するが、この期に及んで経営者の話を聞くものはいない。なにせ彼は従業員の命さえ軽んずるのだ。それに日頃から従業員の賃金をケチり、馬車馬のように働かせていた報いを受けることになる。


「こんなところで死んでなるものか!」


 と皆、一目散に逃げ始めた。


 そうなれば悪徳経営者も避難せざるを得ない。


 俺は全員、避難したのを確認すると、


「パチっ」


 と指をはじく。


 その瞬間、陽光樹のしげみ亭に充満していた可燃性ガスに火花が引火!


 陽光樹のしげみ亭は吹っ飛ぶ。


 成金趣味全開のダサい建物は花火のように四散する。


 悪徳経営者が悪逆の限りを尽くして建てた建物が一瞬でなくなってしまったのだ。


 がれきとなった夢の跡を見て、悪徳経営者は呆然と立ち尽くしている。


 いい気味である。


 これでもう夜明けのいちじく亭に悪さを働くことは出来ないだろう。


 一応、最後の保険として、ぽんとやつの肩を叩き、


「もしもこれ以上、この街で悪さをしたら、おまえさんの身体も同じようになるぞ」


 と脅しておく。


 悪徳経営者は腰を抜かしながら逃げ去っていった。


「これでもう悪さはしないだろう」


「これにて一件落着ですね」


 血を見ずに解決したのでフィーナの機嫌は麗しかった。


「だな。ちと乱暴だったかも知れないが」


 見れば爆風によって夜明けのいちじく亭は埃まみれだ。掃除をするのに数日は掛かりそうだった。ただ、その点を責めるものは誰もいない。


「ちょうど、改装をしようと思っていたのです」


 ミアは腕をまくし上げる。


 それに近所の人たちも。


「陽光樹のしげみ亭の連中の横暴に立ち向かったのはミアだけだった。俺たちはなんも反抗もできなかったし、やつらの言いなりになって僅かばかりのお湯を貰っていたんだ。そんな中、ミアとあんたらは俺たちに誇りを取り戻させてくれたんだ。是非、手伝わせてくれ」


 と言ってくれた。


 フィーナは風の精霊で掃除をしようと思っていたらしいが、その姿を見て風精霊にお帰り願う。魔法で解決するのはたやすいが、人の心は魔法で得られないのである。


 俺とフィーナは純粋な労働力として、夜明けのいちじく亭の掃除を手伝った。


 一週間掛かったが、その間、ミアの父親が腕によりを掛けた料理を振る舞ってくれた。


 俺とフィーナはそれに舌鼓を打ちながら、労働に励む。


 汗を流したあとのご馳走は、宮廷で出される料理よりも美味しかった。



「レナスさん、フィーナさん、近くに来た際は必ずうちに泊まってくださいね!」


 ミアは宿場町の外れまで俺たちを見送ると、ぶんぶんと手を振って別れを告げる。


 声を張り上げ、俺たちが消えるまで見送ってくれる。


 フィーナは俺に、


「気持ちのいい子でしたね」


 と話す。


「ああ、ああいった娘を持つのが幸せなのだろうな」


「お父様も立ち直ったようですし、万々歳ですね」


「元々、腕のいい職人だったんだ。次に会ったときは繁盛店になっているだろうな」


 そのようなやりとりをすると旅を再開する。


 俺とフィーナのふたりはゆっくりとベナン地方に向かう。


 あせる必要はない。


 一〇〇年前は忙しなさすぎた。魔王を討伐したこの世界で急ぐ必要などないのだ。


 俺とフィーナは、いちゃいちゃラブラブしながら、街道を北に行く。


 俺たちの旅は始まったばかりであるが、この物語はここまで。


 なにせ俺の妻は永遠に等しい命を持っている。


 彼女との旅を全て記すことは不可能だった。


「エルフ妻との旅は悠久の旅」


 そのような言葉と共にこの日記にピリオドを付ける。


 ~完結~

 

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エルフ妻と始める悠久の旅 ~伝説の勇者、愛するエルフと共に100年前に救った世界を旅する~ 羽田遼亮 @neko-daisuki

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