渡部仁との記録

 渡部仁は安静に過ごすことになり、登校することはしばらく禁じられている。渡部の家は一軒家で、庭の広さ、駐車されている車種から、少し裕福な家庭でのびのび育てられたのだろう。


事前に番号を調べて家に訪れることは話していた。約束の時間になったのでインターホンを押した。機械的なインターホンが鳴って、ネット包帯を巻いた渡部が現れた。目の下の隈が目立ち、顔色が悪い。一連の事故で精神的に堪えてることは明らかであった。睡眠も取れず、食が細くなっているのだろう。おそらく今回の事件関係者で、最も精神的なダメージが強い。そんな印象を受けた。


 渡部の自室は音楽関係のグッズや、楽器で溢れていた。それなりに音楽が好きなのだろう。


「体調は大丈夫?」


「それなりに元気なつもり。ところで何を聞きたいんだ」


 少しだけ早口に渡部は言った。本心では早く帰って欲しいのだろう。


「そうね。手短に話しましょう。時間が惜しい。まずは最初の質問だけど、本当に片桐くんと喧嘩をしたの?」


「当たり前だろ。なんで嘘をつかなくてはならない」


「ならどうして喧嘩になったの? 片桐くんと何があったか話してみてよ」


「些細な喧嘩だ。ライブが上手くいかなくて互いに鬱憤があったんだ。だから僕は後頭部を殴られたんだろ」と渡部くんが言った。


「片桐くんもそう言ってた」


「ならいいだろう。聞きたいことってまさかこんなことか?」


「いいえ。片桐くんは全て自分が悪い、責任は全て自分がとると言って、退学するつもりみたいなの」


「そうか」

  

 渡部くんは視線を下に逸らした。


「ところで渡部くんはヒカルさんが好きなの?」


「今回の件とは関係ないだろ」


「そうとは限らないのよ。片桐くんは今回の件について反省文を書いていたようなんだけど、その中にあなたと美波さんがキスをしていたと書かれていたんだけど。それが今回の事件と関係あるかもしれない」


「俺が美波と?? 冗談はよしてくれ」


「なら片桐くんの見間違い? ヒカルさんは美波さんと入れ替わっていたことを認めたよ。あなた達は男女の関係だったんじゃない?」


 片桐くんは嘆息して、億劫そうに答える。


「そうだよ。俺とヒカルは付き合ってる。片桐はヒカルが美波と入れ替わっていた所を頃を偶然見かけたんだろ。そうかあいつあの場面を見ていたのか」と渡部くんは頭を抱える。大袈裟な素振りに思えた。


「美波さんとヒカルさんが入れ替わっていたことに気づいたのは渡部くんだけ?」


「それはどうだろうか。俺には判断できない。だけど二人はよく入れ替わっていた」


「それは本当?」


「ああ。だから俺以外に気付いて奴がいたかもしれない」


 渡部くんの意見に現時点での憶測に自信がついた。


「どうしてそう思うの? 根拠はあるの」


「これは言いにくいことだけど。一度だけ美波がヒカルの姿で、俺にキスをしてきたんだ。するまでまるで気づかなかった。いつもと違う感覚だったから、俺はつい突き飛ばしてしまったんだ。その時の美波の目つきに強い憎悪を感じて驚いたよ。美波は走って部室から出て行った。それから毎晩のように非通知で電話が掛かるようになったんだ」


「非通知ね。端末の履歴は残ってる?」


 渡部くんは携帯端末の履歴を見せてくれた。事件が起こった前日まで毎日のように、非通知で電話が掛かってきていた。時間帯は深夜の1時くらいなので、嫌がらせ目的であることは明らかである。


「非通知の犯人が何も美波とは限らないだろ。だから余計なことは言わないでくれ」と渡部くんは念を押す。渡部仁は女性からアプローチされることが多い。だが根が優しい人物なので、どうしても中途半端な関係になってしまうことがある。過去には積極的にアプローチされて、断り切れずに付き合ったことがあると情報も得た。渡部の表面しか知らない生徒からすれば、複数の女子に手をつけている軽薄な男に見えるのだろう。だが、渡部が真面目な人物であることは、彼と仲が良い人物から証言を得ているので間違いない。


「もちろん。言わないよ。それに渡部くんはモテるから何も、美波さんが非通知の犯人とは限らないでしょ」


「そ……そうかもしれないな」


「誰か思い当たるい人はいる?」


「それが全く。円満に解決してきたと思ってるし、タイミング的にも美波の可能性が高いとは思うけど、どうにも信じられない。それよりも今回の喧嘩とは関係ないだろ。俺と片桐の問題だ」


「それもそうね。なら片桐くんに後ろから殴られたってことでいいのかな? 片桐くんの反省文によると、練習中に渡部くんが指摘をして、片桐くんが逆上して頭を殴られたと」


「概ね合ってるんじゃないか。突然後ろから殴られたんだ。後頭部だったから、頭が揺れて記憶が曖昧でな」


「ちなみに拳だったと思う?」


「それはどうなんだろうか。わからないな」


 おそらく拳ではない。渡部くんが出血をしていたことは、養護教員から供述を得ている。犯行に使われたのは、硬い鈍器ではないかと推測する。素手が原因の怪我とは到底思えない。

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