第5話 旋律が崩れるとき

プロローグ

 茶道部は事実上の活動停止を余儀なくされている。かつては毎週水曜日に外部の人間を招いて、日本の伝統である茶道の作法を学ぶだけではなく、正しい日本語を会得することで、より深い心構えを持つ場所であった。それが一昨年くらいから、部員が好きなお茶とお菓子を持参して、談笑する活動に変わっていったのだ。本来の活動を行いたくても、部員もいないし茶道の心得がある教員も一昨年に退職している。活動が逸脱していたことは、もちろんだが、部員の確保も難しい状態が続いたことで、愛好会に降格したのは記憶に真新しい。


 校舎の片隅にひっそりと備え付けられた和室で愛木は森ノ宮と向かい合う。茶道愛好会の会長である森ノ宮は、切り揃えられた前髪に長い黒髪が特徴的な女学生だ。最後の元茶道部メンバーであり、現在は茶道愛好会のたった一人のメンバーであり会長と言う立場でもある。森ノ宮は持参したマグカップを手に持って口に運んだ。和室。茶道部であるはずなのに、森ノ宮が手にしてるマグカップに違和感を覚えた。


「愛木さん。私はもう愛好会を誰かに引き継いでもらおうなんて思ってないよ」


 茶道部は部員を揃えなければ、森ノ宮が卒業すると同時に廃部することが決定的である。愛木としては伝統ある部活動をこのまま廃部にするのは惜しい。当人である森ノ宮を説得して部の存続に関しての危機感を募ってもらおうとしているが、上手くは行ってない。


「どうして? 伝統ある茶道部がこのまま廃部になるなんて悲しいじゃない」


「私は第三者を巻き込んでまで、変化を促すことは好まないのよ。望みや願望があったとして、それが一人ではできないなら私は望まない」


 森ノ宮は長い髪を耳にかけて、マグカップに口をつけた。


「そんな受動的では、後悔するかもよ。成功者の殆どは失敗を顧みない能動的な人よ」


「私は可能な限り、動きたくないのよ。種を巻いて後は放置するだけ。限界まで無駄を省くことが理想だと思うの」


「その言い分だと、森ノ宮さんは茶道部を存続のために動いてはいるのね」


「それはもちろん。愛木さんに心配されるような覚えはないわ」


「それは、ごめんなさいね」


「ところで私になんの用なの? まさか催促するのが目的ではないでしょ? 茶道部存続なんて、鬼の風紀委員にはどうでもいいことでしょ」


 森ノ宮の口ぶりから、愛木は先月の事件について語り出す。前置きはこれくらいにして、そろそろ本題に入るべきだろう。


「先月に軽音部で喧嘩があったのは知ってる? バンドメンバー同士での殴り合い。正確には一方的だったみたいだけど。それで軽音部は解散するかも知れない。それどころか当事者は退学の可能性もあるみたいなの」


「それは大変ね」


「私は今回の事件の原因を突き止めて、なんとか退学だけでも阻止したいと思ってる。森ノ宮さんには是非とも協力して欲しい」


「協力?? 私に何ができるかわからないけど、どうぞ何でも聞いて」


「ありがとう。早速だけどこれを読んで欲しいの」


 愛木は鞄から四枚の用紙を取り出して「これは事件の関係者が何らかの視点で記録していた手記、私が今回の事件に興味を持ったのは、個々によって異なる事件の側面、捉えかたが全然違うってことなのよ」


「視点が違う?」


「そう。今回の事故は多角的で、真実が見えないのよ。とても興味深い」


「あなたって決して正義の味方ではないわよね」


「それは私も自覚している。多分にして、私は知りたいだけなのよ。人の心。その言動を引き起こした過程を知れば、新しい何かが見えてくるかも知れない。私ではない他人を知ることは人生を豊かにすると、私は感じているんじゃないかな。話が逸れたけど、まずはこの手記を読んで欲しい」


 愛木に促されて森ノ宮は手記に目を向けていく。


「事件の詳細は言ってしまえば、痴情のもつれによる喧嘩ね。軽音部に所属するバンドメンバーのギター担当がモテモテのボーカルを殴ってしまった」


「それだけ聞くと大して興味はそそらないわね」


 森ノ宮は退屈そうに視線を逸らした。


「そうよね。私も最初はそう思ったわ。だけどね。偶然にも加害者が書いた反省文を偶然にも見つけてしまってね。紙屑がゴミ箱から溢れて散乱していて、拾ってゴミ箱に入れたんだけど、紙屑が何個もゴミ箱に放棄されているの見て。これはただ事ではないと思ったの。一枚だけ広げて見ると、どうやら反省文のようで、軽音部の暴力事件の加害者の元であることは、すぐにわかった。私が聞いていた話よりもずっと詳細で、事件が起こるまでの過程が私の好奇心を刺激したことは言うまでもないよね。どれを読んでも少しだけ内容が違ったり、中には事実を根底から変える可能性のある供述もあった。ただ何回も書き直したみたいだった。これは裏に何かがあるのではと思って、私は内容をまとめて書き起こした。最初の一枚は、私が書き起こしたものになる」 


 愛木は一枚の用紙を森ノ宮に渡す。


「多分。加害者の供述をうまくまとめられたと思うわ。そこそこ自信がある」


 愛木は破顔した。森ノ宮は読みたくはないとは言えなかった。


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