天使の羽はなぜ白いのか

个叉(かさ)

天使の羽はなぜ白いのか

天使の羽についての一考察

1. 天使とは何か

1.1. 日本における天使の概念:天使の羽は白いのか


数年前、訊かれたことがあった。

なぜ天使の羽は白いのか、と。


天使の羽が白いというイメ-ジは、どこから来たのだろう。

天使の羽は、なぜ白いのだろう。


ムハンマドの前にあらわれるジブリ-ル。終末に剣を振りかざすミカエル。受胎告知を告げるガブリエル。

彼らはいずれも、色つきの羽でその姿を現す。勿論、白い羽の天使もいるが、日本で見るような画一的なものとは少し違う。

日本ではどうだろう。

多くの天使は白い羽で描かれている。

意識していなかった。当然、なぜ白いか考えることはなかった。


一般的に日本で知られている外見を思い描いてみる。

頭上に輪っかがあって、白い服に白い羽。

日本における白い天使の概念は、アニメや漫画、小説やゲ-ムの影響が大きいかもしれない。少年少女であれば、羽を背負っている。

それらの羽の色は、白色、たまに黒、金色でもある。だが色のバリエ-ションはそれくらいだろう。


然し、日本だけが白い天使のイメ-ジという訳でもないだろう。

2022年2月、ウクライナ侵攻時、在日大使館が空の雲を天使に見立てていた。キ-ウのゼゼレンスキ-大統領はユダヤ系だそうだ。

欧州絵画の世界でも、先に述べたように白い天使がいない訳ではない。


白い羽の天使の姿は誰が作ったのだろう。

天使の羽の色を考察する前に、天使とは何なのかを考えていきたい。


尚、「」で文章となっているものは、基本的に、その項目の最後に付けている参考資料に示しているものが、資料引用、出典である。本来であれば数字をつけ管理すべきである。

また、引用の出典の記述方式がばらばらである。これらは、折を見て直そうとは思っている。




1.2. 天使とは何なのか


天使は、言葉通りにとると、天の使いである。

英語で言うとエンジェル。元の語源はギリシア語である。


アンゲロス(αγγελος;angelos)とは、ギリシア語で「伝令」「使いの者」である。アメリカの「LosAngeles」(天使たち。losは定冠詞)はスペイン語からきている。αγγελος;angelos(希)→angelus(羅)→LosÁngeles(西)→LosAngeles(米)。

ラテン語の影響を受けているヨ-ロッパ語圏と言語のル-ツが何となく見えてくるだろう。

その前は何と呼ばれていたのか。

ヘブライ語ではマルアハ(םַלְאָךְ[mal’aḵ])と呼ばれた。これは「遣わす」の派生語である。

つまり天使とは、伝令であり、遣わされた存在である。


ではその天とは誰なのか。

ギリシアではなくヘブライに起源がある。

エンジェルの語源がギリシア語であるのは、当時、その宗教が一般的に公用語であったギリシア語で、多く翻訳されていたためである。


その宗教とは、ユダヤ教だ。

アラム語やヘブライ語で書かれていた聖書だが、七十人訳聖書(セプチュアギンタ)で知られるように、ギリシア語のものが多く残っている。

現存する最古の聖書の一つとして名高い七十人訳聖書。ユダヤ教では外典とされる。

外典にされている理由は、翻訳と原文には相違があるからだ。

翻訳を通して、聖書、或いは古い書物は改変されるものだということを、一つ意識してほしい。


天、つまりユダヤ教の神は、ギリシア神話やロ-マ神話、ゲルマン神話の多神教ではない。

一神教の神、啓典の民の神である。つまり、ヤハウェであり、アッラ-であり、イエス・キリストの父なる神及びイエス・キリストその人と聖霊である。


神は、古くユダヤでは神聖四文字(YHWH。テトラグラマトン)を残し、その名を忘れられてしまった。

原因は複数ある。

神の名を「みだりに唱えてはならない」こと。ユダヤ人の使用するヘブライ語が子音のみで構成されること。他には第二神殿の崩壊で離散(ディアスポラ)したことだろう。

「エホバ」とよばれていた神が、「ヤハウェ」に訂正されたのはそのためだ。長らく「アドナイ(主)」の母音で補われた神は、現在「私は在って在るもの(אֶהְיֶהאֲשֶׁראֶהְיֶה(エヒイェ・アシェル・エヒイェ))(出エジプト記3:14)」から母音が補われている。

神が何を成してきたのかは、ノアの洪水、ソドムとゴモラ、バベルの塔などで知られているだろう。


アンゲロスは、その神の使いである。

彼らは文字通り、「伝令」する。

伝令としてイメ-ジする出来事の一つをあげる。

天使はアブラハムとサラに子供ができると伝える。サラは90歳で子供を産むという伝令に笑ってしまい、神に叱責される。このエピソ-ドは、キリスト教では、マリアの受胎告知の予型である(旧約と新約のタイポロジ-)。


言葉通りの伝令として書かれる以外にも、天使と分類すべきケルブやセラフがある。

果たして彼らは、聖書にどういった形で表れてくるのであろうか。

天使の姿はどのように書かれているのだろうか。



参考資料:

「「失楽園」における「天使」について」道家弘一郎、聖心女子大学キリスト教文化研究所https://irdb.nii.ac.jp/00845/0005234182

ISSN0386-7005宗教と文化=RELIGION AND CIVILIZATION 36、131-172




2. 天使の姿


2.1. 天使の始まり


天使の始まりはいつなのか。


天使について最も古い記述は、旧約聖書にある。

ユダヤ教の聖書であるタナハは、不名誉にも旧約聖書の名で知られる。キリスト教の聖書が新約聖書だからである。

黙示録的な終末思想が紀元前後のユダヤに蔓延し、クムラン文書などで知られる。外典のエズラ記やヨハネ黙示録はその後で、更にエスカレ-トした天使の思想は、多くの天使や天使の位階を生み出していく。


旧約聖書(タナハ)はギルガメシュ叙事詩の影響を受けている。

ギルガメシュ叙事詩との類似点だが、ノアや善悪の木などがあげられる。

知恵の木を守るケルブは、アッシリアの有翼人面獣身の守護者「クリ-ブ(kurību)」がその起源といわれる。

また、ユダヤ教エッセネ派の来世概念などはギリシア的感覚を受け継いでいる。イランは勿論、ヘレニズムの影響も受けている。


ユダヤ教がタナハ(聖書)を完成させたのは、現在の研究でBC4Cとされている。

時代はヘレニズム。

古いことが価値のあるの世界。汎ギリシアの世界。現在のような新しさは然程価値がない時代。ユダヤ人たちは、自分達が古い民族だと主張する必要があった。

歴史のないものは認められない。バビロン捕囚によって住む場所、失ったものを埋めるように、タナハは完成した。自分達が古い民だとヘレニズムにアピ-ルして、成立させたのがこれらの書物だ。


その中にはモ-セ五書(律法:ト-ラ-)がある。律法とは、次の五つの書物である。

創世記「בראשית」(ヘブライ語の原題は「初めに」の意味)

出エジプト記「שמות」(原題は「名」)

レビ記「ויקרא」(原題は「神は呼ばれた」)

民数記「במדבר」(原題は「荒れ野に」)

申命記「דברים」(原題は「言葉」)


これらがどうしてキリスト教のものとされたのか。

簡単に言えば、ロ-マに認識されていたユダヤ教が、キリスト教にその立場をとってかわられたからである。


紀元1C頃、神殿の税を納めればある程度の自治が認められていたユダヤがロ-マに対して叛乱を起こす。第一次ユダヤ叛乱(ユダヤ戦争)である。

第二神殿が落ち、マサダ要塞陥落。離散(ディアスポラ)の民として、ユダヤ教徒は散り散りになった。

第一次ユダヤ叛乱で力を失ったファリサイ派やサドカイ派達に代わって台頭してくるのが、エッセネ派の流れを汲んだキリスト教である。


この当時にキリスト教が完全にユダヤ教から独立していたかどうかというのは、疑わしい。キリスト教は第二神殿でなく共同体で生活するユダヤ教エッセネ派の流れを汲んでいた。30年前後に処刑されたイエスから、キリスト教は始まる。しかし、60年前後には未だにユダヤ教の一派と思われていた。


64年頃にはスエトニウス曰く、ロ-マに放火したキリスト教徒の記述がある。スエトニウスは70年頃から160年頃に生きた元老院議員である。

同様にタキトゥスは55年頃から120年頃に生きた元老院議員である。タキトゥスに関しては、その著作を信奉する傾向が強い学者もいるが、彼の資料については精査されるべき部分が少なくないと思われる。また、これら元老院議員の資料は皇帝批判の資料であることを念頭に読む必要がある。

彼らでさえイエス、ではなく、クレストゥス、クリストスと記述する。スエトニウスに至っては64年の記述について扇動する「クレストゥス」であることが、その記述がキリスト教である信憑性を弱めている。


そこで同年代の37年から100年まで生きたフラウィウス・ヨセフス(ヨセフ・ベン・マタティアフ)の登場である。

第一次ユダヤ叛乱(ユダヤ戦争)においてヨタパタでフラウィウスに投降したユダヤの指揮官。のちのフラウィウス朝のお抱え歴史家で、その著作も多い。

彼は敬虔なユダヤ教徒、ファリサイ派であった。


にも拘わらず、イエスについて称賛しかないヨセフスの「ユダヤ古代誌」の記述は違和感しかない。ファリサイ派が、イエスを「賢人」「人と呼ぶことが許されるなら」「彼こそキリスト」等など、言うのだろうか。

ファリサイとサドカイが「ロ-マに税を払うのか(払わねば責められ、払えば責められる)」という難問をイエスに突き付け、「カエサルの物はカエサルに」というのは有名な話だろう。

「古代誌」に書かれているイエス・キリストの記述は書き換えられた可能性が高い。つまり、イエスがこの時代に記述がないのがおかしいと、後のキリスト者(キリスト教徒)達が証拠として書き足した。それがヨセフスの書物であった。キリスト者にとって、彼はうってつけの存在だったのだろう。


このように聖書資料というものは写本時に改変されるものなのだということ、古代史料にも同様のことがあると理解することは、まず必要な作業である。

加えてヨセフスの場合は、誇張表現にも気を付ける必要がある。


とはいえ、ネロ帝の時代にはユダヤの一派に過ぎなかったキリスト教は、112年頃にプリニウスがトラヤヌスとの書簡にて触れるとき、ユダヤ教徒と別に扱われるようになる。然し、まだ数は少なく、脅威とはならなかった。

その書簡は、キリスト教を棄教するなら不問とし釈放するというのをプリニウスが提案し、トラヤヌスが認めるというものである。

キリスト教徒の名そのもので罪となるわけでもなく、迫害には程遠かった。これについては迫害があったと主張する研究も多かろうが、ロ-マはそこまで異教に対して厳しくはない。

ユダヤ戦争、第一次ユダヤ叛乱の際、ロ-マはユダヤを赦す貨幣を発行している。だからこそ第二次ユダヤ叛乱が起きたのである。


ハドリアヌス帝のころ、第二次ユダヤ叛乱でユダヤ教はさらに疲弊していく。

変わってキリスト教は無視できない存在となっていき、弾圧の対象にまでなった。

3Cにはディオクレティアヌス帝が迫害をし、増えすぎて押さえきれなくなるとコンスタンティヌス帝に公認され、国教化されていくのである。




参考資料:

「ロ-マ帝政初期のユダヤ・キリスト教迫害」保坂高殿著(教文館、二〇〇三年、六〇八頁)

「ユダヤ終末論におけるギリシャの影響(学院創立100周年・大学創立25周年記念号)」T.F.グラッソン[著]/中道政昭(訳)/藤間繁義桃山学院大学キリスト教論集

21号 ペ-ジ 151–1551984-10-25

「帝国支配と黙示-初期ユダヤ教における黙示的諸表象の形成-」北博、教会と神学、2010-tohoku-gakuin.repo.nii.ac.jp

「死海写本における天使論と唯一神論の危機」原口尚彰、教会と神学、2006-tohoku-gakuin.repo.nii.ac.jp

「<研究ノ-ト>研究ノ-ト(3)ユダヤ教テクストにおけるメシア思想と黙示思想-ジェ-ムズ・C・ヴァンダ-カムの論文「メシア思想と黙示思想」について」文学・芸術・文化:近畿大学文芸学部論集=Bulletin of the School of Literature、Artsand Cultural Studies、Kindai University30(2)、39-67、2019-03-30


「第二神殿時代ユダヤ教の多様な聖書解釈-クムラン共同体における天使との共同の意識について-」大澤香、神戸女学院大学論集65巻2号ペ-ジ51–63.2018-12-20




2.2. 聖書における神と天使の関係


天使について論ずると、天使の位階について語ることもあるだろう。


「首位の熾天使には三対六翼(イザヤ6:2)、二位の智天使には二対四翼(エゼキエル10:21)、三位の座天使には翼が無く四位の権天使以下、九位の天使に至るまで、全ての天使は一対二翼と、考えられている。」


これは、偽ディオニシウス・アレオパギタが後世になって創り出したものである。その成立年代は485年から531年の間とされる。

4枚の羽とされる智天使ケルブも、6枚羽のものがある。これは後世になっていくらでも改変できるものである。


それに加えて、イエス・キリストは天使とみなされていたことがある。

紀元1Cユダヤ人に天使崇拝が広まり、イエスは天使の上位とみなされてたこともある。ミカエルとイエスの同一視もあったという。


「ユダヤにおける天使崇拝は、終末思想と救済の期待とともに、第二神殿時代(前516-後70)に次第に高まっていったとされる」

「パウロを筆頭に使徒たちは、一方ではユダヤ教の天使崇拝にたいして、他方では異教のダイモンやゲニウスへの崇拝にたいして、新たにイエス・キリストへの信仰を打ち立てようとしていたことになる。が、天使が異教のダイモンやゲニウスと同一視されるか、ひじょうに近いものとみなされていたように、キリストと天使との境界線も、当初はかなり揺らいでいたようだ。」


個体としての天使、個人名をつけられた天使たちは、聖書成立としては比較的新しい時代、黙示録の天使たちがユダヤ教で広がっていく過程で生まれたものと考えられる。

しかし、この思想はユダヤ教にとっても、初期キリスト教にとっても危険なことだった。天使信仰が盛んになっていくことは、唯一神の立場を揺らがせることだったからだ。最終的に、三位一体がキリスト教の主体となり、天使崇拝は消えていくことになる。


多くの名のついた神にちかいものをまつるということは、多神教の考え方である。

神の立場が揺らぐ、というのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が一神教だからである。

その神は、アラビア半島で生まれた。ユダヤ教を起源とし、キリスト教、イスラム教の神であり、同一である。

一神教とは、多神教と違い、一つの神をまつるものだ。



そこで疑問が起こる。

神以外にもユダヤ教やイスラム教には指導者のような人々がいたではないか、と。

しかし、エレミヤやイザヤ、エレアザル、ムハンマドは預言者であって神ではない。


キリスト教はより複雑だろう。イエスは預言者ではなく神の子である。

正確にはイエスと言うよりイエススである。

便宜上イエスと表記する。余談であるが、イエス、マリア、ヨハネという名前は一般的である。マグダラのマリアも聖母マリアと区別されるし、ユダヤ戦争時にわが子を喰らうのもマリアである。

その為、地名や父の名を使って区別する。アリマタヤのヨセフ然り、ギスカラのヨハネ然り、ヨハナン・ベン・ザッカイ然り。


キリスト教は神と聖霊とイエスを祀っている。

これは父と子と聖霊の三位一体というものだが、多神教的に見えないか。

仏教に置き換えれば、まるでご本尊様に控える脇侍のような構図に見えると思う人もいるかもしれない。追加でマリアやヨハネもついてくる。多くの聖人も信仰される。このあたりを置き換えるなら十二神将あたりか。


キリスト教は世界宗教であるために、積極的に他の宗教要素も取り入れた。

ミトラ教を取り入れてクリスマス(キリストの誕生)とし、ケルトのサウィンを取り入れてハロウィン(諸聖人の日)とする。多宗教の取り込みをたくさんやってきた世界宗教でもある。ギリシア的感覚、ギリシアの影響である。

秦剛平氏は、聖人の信仰などから、キリスト教が多神教の色を持っていると指摘している。


だが、キリスト教は一神教であるとして扱われる。何故なら神は父でありキリストであり、霊であり一つなのだと、キリスト教がそう公会議で決めたからだ。


預言者は神の言葉を預かっただけの人にすぎない。

聖人も似たようなものに過ぎない。

天使も神の使いにすぎない、決してイエスと同一視はされないのである。




2.2.1. 天の使、主の使、神の使


アンゲロス(αγγελος;angelos)については、前述したとおりである。

意外に思われるかもしれないが、聖書の訳文で、「天使」とは書かれていない。「み使」「主の使」「神の使」と、日本聖書協会では訳されている。


「み使」「主の使」「神の使」はヤコブの夢の中ではしごを昇り降りし、ヤコブと相撲をとる。勝ったヤコブはイスラエルと名乗るようになる。

ソドムとゴモラの災厄が訪れる前にロトを連れ出すのも彼らだ。

マリアの前にあらわれるガブリエルの、受胎告知の元となったエピソ-ドは前述した通り。彼らはアブラハムとサラに子供が出来ると告げに来る。名前のとおり、「伝令」に来たのである。

また、サラに子供が出来ることからイシュマエルを抱えて迷うハガルの前にあらわれる。




2.2.2. ケルブ


天使の種類として、「み使」「主の使」「神の使」以外に、「ケルビム(単数:ケルブ)」「セラピム(単数:セラフ)」がある。


これらは「み使」「主の使」「神の使」と使い分けられているようにも思える。

み使が、伝令のように頻繁に現れるのに対して、ケルブでありセラフは役どころが決まっている。

伝令のように容姿があまり描かれないものと違い、その姿が具体的に言語化されているのも、ケルブでありセラフである。


ケルブはエデンを守り、神殿に対で置かれる狛犬的置物として、織物として、また、神の乗り物のようでもある。

アッシリアの神殿を守護した、人面、雄牛の身体、ライオンの尾、翼をもったクリ-ブ(ケラブ)が取入れられたのはここだと思われる。

位階はややこしいから省くと言ったが、智天使と呼ばれるのがケルブである。絵画では赤と緑の羽が交互になっていたり、炎を持っていたり、赤かったりする。


創世記においては次のような記述がある。

「神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた」


出エジプト記においては次のような記述がある。

「純金でこれをおおい」

「翼を高く伸べ、その翼をもって贖罪所をおおい」

「亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で幕…織り出さなければならない」


エゼキエル書においては次のような記述がある。

「翼の音が大能の神が語られる声のように外庭にまで聞えた。

その翼の下に人の手のような形のものを持っているように見えた。

かたわらに四つの輪があり、一つの輪はひとりのケルブのかたわらに、他の輪は他のケルブのかたわらにあった。輪のさまは、光る貴かんらん石のようであった。

そのさまは四つとも同じ形で、あたかも輪の中に輪があるようであった。

その行く時は四方のどこへでも行く。その行く時は回らない。ただ先頭の輪の向くところに従い、その行く時は回ることをしない。

その輪縁、その輻、および輪には、まわりに目が満ちていた。-その輪は四つともこれを持っていた。

その輪はわたしの聞いている所で、「回る輪」と呼ばれた。

そのおのおのには四つの顔があった。第一の顔はケルブの顔、第二の顔は人の顔、第三はししの顔、第四はわしの顔であった。

ケルビムと、しゅろとが彫刻してあった。ケルブとケルブとの間に、しゅろがあり、おのおののケルブには、二つの顔があり」



2.2.3. セラフ


ケルブとセラフでは混同されることもある。ケルブに比べて、セラフは出番が少ない。

燃えている。位階でいうところの、熾天使セラフ・セラピムの、熾=燃えるの意味である。

すなわち、絵画の上では、セラピムは赤の羽か青の羽で描かれるのである。


イザヤ書には次のようにある。

「おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、互に呼びかわして言った」

「ひとりが火ばしをもって」


神の使いの姿が羽を持ってと記述されないのに対して、ケルブとセラフは羽を持つ存在として書かれたのである。

そして、金、青糸、紫糸、緋糸、輝く火というような要素、色を与えられているのである。




2.2.4. ラファエル、ガブリエル、ミカエル


ミカエルについては、(ダニエル書10:13-21)にあらわれる。

ガブリエルは預言者ダニエルの幻の中(ダニエル書8:15-17)にあらわれる。

ラファエルについては、旧約聖書のトビト書(BC3C末からBC2C初)にあらわれる。


ダニエル書は、マカベア書の時代に書かれたものである。マカベア書はBC3-2Cころの時代であり、トビト記と同時代であり、旧約聖書中もっとも新しい記述である。

そして同時代のトビト書は、当初ユダヤ教に認められていたが後に正典からはずされ、キリスト教でも外された。


BC2Cごろからキリスト前後まで、ユダヤ教、とりわけエッセネ派では終末、天使への思想が見て取れる。クムラン文書がいい例だろう。

クムラン文書はエッセネ派のみの文書群ではないと考えられる。第一次ユダヤ叛乱で洞窟に逃げ延びたもの達が残したものも含まれる。だが、その中にエッセネ派の決まり事を記したものが含まれているために、エッセネ派の資料として扱われることが多い。

この黙示録的思想はキリスト教のヨハネ黙示録に引き継がれている。


天使の原型を求めていくうえで、純粋に元の天使を追うならば、外典などを換算するのは控えたいところだ。

然し、絵画の上ではよくモチ-フとされたのが、これら名前の付いた天使たちである。

これから、絵画上の天使たちを見るうえで、軽く触れておいた。




参考資料:

「<論文>天使とキリスト--その隠れた関係著者」岡田温司;出版者:京都大学大学院人間・環境学研究科岡田温司研究室;雑誌:ディアファネ-ス--芸術と思想=Diaphanes:Art and Philosophy(ISSN:21883548)

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/217009/1/Diaphanes_3_41.pdf

「ユダヤ人迫害史:繁栄と迫害とメシア運動」黒川知文著、1997年教文館

「ユダヤ古代誌1-6」フラウィウス・ヨセフス、ちくま学芸文庫1999-2000

「ユダヤ戦記1-3」フラウィウス・ヨセフス、新見宏中村克孝秦剛平訳、東京:山本書店、1975.6-1982

「ロ-マ皇帝伝上下」スエトニウス、東京:岩波書店、1986.8-1986.9




2.3. 絵画における天使


具体的に、天使はどう描かれてきたのか。

いくつかの図象を見ていく。


今度はユダヤ教ではなく、キリスト教が主体となる。

ユダヤ教でない理由は、絵画の豊富さが違うためである。啓典の民すべての絵画を取り入れたいが、イスラムとユダヤの図像が少ないのは、彼らが偶像崇拝を嫌うことからもわかる。

キリスト教は、偶像崇拝を嫌っているものの、多神教に近い一神教なので、偶像や絵画が豊富にあるのだ。


まずは、ゴシックからルネサンスへ先鞭をつけたイタリアを代表するジョットとフラ・アンジェリコ、北方ルネサンスを代表するヤン・ファン・エイクとメムリンクを見る。

ルネサンス以前の美術が発展しなかったのは、キリスト教が禁欲主義のために様々なことを抑圧したからである。その抑圧されたひとつが、美術である。

偶像を赦さず装飾しかなかった時代、記号となってしまっていた絵画を芸術にしたのがジョットである。




2.3.1. イタリアの天使


ウィキペディアで紹介されている作品を中心に、ジョット(1267年頃-1337年)の天使を見てみる。


「東方三博士の礼拝」スクロヴェ-ニ礼拝堂(1305年頃)

天使はマリアの隣で、光輪のついた白い服とピンクの羽で描かれる。手元には金の聖杯らしきものが見える。


「荘厳の聖母」ウフィツィ美術館(1310年頃)

白と黒のグラデ-ションの羽、赤と黄色のグラデ-ションの羽の天使が聖母の両脇に控える。まさに燃える炎のような羽である。


「キリスト磔刑」ストラスブ-ル・ボザ-ル美術館(1320年-1325年頃)

キリストの周りをとぶ天使たちの羽は赤と黒である。光輪が同化してて見えにくい。

天使たちは茶色から薄茶色の髪をしている。



次に、フラ・アンジェリコ(1390年/1395年頃-1455年)を見ていく。

最も知られるのは受胎告知だろう。この受胎告知はいくつかパタ-ンがあるが、構図はおなじである。受胎告知の天使はガブリエルと言われている。


「受胎告知」(1425年頃)プラド美術館(マドリ-ド)

ジョットと違い、白人化した描写が印象的だ。光輪を持つ中心人物が二人。背後には楽園を追放されるアダムとイヴ、追いかけまわす天使はケルブか、青い顔に赤い衣と赤い羽である。神の手から白い鳩(聖霊)が放たれ、中心人物を照らす。金髪の天使が主役の青い衣をまとった金髪のマリアに子を授かりますと伝えている。天使の衣服はピンクに金糸、羽は金、または金茶であり、孔雀の目のような模様が所々に入っている。


「コルト-ナの受胎告知」(1430年頃)司教区美術館(コルト-ナ)

上記と似たようなものである。違いはハトの場所と、楽園追放の二人は衣服をまとい、ケルブが顔の見のように見えること、天使が少し派手に見えることである。天使は黄緑と茶と黄色を段々にしたような羽で、変わらず孔雀の目のようなものが見える。


「受胎告知」(1437年-1446年頃)サン・マルコ美術館(フィレンツェ)

天使は一段と鮮やかに、黄色、赤、白、緑、黒の七色の羽をもつ。孔雀の目が良く見える羽で、その羽が際立つようになのか、天使の衣服は柔らかい色で金糸が減り、マリアの服の青は深い色合いになっている。


「フィエ-ゾレの祭壇画」(1424年)サン・ドミニコ教会(フィエ-ゾレ)

白、青、赤、緑、黒のグラデ-ションの派手な羽を描いている。



ダヴィンチ(1452年-1519年)も欠かせないと思われるだろうのであげておく。


「受胎告知」(1472年-1475年頃)ウフィツィ美術館、フィレンツェ

ガブリエルが手にしている百合の花に雄蕊がある。純潔と処女受胎を表す場合には、雄があるのは都合が悪い。当時は雄蕊を取り除くのが慣例であった。

天使の羽も実在の鳥の羽を模した珍しいものと評されることがある。オリジナルでは飛翔する鳥の翼を模写したものだったが、後世の画家によって長く伸びた翼に描き直されている。

確かに写実的な鳥の羽ではあり、鴨のような羽でもある。




2.3.2. フランドルの天使


次に見ていくのは北方ルネサンスの画家たちである。

ヤン・ファン・エイク(1395年頃-1441年)は初期フランドルの画家で、「アルノルフィ-ニ夫妻像」で知られているだろう。明暗鮮やかな油彩画の基本を作ったような人である。

彼の「受胎告知」を取り上げてみる。


「受胎告知」(1434年-1436年)ナショナル・ギャラリ-(ワシントン)

鮮やかな青色の衣のマリアが驚く。その傍らにはサファイヤやルビ-、真珠で飾られた王冠に重厚感のある赤地に金の刺繍の入った宝石ジャラジャラのマント、金地にグリ-ンの刺繍の衣を纏った天使が立つ。その羽の外側は黒く、内側は鮮やかな緑、黄色、赤、青のグラデ-ションに、孔雀の目のような模様が入っている。

白い鳩がマリアの頭上に落下しており、手前には純潔と聖母の象徴のユリの花、雄蕊なしが飾られている。背後のステンドグラスの上部には真っ赤な4枚羽で車輪、輪の上に立つケルビムがいる。

構図はフラ・アンジェリコのものとは明らかに違う。しかし、その羽には類似性がある。フランドルでもイタリアでも、孔雀の目のような模様を入れており、特にフランドルは鮮やかなグラデ-ションが印象的だ。

これらは当事の時祷書、祈祷書の影響があるだろう。ヤン・ファン・エイクはトリノ=ミラノ時祷書の挿絵を担当していたこともある。



フランドル画家を続ける。ロヒ-ル・ファン・デル・ウェイデン(1399年/1400年-1464年)も聖家族や天使たちを描いていたが、取り上げるのはハンス・メムリンク(1430年/1440年頃-1494年)だ。

「最後の審判」を見ていく。


「最後の審判」(Last Judgement(Memling))、三連祭壇画、1467年、グダニスクの国立博物館

中央イエス・キリストの周囲に4人の天使。ケルビムだろうか、赤い羽の天使と黒い羽根の天使がいる。イエスの頭にはユリの花と赤い剣がある。聖女の純潔を示すユリの花。戦争や武力、時に斬首を表し、正義の擬人像の持物である剣。

イエスは虹に座っている。神の約束の証である虹、平和の象徴でありキリストの玉座である。先人のファン・デル・ウェイデンは三位一体を表すため虹を3色にしたが、メムリンクは7色のようである。7とは神聖な数字であることが、聖書の7日目に休んだ神、七枝の燭台(ユダヤ教)からもわかるだろう。

オレンジや緑の鮮やかな天使たちに囲まれ、天秤を持つ中央の天使は大天使ミカエル。

天秤は最後の審判の時、よみがえったものを載せて魂の計量をする。重いものを天国、軽いものを地獄にするという。先人のファン・デル・ウェイデンは逆に描いており、メムリンクはそれを修正している。

ミカエルはヤン・ファン・エイクやファン・デル・ウェイデンに影響を受けた金地に赤の刺繍のマントを纏う。違いは鎧に身を包んでいることだ。そして、その羽は黒っぽくも見えるが、上部は緑っぽい孔雀の羽である。


Annunciation、1480–89年、メトロポリタン美術館。

受胎告知も、メムリンクは描いている。この天使は真っ白の羽をしている。傍らには緑と白の羽の天使たちが、マリアを囲んでいる。



ピ-テル・ブリュ-ゲル(1525年?-1569年)の作品「反逆天使の墜落」を見てみよう。「死の勝利」「バベルの塔」「農民の踊り」などで知られるブリュ-ゲル。「イカロスの墜落のある風景」は長年ブリュ-ゲル作と言われていたが、現存するのは模写であると言われている。


反逆天使の墜落(1562年)ベルギ-王立美術館、ブリュッセル

反逆天使の墜落は、至高天から落とされた堕天使たちと、大天使ミカエルたちとの戦いの絵画である。ミカエルは金の鎧をまとって剣を振るい、内側が白っぽい茶色の羽で描かれる。これは猛禽類だろうか。左側で剣を振るう天使はより猛禽類、鷲のような羽をしている。飛び交う天使たちはその他にも様々な色の羽を羽ばたかせている。

対して堕ちた天使たちは、蛙のようなもの、蝶の羽や蛾の羽だ。

後のクピドや鳥の羽(孔雀)の項目でクピドについては触れようと思うが、蝶の羽はギリシア神話のプシュケの羽として描かれる。プシュケはエロス(クピド)の妻である。


余談ではあるが、ブリュ-ゲルの描く悪魔は、コミカルな醜悪さを持っている。

天から落ちた反逆天使は、人間の顔、獣、爬虫類、海産物、昆虫、植物、楽器の形をした、もしくは変化途中である。

17Cには衰退してしまうが、ルネサンス当時人気のあった楽器、ハ-ディ・ガ-ディ。これに変化している悪魔、怪物がいる。ヴァイオリンは神を賛美する楽器であり、奏楽の天使というものもある。楽器は感覚の喜びを示すことから、ヴァニタス(虚栄)のテ-マでよく描かれた。そして、楽器というものは悪徳の擬人の持物であり、快楽の象徴でもあった。


ブリュ-ゲルのいたフランドル地方は、ヴァニタス(虚栄)が盛んに描かれた地域でもある。ヴァニタスとは、生の虚しさ、儚さをテ-マにした絵画群である。死と乙女にみられるような、時にその死に伴う美しさを表現することはある。だが、生は虚しい、この世の形あるものは皆虚しい、というものである。

メメント・モリ(死を忘れるな)と同義に扱われるテ-マである。

メメント(覚えなさい)・モリ(死を)は、ラテン語であり、元はロ-マの言葉である。明日どうなるかわからないから今日を楽しんで生きる、という意味合いが強かった。然し、中世末期に流行ったペストが、メメント・モリのキリスト教化を促した。すなわち死に際して魂の救済、天国や地獄の概念が重要視されたのである。

この思想は墓石にも影響を与え、蛆のわいた墓(トランジ)などがつくられる。そして死の勝利、死の舞踏が思想として定着する。王も貴族も金持ちも枢機卿も、皆死から逃れられない。

バ-ント・ノトケ「死の舞踏」1435年頃、聖ニコラス教会(エストニア・タリン)、ハンス・ホルバインのアルファベットがこれにあたる。


そういったネ-デルラントのヴァニタスの土壌となったのは、ヒエロニムス・ボスにあらわれているように思われる。

彼は、怪物や奇妙なものを描き続けた。ブリュ-ゲルは、そのヒエロニムス・ボスの影響を受けている。特に反逆天使の墜落は、その影響が色濃いだろう。

天使が白い羽、堕天使が黒い羽、といった決まりは、そこにはない。




初期ルネサンスや北方ルネサンスでは、孔雀の羽が使われている。

また、ブリュ-ゲルの場合、猛禽類、鷲であろう羽の天使がいる。

何故これらは使われるのか。

孔雀は肉が腐らないと思われていたから不死の存在とされていたなど、これらの詳細については、3の天使の羽、3.2.2鳥の羽の箇所で説明する。




参考資料:

「モチ-フで読む美術史1-2」宮下規久朗著(ちくま文庫)東京:筑摩書房、2013.7-





3. 天使の羽

3.1. 羽のない天使、光輪のない天使


キリスト教最古の天使像には羽がない。


羽のない最古の天使は、3C後半プリシラのカタコンべのものである。

羽のない天使は天使というのだろうか。そもそも伝令の天使は、聖書に羽の有無が記載されていない。

天から、という言葉で、何となく上空にいるのかと思う。彼らは聖書では、梯子を上ったり下りたりする。羽があれば梯子は要らないのではないか。絶対に羽があるとは断言できない。


「ヴィア・ラティ-ナのカタコンベのフレスコ画(4C)では、古代風のチュニカをまとった「三人の人」が、アブラハムの前に姿を見せている。彼らが天使であるかどうかは、翼がないため断定はできないが、この時代にはまだ天使が無翼で描かれることもあった。同じカタコンベにはまた「ヤコブの梯子」も描かれているが、夢のなかの梯子を昇り降りする天使たちにも翼はない。」


「三人の人」、とは、何度も出てきている聖書版桃太郎、100歳近いアブラハムとサラに子供が出来るとお告げに来る人である。

天使は伝令が仕事だからと、単純に羽が無くても天使、という訳にはいかない。4C末まで、天使を見分ける方法は現れた場所で判断されていたという。

5Cになると、羽と光背の天使が現れ、天使の型が出来る。


富永裕子氏は、天使に当初羽が無かったことを述べながら、

「ギリシャ・ローマ世界の翼のある生き物には、ユダヤ教やキリスト教の天使たちが持つ霊的な意義や役割は全くなかった。天使が本来持つ霊的・神学的な概念を示す最古のものは古代世界とほとんど関係がなく、すべては旧約・新約聖書と結びついている」

という。


上記をどう捉えていいのか。翼をもつクピド(エロス)はヴィーナス(アフロディテ)の子供であり、神とは霊的な存在である。

単に、富永裕子氏は、クピドには役割がなく、主題が愛に関わることを想起させるために登場するのに対し、天使には神の伝令の役割がある。それが古代世界のどれとも関係ないということを言っているようだ。


ところで、天使はダイモンやゲニウスと同一視されていた。ダイモン(霊魂)はギリシア、ゲニウス(守護霊)はローマの思想である。

ダイモンはゼウスなどの神々のような人格を取らず、一貫して非人格的で、特定の行為を避けることを勧告し、人の運命を左右する存在である。プラトンはダイモンを人と神との仲介者とした。

これは、天使とまったく似ていないだろうか。

現在、ダイモンに至ってはキリスト教でデーモンとして伝わっている。デーモンとは、反逆天使の成れの果て、悪魔である。


天使は最初、翼のない霊としての意識が高かった。ダイモンやゲニウスと見分けがつけづらかった。

それは天使がすでに思想として広がっていたダイモンらと非常に近い存在であったということである。天使は古代ギリシアの思想に影響を受けて作られていったとも考えられる。

そうだとするならば、初期の天使に羽が無かったことも、不思議ではない。

以下は、2.2で引用した資料である。再び引用する。


「パウロを筆頭に使徒たちは、一方ではユダヤ教の天使崇拝にたいして、他方では異教のダイモンやゲニウスへの崇拝にたいして、新たにイエス・キリストへの信仰を打ち立てようとしていたことになる。が、天使が異教のダイモンやゲニウスと同一視されるか、ひじょうに近いものとみなされていたように、キリストと天使との境界線も、当初はかなり揺らいでいたようだ。」




初期キリスト教時代は、偶像崇拝が禁じられていた。その上、先に述べたように、ローマに公認されるまで、キリスト教は隠れていた。そのため、残された壁画は数少ない。


初期の壁画は、ロ-マの水盤に集まる鳩、ペルガモンのソソス、プリニウスの鳩のモチ-フを借用する。鳩は白を含む色とりどりがあったが、そこから白の鳩のみ取り上げた。そうやって白い鳩が、聖霊の姿にされたのだろう。

イエス・キリストを意味する魚、よき羊飼いなどが描かれた。

偶像を嫌っているから、イコンのような形のものが増え始めるがそれも弾圧される。故に、初期のキリスト教は祈祷書のようなものでも、文様のような装飾ばかりになってしまう。キリスト教は芸術に制限を設け、ある種空白の時間を作ったともいえる。




光輪のない天使であるが、これはユダヤ教である。


マルク・シャガ-ル(1887年-1985)の天使を見てみる。

「青い天使」ロサンゼルスのア-マンド・ハマ-・コレクション

その頭上には光輪がない。シャガ-ルはユダヤ教徒なのである。

他にユダヤ教の絵画の特徴としては、秦剛平氏によれば、イヴなどの女性が貧乳などの特徴がある。


イスラムはどうかと言うと、天使ジブリ-ルから啓示を受けるムハンマド(14C、エディンバラ大学所蔵「集史」「預言者ムハンマド伝」載録の細密画)を見てみる。ムハンマドに光輪はない。然し、別の絵画では顔のないムハンマドの頭に、炎のようなものが描かれているものもある。


光輪はキリスト教独特のものだ。聖人にも、聖家族にも、皆光輪がついている。それは、太陽信仰にも通じているようにも思われる。キリスト教はミトラ(太陽神)を取り込んでいるからである。

仏教に親しんだ日本人にとっては馴染みの光背のようなものだ。光輪(光背)については、先行研究もある。





最後に、羽のない天使たちの図像である。

「ヤコブの夢」ウィリアム・ブレイク、1805年、大英博物館(イギリス/ロンドン)

ウィリアム・ブレイク(1757-1823)の「ヤコブの夢」は、金の階段が印象的だ。階段の上を歩くのは天使達。羽根のある天使とない天使がいて、白や金に輝いている。手前のヤコブは白人のように見える。




参考資料:

「キリスト教美術における天使の姿について」富永裕子Humanitas catholica=Humanitas catholica92-32、2019-03-30

URI:http://id.nii.ac.jp/1048/00000501/

「<論文>天使とキリスト--その隠れた関係著者」岡田温司;出版者:京都大学大学院人間・環境学研究科岡田温司研究室;雑誌:ディアファネ-ス--芸術と思想=Diaphanes:Art and Philosophy(ISSN:21883548)vol.3、pp.41-61、2016-03-30

「天使と悪魔:美術で読むキリスト教の深層」秦剛平、東京:青土社、2011.10

「絵解きでわかる聖書の世界:旧約外典偽典を読む」秦剛平、東京:青土社、2009.4

「キリスト教、ユダヤ教と近代絵画:ゴッホ、シャガ-ル、バ-ネット・ニュ-マン」吉松純金城学院大学キリスト教文化研究所紀要23巻ペ-ジ1–31




3.2. 羽のある天使


では、羽のある天使の話をしよう。

羽のある天使を、羽のない天使と同様に、ヤコブの梯子の図像から取り上げていく。


「ヤコブの梯子」ニコラ・ディプレ、15C

「ヤコブの梯子」はアヴィニョンのプチパレ美術館に所蔵されている。ここのヤコブはヨーロッパ人ではない。セム系の男、真っ白な服のヤコブが横たわっている。その後ろに真っ白な羽根と衣服の天使がはしごを上る。


「ヤコブの夢」ラファエロ、1518-19年

フレスコ第2ロッジアヴァチカン宮殿。こちらもヤコブがヨーロッパ人化。黒、白、赤など色とりどりの羽根の天使たちである。


「ヤコブの梯子」ジョルジョ・ヴァザ-リ、1557―1558年

ウィリアム・ブレイクより前の時代を遡る。イタリアのマニエリスム期の画家ジョルジョ・ヴァザ-リによって1557年から1558年にかけて描かれた作品。アメリカ・ボルティモアのウォルタ-ズ美術館に所蔵されているその絵画の天使達は、赤や黄色の羽根をもつ。こちらのヤコブもヨーロッパ人に見える。



これらの天使たちの羽を見ていると、白い羽の天使はすくない。

一体いつから天使の羽は白くなるのだろう。




3.2.1. クピドの影響


羽のある天使は、多くの場合、ギリシア神話の影響で、羽が白くなったと言われる。だが、本当にそうだろうか。


天使とクピド(またはエロス)を区別することはできるだろうか。

クピドとはキュ-ピッドのことである。日本で花を販売している花キュ-ピッドは、ここからきている。花キュ-ピッドのロゴは、弓を構え背に羽のあるキュ-ピッドであり、その顔は花である。

エロスはプシュケの夫だ。裸で弓矢を持ったアフロディテの子供。背には羽がある。

何れも光輪はない。


ロ-マ神話でクピド、ギリシア神話のエロスというように、それらは同一のものとしてみなされている。

このように多神教は、よその宗教ではエロスだけど、うちの宗教ではクピド、と当てはめていることが多い。神の融合、神に対して寛容なのである。

他宗教を取り込む。このような動きはキリスト教にも見受けられる。キリスト教が世界宗教となる片鱗のようなもの、それがこの多神教的な信仰の融合であるように考えられる。


有名な絵画を一つあげる。「ヴィ-ナス・アナディオメネ」である。

ボッティチェリの「ヴィ-ナスの誕生」は、ポンペイの「ヴィ-ナス・アナディオメネ」の影響があるという。


「ヴィ-ナス・アナディオメネ」

ヴェスヴィオ・ソンマの二つの山がそびえるその麓、69年に火山灰に埋まったポンペイ。そこに「ヴィ-ナス・アナディオメネ」が色彩鮮やかに、今も残っている。ロ-マ時代のポンペイの遺産である。左手に鎌を持ちイルカに乗った少年のようなもの、右手に赤のような黒っぽい羽のクピドのようなものがいる。


ギリシア・ロ-マを思うとき、多くは大理石の白を思い描く。筋骨隆々のなまめかしくもたくましい白い肢体。しかし、当時はこの大理石に色が付けられていた。


そして、「ヴィ-ナス・アナディオメネ」のクピドのようなものは、黒っぽい羽根をしているのである。これらのクピドには、頭の上に光の輪が無い。天使ではないのだ。

黒い羽のクピドを見れば、天使の白い羽はクピドの影響でないことがわかるだろう。



Roman polychrome mosaic

2nd century A.D.

From Roman villa、 located at Psila Alonia Square in Patras.

Patras、 Archaeological Museum


鏡を見るヴィ-ナス(ヴェヌス、アフロディテ)の後ろで白い鳩と青い鳩がくちばしをあわせてつつき合っている

かしづくエロスの羽根は水色である。

このようにエロスの羽根は水色や白っぽい色でもあらわされる。色付きである。

古代ロ-マ美術(紀元前6世紀-)のほとんどが壁画であり、その多くはフレスコ画である。ポンペイレッドで知られるように、赤は好まれて使われていた。

ポンペイに残っているアフロディテの髪色は黒、こげ茶、茶色である(アンフィトリテの家2Cのモザイクも同様)。余談だが、ルネサンス以降のヴィーナスやクピドは、髪色から何もかもヨーロッパ化する。


他にも、青い服をまとい、クピドが3人?(白羽根に金の衣装と脇に赤っぽい羽根のクピド?とよく見えないもの)のフレスコ画がある(ヴェヌスの家)。


3.4の色彩嗜好の変遷で触れるが、ギリシアやロ-マの白は、作られたイメ-ジだ。ギリシア・ロ-マの大理石の白は、後の時代に色が落とされたためだ。

大理石の色が残っている資料もあり、クピドの羽は水色に塗られている。

そうすると、クピド自体が白い羽を持つから天使は白い羽、ということは言えないのではないだろうか。



キリスト教におけるギリシアの影響は、おそらく、プット-が成立することに関係している。プット-に関しては、古典復興の影響が少なくない。


「天使の図像の歴史を見ると、キリスト教の初期より天使はその豊かな能力を象徴する意味で若者の姿で表されており、人の娘を妻にしたという聖書の記述と合わせて若い男性の姿で示された。だが、ルネサンスの頃に女性的イメ-ジあるいは両性具有的イメ-ジで描かれるようになる。また、15Cにギリシャ神話のエロス(クピド)から派生した有翼の小童プット-のイメ-ジが復活し、ラファエロによってプット-的天使の一類型が完成してから、聖母子にまとわりつくように飛び交うプット-のイメ-ジは天使の定番となった。」


プット-とは、頭だけに羽の生えた天使たちである。

幼児のような顔つきで大量に画面を占めるので、独特の気味悪さを持っている。秦剛平氏さえその醜悪さに言及している。


「ヴィ-ナスの誕生」アレクサンドル・カバネル、19C、(オルセ-美術館)。

アレクサンドル・カバネルの描く「ヴィ-ナスの誕生」。

その中でヴィ-ナスは白くなまめかしい肢体を海に投げ出し、彼女の上方に白い羽のついたクピドが複数飛び交う。増産されているのか、或いはニンフだろうか、定かではない。

クピドの大量発生は、プット-と同様にクピドが扱われているという証左かもしれない。




参考資料:

パウル・クレ-の線描-天使の主題をめぐって-志野、奈都子表現文化431-51、2009-03

https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111E0000020-4-3.pdf

毎日新聞大英博物館がしでかした途方もない文化財破壊として知られるのが…

https://mainichi.jp/articles/20190607/ddm/001/070/123000c

「イタリア紀行ポンペイ遺跡「秘儀荘」の「ポンペイ・レッド」について」鶴田榮一

色材協会誌 = Journal of the Japan Society of Colour Material.73(6).296-303(2000)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/shikizai1937/73/6/73_296/_pdf/-char/ja




3.2.2. 鳥の羽


天使の羽は、そもそも何をモデルに書かれたのだろうか。それとも全くの想像であったのか。

実際に天使の羽に取り入れられている鳥、宗教的に関連のある鳥を見ていく。


3.2.2.1. 鳩


天使の羽の白の所以は、鳩にあるのだろうか。


世界大博物図鑑によると、次のような説明がある。

鳩=霊魂あるいは精霊の象徴=天啓の訪れ、昇天、聖霊光輪などの化身である。白い鳩は聖人の魂、殉教者の口から飛び立つ。魔女も鳩には化けられない、この羽の布団に寝かされた重病人は死なない、旺盛な繁殖・生命力=豊穣の象徴、である。

また、オリ-ブの枝をくわえた鳩は平和の象徴(創世記8:8-11)である。


白い鳩の生息域はアフリカである。古代からヨーロッパにはカワラバト、神殿鳩が生息していた。ヨ-ロッパにシラコバトが生息するのはもっと後、20Cである。ならばどうやって、キリスト教は白い鳩の存在を知って取り入れたのだろう。

ここで暫く詰まってしまったが、そもそもロ-マの水盤の鳩やヴィ-ナスの背後などに、白い鳩がいる。

孔雀も輸出されていたから、白い鳩も絵画に登場し、知られる程度には存在していたのだと考える方が自然である。


イスラエルにいる主な鳩は、カワラバト(Columba livia)、モリバト(Columba palumbus)、およびヒメモリバト(Columba oenas)。

「銀で覆われたはとの翼と、黄緑色の金で覆われた羽翼」(詩編 68:13)というのは、戦利品として得られた精巧な芸術品とする説もある。


ヨセフスの「ユダヤ戦記」と旧約聖書に出る「鳩の糞」という言葉は、ヘブライ語のディブヨ-ニ-ムの訳語である。「鳥の乳」の基となった言葉らしい。

「鳥の乳」は「鳩の糞」を上品な表現に置き換えたようだ。ヨセフスによれば「鳩の糞」は塩の代用品、旧約聖書によれば非常時に食材として売買されていた。

前6-7C頃、「鳩の糞」は「鳥」類のもたらす「乳」ともいえる食材の一つであった。特に鳩の糞は乳白色に見える。そこで「鳩の糞」は「鳥の乳」となったようである。


「(イスラエルの)サマリアは大飢饉に見舞われていたが、それに(敵軍の)包囲が加わって「ロバの頭」一つが銀80シェケル、「鳩の糞」1/4株が5シェケル(1シェケルは11.424グラム、5シェケルは約57グラム)で売られるようになった(列王記・下6:25)」


ピジョンはラテン語源、ピヨピヨなく若鳥の意である。

メ-テルリンクの青い鳥は、鳩の事である。鳩はヘブライ語ではヨ-ナ-といい、悲し気な鳴き声から「嘆き悲しむ」を意味するア-ナ-という語から派生したと考えられている。

ロ-マの鳥占いでも、鳩は重要な役割を果たす。

プリニウス曰く、鳩は貞操観念の発達した鳥であり、愛玩用としてポンペイ市民戦争BC49のころにはつがいで400デナリウスする鳩が売りに出されていた。

この貞操観念というのが、キリスト教の禁欲と合致するように思える。


聖霊である白い鳩を思って、画家たちが天使の羽を白くした可能性はある。


しかし、3.3絵画の変遷で見ていくが、最初から白い羽の天使ばかりが描かれたわけではない。寧ろ色を付けた天使の羽は多い。

対して聖霊の象徴である鳩は白い。鳩はずっと白以外で描かれない。ロ-マの図象から取り入れた鳩は、元は彩りのある鳩たちである。然し、キリスト教下の鳩の水盤は、皆、白色である。

これは、1-2Cの天使崇拝の問題視、7Cからの偶像崇拝を嫌う宗教色に答えがあるように思う。特に1-2Cの天使崇拝は、イエス・キリストをミカエルとする風潮さえあった。


このような状況で、鳩=神=天使との一体化が、果たして許されただろうか。

異端を厳しく追及していた時代である。漸く三位一体で落ち着いたところである。

天使が鳩の穢れない真っ白な羽を堂々と背に負うには、原初のキリスト教はあまりにも厳格だったのではないかと思われる。



3.2.2.2. 鷲


鷲で描かれる天使もいる。


これは古来、ゼウスの鷲、ロ-マの鷲であった。鷲はヨハネの鷲、紋章の鷲となって生き残ることが出来た。

鷲は、亡くなった皇帝の魂を天国まで運んでいく鳥である。蛇を貪り食う鷲のモチ-フは、悪魔に対する神の勝利を表している。これは、孔雀が蛇を食べたことで聖なるものとみなされたことと類似している。



蛇は古代では、石柱とともに男根の象徴とされてきた。

脱皮は再生の象徴でもあるし、蛇皮の財布はお金がたまるなどとも言われる。医術の神アスクレピオスの杖や伝令の神メルクリウスのカドゥケウスの杖など、医療や知の象徴でもあった。

にもかかわらずこのように扱われるのは、何故か。

毒蛇への恐れもあるだろう。然し、聖書においては知恵の実へと人間を誘惑した害悪とみなされる。


だが、必ずしも聖書が蛇を悪と決めていたかは定かではない。民数記の第21章6節のネハシムセラフィムは「燃える蛇たち」、火のへびであって、セラフではない。

モ-セや神に文句を言った人々に向けて、神は燃えるへびをつかわし、人々をかませた。飛んでいる火のへびと解釈されるが、かまれた人は死んだというから毒蛇のように思う。モ-セは人々を救うため、神の言う通り、青銅のへびをさおの上に掛けて置いた。それを仰いで見たものは生き延びたという。

また、マタイによる福音書10章16-25節には「蛇のようにさとく、鳩のように素直であれ」とある。マタイの時代の蛇は知恵の象徴でもあったようである。



鷲がキリスト教に取り入れられたのは、ミトラ教の太陽がキリスト教に取り込まれたことと同じである。

東方三賢人が目指した星は、夏に見える星である。にもかかわらず12月25日が生誕の日とされるのは、ミトラ教を取り入れたからだ。

さらにこの星は、ジョットによってハレ-彗星として描かれることもあった。1301年鎌倉年代記、元始に記録のあるハレ-彗星である。パドヴァのスクロヴェ-ニ礼拝堂、マギの礼拝にある。

こうなると季節によって見える星がどうという感覚はなくなっていくように思う。


このように、時代と共に象徴するもの、口伝が変わっていく。その中で、鷲は聖なるものの象徴として生き残ってきた。

ビザンティン様式のモザイクには、茶色の羽の天使たちがいる。これは、恐らく鷲を意識したのではないだろうか。

鷲は、比較的古くから、天使の羽として採用されたのだと考えられる。





3.2.2.3. 孔雀


前述した蛇のように、悪魔や罪の象徴にされてしまったものがある。

エジプトでは神である猫、ネプチュ-ンの三叉の鉾、先に見たプシュケの蝶の羽などである。


孔雀の羽は、数奇な運命をたどる。

孔雀羽のミカエルの元になるミトラ教は、キリスト教が優勢になるとその偶像を破壊された。

初期の天使はこれでもかというほど孔雀の羽で描かれてきた。にもかかわらず、最終的には虚飾、高慢の象徴となる。エロス(色欲)、ファム・ファタ-ル(宿命の女)など、人を堕落させる象徴のような扱われ方をするのである。


西洋での孔雀飼育は、アレクサンドロスの遠征の際にインドから持ち帰ったのが最初である。然し、ギリシアの歴史家ディオドロス・シクロスによれば、バビロニアではBC8Cにすでに飼育されていた。アッシリアのティグラ・トピレセル4世BC745-727もインドから孔雀を献上されていた。

ソロモン王(列王記)時代にも孔雀は貢ぎ物とされていたらしいが、これはラテン語翻訳時に起きた誤訳でアフリカ産ダチョウの事だったらしい。


ギリシアでは珍鳥とされ、ロ-マ養殖法が確立されると、美食家の食卓にのぼった。プリニウスによれば最初にロ-マで賞味したのは雄弁家ホルテンシウスだという。

然し、中世以降孔雀肉の評判は悪く硬くてまずく、16Cには七面鳥にとってかわられた。

マクジャクが西洋に知られたのは16C天正遣欧使節がロ-マ法王に送った絵画なので、それ以前はインドクジャクの話である。

マレ-地方のイスラム教徒はマクジャク=汚れた鳥とし、エデンで蛇を知恵の実に誘ったのが孔雀であり、イスラム教徒は決してこの肉を食べないともいう。



孔雀が天使の羽に採用されたのは、なぜか。

インドでは孔雀の蛇を喰う習慣から、聖鳥とみなされた。サソリなど毒虫や毒蛇を捕食する、益鳥として聖なるものとなったのである。西洋も同様、鷲の項目で見たように、蛇を喰うのは悪魔に打ち勝つとされた。

キリスト教美術においては、1本の木に向かい合う2羽の孔雀は「生命の木に依る信仰者」の象徴となった。この図柄はインド渡来(正倉院にも同様あり)のものであり、インドからの影響を少なからず西洋が受けていたことの証拠でもある。


エゼキエル書の1章によると、「ケルビムの全身、背中、両手、翼と車輪には、その周囲一面に目がつけられていた」とある。

目のある羽と言えば、孔雀だ。ギリシア神話のヘラ(ユノ-)の聖鳥である。百の目を持つアルゴスがヘルメスに倒されたとき、その目を孔雀に移したのである。ちなみにゼウスは鷲、ヘラは孔雀なのは、空を飛ぶ美しい姿による。

羽根の目玉模様が天の星を思わせるので天空の象徴にもなり、1603年南天の星座の一つになった(天文学者バイヤ-の孔雀座)。

アウグスティヌスによれば、孔雀の肉は腐らぬということから、不滅の魂の象徴となった。

聖書の記述、空(天)を思わせること、不滅であることから、天使の羽にふさわしいと選ばれたのだろう。


孔雀の羽は美の象徴であった。

アレクサンドロスはその美しさに打たれ殺すことを兵に禁じた。アリストテレスは動物誌で「嫉妬深く派手好みの鳥」と、美しさの評価は二分された。

16C、バルトロミオの「動物誌」によれば、「鳥の中で最も醜いあしをもつクジャクの雄は、美しい羽に見惚れたあと、その足を見おろし、醜さに驚いて羽をたたんでしまう。声は悪魔じみており、ヘビの頭をもち、盗人のような歩き方をする」という。

このようにキリスト教下でも「美しい姿に似合わず醜い声と鋭い獣爪をもつ」鳥としてとらえられているが、中世の騎士は孔雀の羽根を鎧に飾ることを愛した。

孔雀はフェニックスと同一視され、尾羽が抜け替わる=復活(よみがえるキリスト)の象徴ともなったことからである。


3.3絵画の変遷で見ていくが、10C以降のキリスト教絵画には、写実的ではない孔雀の羽が多用されている。これを孔雀とみなさない研究者もいるかもしれない。

2.3の絵画における天使において、ヤン・ファン・エイクやメムリンクの天使たちをみてきた。文学的なルネサンスがないフランドルのほうが孔雀の影響は強いのかもしれないが、フラ・アンジェリコのようにイタリアでも孔雀の羽は描かれてきたことは、そこで触れた。


19C末、イギリス装飾美術、ア-ルヌ-ヴォ-に孔雀が多用される。そのころの孔雀に対する評価は、美しい姿に反して蛇を喰うことから、世紀末特有の宿命の女(ファム・ファタ-ル:恋した男性を死に至らしめる魔性の美女)と重ねられた。


女性と孔雀を合わせるというので印象的なのは、「エミ-リエ・フレ-ゲの肖像」だろうか。

「エミ-リエ・フレ-ゲの肖像」グスタフ・クリムト、1902年、ウィ-ン・ミュ-ジアム蔵

孔雀を思わせるような衣服に、何処か怪しい雰囲気が漂っている。また、クリムトは別の作品でも、孔雀の目のような渦巻き模様をよく絵柄の隅や一部に混ぜていたこともある。


このように、孔雀は聖なる天使の羽として描かれるも、少しデザイン的な拝借といったところがあった。時代的な思想の変遷、その柄や色を写実的に表すに従って、妖艶さが際立ち、その地位を退いていったのである。




3.2.2.4. 鵞鳥(ガチョウ)


個人的な意見だが、ダヴィンチの受胎告知は、鴨や鵞鳥のように見える。ちらほらと、何体かの天使たちはそのように見えるのだが、どこの解説でもちらとでも鵞鳥の羽だとは、書かれていない。


「世界最古の家禽は鵞鳥!?」という記事によると、約 7000 年前の中国の遺跡からガン類の家禽化の証拠が複数確認された。これまで約 3500 年前のエジプトに端を発すると考えられてきたが、それより古く飼育されてたというのだ。

最も普及している家禽であるニワトリの飼育も確実な証拠は約 4000 年前以降と考えられていることから、これは重要な発見だという。鵞鳥は家畜化されたガンである。


鳥の家禽化は、その神聖視と相互関係がある。


古代文明地域では、鵞鳥は神聖な鳥であった。

エジプトでは、天空に巨大鵞鳥の夫婦がいて、卵からかえった鳥が太陽になるとされた。大地の神ゲブは雄の鵞鳥であり、鵞鳥の雌に化けた女神ハトホルが太陽の卵(ラ-)を産むと伝える。テ-ベでは、鵞鳥が主神アモンの聖鳥として飼育されたという。

ケルトでは「あの世の使者」であり、白鳥と同義である。


古代のギリシアやロ-マでも、宮殿や神殿で神聖な鵞鳥が飼われていた。

古代ロ-マの作家アイリアノスによると、鵞鳥の鳴き声が街を救ったとある。紀元前390年、ロ-マ人はガリア(フランス)の北部地域を支配していたセノネス族に相次いで敗れた。

ある夜、セノネス族がロ-マのカピトリヌスの丘に閉じ込められたロ-マ人たちを攻撃しようと忍び込んだ。縄張り意識と警戒心の高い鵞鳥がそれに気づいた。ヘラの神殿で飼っていた鵞鳥が騒ぐと、目を覚ましたロ-マ人たちは、敵を退けるというものだ。

記憶が正しければ、これに似た話がユダヤ戦記などにもあったと思う。神殿や城は、神聖なる鳥、鵞鳥や鳩などを飼い、時に歩哨兵の役割を担った。


ユダヤ人は鵞鳥をどう扱っていたのか。

聖書では、鳥肉では、鶏、家鴨、鵞鳥、七面鳥、鳩は食べてよく、それ以外の野鳥は食べてはいけないとされる。

鷲鷹類やカラスの肉は、非常に不味いため、ユダヤ教が食肉のリストから外したのも、そうした事情が関係しているともいわれている。


古代ギリシア・ロ-マ時代には、鶏、鵞鳥、雉やホロホロチョウ、鴨や鳩などが食されていた。鵞鳥は孔雀と並んで、長らく高価な鳥だった。

中世ヨ-ロッパではさらに、ムクドリ、雀、ウズラやヤマバトなどが加わり、特に鶏は頻繁に食べられていた。城塞都市において、鶏、鴨、鵞鳥、孔雀、兎、豚が城塞の下ベイリー(郭)で飼われていた。

富裕層の間では孔雀も食べられたが、前述したとおり、中世以降、孔雀肉の評判は悪く硬くてまずいといわれた。パ-ティでも誰も手をつけることがない、そのまま別のパ-ティに再利用することがあったとも言われている。


鵞鳥は、西洋社会において神聖な象徴というよりは、身近な存在であり続けた。

エジプトの鵞鳥神話はマザ-グ-スとなった。鵞鳥にまたがる魔女である。ハトホルが魔女の姿になったのだ。魔女帽は、エジプトの王冠から派生したかもしれないという。

また、ジャックと豆の木やグリムの黄金の鵞鳥となって、民間に強く影響を残したのである。

とはいえ、ダヴィンチの頃、1806年上演されたマザ-グ-スが既知であったわけではない。


15Cはどうだったのか。

先に述べたように、中世は鵞鳥が城郭(下ベイリ-)で飼育されていた。

1475-1485年はヴェロッキオの工房から離れた時期である。ヴェッキオ宮殿での仕事を任されている。城郭の中には、鵞鳥や鴨が、身近に存在していたのである。


ダヴィンチはミケランジェロの老人も若人も同じ筋肉であることに苦言を呈した人物である。

写実に拘り、それらを天使の羽の見本にしてもおかしくはないだろう。




参考資料:

「世界大博物図鑑 4鳥類」荒俣宏著 東京:平凡社、1987.5-1994.6

「図解 城塞都市」開発社著 新紀元社 2016

「ロ-マ時代の鷲の彫像、ロンドンで発見」、https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8507/

「世界最古の家禽は鵞鳥!?」、https://www.hokudai.ac.jp/news/pdf/220308_pr.pdf

「世界史「ユダヤとイスラエル」」(手島 佑郎)、川村 光毅hP、http://www.actioforma.net/kokikawa/world/

http://www.actioforma.net/kokikawa/world/judea.pdf

慶應義塾楽友会 編集ページ、https://keiogakuyukai.com/Editors1305.htm

「聖マルティン祭―愛と慈しみの聖人の祝祭―」田島 照久、WASEDA ONLINEhttps://yab.yomiuri.co.jp/adv/wol/opinion/culture_161031.html

「博物誌」プリニウス、https://mythpedia.jp/other/plinius-maior2.html

「博物誌」プリニウス原文、https://www.biodiversitylibrary.org/item/215809#page/7/mode/1up

「鳥類学あるいは鳥類誌:Ornithologiae hoc est de avibus historiae」ウリッセ・アルドロヴァンディUlisse Aldrovandi、1599-1603、https://www.biodiversitylibrary.org/item/230338#page/13/mode/1up


「蛇及び龍の歴史」、バルトロメオ・アンブロシニ:Ambrosini、1640、https://www.biodiversitylibrary.org/item/130554#page/9/mode/1up

「畸形の歴史」バルトロメオ・アンブロシニ:Ambrosini、1642、https://www.biodiversitylibrary.org/item/248394#page/5/mode/1up


動物著作、バルトロミオBartholomew、https://www.biodiversitylibrary.org/item/178339#page/11/mode/1up、http://www.ac.cyberhome.ne.jp/-naturalis/bookfauna.html

「動物誌:De Proprietatibus Rerum」バルトロミオ Bartholomew 、https://bibdigital.rjb.csic.es/records/item/13791-redirection




3.2.1. 死の天使


これら、取り上げてきた天使は、神の使いとしての天使たちである。

ところで、死の天使という概念があるので触れておく。

これは、終末的な考えに行きつく。復讐の天使、死の天使と言われる存在である。


復讐の天使(列王記下19:35)

「その夜、主の使が出て、アッスリヤの陣営で十八万五千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆、死体となっていた。」

死の天使(出エジプト12:12)

「その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。」


画像は次の二つをあげる。


「ロ-マのペスト」(1869年)ジュ-ル=エリ-・ドロ-ネ-、オルセ-美術館所蔵。

白い羽の天使が悪魔に指示。悪魔が槍でノックする回数の分、住人が死ぬ。死の天使。


「死の天使」(1890年)イ-ヴリン・ド・モ-ガン私蔵


これらの天使はジュ-ルのような白い羽であったり、モ-ガンのような黒い羽を広げる形でも絵画に描かれ、形式は決まっていない。

また、同様のものと換算していいのか分からないが、ベックリンのペストも、人々に鎌を振るって命を刈り取る姿は、死の天使に似ている。この羽はコウモリのような黒い羽である。ブリュ-ゲルの反逆天使に通じるような羽である。鎌を持つ怪物は、尾も生えている。


これらの天使は名のついた天使でもなく、聖書の記述にあっても、天の使いと分けて分類されていたようには思えない。ただ、ペストなど大きな災害に際して、その時代の人々が生み出した天使のように思われる。

これらは、モノトーンな色合いで描かれることが多かったようである。

このように、鳥類の羽に分類できない天使は多くある。




3.3. 絵画の変遷


では実際に絵画はどう描かれてきたのか見てみる。


基本的には、メトロポリタン美術館やグ-グルア-ト&カルチャ-にある、パブリックドメインの資料を調べた結果である。

他の参考資料は、

https://www.kogei-seika.jp/blog/kanazawa/002.html

などである。


その時代の特色、絵画全体的の印象を最初に説明し、後は作品ごとに簡単な紹介をする形にした。

絵画を年代で分けたので、美術史的な区分とは説明が合わない部分が多少ある。




3.3.1. 1C-5C


2C-5C/2C-7C初期キリスト教

偶像崇拝が禁じられていた時代である。

壁画が多く、鳩のモチ-フなど、異教美術からの借用が見られる。羊飼いなど、寓意的な人物で構成されるのが常で、間接的または暗示的な図象が多い。魚などは早くに見られたが、十字架は比較的遅く取り入れられた。ロ-マ時代の磔刑の記憶が薄れてから取り入れられていったためである。

3.1で触れた羽のない天使のようにプリシラのカタコンベ、ヴィア・ラティ-ナのカタコンベのフレスコ画においては、天使は現在の形ではない。羽のない天使はこの時代では珍しくはないが、5Cになって天使とわかる形のものが現れる。

彩色が微妙で、全体的に茶色っぽい。だが、上から白のラインを重ねるなど、白を意識しているかもしれない。


「受胎告知」4C末ロ-マ、プリシッラのカタコンべ壁画

羽のない天使、光輪もない、白い衣服で椅子に座っている左側のマリアに受胎を告げる


Panel with Winged Figures

5th century

天使の可能性。

白黒赤の彩色、頭に冠の二体。

羽の色は複雑で、茶色っぽく見えるのはもともとの壁の色なのかわからないが、白を使っていることから白い羽を意識しているようにも思える。

2枚羽の羽は黒ぶちに白のライン、4枚羽は黒い羽と黒ぶちに白のラインの羽。




3.3.2. 5C-10C


初期中世5-10C

ビザンティン4-15C/5C-15C

豪華絢爛な装飾性と、精神性や神秘性を追求した理知的なビザンティン美術。樹や獅子、幾何学文様が主体であった。モザイク画が盛んなのはこの時期である。

識字率の低い時代に、絵画によって広めようというイコンは、8Cに入って聖像論争が勃発。7Cにイスラムと東ロ-マの戦いでイスラムの偶像禁止をまのあたりにした影響のためだ。

イコノスクラムによって、10C以前に残る画は少ない。

初期中世美術はケルズの書に代表されるような装飾模様が主体。美術的なものとして、ステンドグラスが増えていくようだ。


このあたりから、少し色彩の判別が出来るようになる。

鷲や孔雀を意識した羽があり、色彩的には基本は単色で描かれている。白い羽が全くないわけではない。

セラフの赤い羽を意識している、黄色のラインが入る以外に、奇抜な羽はそこまでない。が、10Cになってくると2層に分かれてくる。この羽の二層化はのちの時代に引き継がれていくようだ。


ガッラ・プラチディアの廟、羽のないの白衣の天使?(中央南側壁面)、5Cラヴェンナ

聖ラウレンティウス(ウィンケンティウスの線が濃厚)の上部?、福音者か天使か、羽はない。鳩の水盤のモチ-フが見られる。


432-43年ロ-マ、サンタ・マリア・マッジョ-レ聖堂モザイク

白い羽の天使が飛ぶ、地上の天使は黒、緑、茶色のそれぞれの色の羽だが、黄色いラインが入っている?


サンタッポリナ-レ・ヌオヴォ聖堂、聖母子を挟んで並ぶ22人の聖女たち(左側壁面)490年頃ラヴェンナ

聖母子の周囲に羽のある天使か聖女か。茶色の羽と光輪をもつ。


「キリスト、羊と山羊を分ける」、6C、サンタポリナ-レ・ヌオヴォ聖堂(イタリア・ラヴェンナ)モザイク

真ん中にイエス、両脇に全身赤と白の二枚羽天使、手前に羊とやぎ。

青というより白っぽい天使である。


Separation of Sheep and Goats

Early 20th century(original dated early 6th century)

Byzantine

恐らく上のものの模写。全く同じ絵のようだが、色味や表情が違う。

モザイク。真ん中にイエス、両脇に全身赤と青の二枚羽天使、手前に羊とやぎ。


サン・ヴィタ-レ聖堂天使らを従えたキリスト(内陣上方)547年ラヴェンナ

光輪があり、茶色の羽の天使たち。茶色いのは鷲を意識したもののように思われる。


「エチミアヅィン福音書」「受胎告知」アルメニア6C末-7C初

孔雀の羽の天使、棒をもってマリアに受胎告知、このころのマリアには驚きや戸惑いが描かれる


ネア・モニ修道院聖堂、1040年頃、エ-ゲ海キオス島

二層の羽を持つ天使。1層目(上部)は黒や茶色のふちに金、2層目(下部)は細い黒の輪郭に白


ダフニ修道院、受胎告知の天使、11C末

黒の縁取りに金の上部と赤の縁取りに白の下部の、二色に分かれた羽の天使。


The Virgin and Childin Majesty and the Adoration of the Magi

ca.1100

Attributed to the Master of Pedret Spanish

上から金白黒3色の2枚羽天使が脇に、ガブリエルとミカエル、真ん中はマリアとイエス




3.3.3. 10C-14C


ロマネスク11-12C/10C-12C

重厚な石壁と暗い内部。壁面が多く、教会堂の天井や側壁には聖書や聖人伝を題材とした説話的な壁画。象徴的・抽象的な表現。

ゴシック12-14C/-15C

ゴシックは人間的・写実的な表現をするようになる。ロマネスク美術のとは対照的な様相。信仰における光の重要性から、ステンドグラスの技術向上。

以降はルネサンスに続き、絵画が豊富にある時期になっていく。祈祷書なども流行っている。

赤や青の羽もありながら、カラフルな羽が特徴的である。羽の色と服の色が同じものが多く、ピンクや赤などの服が多い

また、10C頃から羽は何層かに分けて色つけされるようになっている。

単色は少なく、何色、と一概に言えない羽が多い。赤と白、黄色(金)は多いように思える。単色の白い羽も、あるにはあるようだ。羽が表裏、または上下で複数色くらいに分かれるものは、ビザンティンを継承しているようだ。多い時は4-5色になり、別の色の後に一度使った色を再度使う羽がある。例えば、赤黄青赤白の順番に色を積み重ねる、など。

孔雀の羽(目のある羽)は多いように思える。鷲の羽はあるのか分からなかった。

先にみたジョットの時代あたりである。



受胎告知「セント-バンズ詩編」1120年代イギリス、セント-バンズ

赤と白で、三層になった羽の天使


Border Fragment with Musical Angel

ca.1140–44

French

薄茶けた白っぽい黄色っぽい二枚羽の天使、青枠が美しいステンドグラス

イルカが隅にかかれる


「受胎告知」シャルトル大聖堂西窓、ステンドグラス1150年頃

棒を持った緑の羽の天使がマリアに受胎告知


Leaf froma Beatus Manuscript:the Sixth Angel Delivers the Four Angels that had been Boundat the River Euphrates ;an Altar Appears in the Heavens as the Enthroned Christ Raises His Hand in Blessing

ca.1180

Spanish

多い時は羽の色が4-5色になり、別の色の後に一度使った色を再度使うなどカラフルな羽がある

例:赤黄青赤白など


Leaf from a Beatus Manuscript:the Fourth Angel Sounds the Trumpet and an Eagle Cries Woe

ca.1180

Spanish

黙示録の第8章の2人の主人公。太陽、月、星が暗くなるとトランペットを鳴らす第4の天使。そして、地球の住民に悲しみを叫ぶ鷲。

第四の天使は青赤金青赤白の二枚羽(金は線)。鷲は青金(赤)青赤白の羽がくっついている。茶色の身体側にも羽のような姿。


「受胎告知図」コプトの聖書エジプト12Cパリ国立図書館蔵

複雑な天使の羽、三層になっている、ピンク、緑、黒


「受胎告知」1200〜1210年アッピア-ノ城付属礼拝堂フレスコ画

茶色の羽の天使、複雑な柄も見える、光輪あり


La Crucifixion Vers1200

Anonyme

Petit Palais、musée des Beaux-arts de la Ville de Paris

金の羽?


Manuscript Illumination with Tobit、Tobias、and the Arch angel Raphael in an Initial O、froman Antiphonary

mid-14thcentury

Italian

天使は白で下が赤の縁取りの2枚羽


The Cloisters Apocalypse

ca.1330

French

緑と赤の2色、2枚羽のミカエル?、脇の天使は薄茶?と緑

ヨハネ黙示録の天使のようだ


Saints John the Evangelist and Mary Magdalene

ca.1335–45

Italian、Neapolitan Follower of Giotto

茶色?ピンク?と青の2枚羽の天使


The Assumption of the Virgin

ca.1337–39

Bernardo Daddi Italian

青、ピンク、緑の二枚羽の天使たち


Madonna of Mercy

ca.1350–55

Austrian

白い羽の天使、ステンドグラス


Manuscript Illumination with the Birth of the Virgininan Initial G、froma Gradual

ca.1375Don Silvestro de' Gherarducci Italian

青と赤の服の人々の周りの羽が緑と赤、孔雀のよう


The Annunciation 1380s Netherlands、orpossibly France、14th century

Temperaan doil with gold on wood

Framed:40.3x31.4x4.8cm(157/8x123/8x17/8in.)

Mr. and Mrs. William H. Marlatt Fund 1954.393

金色の孔雀の羽の天使


Engaged cassetta frame on apolyptych panel

ca.1380

Siena

二枚羽の赤の天使の前に二人の人、周りを黒い2枚羽の天使が囲む、下方には色とりどりの2枚羽の天使(表面は黒っぽく、内側は赤か白とオレンジ)

画面は金?と赤と黒のみ


The Trinity in an Initial B

Probably1387

3人がセラフィムの玉座に座る、赤い羽のセラフたち。最初のBは、三位一体の日曜日のミサへのイントロ。イニシャルの上半分では、三位一体の3人が赤いセラフィムの玉座に座り、その下には白い服を着た10人の天使が。金の境界線の上隅で、2人の胸像の長さの預言者が三位一体に向かって身振りで示す。フィレンツェのサンミニア-トアルモンテのオリヴェタン修道院、1387年頃に描かれた失われたグラデュアルからの11の断片の1つ。




3.3.4. 15C-


ルネサンス15C-16C

金、オレンジの羽の天使、茶色の羽の天使が印象的。

色合いが豊かに、濃淡からより鮮やかさが出てくる。ポンペイの壁画のような鮮やかさ。

白の羽はあるものの、複数色の羽のなかに含まれなかったり青が増えたりと、1000-1400の方が白のイメ-ジが強い印象。

先に見た通り、フラ・アンジェリコ、ヤン・ファン・エイクなどの時代が被ってくる。

プット-が出てくる。

15Cまで色を混ぜる記述がない。色を混ぜるのは神への冒涜。



フレマルの画家「受胎告知」1420年代

テンペラ、板ブリュッセル、王立美術館蔵

茶色の羽に内側が白い天使


The Coronation of the Virgin with the Trinity、c.1400

Master of Rubielos de Mora(Spanish)

赤、茶色、金色、それぞれの羽の天使たち

赤い羽はプット-みたいな熾天使?


Virgin and Child with Angels、1405

Spinello Aretino(Italian、1350/52-1410)

赤と黒の色分けされた羽をもつ天使


Auteur(s):Attribué à Maître de Dunois(Lyon-Paris)、enlumineur

Dates:Vers1450

Datationen siècle:Milieu du 15esiècle

Type(s)d'objet(s):Manuscrits、imprimés、reliure

Dénomination(s):Manuscrit

Matériauxettechniques:Maroquin、Vélin、Enluminure、Dorure

Lieu(x)d'exécution/réalisation:Paris

Institution:Petit Palais、musée des Beaux-arts de la Ville de Paris

赤や金の縁に白い羽の天使、青い服のマリア?


Virgin and Child with Angels、after1460

Neride Bicci(Italian、1419-1491)

プット-みたいな青い羽の天使


Panel from Saint John Retable

Domingo Ram、1464–1507

赤黄青の羽の天使、青のグラデ-ションがかかっている


Panel with the Angel Appearing to Zacharias(froma Retable depicting Saint John the Baptist and scenes from his life)

DomingoRam、1464–1507

緑と黄色の羽の天使もいる


The Annunciation from the Hours of Charles of France

1465

Master of Charles of France French

真っ青な2枚羽の天使

画面に青が美しく映える


Pietà Entre1450et1500

Ecolecréto-vénitienne

Petit Palais、musée des Beaux-arts de la Ville de Paris

赤い天使


Vierge à l'Enfant avec un ange et un donateur, d'après Memling 1499et1509

Anonyme

Petit Palais、musée des Beaux-arts de la Ville de Paris

グレ-の天使赤い服のマリア、白い服の聖職者





3.3.5. 16C-17C


マニエリスム16C-17C

バロック16C-18C荘厳華麗躍動的明暗


全体的な印象としては、神話モチ-フはあるが、キリスト教のものが減る。メトロポリタン美術館の項目として、キリスト教の項目が消える。キ-ワ-ド検索だとクピドやアフロディテが混ざって、天使が幼児化するので区別をつけなくてはいけない。肖像画が増える。モチ-フとして書かれる、壁紙のようなデザイン画も増える。

顔だけのプット-ではなく、子供のはだかの天使が増える。

少しくすんだ色合いだが、新しく白を表現するようになる。暗い画面に白を際立たせる技法が主体になる。白がよく使われるのは、絵画、絵の具の技術向上が関係している。

白、青白、青、茶、薄茶の羽は、けばけばしさが消え、落ち着いた色合いに。青や赤、金、茶などの印象。緑が減ったように思う。

14Cに王侯貴族出来られた黒は、16C以降に市民社会に黒服が根付く、プロテスタントの禁欲的思想により色彩破壊論(クロモクラスム)が進んでいく。


地域性もあるかもしれないが、1600年代から彩どりの羽は多くありつつも、白い羽が目立ち始める。



Vierge à l'enfant、avec sainte Dorothée、Sainte Catherine et deux anges musiciens Vers 1500

Anonyme

Petit Palais、musée des Beaux-arts de la Ville de Paris

茶色と白の羽の天使


Commemoration et Advertissement de la Mort de très crestienne, très haulte, très puissante et très excellante princesse, ma très redoubtée et souveraine dame, Madame Anne, deux foys Royne de France, duchesse de Bretaigne, seulle heritière d'icelle...Vers1515

Bretagne(1450-1530)

Petit Palais、musée des Beaux-arts de la Ville de Paris

青と黒の羽の天使

黒と青が画面を埋める(茶白赤金は目立たない)


Heraldic Panel with Arms of Lichtenfels and a Unicorn Hunt、c.1515

Germany or Switzerland、16th century

白と黒と赤と金で構成された絵

白と金が目立つ


L'Annonciation Entre 1600 et 1625

Novgorod(École de la Russie du Nord)

Petit Palais、musée des Beaux-arts de la Ville de Paris

黄色?金色の羽の天使


Image of Saint Michael the Arch angel

Saint Michael the Arch angel

Ignacio de Ries、1640s

青、黄、白の天使


The Annunciation

Luca Giordano、1672

青と白の天使






3.3.6. 18C-19C


18Cロココ、繊細、優美、女性的、サロンができる。

18-19C新古典-ロマンギリシア・ロ-マの古典を模範-個人の主観や感受性を重視。

自画像、静物、景色が増えていく。

神話モチ-フ、宗教的絵画が少なくなっていく。白っぽい天使は増加しているといっていいが、まだ色のついた羽の天使は残っている。

リアリズム-印象派日常的な身の回りの題材から美-光の分析19C

フォ-ビズム-キュビズム-シュルレアリズム19C

抽象的になっていく。



The Mass of Saint Basil

Pierre Hubert Subleyras、1746

白い羽の子供の天使、青い羽もある、プット-がいる


Saint Margaret of Cortona

Gaspare Traversi、ca.1758

白の羽の天使ふちが茶色くも見える



The Glorification of the Royal Hungarian Saints

Franz Anton Maulbertsch、ca.1772–73

モノト-ンな茶白黒のような絵、羽は白黒、鮮やかな色が消えた印象


Hagar in the Wilderness

Camille Corot、1835

背景のような天使、色がわからない

白い服に茶色っぽい羽


Image of The Dead Christ with Angels

The Dead Christ with Angels

Edouard Manet、1864

薄暗い画面

青い羽の天使と白か灰色の羽の天使

服の色は羽とは別、キリストの白い布が強調される


Gloria、1884

Thomas Wilmer Dewing(American、1851-1938)

白や淡いピンクの羽の天使たち


Design for "Angel of Faith" window

1896

Frederick Wilsonアメリカ

赤い羽の天使が復活




3.3.7. 20C-現在


天使は芸術絵画にめったにあらわれない?→イメ-ジの定着、発展が見込めない、画一化された天使になっていくるのでは。

パブリックドメインの限界、著作権が切れてないから資料もそこまでオ-プンではない。が、目にする限りは、金と白のイメ-ジが多く、画一化されているのではないか。


Sculpture of Angel with Rebec

20th century

South German

白と金の羽、金色の天使彫刻?フィギアみたいなもの


Angel Revealing a Vision of The New Jerusalem:Design for a Stained Glass Window、Saint Michael's Episcopal Church、NewYork

1910

Designed and drawn by D. Maitland Armstrong American

ア-ルヌ-ヴォ-調の白い羽の天使


"Fortissimo"

Séraphin Soudbinine、1925–26

金色の天使のようなもの、羽も体も黄色


Stained glass panel

1927

Jacques Simon French

金色の羽の天使


Jacob Wrestling with the Angel、1943

Walter A. Sinz(American、1881-1966)

白い羽と金髪の天使


Deposition and Angels、Wall Cross、1948

Charles Bartley Jeffery(American、1910-1992)

金の羽の天使


Angels of Rome、1953

Joan Kemp smith(American、1926-2013)

金の天使




3.3.8. まとめ


1Cから10Cは、時代背景や教義的な面からも絵画は乏しい。

5Cに天使の羽が確立すると、初期は茶色、上から白のラインを付けるなどモノト-ンなイメ-ジである。

5C以降のビザンティンでは装飾模様が主体になるも、色彩が読み取れるようになる。

鷲や孔雀を意識した羽があり、色彩は基本的に単色で描かれる。

白い羽もあるものの、セラフの赤い羽を意識するのは、聖書の記述を頼りにしたのだろう。黄色いラインなども、聖書の金のケルブを意識しているように思える。


10Cになると羽が2層に色分けされていく。

ロマネスク以降になってくると、単色の白い羽も、あるにはあるようだが、単色は少なく、何色、と一概に言えないような羽が多い。

羽の色が何層かに分けてられていくのは、祈祷書の影響からか、装飾になったような天使たちである。多い時は4-5色になり、別の色の後に一度使った色を再度使う羽がある。例えば、赤黄青赤白の順番に色を積み重ねる、など。

色味はカラフルである。赤や青の羽もありながら、赤と白、黄色(金)は多いように思える。羽の色と服の色が同じものが多く、ピンクや赤などの服が多い。

孔雀の羽(目のある羽)は多いように思える。鷲の羽はあるのか分からなかった。


15Cになると、色合いが豊かに、濃淡からより鮮やかさが出てくる。白の羽は少なめで、金、オレンジの羽、茶色の羽の天使が印象的。

プット-が出てくる。


16C、17Cは全体的な印象としては、神話モチ-フはあるが、キリスト教のものばかりを描かなくなってくる。メトロポリタン美術館の項目として、キリスト教の項目が消え、肖像画、モチ-フ、壁紙のようなデザイン画が増える。

絵画、絵の具の技術向上で、新しく白を表現するようになる。位画面に白を際立たせる絵画技法が主体になる。プロテスタントの台頭から、色彩破壊論(クロモクラスム)が進む。

地域性もあるかもしれないが、1600年代から彩りの羽は多くありつつも、白い羽が目立ち始める。白、青白、青、茶、薄茶の羽は、けばけばしさが消え、落ち着いた色合いに。青や赤、金、茶などの印象。緑が減ったように思う。

顔だけのプット-ではなく、子供のはだかの天使が増える。


18C以降は優しく、繊細で、主観や感受性を重視した自画像、静物、景色の絵画が増えていく。キリスト教的なものは芸術絵画の中心の主題から退いて行く印象。

白い羽の天使は増加しているといっていいが、まだ色のついた羽の天使がいる。


19C以降は抽象が主体になっていく。その中で天使の羽は、白や淡い色のようなものを中心に、聖書を回顧する赤の羽などが描かれる。


20C以降、パブリックドメインの限界、著作権が切れてないから資料もそこまでオ-プンではない。

目にする限りは、金と白のイメ-ジが多く、イメ-ジの定着、発展が見込めない、画一化されているのではないか。



このように、芸術は原書に返る、偶像禁止の流れを受けると、一気に芸術性を失って装飾的になり、モノトーンに転じる。初期キリスト教、イスラム侵攻、プロテスタントの台頭、それぞれに影響を受けながらも、宗教画はカラフルに、最終的には優美で上品に仕上がっていった。

緑、青や茶、赤の羽も描かれているが、最終的に白や金の羽が増える傾向にあった。




3.4. 色彩嗜好の変遷


3.3絵画の変遷で、年代別に天使の羽を見ていった。近代、現代になるにつれて、天使の羽の色は白や金が増加傾向にあった。これには何が関係しているのか。


初期の時代は、原典を意識した、つまり聖書の記述通り赤やピンクの羽、目のある羽=孔雀、ヨハネの鷲をイメ-ジした羽が主体となっていた。

原画ができるとその絵画をまねることで次世代に受け継がれた。それに誤った解釈、より作り込まれた解釈などが混ざり、バリエ-ションは増えていった。


そのつくり込まれていった解釈の中に、色彩に対するイメ-ジが影響している。


現代では一般的に、色彩心理学として次のように知られている。

赤は情熱。黒は悲哀。緑は怠惰。桃は平和。青は抑圧。黄色は楽しい。白は清純。

現在は、こういった知識に引きずられる傾向が高いだろう。

だが、これはいつの時代も同じように決まっている訳でもなく、東西に関わらず国によってイメ-ジが違う。




3.4.1. 西洋における嗜好


古代における白の地位は低くはない。白は比較的好まれていたと考えていい。

エジプトで白は良いイメ-ジだ。

スエトニウスの歴史では、クレオパトラが真珠を酒の中に入れて溶かして飲む贅沢を見せつける。勿体ない、と言わせるこの描写で、白い真珠が珍重されていたことがわかる。


北欧神話は銀や白に良いイメ-ジがある。「金の髪のイゾルデ」のように金も価値のあるものだろう。グラズヘイムやヴァルハラは金で構成されている。

しかし、銀はオ-ディンの住居を葺いている。


ロ-マでの白は市民権の象徴の鳥羽の色であり、白のト-ガを身に纏う。然し、ロ-マ皇帝は即位のとき紫のト-ガを纏う。最上位は紫なのだ。

古代ロ-マでは、家庭、家族を司る竈の女神ウェスタ(ヴェスタ、ヘスティア)の神官たちは、白いリネンの服、処女が義務付けられた。巫女たちのヴェールは白に深紅色の縁取りがされたものであり、神の花嫁であることを表している。このことから、白は純潔、忠誠心、そして貞操を象徴したのだろう。


カエサルによると、青はケルトやゲルマンの色だった。このためにロ-マ時代、蛮族の色とされていた。実際にはゲルマンは緑に嗜好があったらしい。また、ロ-マ時代の青は濁っていて、黒ずんでくすんでいた。

中世以降、青は鮮やかな色彩を帯びてくる。地位はぐんと上がって、キリスト教では12C頃からマリアが着る服の色などになった。中世の青はよき礼節、友情、糧を表す一方、以前のようなマイナスのイメージ、すなわち嫉妬、欺瞞、偽りを表すようにもなった。


ローマでは青と黒は喪の色を表した。元来は汚い、醜い、危ないイメ-ジを持ち、絶望、憤怒、嫉妬、不安、悲嘆という感情の象徴とされた。

14C頃から王侯貴族が黒い衣装を纏うようになると、高潔な心と飾らない態度を表すことになる。色のイメ-ジが変わったのである。


宗教的にはどの色が好まれるのか。

ユダヤは白、テカレット/Tekheletが宗教的な色として大事にされている。テカレットは青から青紫である。聖書で49回、青は出てきている。ヘブライ語でのターコイズ(トルコ石)にあたる色で、貝から作られる、貝紫である。貝紫の高価な紫でない青の方が重視された。


キリスト教は、赤と白。赤は血の色、犠牲の色である。

枢機卿は赤のイメージがある。歴代教皇も同様であった。

カトリックの教皇が白い祭服を身に纏うのは、1566年以来とされている。教皇となったピウス5世が修道士の白い衣服を着続けたことが、教皇の衣服を白くさせた。白は純潔と犠牲の象徴であった。

ピウス5世はドミニコ会(托鉢修道会)である。ドミニコ会は13世紀以後ヨーロッパに広まった清貧、厳律の修道会である。同時期に成立したフランシスコ会などは染色しない服を着ることとしている。ドミニコ会は「黒衣の修道会(Blackfriars)」と言われる。これは、彼らが羽織る黒い外套のことである。

修道士の服は茶にはじまり、白や黒のものが有名である。白いシトー会(黒い袖なしの下に白い衣服)、黒いベネディクト会(黒い修道服)などである。カルトジオ会は修道服の全てを白く覆った。


イスラムは緑と白である。

緑はムハンマドのターバンの色と言われる。

それだけではなく荒野における緑への畏敬の念が働いているように思われる。イスラエルは「乳と蜜の流れる地」といわれ、草木豊かな土地を表している。

然し、乳を乳香、蜜をデーツと考える人もいるようだ。そうすると3.2.2鳥の羽の、鳩の項目で触れた「鳥の乳=鳩の糞」の乳白と考える人もいるだろう。

個人的希望だが、「乳と蜜」はイスラエルの岩場に群生する花ニラ(オオアマナ=ダビデの星=ベツレヘムの星=学名:鳩の糞(岩場にある鳩の糞に似ているから))などの植物であって欲しいと思う。


緑は、そもそも生命力を表す。

ケルト神話では若い木と年寄りの木、落葉樹と針葉樹の争いに表されるように、緑は生命力そのものである。


現在の色彩感覚で緑は怠惰にもあたる。

現在における緑の怠惰というイメージは、キリスト教圏的かもしれない。イスラムの緑が、キリスト教圏にマイナスのイメ-ジを与えた可能性がある。

日本で、緑は怠惰と思うことは少ないのではないか。

日本では「あおによし」のあおは緑から青色であり、には赤である。あおは未熟を表し、十世紀前半に「青馬節会」から「白馬の節会」へ、平安中期に白がその立場をとるまでは女性の装いではあおが最高色であった。赤は灯りの言葉が表すように明るく、赤子の言葉が表すように生命力そのもの。双方あわせてその色やよしと古来から好かれた色である。



古代から地位の低くなかった白は、啓典の民の中でも宗教の色として重要だった。

このことは、西欧諸国で白の地位が高かったことを示している。


初期のキリスト教は、ローマの象徴主義を取り入れたという。ウェスタ神官が純潔、忠誠心、そして貞操を義務付けられていたことから、白はそれらの象徴となっていた。

その白を司祭が着用し、シト-会に引き継ぎ、最終的にドミニカ会であったピウス5世により、教皇の公式色となったのである。


繰り返すが白は聖霊を表す鳩の色である。

白を身に纏うのは神の傍にという思いが一番であろう。白は神の色だった。

神と天使は明確に違うものである必要があった。初期キリスト教は偶像や天使崇拝を避けてきた。神と天使の区別のために、古い時代には天使に白を使うことに抵抗があったのではないか。

教皇も同様で、崇拝対象となるような白を避けていたのではないか。一番上の枢機卿は赤を纏っていた。教皇も同様に赤を纏っていた。




その厳格な区別を消してしまう要因が、何処にあったのだろうか。

全く描かなかったわけではないが、あえて描かなかった天使の白い羽。

そのあえてを覆したのは、いつなのか。白に対する革新的な意識改革が働いた可能性を考えてみる。


イギリスのヴィクトリア女王の時代、白いウェディングドレスが流行った。女王自身が着たことに端を発した白のウェディングドレスは、世界を席巻した。白いウェディングドレスは、現在も根付いている。


この事が天使の羽を白くしたのだろうか。

しかし、ヴィクトリア時代は1800年代、19Cのことである。

これが天使の羽を白く染めた原因とは考えにくい。絵画では、1600年代、17Cから白い羽は増えていくように思う。ちなみにマイセンの流行は17Cである。となれば、ヴィクトリア時代には既に白の流行がきていたのだ。

白いウェディングドレスは、聖母の持つ百合の象徴のように、純粋、清潔のイメ-ジを強化しただけだろう。



では、一体何が白を万物に使うきっかけとなったのか。





3.2.2.5. 白人主義


2022年2月27日。英BBCでこんなニュ-スがあった。


「ウクライナは、失礼ながら紛争が何十年も続くイラクやアフガニスタンとは違います。ここは比較的文明化した、比較的ヨ-ロッパ的な国なのです。慎重に言葉を選ぶ必要はありますが、ここはこんなことが起こるなんて想像できなかった場所なのです」


「私たちみたいな青い瞳の金髪の人々が攻撃されるなんて」

という見出しで紹介されたこの記事には、西洋人の白に対する意識が如実に表れている。




人間はアフリカの一人の女性から発生したと言われている。ブライアン・サイクス、ミトコンドリアの研究をしていた教授が発表している。

彼は最も古いと言われているバスク人について、ミトコンドリアを調べた。

第一次世界大戦の中で血液型が判明していた。当時は狩猟民族が最初にいたと思われた。そして狩猟民族はB型、バスク人はB型が多い、歴史的にも立証されているから人類の起源はそこにあると考えた。そこからの調査だったと思う。

何故ミトコンドリアなのか。染色体では男系遺伝が途絶えたところで辿れなくなる。日本の天皇が重宝されているのは、その難しい男系染色体を維持してきたからである。ミトコンドリアは女系遺伝で、途切れることなく辿ることが出来た。


しかし、バスク人は人類の最初ではなかった。

その後批判にさらされながらも、彼は最初の人類の起源、アフリカに辿り着いた。


つまり、人類学的には、アフリカが初期形態である。

そこからだんだん色が抜けていったと考えられている。現在コ-カソイドと呼ばれる人種は、色が抜けた最終形態なのである。

乱暴な言い方をすれば、コ-カソイドとネグロイド(アフリカ系)との居住地域を入れ替え、何万年かすれば、ネグロイドが白でコ-カソイドは黒になるという。


こういった現実があるというのに、どうして歴史を歪めてコ-カソイドは生まれたのか。


西洋人は自身をコーカソイドとする。

コ-カソイドとは何なのか。

コーカソイドとは、「ノアの箱舟で、コーカサス地方に辿り着いた人々の子孫」のことである。


学説史的にはドイツの医師ヨハン・フリ-ドリッヒ・ブル-メンバッハによる分類が人種理論の嚆矢(こうし)とされている。

ブル-メンバッハは1775年にゲッティンゲン大学に提出した論文De generis humani varietate nativa (ヒトの自然的変種)において、コ-カシア(白色人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒色人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)の5種に分類した。ブル-メンバッハは、「コ-カサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しくすべての人間集団の「基本形」、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと定義している。

当時の色の意識として、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた(創世記1-6)。このことから、当時のヨ-ロッパ人は自分たちを「ノアの箱舟で、コ-カサス地方に辿り着いた人々の子孫で、善である白い人」、としたのである。

イタリアなど南欧圏に居住する「キリスト教徒」は白人とされた。


ユダヤの聖書にはどこの人がどう増えていったか、誰が誰を生んで、今はここにいるみたいな広がりを延々と書いている。ノアはユダヤの系譜にある。

トルコ及びパレスチナ地方など中近東に居住する「異教徒のイスラム教徒(ムスリム)」は、コーカシアには入れられなかった。彼らは有色人種とされた。


コーカシアを本来の聖書に照らし合わせるなら、セム民族こそコーカシアである。論理も論拠も無い分類であった。

そして、肌には色が付けられた。実際セム系の人は少し肌の色が濃い。また、ヨーロッパ人と変わらぬ見目でも、関係なく有色とされたのだ。白色はヨーロッパだけで良かった。

ノアの息子たちで分類する場合もある。つまりセムがモンゴロイド、ハムがネグロイド、ヤペテがコーカソイドの祖先だというのだ。


コ-カソイドには、モンゴロイドのコ-カソイド系というのも分類されていた。日本ははじめのころ、モンゴロイドのコ-カソイドと位置付けられていた。ところが最終的に、黄色人種として分類された。

19Cの海外進出が気に食わず、日本人は黄色にされたといわれている。

しかし、それだけでこの人種に対する分類が起きた訳ではないし、モンゴロイドを分ける風潮は1700年代に既にあった。




15C以降、キリスト教は他国へ宣教活動を始めた。布教によって国土を獲得するためだ。16C、イエズス会が宣教師として活動を活発にする。

1543年、種子島に鉄砲の技術が伝わる。日本に入ったキリスト教は、だんだんと布教の方法を変え、キリシタンは1610年代に弾圧を受ける。

民族の隔たりは少なからずあった。当初日本では、布教は順調ではなかった。


多神教と一神教は大きく違う。多神教は基本的におおらかである。しかし、八百万の神は祟り神だ。扱いも難しいところは唯一神に似ている。ならば容易にキリスト教を受け入れそうである。だがそうはならなかった。

時期的には、一向一揆を経験し、「南無阿弥陀仏(阿弥陀仏に縋ります)」と言えば極楽往生できる大乗の仏教が流行った後だ。唱えておけば誰でも助けてくれるのである。

そんな時に「キリストを信じないと救われない」「皆改宗しないと救われない」と言われたら、どうだろう。

「あんたんとこの神様心狭いな」と当時の日本人達が思わず言ってしまったのは察するに余りある。

しかも、漸く信徒の増えた1610年頃に弾圧、踏み絵である。

そういった日本の反応や態度に、キリスト教が面白くないのは必然だろう。


日本人はキリスト教に染まらない、つまり白には染まらなかった。白に染まらない。それは疑念となった。すなわち、黄色、と分類されたのだ。

中国はこの提案を歓迎した。その国旗の色を思い浮かべればわかる。黄色は中国では良い色だからだ。

日本の国旗の色は、赤と白である。紅白饅頭でわかるように、そこに黄色はない。


キリスト教では、白は良い色である。

金色や発色のいい赤は良い色であったが、逆に褐色のような赤や黄色はユダの色である。黄色はユダヤ人を迫害する際に使われた色である。黄色は悲しみを表した。悲しみは中世では悪とされた。また、疑念、欺瞞を表した。悪い色なのである。



このように、15Cに、布教活動を始めたキリスト教は、1540年代に日本にたどり着き、1610年以降、日本では徳川がキリスト教を弾圧する。1600年代に天使の羽の白が現れ始める。

キリスト教の布教活動と共に、羽は白くなったと考えるのが自然だろう。


それは、ある種の転換期のように思われる。

黒いベネディクト派のように、黒も聖なる色になっている。聖書で忌み嫌われていたといっても、イメ-ジは変遷する。

白もそうやって変遷した。勿論、昔から白は鳩の聖霊の色であったし、シト-会はその衣を白で覆った。教皇服も枢機卿も、金や赤を多用していた。教皇となったピウス5世(在位:1566年―1572年)が修道士の白い服を定着させたのは1566年である。エリザベス女王を破門し、異端に厳しいピウス5世は、その身も白く磨いていた。17Cには色彩破壊論(クロモクラスム)の影響もあった。


神の使いの天使に白を使わないのは天使崇拝を避けたからである。しかし、今や崇拝は神やその周囲に広まり、余所とキリスト教を明確に分けるために、色で分けることが必要だった。

布教は天使も白く染めた。より清純に、白い羽の天使が赦される。そして他者には色が付けられた。


キリスト教がユダヤ教から独立するのは30年ではなく、プリニウスのトラヤヌスへの書簡110年以降であることから、思想が広がり定着する迄に5、60年かかることを考える。

白を天使の色とする、キリスト教を全体的に白く染めるのは、1600年代からごく自然に、徐々に広がっていったと考えられる。


18Cには人種、コーカソイドの後押しがあり、明確に白人を意識した姿が推薦されていく。さらには、ヴィクトリア時代のウェディングドレスのように白に対する絶対的なイメ-ジが西洋で定着したことは間違いない。

また、エルギン・マ-ブル洗浄事件のような、ギリシアの大理石美術を「洗浄」し「白く」するような思想が固定化されていった。

KKK(ク-・クラックス・クラン)も1865年に設立される。神だけでなくすべてを清浄化しようとし、白はキリスト教徒内で大衆化していった。天使だけがその例外になることはなかった。


そうやって、天使の羽の主流が白になっていったのである。



参考資料:

「ケルト:再生の思想:ハロウィンからの生命循環」鶴岡真弓著、東京:筑摩書房、2017.10

「ヴィクトリア朝のイギリス文学と美術」https://www.keiwa-c.ac.jp›uploads›2016/12

「色で読む中世ヨ-ロッパ」徳井淑子、東京:講談社、2006.6

「創られた「人種」」竹沢泰子、学術の動向2014年19巻7号p.7_80-7_82

「人種とは何か考える」".11October2002.NHKラジオ第一放送




3.4.2. 日本における嗜好


西洋において、天使が白くなる変遷を見てきた。


日本では白のイメ-ジも同じような形で受け入れられていたのだろうか。日本においての色のイメ-ジを見ていく。


先ほど紅白饅頭の事を言った。

日本は赤と白を好んできたといったが、これにも変遷がある。

最初、日本では、白が忌み嫌われていた。何故なら、白は清すぎるからである。

白と黒は境界であった。



唐向紅氏によると、中国人からみた色のイメ-ジは、次のようなものである。

中国では、白は死亡、恐ろしい、邪悪、不詳、葬式、白事、白い喪服、白い柩、白虎を悪魔、白虎星、反共産、白軍、白色テロ、無駄に何かをやる、軽視不吉、冷遇を表す。

白と赤は対立している。

日本では、紅白は賀喜、巫女、国旗とする。

加えて、白い和服の結婚は清さや上品=ウェディングベ-ルとなる。白を美、神聖、純潔、素直、明らか、雪月花の美意識、白星は勝利、清明、浄化とした。

万葉集の白色賛美の詩は41%あり、平安の八代集では白色が45%、中世の十三代集では51%、奈良時代の養老衣服令では白は天子の服、武士も白を基調にしている。

日本の歌舞伎は白い顔はいい人、赤い顔は悪い人で、中国は逆である。


これらは、最近の日本の兆候を表していて、古代に白を怖れていたことには触れていない。




小林忠雄氏は、柳田國男や民俗学から、色彩を次のように分析している。

日本の色彩には、もともと記号的な意味や象徴性などが含まれているようである。

古代日本語において、顔料名を排除すると、アカ・シロ・クロ・アヲ・キの五語が残る。

そのうちのキは染料の名に由来、他の四語が二音節から成るなど、これらの論拠から、キを除く四語を最も基本的な色名と仮定している。

赤は明、黒は暗、白は顕、青は漠、という意味連関が存在し、「在るのは、赤、黒、白、青という色彩なのではなく、明(アカ)一暗(クロ)、顕(シロ)一漠(アヲ)という光りの二系列であるにすぎない」、という。


また、村武精一氏は、南島文化では、赤が男性神で太陽を、黒い神は女性で月の表象を持っているとされる。

葬儀の喪服が白服から黒服に変わったのは、明治の中頃からといわれている。

西洋の式服の影響、或は花柳界(花街、遊郭)を背景とした色の転倒が契機となっているといわれている。


「白」は天皇、「黄丹」は皇太子、深紫は親王の色とされ、無位の者及び庶民が朝廷に仕える時の服色は黄抱(きのころも)、下僕は橡墨とされていた。

日本人にとって「黄色」「イエローモンキー」が馬鹿にされた言葉と意識するだろう根底が此処にある。


天皇の礼服である「白」が庶民の問で喪服として着られるようになり、農村で白衣をハレの浄衣とし、他方都市では白の布地を日常的に使われていく。白衣の吉原遊女、江戸城の大奥でも八朔の日に白衣が着られたという。

また、農村では若者から老人にゆくに従って色が薄くなっていくようだ。

加賀地方の農村では農作業時に被る頭巾は、若い未婚の娘は赤、若い嫁はピンク、年寄りは白と区別している。


島根県教育委員会の「島根の民俗芸能」(調査報告書)には次のようにある。

「山形にした三本の御幣(今は金と紅白を使うが、かつては白色)を立て」

御幣はかつては白を使っていたが、金と紅白に代わっていることが窺える。

また、白山(しらやま)の上から吊るされた白蓋(びゃっけ)についても、その場合の白山は「生まれ浄まり」の意味であり、神楽の白蓋はこれによって俗なる魂を死滅させ、かつ浄化して再生させるためであった、とある。

何れも白が清いものであって、魂の死滅と再生を司っていた厳かなものとして取り扱われていたことがわかる。


また、柳田國男の「明治大正史」には次のようにある。

「白は本来は忌々しき色であった。日本では神祭の衣か喪の服以外には、以前は之を身に着けることは無かったのである。婚礼と誕生とにも、もとは別置を必要とした故に白を用いたが、それすらも後には少しつつ避けようとしていた。つまりは眼に立つ色の一つであり、清過ぎ又明らか過ぎたからである。」


白はかつて禁色であった。それが宗教において許され、シンボルとなってきた。また、先に3.4.1西洋における嗜好で述べたが、「青馬節会」から「白馬の節会」に変わった。このように中世に青から白を最高色にする転換もあるなど、時代によって色彩の転換があったのである。



他にも、演歌においては圧倒的に白へのイメ-ジの曲が多いという調査もある。


齋藤美穂氏の色彩の嗜好の調査においては、日本人の色彩感覚を知ることができる。

Tukada他(1964)による研究以降、1979年から1993年に至るまで、どの年でも白は嗜好色の5位を下ったことがないという調査がある。

韓国とインドネシア、日本は似ている。アジアは白への嗜好が高いようである。清潔、純潔、明るい、神聖というイメ-ジがある。

若干ではあるが中国では白を嫌っている対象者が、特に男性に多いようである。生気がない、空虚、死というイメ-ジである。

これは、最初に触れた唐向紅氏、つまり中国の男性の研究者の、色へのイメ-ジに当てはまる。

インドネシアでは白を嫌う場合、明るすぎる、汚れやすい、単純すぎるといった考えも、日本に通ずるものがある。



これらの研究から、日本は白を畏れ、敬ってきたこと。明と暗が西洋同様にあり、白と黒を分けたことはわかる。だが、それはあくまで境界であり、白も黒もどちらも畏れるものであった。

また、白は天皇を表し、天皇は現人神である。

八百万の神である身近な神の存在は、ギリシアと同様であったかもしれないし、一神教の神と同様であったかもしれない。


日本人は海外からきた神に敬意を表し、白の羽を神の使いに与えたのではないか。遠い神は清すぎ、畏れるものと認識されたのではないか。

次の項目でもう少しその辺りを掘り下げていく。




参考資料:

「中国と日本における色彩語の対照」唐向紅、鷲尾紀吉、中央学院大学人間・自然論叢

中央学院大学人間・自然論叢(31)、51-66、2010-12

「色のフォ-クロア研究における諸前提」小林忠雄、国立歴史民俗博物館、国立歴史民俗博物館研究報告=BulletinoftheNationalMuseumofJapaneseHistory(ISSN:02867400)vol.27、pp.393-415、1990-03-30

「日本における白嗜好とその背景:アジアにおける国際比較研究を通して」齋藤美穂、早稲田大学日本色彩学会誌23(3)、158-167、1999-09-01




3.5. 日本の天使


西洋の天使の白い羽が、増加する過程をみてきた。


白の表現が容易に可能になったことも、白い羽が描かれた理由の一つだろう。だが、初期のルネサンスでも白い羽を描くことは可能であるのに、あえてそれはしなかった。


白い羽が増えた大きな理由は、白への固執だった。キリスト教はそれを受け入れない、相いれないものに色を付けていった。自分たちキリスト教と対立するもの達との間に明確な線引きをするためだ。その為に白は積極的に強調されていった。偶像崇拝を禁じて宗教を浄化するのと同様に、キリスト教の白化は進んでいった。

白人主義にまで達したそれは、時に陶磁器やファッションを通して、白というものに固執していった。


それでも白以外の羽の天使が、西洋には残った。

聖書にある赤い羽の記述によって、赤い羽の天使がなくなることはなかった。天使は色々な羽があるものである。



では、なぜあんなに日本の天使たちは白い羽を持つのか。

3.4.2では、日本の白に対する意識の違いからそうなったのではないかと探ってみた。すると、日本の神、天皇は白で表され、清いものを白という意識があることが分かった。

だが、実際そもそも、日本で天使はどうなっていたのかを見ていく。



1549年、日本でザビエルが布教を始める。キリスト教は江戸時代、1610年代には迫害され、明治になって信仰を赦された。

伝わった当初のキリスト教の足跡、絵画を探すことは可能なのだろうか。

江戸時代の、日本の天使を探すには難しいように思われる。


ところが、葛飾北斎が天使を描いていた。

葛飾北斎(1760年-1849年)の天使の絵は、羽の上方は茶色で、先の方は白い羽である。北斎が天使を描いているとは驚きだった。


これはクピドの可能性もある。実際、佐々木隆氏はキュ-ピッド(天使)と記載していたり、エンゼルと表記もしている。クピドかもしれないが、これは天使の可能性があるものだ。

北斎は日本国内に伝わってきた西洋絵画を耳にしたのか、目にしたと考えられる。

17C頃、殆どの天使が白っぽく描かれているが、色彩破壊論(クロモクラスム)の影響もある。モノトーンな天使は茶色っぽい羽に見えるものも多い。このときは、まだ茶色い羽の天使またはクピドを北斎は見ていたのだろう。




次に頼りになるのは、イコン作家の山下りん(1857年–1939年)である。

丁度、北斎と入れ替わりの時代である。


山下りんは、ニコライに誘われイコン留学をするが、その際にロシアのイコンを見て失望する。山下りんが想像していたのは18-19Cのヨ-ロッパのロココ(繊細優美。女性的)や新古典、ロマン主義の絵画だった。

山下りんが遺恨留学したロシアでは、伝統的なイコンが描かれていた。

ロシアでも17C頃からイコンが西欧の影響を受けるようになって、ビザンティンの伝統から離れ始めていた。17Cから19Cまでのロシアにおいてはイコンが西欧化し、質が低下したとされているのだが、留学先はそうではなかったらしい。

山下りんが留学時に学ぶ際は、伝統的なイコンを逸脱することは赦されなかった。


彼女の描いた伝統的なイコンが残っている。従来のイコン通りのやり方の作品で、のっぺりした人物が描かれる。天使の羽は黒い。だが、それは画力ある彼女の理想ではなく、山下りんは思い悩む。

最終的に、彼女は自分なりのイコンを描くことを決意する。ロココ的な優しい雰囲気のイコンである。優しい薄茶色の羽の天使、白い羽の天使。特に白い羽の天使は全身で描かれていることから印象的である。


日本で白い羽の天使が標準になったのは、この初のイコン作家に原因があった可能性が高い。

彼女が目にしていた西欧の絵画の天使たちは、最新のものであったのだろう。1600年代から増え始めた白い羽の天使は、18Cにはカラフルな羽を押さえて、その殆どが白い羽になっていた。北斎と違う点は、彼女が留学などをして、最新の西洋絵画に触れる機会に恵まれていたこともある。

その影響を受けた山下りんは、白い羽を描く。


彼女の描いた天使は、後の時代の日本人の手本となった。

絵画や芸術とは、まず昔を頼りに、手本にしていくことで発展する。今のように情報に溢れていない時代、身近なものがその手本となっていた。

メムリンクが同じフランドル地域のウェイデンの構図を真似ながら改良を加えたように、山下りんも彼女自身が目にした西洋絵画にあこがれながら、彼女らしさを追加していった。

その天使は、後の時代へ引き継がれる。


前述したように、元々日本でも白は神、天皇の色である。清いものの象徴である。白は清すぎるものでもある。

日本人に、そういった無意識の刷り込みがあり、神であれば白、それがしっくりくるといった感覚はあったと考えるのが自然である。


そうやって、日本の天使たちは、皆が白い羽になっていったのだろう。





参考資料:

※参考資料にあげた論文には、著作権があるのか、絵画が一切消し込まれていて、分かりにくいものがある。

「謎だらけの葛飾北斎の「キュ-ピッド」」佐々木隆、武蔵野教育研究3巻11号https://www.econfn.com/ssk/ronkyo/ronkyo23.pdf

「山下りんの伝記と作品」岡畏三郎美術研究号279ペ-ジ28-37発行年1972-04-15




4. 結論


天使とは、一神教の神の使いである。

神の伝令として神を代行し、ダイモンやゲニウスと同一視され、イエス・キリストとも同一視された。ダイモンもゲニウスも翼をつけていなかったことから、初期キリスト教の伝令の天使には、羽はなかった。

聖書の記述に羽があったのは、ケルブとセラフであった。それらには目のついた、炎、金、青糸、紫糸、緋糸で織りだされるという色のヒントがあった。


三位一体を掲げた初期キリスト教は、天使崇拝を避けるよう、聖書の正典が選ばれた。

また、偶像崇拝を避けるため、ギリシア・ローマの豊かな色彩や人物中心のものは避けられ、装飾や記号、寓意が発展していく。


ケルブとセラフの記述から、天使は羽をもつ存在として描かれていった。

孔雀の羽を持つ天使、金の羽の天使、ヨハネの鷲のような茶色の羽を持つ天使が描かれる。カラフルな羽が生まれ、孔雀や鷲であった羽は次第に現実にない色を帯びる。緑、青や茶、赤羽も描かれている。

初期キリスト教(偶像禁止)、イスラム侵攻(イコノスクラム)、プロテスタントの台頭(クロモスクラム)、それぞれに影響を受け、常に発展と節制の狭間で宗教画は揺れた。最終的には優美で上品に仕上がっていった。

最終的に白や金が増える傾向にあった。



天使崇拝を避けていたことから、神の使いの天使に白を使わないのが常だった。しかし、15Cから16Cがその転換期となった。

海外へ進出し、見知らぬ土地を開拓、布教を進めることで、キリスト者は自己と異教徒である他者を、より区別するようになった。異教との交わりで、キリスト教にとって白は異教との違い、境界線となる最も重要なファクターとなった。


白は聖霊の色、神の色であった。

ウェスタの白をキリスト教の司祭が着用し、シト-会に引き継ぎ、最終的にドミニカ会であったピウス5世により、1566年、教皇の公式色となった。


18C以降はそれに拍車をかけた。人種、コーカソイドの思想、ヴィクトリア時代の神の御前で誓いを述べるウェディングドレス、ギリシアは白くあらねばならぬとのエルギン・マーブル洗浄事件。これらの白が至上との後押しがあり、長い時間をかけて、宗教は白く洗浄されていく。

洗浄は、天使も白く染めた。より清純に、白い羽の天使が赦される。明確に天使はヨーロッパ人を意識した姿が推薦されていく。

こうして白い羽の天使は一般化した。

それでも聖書の記述に忠実な天使は無くならなかった。



日本では山下りんが先駆けとなり、白い羽の天使が基本型となった。彼女が見たのは18C、19Cの白い羽の天使たちであった。

このように、日本では、キリスト教が入って来た時から、白い羽の天使の土壌がしっかりしていた。


また、元来日本人が、天皇や神が白である、白は清すぎるから避けられるものであった意識も関係した。

1970年から1990年代における嗜好色からも、日本人は白という色に特別な感情を抱いてきた。


日本では神=白であり、異国の神も同様であった。その上、白は日本人にとって嗜好色であった。山下りんによって天使の土壌が作られると、日本人は違和感なくそれを受け入れ、広めていった。

現在でも日本で白い羽の天使が一般的であり続けるのは、いまだに白が清いという意識からに他ならない。




現在は透明感という言葉がよく好かれて使われるようになってきた。現段階では女性の肌の色に浸透した程度である。衣服やファッションも同様である。

この透明の嗜好がさらに加速すれば、天使や神にも反映する可能性がある。


日本では既に円山応挙の時代から幽霊は足が無く、透明感の先駆者である。

天使たちが透明感を得れば、さらに霊的になり、神秘の存在となっていくのかもしれない。



2022.07.07.Ka-Sa:FH

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天使の羽はなぜ白いのか 个叉(かさ) @stellamiira

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