第2話 専属借金取りは情報屋

 クンツの報告によると、皇帝の助言機関であるはずの長老会議ゲルシアが、現皇帝リュディガーを皇位簒奪者であると認定し、退位したはずの先帝をもう一度掲げようとしている、とのことだった。


 どう考えてもトラヴィスが侵入できなかった密談での話だ。

 作為的な状況にトラヴィスの目がわずかに鋭く尖る。


 ——なんだぁ? 面白くない状況だな……。


 傍らのギードがそんなトラヴィスをしずめるように、円卓の下でトラヴィスの足を蹴った。


「いてっ、なにすんだよ……」

「クンツは身体能力も高く耳もいい犬人だ。お前が侵入に失敗した密談を壁か扉越しに耳にしてもおかしくはない」

「……それもそうか。犬人の聴覚と嗅覚には勝てねぇもんなぁ」


 トラヴィスはそう答えながら、誠実と忠誠でできたようなクンツの顔を見る。

 睨んだ自覚も嫉妬した感覚もなかったけれど、クンツはビクリと肩をすくませてトラヴィスの方を見た。犬人は気配に敏感なのだ。


「はー……にしても、陛下が皇位簒奪者、ねぇ。……面白ぇけど荒唐無稽だな。長老会議ゲルシアはマジでそんな与太話、信じてんのか?」


 クンツの報告を茶化す言葉でケイレブが否定する。


「怪しく思ってる奴がいたんだろう。あるいは利用したい誰かが。リュディガー・バーチュ皇帝陛下とクサーヴァ・バーチュ先帝陛下は、義理とはいえ兄弟だ」


 ケイレブの言葉に真っ先に反応したのはカイだ。カイはケイレブの言葉に反応した自分を嫌悪するように、眉間に皺を刻んでいる。


「はは、確かにそうだったなぁ! カイ、お前凄ぇな」

「うるさい黙れ。ガラテア帝国の皇帝は世襲制ではない。しかし先帝陛下と現皇帝陛下が義兄弟だったから調べたことがあるだけだ」


「それに現陛下が現れたときは、まだ先帝が即位してからそれほど時間も経っていなかったし、珍しいこともあるもんだな、と思ったんだよね、ぼく。……まさか陛下が簒奪者だったら、とか……笑える」


 カイの発言に乗ってヴィリが暗い笑みをたたえて呟く。しかし皇帝陛下の椅子チェアを管理監督する役目も追うゲープハルトの地獄耳はそれを聞き逃さない。


「ヴィリ。お前が仕えるあるじは誰かね?」

「り、リュディガー皇帝陛下ですっ!」


 ゲープハルトの冷徹な声にヴィリが震え上がる。姿勢正しく背筋を伸ばし、即答する姿を横目で見ながら、トラヴィスが言う。


「それで、ゲープハルト老。俺たちチェアはどう動く?」

「よい質問だ。カイとヴィリは黒い椅子ブラックチェア総点検と再調整を漏れなく行うように」


「はーい、おっけー!」

「……承知しました」


「トラヴィスとギードは長老会議ゲルシアを探れ。方法は任せる」


「うへぇ……了解」

「了解した」


「ケイレブは皇帝陛下の護衛を」


「いつも通りすぎて身体が鈍るな。なあ、流浪の騎士さんよ。護衛に戻る前に手合わせしてくんねぇか?」

「その問いは私にすべき問いではない」

「カッカッカ! 相変わらず頭固ぇな、ギードよ。お前の飼い主にでも許可取れば受けんのか?」


 ケイレブが笑いながら鋭い視線をトラヴィスへ向ける。

 武人の強烈な殺気に当てられて、トラヴィスの息が詰まって背中から汗が吹き出した。

 乱れる呼吸を見栄プライドで覆い隠し、トラヴィスは無理矢理笑顔を作ってケイレブに向ける。


「おれはギードの飼い主じゃあないんで、その問いは陛下にした方がいいんではないかと思いますけどね」


 ははは、と乾いた笑いをつけ足して話をはぐらかす。

 戦闘狂のがあるケイレブは、いつも息をするようにギードを挑発しては断られていた。


「……またその答えか。三度目だぞ、もう少し語彙バリエーションを増やしておけよトラヴィス」

「は、はぁ……そうします」


 トラヴィスは引き攣った笑顔で答えて静かに深く息を吐く。そのため息はゲープハルトのため息に重なった。


「……話を続けるが、クンツはこのまま砦城の巡回を。主に長老会議ゲルシア関係者の周囲を手厚く張れ」


「はいッ! 了解ッス!」


「ゲープハルト老。そういえばアウグストとザシャのふたりは今どこに? 円卓会議を欠席しているようだが」


 ギードが、欠けた二つの席を顎で指す。序列二位のアウグスト、序列三位のザシャの姿がない。

 そもそもふたりが円卓会議に出席している姿をあまり見たことがなかったトラヴィスは、どうしていないのか、なんて気にすることさえしなかったのだけれど。


 ギードを除く全員が彼らの存在を忘れていたようで、ゲープハルトも即答することができなかった。一拍一呼吸置いてから、ゲープハルトがようやく答える。


「……彼らは彼らにしか請け負えない仕事がある。今回の件には絡まない。……ではこれで円卓会議を終了とする。各自任務を確実に遂行するように」




 帝都で一番栄えている市場の路地裏。

 怪しい雰囲気がぷんぷん立ち込めるそこに、小さな店があった。


「よー、エッカルト。元気か?」


 トラヴィスは入り口も内部も狭く雑多な店に入り、目当ての男——エッカルトを見つけてそう言った。


「おやぁ、トラヴィスの旦那に流浪の騎士殿じゃあないですか」


 トラヴィスが贔屓にしている情報屋エッカルトが、豪奢な籐の椅子に深く腰掛けて片手を上げる。


 薄い紫色のレンズが入った色つき眼鏡カラーグラス。ふわりと柔らかな銀色の髪、長く細い腕と指。

 店内は薄暗く香の香りと煙とが立ち込めていてはっきりとは見えない。けれどトラヴィスはこの男が震えるような美男子であることを知っている。


 エッカルトは薄暗い照明に隠された美しい顔で気安く笑うと、媚びるような猫撫で声でトラヴィスに微笑みかけた。


「ねぇ旦那ァ、長い付き合いになるんですし、そろそろエッカって呼んでくれてもいいんじゃないですかね?」

「……誰が自分の借金取りを愛称で呼ぶかよ」


 ため息を吐いたトラヴィスは、首を横へと一振りだ。

 トラヴィスとエッカルトの付き合いは、トラヴィスとギードのそれより長い。


 トラヴィスが以前所属していた魔術士協会の会費を滞納して退会しなければならなくなったとき、エッカルトがその債権を協会から買い取った。

 そうして理由不明なままエッカルトがトラヴィスの専属借金取りになってからずっと長く付き合っている。


「ははは、確かに。で? 返済の目処が立ったんです?」

「いや。今日の話はそっちじゃない」


「……ああ、なるほど。先帝と長老会議ゲルシアが結託して謀叛を起こそうとしている件ですか」

「早すぎる。お前、どこの手先だ」


 ひと呼吸以下の速さでギードがスラリとカタナを抜いた。エッカルトの首元に刃先をビタリと当てて睨む。

 一瞬にして殺気の塊と化したギード。ヤバい、とトラヴィスが我に返ったのは、ふた呼吸後のこと。


「ギード、ステイ! ステイ、ギード! ……エッカルトが怪しいのなんて、元からだろ。仮にもコイツは情報屋だ、俺らが知らない情報源があってもおかしくない。大丈夫だ、ギード。コイツは大丈夫だから!」


「ヤン、退がれ。お客様の前ですよ。暗器をしまいなさい」


 エッカルトが冷静を通り越して冷徹に告げる。と、暗器を構えた褐色肌の男が薄暗闇から姿をあらわした。

 男が持つ暗器の切っ先と殺気が、トラヴィスの心臓の位置をしっかりと捉えている。


「……失礼しました。主人エッカが害されては困りますので」


 ヤンの存在に今更気づいてトラヴィスは背筋を冷やした。


 ——マジかよコイツ、いつの間に……?


 暗器の男——ヤンは淡々とトラヴィスに頭を下げると、音もなく暗器をしまい込む。

 魔術士であるトラヴィスの目には、ヤンが極微小な亜空間収納魔術式を展開したのが視えた。


「エッカ。次からは店の出入口で携行武器をお預かりするシステムを導入しては?」

「お前は僕に過保護すぎる。もう少し信用しろ、客も、僕も。それに、流浪の騎士殿に剣を向けられるとは光栄なことだ。僕は気にしてない。いいな、ヤン。いい子にしていろ」


 エッカルトが薄紫色のカラーレンズの奥で鋭く目を光らせた。ヤンは「承知」とだけ残して気配を消して周りに溶け込んでゆく。

 完全に気配がわからなくなったヤンに、目を細めて舌打ちをしたのはギードだ。警戒心の塊と化したギードは、刀を収めようともしない。


 トラヴィスはギードの反応に頬を引き攣らせながら、髪をぐしゃぐしゃに掻き回す。


「あー、すまん。うちのギードも神経過敏なんでね」

「ふは。でもそれ、僕が襲われそうになったのって、旦那のせいじゃないですか」

「なに?」

「騎士という生き物がどんな生き物か、トラヴィスの旦那が一番よぉく知ってるでしょ?」

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