恨み、晴らします(二)

 剣呑横町の周囲には、奇妙で怪しげな店が幾つかある。大概は盗品を捌いたりする犯罪絡みのものだが、中にはまともに商売している店もあった。

 上手蕎麦じょうずそばも、そのひとつである。蕎麦の味は悪くないし、値段も手頃だ。このあたりでは数少ない、まともなものを食べさせる店として知られていた。

 店の主人であるおろくは三十五歳、女性にしては大柄な体格である。器量は悪くないが目付きは鋭く、気の弱い男なら睨んだだけで泣かせてしまいそうだ。もっとも、客に接する態度は穏やかで愛想がいい。

 店では、他にふたりの人間が働いている。ひとりは、お春という名の若い女だ。年齢は十代、飾り気のない地味な風貌ではあるが、性格は明るく朗らかだ。客あしらいも上手く、店に無くてはならない存在である。

 そしてもうひとりは、蘭二らんじと呼ばれている男だ。年齢は二十代半ば、すらりとした体つきと、色白で整った綺麗な顔の持ち主である。女たちの間でも人気者だ。その態度や物言いから、学問を修めた男であることは容易に想像がついた。しかし、自分の過去の話は語ろうとしない。




 夜になり、お禄は店の暖簾のれんを仕舞う。

 下働きのお春が仕事を終えて家に帰った後、奇妙な男が店を訪れた。きちんと剃り上げられた坊主頭が特徴的だ。みすぼらしい着物を着て、杖を突いている。体つきは一見すると細いが、着物から覗く腕は筋張っており、腕力は有りそうだ。全体的に、どこか死神を連想させる雰囲気を漂わせている。

 男は、店の戸を叩き声を上げた。


「上手蕎麦のお禄さん、あっしですよ……壱助いちすけです。揉み療治に参りました。開けておくんなせえ」


 ややあって、戸が開けられる。中から、蘭二が顔を出した。


「待ってたよ。入んな」




 蘭二に手を引かれ、店の奥に入って行く壱助。中はさほど広くない。余計な物はほとんど置かれていないためか、まるで牢屋のようだ。

 奥の部屋の片隅には、地下に通じる階段がある。壱助は蘭二に手を引かれ、ゆっくりと階段を降りて行った。

 階段を降りた先には、広い地下室があった。上とは違い、しっかりとした造りである。椅子や机、蝋燭ろうそくなどが置かれていた。

 その椅子のひとつに、お禄が座っている。


「来たかい、壱助さん。後金は用意してあるよ。さあ、持って行きな」


 そう言って、二枚の小判を握らせる。壱助は、大げさな態度でぺこぺこ頭を下げる。


「いやあ、これはこれは……お禄さんには、いつも世話になってまして。また、よろしくお願いします」


「こちらこそ、また頼むよ。あの気違い侍、頭は弱いが剣は強いからね。蘭二に殺ってもらおうかと思ってたんだけど、あんたらが引き受けてくれて良かったぜ」


 そう言って、お禄はにやりと笑う。


「へえ、あっしは仕事は選びませんから。銭になるなら何でもしますよ。じゃ、そろそろ失礼します。蘭二さん、頼みます」


 その言葉に、蘭二は頷き手を差し出した。彼の手を引いて歩いて行く。

 その時、お禄が呼び止めた。


「ちょっと待ってよ。ねえ、お美代みよさんはいつになったら、ここに顔を出してくれるんだい?」


「お美代、で?」


 聞き返す壱助に、お禄が頷いた。


「ああ。お美代さんとも、顔を合わせておきたいからね。次に来る時は、お美代さんも連れて来てよ。お前さんだって、その方が便利だろう──」


「申し訳ないですが、そいつは出来ません」


 お禄の言葉を遮り、壱助は言い放つ。その声は冷たく、先ほどまでの愛想が微塵も感じられなかった。


「それは、どういう訳だい? お美代さんが、あたしたちに会いたくないとでも言ってるのかい?」


 お禄の顔つきも変わった。表情が堅くなり、目付きが鋭くなる。一方、蘭二の態度は変わらないが、懐から何かを取り出している。煙管きせるのような物だ。

 すると、壱助の表情が和らいだ。場の空気を和ませようとでも考えたのか、愛想笑いを浮かべる。


「まあ、そうなんですよ。あいつは、外に出たがらないんで。それに……あっしは、めくらなんですよ。蘭二さん、すまねえが椅子を取ってくれねえか」


「ああ、いいよ」


 蘭二は頷いて、椅子を差し出す。壱助の手を引いて、椅子に導いた。


「ありがとうございます。でね、お禄さん……あっしはね、目が見えないってだけで、今までに色々と酷い目に遭わされてきたんですよ。子供に後ろから蹴飛ばされたり、大人に殴られて金を盗られたりね。そうそう、食ってる握り飯を取り上げられて肥溜めに浸けられた挙げ句、それを無理やり食わされたこともありました」


「そいつは聞き捨てならないな。壱助さん、あんたは私たちを、そんな屑野郎と同類だとでも思っているのかい?」


 蘭二が横から口を挟んできた。彼にしては珍しく、あからさまな怒りの表情を浮かべている。

 すると、壱助は軽く頭を下げた。


「ああ蘭二さん、気に障ったなら謝ります。しかしね、あっしがこれまでに受けてきた仕打ちは、あんたらには想像もつかないもんでしょう。いくら学のあるあんたでも、こればかりは分からんでしょうね。あっしはね、今までずっと痛い目に遭い続けてきた。だからね、用心深くならざるを得ないんですよ」


「なるほど、それは分かったよ。だがね、お前さんの哀れな身の上と、お美代さんがあたしらの前に面を晒さないのと、いったい何の関係があるんだい?」


 今度はお禄が尋ねる。彼女の表情は険しい。目を細めて、じっと壱助を見つめていた。その瞳には、危険な光が宿っている。

 だが、壱助は平然としていた。目の見えない彼にとっては、お禄がいかに恐ろしい形相をしていようが無意味なのだ。


「お美代はね、あっしにとっての切り札なんですよ」


「切り札?」


「ええ、そうです。あっしに何かあったら、お美代が動く手筈になっています。ここにやって来て、あんたたちの脳天を吹っ飛ばすことになっているんですよ。いくら腕が立とうが、鉛玉には勝てませんからね」


「……」


 お禄は何も言わず、じっと壱助を見つめる。蘭次も黙ったまま、事の成り行きを見守っていた。


「お禄さん、それに蘭二さん。あっしはね、あんたらを信用してます。ただし当面の商売相手として、です。あっしは、これまで色んな人間と会いました。人の世話を焼きながら、懐の銭をくすねるような奴。口では真っ当なことを言いながら、金が絡めば自分の子供でも殺す奴。そんな連中と関わっていたりすると、誰も信じられなくなるんでさぁ。お禄さん、あなたも分かりますよね? それに……お美代の面がどうしても見たいなら、この場であっしを殺すんですね。そうすりゃ、お美代は必ずあなた方の前に現れますよ」 


 そう言うと、壱助はお禄の方に顔を向ける。その瞳は閉じられたままだ。にもかかわらず、得体の知れない凄みを感じさせた。蘭二は思わず声を出す。


「ちょっと、あんた──」


 何か言いかけた蘭二を、お禄が制する。


「わかったよ。そういうことなら、あたしも何も言わない。だがね、そっちも忘れんじゃないよ。もしお前さんが、あたしらを裏切るような真似をしたら、お美代さんともども死んでもらうからね。いくら短筒でも、あたしと蘭二、それに権太ごんたの三人を、いっぺんに仕留めることは出来ないよ」




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