第46話:セントラルランドからの招待1

「千尋さん、相談があるのですが」

「え……僕にですか?」

 優里はキッチンの扉から少しだけ顔を覗かせるようにして、掃除をしている千尋に恐る恐る声をかけた。

 今日も千尋はチェックのエプロンがよく似合っている。

 彼はキョトンとした顔で優里を見つめていたが、不意に頬を膨らませて、

「あ、優里お嬢様、絢音さんにため口で話をしているなら僕にもそうしてください」

 という要求をしてきた。

 いつの間にか絢音にはため口で話していることが伝わっていたらしい。

「わ、分かりました……じゃあ千尋くん、相談があるんだけど」

 改めて言い直す。

「はい、なんでしょう?」

「えっと……続きはこっちで」

 話ながら布巾を片づけ手を洗った千尋に、優里はダイニングの方を指さした。


「……絢音さんもいるんですね」

「私がいて悪かったかよ?」

「いえ、別に」

「あの、お二人の意見を聞きたくて」

 言い合いをしそうになる二人に優里はやんわりと声をかける。

 飲み物でも用意すればよかったかもしれないが、突然呼び出したこともあってテーブルの上にはお菓子も紅茶も何もない。

 少し申し訳なく思いながらも正面に座っている二人の顔を交互に見た。

 ツインテールもメイド服もようやく様になってきた絢音と、相変わらず幼さの残る顔の千尋。

 現在優里にはある悩みがあるのだが、この自分の中にあるもやもやとした気持ちを話すのはこの二人が適任だと思った。

 奏人や詩織に話せば重く受け取られそうだし、愛子もこのような相談に乗るとは思えない。

 年の近い二人と話せば何か答えが見つかるかもしれないと考えたのだ。

「えっと……じゃあ相談って?」

 何故かやや緊張気味な絢音の言葉に優里は

「『好き』ってどういう気持ちだと思う?」

 と、率直に尋ねる。 

  サウスポート家では、兄妹の好きという気持ちが七海の呪いを解いた。

 それを促したのは優里であるが、優里にはその好きという気持ちが分からない。

 クレープが好きという気持ちと皆のことを好きという気持ちは同列ではないのか。好き以上の特別な感情は存在するのか。

 それが分からずもやもやとしていた。

「え……っと、わざわざ聞くということは恋愛感情的な『好き』なんですかね?」

「普通の好きの上にある好きが恋愛感情だとするなら、そういうことになるかも」

 恋愛感情……それが優里には分からないのだ。ただ、知りたいと思った。

 千尋と絢音が顔を見合わせる。まるでどちらが言うのか譲り合っているかのようだ。

 暫くにらみ合いを続けた後、口を開いたのは千尋だった。

「いろいろ気になることは多いんですけど……例えば手を繋ぎたいとか、抱きしめたいとか……あと、その……相手に自分のことを好きになってもらいたいとか、そういうのじゃないですかね」

「手を繋いだり……抱きしめたり……?」

 その言葉で優里の脳裏に浮かんだのは奏人だ。奏人とは手を繋いだり抱きしめられたりした。

 それに幼いころの優里は奏人に自分のことを好きになって欲しいと思っていたようだ。

 だとすれば。

「えっと……私はもしかして、奏人さんのことが好きなのかな……」

 仮説を導き出した優里の言葉に二人の表情が固まる。

「えっと、どうしてそう思うんだ?」

「その……奏人さんとは手を繋いだり、抱きしめられたりしたし……好きになってもらえたら嬉しいかなって思っているし」

「で、でも自分から抱きしめたいと思うのか?」

「あれ……どうだろう」

 確かに自分から奏人を抱きしめようという気持ちになったことはないし、手を繋いだのもはぐれないようにと思ってのことだったが。

「ていうか奏人さんなんて最近半分くらいストーカーじゃないですか? ぶっちゃけそういうのどう思っています?」

「ああ……」

 将斗の一件があってから奏人はさらに過保護になった。夕食の後部屋に戻ったり風呂へ行く時すらついていくようになったし、夜は眠りにつくまでも絶対に部屋から出ない。朝はまた奏人に起こされているのだから、彼は一晩中あそこにいるのではないかとも思ってしまう。

「奏人さんは心配性だから……でも、なにか……もやもやしているの」

 心配してもらえるのは嬉しいが、その反面言いようのないもどかしさを感じていた。

 奏人に対して何かを言いたいのに、胸のところでつかえているような感覚。それが恋愛感情なのか。だったら何故つっかえたまま出てきてくれないのか。

 輝夜は、優里には愛情が欠けているのだと、封印されているのだと言っていた。

 それが解き放たれれば分かるものなのか。

「ごめんね、二人に相談なんて言ったけど結局自分自身がよく分かってなくて……時間とっちゃったかな」

 二人を呼び出しておいて結局答えを見つけられない自分が情けなく思う。

「そんなことないぞ。アタシたちは優里の力になりたいからさ、ちょっとした悩みでもなんでも構わず言ってくれよ。その……アタシは賢くないけど、話を聞くくらいならできるし」

 絢音がテーブルの反対側にいる優里へと手を伸ばす。思わずその手を握ってしまった。

「僕だって……絢音さんより賢いですからね。小さいですけど、頼ってください」

 千尋もまた手を伸ばすので、その手も握る。二人と握手をする、変な体勢となってしまった。


「まあ、好きとかそういうデリケートな問題はさ、パーティーが終わってからでもいいんじゃないのか?」

「確かに……」

 セントラルランドへ向かう日はもう目の前だ。

 詩織は優里へのマナーを徹底的に教え込み、奏人も残りの必要最低限の知識を詰め込んできた。

 それも全て、セントラルランドの大衆の前で失敗しないためだ。

 セントラルランドは外部からの入場制限がかかっており優里、奏人、愛子の三人で向かうことになった。詩織に手取り足取り教わったことを自ら率先して行わなければならないのだからプレッシャーも大きい。

 そして、これまで共に行動してきた絢音もいないのは寂しかった。

「パーティーの様子はテレビ中継されるそうですから、僕も部屋のパソコンで見ていますよ。庶民上がりでも優里お嬢様は立派なお嬢様だってことを見せてください」

「あ、アタシも千尋のパソコン? で一緒に見てるからな」

「うん、ありがとう」

 好きという気持ちも気になるし、黒龍のことも解決していない。

 ノースキャニオンの環境、赤龍のこと、思い返せば問題は山積みだがそれは後回しだ。

 セントラルランドで、一か月頑張ってきた成果をみせなければならない。 


◆  ◆  ◆


「洋服は?」

「持ちました」

「リボンの結び方は?」

「完璧です」

「GPSは?」

「ついています」

 セントラルランドに行く前日は、詩織に隅々まで身体を洗われ、髪を梳かすところまでを全て彼女に任せきりだった。

 今回は泊りがけになるので、実はいつもブラウスの襟の裏などに位置情報が分かる機器が付けられていたという種明かしもされ、その上で共に準備をした。

 腰のリボンなど難しいところも一応一人で結べるようになり、詩織がいなくとも人前で上手に振る舞えるように何度もリハーサルをした。

 スピーチの言葉も頭に入れた。

 セントラルランドでは定期的に一部の貴族が集まる催しが開かれ、表彰や任命など新規で決めごとがある場合はその人物に壇上に出てもらいマスコミや聴衆の前で挨拶をすることになっている。

 優里はイーストプレイン家の正式な跡取りとして戻ってきたことを宣言することになっていた。

 その前にサウスポート家の伯爵任命式があるため話題としては二番手で、そう思えば少しは気が楽にもなる。

 貴族が集まるといってもテレビがある今、集まるのは精々三十人程度という。カメラの前で喋るのは初めてだが、意識をしなければなんとかなるだろう。輝夜など知っている人間も参加すると聞いたので、それは心強い。

「まあ優里ちゃんが失敗するとは思っていないわ。後は……何事もなく終わってくれるのを願うだけ」

「はい」

 自分を抱きしめる詩織におずおずと手を伸ばして抱きしめ返す。

 そうしていると、いつも以上にきっちりとスーツを着た奏人が優里用の大きな鞄を持ち上げた。 

 愛子もメイド服のまま側に立っている。

 きっと自分が眠っている間にも彼らは準備を進めてくれていたのだろう。それが使用人と主人の違いと聞いても申し訳なさは残るが、今の優里に出来ることはその準備を手伝うことではなくスピーチを成長させてイーストプレイン家の令嬢として完璧な姿を見せること。

 そうすれば、両親も、それから自分を助けてくれた皆にも多少の恩返しはできるだろう。

「では……いってきます」

「いってらっしゃい」

 優里は詩織に頭を下げて、奏人たちに続いて庭へと向かった。



 今回も奏人の運転する車で向かうのかと思いきや、庭で優里を待っていたのは別のものだった。

「これは……えっと、航空機ですよね」

 サウスポートで、舞紗達が乗っているのを見た。

 白い翼が二本、機体の横に伸びていて、後ろに空気を噴出する穴がある。

 これが飛ぶ仕組みについてはよく分かっていないが、車よりも速く空を飛んでいく姿を見送った。

 イーストプレインにはそれが一台しかないと聞いていた上、この一か月全く姿を見たことはなかったが……そう思って近づくと、中に人が乗っていたことに気が付いた。

 中は前方に二人、後方に二人座れる四人掛けで、後部座席の背後に荷物を置く場所がある。

 運転席にいた人物は優里たちに気が付いて外へ出ると、優里に向かって頭を下げた。

「お久しぶりです、優里お嬢様」

 目じりに皴があるが爽やかで引き締まった体型の中年男性。どこかで見た顔つきなのは間違いない。

 以前の優里は五歳より前の記憶がなかったが、青龍の力で多少は思い出すことができた。当時の奏人の顔、当時の詩織の顔、両親のこと……それが自分の記憶なのだとはっきり理解することができるようになった。そしてこの男性は。

「お久しぶりです、ひびき・サンチェスさん」

 彼は昔から自分の父に仕えている執事で、屋敷に奏人や詩織を連れて来ていた彼らの父でもあった。

「……覚えていてくれたのかい?」

「先日、五歳以前の記憶が戻りました。詩織さんや奏人さんと過ごす私のことを気にかけてくださっていたのを覚えています」

 優里の隣で奏人が小さく「俺は覚えられていなかったのに……」と呟くが、その時はまだドラゴンテイルのせいで記憶がなかったのだから仕方がない。

 響は少し屈んで優里と目を合わせると、

「大きくなったね」

 と、微笑んだ。

「セントラルランドは乗り物を停められる場所も限られていてね、行きも帰りもこの航空機一台で二往復する予定だ」

「なるほど……」

 だからわざわざセントラルランドにいた響が航空機を運転して三人の元へ来たのだろう。航空機を運転できる人間など限られているだろうから。

「ありがとう、父さん。あとは俺が」

 奏人が父から鍵を受け取ろうと手を伸ばすが、響は渡すのを拒んで鍵を自分のポケットの中に突っ込んだ。

「奏人、優里お嬢様の執事は誰だ?」

「……俺です」

「なら、容易に離れようとするんじゃない」

 響は優里に向けていた表情を一変させ、険しい顔で奏人を見つめる。

「はい……」

 そういえば昔から響は奏人の教育に関してひどく熱心だった気がする……と、優里は過去の思い出を手繰った。親子で同じ職場というのもなかなか大変そうである。

 結局運転席は響、助手席には愛子が乗って、奏人と優里が後ろに乗るというよくある組み合わせになる。

 航空機は車と違って乗る位置が高いのでやや苦労したが、奏人に引っ張られてなんとか乗り込むことができた。

「優里お嬢様は宙に浮くことは怖くありませんか?」

 これからこの航空機はエンジンを使って空を飛ぶのだろう。空を飛んだ経験はないから怖いかどうかというのは想像できないが。

 尋ねてくる奏人と、それから運転席にいる響を交互に見た。

「えっと……響さんが運転してくださっているなら安全かなと思います」

「お、お嬢様……?」

 響は運転席で変な咳ばらいをする。

「すみません……何か気に障るようなことを……」

 間違えてしまったかと思い尋ねれば、

「父さん、優里お嬢様はこういう方ですから」

 と、奏人に謎のフォローを入れられた。

「まあ……流石あの人の娘というべきか……では、飛びますよ」

 機体が庭を駆けだしたかと思えば身体を浮遊感が包んで、地面が少しずつ離れていく。急に足元が消えたような感覚になり奏人の服を掴んでしまったが、窓の外を見た途端恐怖もなくなった。

 空はどこを見ても真っ青で、清々しい景色が広がっている。下を覗けば屋敷がどんどん小さくなって、住宅地や商店街のカラフルな屋根も遠ざかっていくのが分かった。

「イーストプレインって……綺麗なところですね」

 嬉しくなって呟けば、

「ええ、そうですよ。素敵なところです」

 と、奏人が返した。

「俺の大切な人が守る大切な土地です」

 どこまでも草原が広がる平地にのどかな空気が流れている。それはきっと他の地域にない、イーストプレインだけの魅力だった。


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