第34話:赤龍の影響2

「失礼します」

 詩織に続いて中に入れば、部屋の奥には足を組んでソファーに座り葉巻を持ってふんぞり返る将斗の姿があった。

 客人は奥の席へ……というマナーを詩織から学んだが全くそれに倣っていない。

「お招きいただきありがとうございます。東の平野、イーストプレインから参りました優里・イーストプレインと申します」

 優里がいつも通り挨拶をすると、将斗はふんと鼻を鳴らし、

「やっぱり生で見ると庶民くさくてたまんねえなあ、灰被り」

 と嘲るように言い放った。

 メイドはこの部屋に二人いるが、どちらも彼の言動を注意しようとはしない。

 奏人や詩織も立場上何も言えない上に、詩織は絢音の口を塞ぐので手一杯だった。

「灰被りと呼ばれていたことを知っていらっしゃったんですね」

 とにかく会話をしようと優里が尋ねれば、将斗は「当たり前だろ」とまた馬鹿にするように言い、葉巻の煙を大きく吸って優里たちの方向に吐きかけた。

「サウスポートはお前らとは違って王族とも繋がっている由緒正しき家系だ。情報量がまず違う」

 つまり、王族にも優里の話は筒抜けということか。

 初めて優里は言葉を発するのを躊躇った。イーストプレイン家に来てから様々な人と話してきたが、彼にはどう対応していいか分からない。そもそもソファーに座るようにも言ってもらえないため入口に突っ立ったままだ。話を進められそうにない。

「あの……それで、妹さんはどちらにいらっしゃるのでしょうか」

 優里はなんとか本題を思い出して尋ねる。すると彼は首を傾げ、

「ああ、そんなこと言ったなあ」

 と、立ち上がった。

「言ったなあ……って、まさか」

「いや、妹が怪我しているのは本当だ。ついてこい。ただし使用人たちは待機な」

 一瞬嘘を吐かれたのかと思ったがどうやら違うらしい。将斗は優里を誘導しながら愛子の方にちらりと目を向けた。

「よかったな、お前みたいなダメ人間を雇ってくれる家があって」

「……はい」

 やはり愛子のことも、そして彼女がイーストプレインにいることもお見通しらしい。不気味に思いながらも、優里は一人で彼の後ろをついていくしかなかった。


「そういえば黒龍の話は気にならないのか?」

「ああ……それは、道中で輝夜様に聞いたので」

「なんだ、つまらねえの」

 廊下を歩きながら。将斗は優里の方も振り向かずもう一度葉巻を吸う。やはり、彼の意図は見えない。

「あの、七海様は何故お怪我を?」

 尋ねつつ早足で歩く将斗に必死についていくと、窓の外から民衆の声が聞こえてくる。聞かなくとも、それが答えのような気がした。

 数々の野次の中に「税金泥棒」という声が度々混じっている。

「あいつらは正義の味方ぶっているが結局は弱いものから叩く人でなしだ。七海はその標的となった。まあこんな状態なのにのこのこと外に出た七海にも非はあるだろうな」

 階段を上り三階に辿り着く。正面から一つ隣りの部屋が七海の部屋らしい。扉を開けるとまず大きな海が一望できる窓が目に入り、そしてその前面に置かれたベッドに少女が眠っているのが見えた。

 歳は優里と同じか上くらいだろうか。赤い癖のある髪がベッドに広がり、白い頬が布団から出ている。

「なんだ、寝てるのか。とりあえず任せた」

 将斗に突き放すように言われ、優里はひとまず七海の顔をしげしげと眺めた。綺麗な顔だ。しかし頬は大きく腫れていて首元にもガーゼが巻かれている。手足や腹部にも傷があるのかもしれない。

 見ているだけで痛々しかった。

「では……やります」

 優里は七海の細い手を取った。そして傷が治るように念じる。

 それだけで頬の腫れがみるみるうちに消えていくのだから不思議なものだ。きっと包帯の下の傷も消えているのだろう。ひとまずこれで七海の件は一安心だ。

 そう思っていると、七海がぱちりと目を覚ました。

「あ……失礼しました。その、お怪我を治したかったので」

 優里は慌てて手を離し、ぼんやりと起き上がった七海にそう弁解する。

 七海は、目を何度か瞬かせたが、言葉を発することはなかった。痛みがひいたのには気づいたようで自分の身体をぺたぺたと触っていたが、驚きの声さえ口には出さない。

「そいつは喋れねえよ」

「え?」

 入口辺りで優里を眺めていた将斗が近づいてくる。至近距離に来たことで、葉巻の香りが直接鼻腔に届いて咽そうになった。

「昔、水難事故に遭って以来一言も喋れなくなった。七海、こいつが前話した庶民上がりの女だ」

「えっと……優里・イーストプレインです。初めまして」

 七海は将斗と優里の顔を交互に見て、ぺこりと頭を下げる。一応彼女なりに挨拶をしたつもりなのだろう。

 将斗の口から自分のことをどう伝えられているのかは分からないが、露骨に嫌な顔をされていないだけでもよかった。

 優里はひとまずにこりと微笑んでみる。七海のぼんやりとした顔は変わらないが。


「七海様は……市民の暴動に巻き込まれたのですよね……? 一体どうして」

 この部屋は海に面しているため聞こえないが、廊下側の窓からはまだ市民の怒鳴り声が聞こえてきそうだ。

 税金泥棒……彼らはそう言っていたが、どういうことだろう。

「よくあることだ。サウスポートは税金が高すぎると喚いている。こっちはその分商売がしやすいように街を整備したり高波がきても大丈夫なよう防波堤を作ったりと土地に貢献しているというのにな。何が気に入らないのか」

 車の中で、サウスポートは独自で住民から税金を巻き上げていると聞いた。やはりそれが不満に繋がるようだ。

 しかし将斗の話を聞くと、それが貴族たちの娯楽に使われることなく街のために使われているというのだから、話をすれば分かり合えないのだろうか。

「それを市民の方に伝えていないのですか?」

「どれだけ丁寧に伝えても聞き入れないやつは聞き入れない。自分の生活がうまくいかないことを全部他人のせいにして喚きたい人間だっている。まあ多少は騒がせとけばいいんじゃないのか。お腹が空けば帰っていく。七海や他の使用人に暴力を振るうのだけは勘弁してほしいが、警察を呼べば一層騒ぎが大きくなる」

 話をしても分かり合えない人はいる……いつか奏人からそう教わったが、サウスポートの現状がそうなのだろうか。

 確かにヒステリックになった継母にどれだけ話を聞いてもらおうとしても聞き入れられることはなかった。

「……怪我をされている使用人さんがまだいらっしゃるのですか?」

「ああ。でも輝夜がやってきて治療してる。お前には手伝わせないとやけに頑固になっていたけどな」

 やはり輝夜の方が早かったらしい。ひとまず彼女がいれば治療は安心だろう。

「それにしても……毎回こんな風に急に集まられては……大変、ですよね」

「いや、今回は特別だ」

「え?」

 今まで他人を嘲るような顔をしていなかった将斗が急に真面目な顔つきになる。そして廊下側の窓の方を眺めた。

「普段はもっと不満が生まれる明確なきっかけがあって、準備を整えマスコミとか連れてきた上で騒ぎだす。それが今回は急に始まり誰がリーダーかも分からないような状態で暴動がおこった。何故だか分かるか?」

 暴動……暴力……その言葉とサウスポートはある意味密接な繋がりがある。それは散々反復して学んだことだ。

「赤龍、ですか」

 サウスポートに住む赤龍は人々に活力をもたらすが、一度怒ればその活力を暴力に変えてしまうという。

「庶民のくせに物分りがいいじゃねえか。今サウスポートの赤龍は怒っている……というよりも混乱しているみてえだ。頻繁に嘆き声が聞こえてくる」

 赤龍が混乱している……それが黒龍が消えた今と重なるなど偶然にしては出来過ぎている。

 黒龍が消えたこと、もしくはドラゴンテイルに関係があると考えるのが妥当だろう。

「将斗様も龍の声が聞こえるのですね」

「はっ、庶民上がりも聞こえるのか。そうだな俺も七海も龍の声が聞こえる。頻繁に『助けて』と喚いているな。現伯爵は一切気づいていないだろうが」

 傲慢で偉そうな人間に見えたが、龍を心配する気持ちはあるようだ。やっと将斗に一つ近づけてきがして、心の中で安堵の溜息を吐く。

 そして、この暴動が起きている原因が赤龍だとすると……考えて、少し恐ろしい気持ちになった。

「赤龍の影響で人々が暴力行為に走っているなら、なおさら説得なんて意味を成さないということでしょうか」

「最初から言っているだろ。俺たちに出来ることは赤龍をどうにかすること。そしてそれができるのは庶民、お前だけだ」

「私……?」

 将斗は優里の首に触れた。随分と冷たい手の感覚に優里は思わず身震いする。

「お前が赤龍の器になれ」

 からかっている……訳ではない。彼が本気であるということは分かった。黒龍を封印した時のように赤龍も封印しようというのか。

 そんなことをすれば今度こそ栄養を吸いつくされてしまうかもしれないのに。

 また龍を人の身体に入れてしまうなど……きっとドラゴンテイルの思うつぼだと思った。

「もしかして、最初からそのつもりで……?」

 七海の怪我は致命傷というほどでもなく、放っておいても自然完治できそうなものだった。わざわざ優里を呼ぶ必要はない。

「実用性がなければ誰が好き好んで庶民臭いガキを呼ぶんだ」

「しかし赤龍を封印したらこの街の人々は暴力どころか活力すら失って……」

 ノースキャニオンも大変な状態なのに、何故同じことをしようとするのか。

「なんだお前、本気で言っているのか?」

「え?」

「あのな、テイル王国以外の国は龍なんて住んでいない。自分たちで文明を築き上げ、自分たちの力で成長してきた。確かにこの国は龍に頼りっきりだし龍がいなくなった直後は多少衰退するだろう。それでも結局は龍のいない他の国と同じようになっていくだけ。なんら不自由はない」

 龍がいない国……そんなものを考えてはいなかった。

 つい先日まで生きるのに一生懸命だった優里は、他の国のことなど一切頭になかったが、その理論は的を射ている。

 優里がこれまで読んだ小説には異国が舞台のものもいくつかあった。そしてそこには龍の話など出てこない。

「しかし、もしドラゴンテイルが五つの龍を集めるきっかけになったら……」

「簡単なことだ、儀式の直後お前を殺せばいい。儀式の内容も既に入手済みだからな」

 何故そこまで用意周到なのか。将斗のワインレッドの瞳に見つめられクラリとする。

「どうしても嫌か? ならお前が受け入れざるを得ない情報を与えよう。お前が承諾しなければな……近いうちに七海が犠牲になることになっている」

「え……?」

 思わず七海の方を見ると彼女は少し不安げな顔で優里を見ていた。

「七海は三年前、ドラゴンテイルに会っている。そして言葉を犠牲に栓を作られた上、サウスポート家に赤龍を封じ込める儀式の方法が伝えられた」

「そんな……でも、同じサウスポート家の……家族ですよね?」

 自分は名も知られない灰被りとして辺鄙な場所にある一集落で人柱にされた。しかし、七海はそうではない。今もこうして屋敷の一室を与えられているお嬢様だ。

「言葉を喋れない令嬢などいない方がいい……サウスポート家はそう考える人間の集まりだ。慈悲なんてあるか」

 では本当に……自分が断れば七海が犠牲になるというのか。

 優里は手に力を入れながら必死に誰も犠牲にならない方法を考える。

「あの……赤龍の混乱が解ければいいんですよね?」

 そうすればわざわざ龍を封印するなどと考えなくていいはずだ。

「まさか、自分が赤龍の混乱を解けるとでもいうのか」

「試してみないことには分かりません。一度だけチャンスをください」 

 優里は、一週間後にセントラルランドに行って自分の帰還を宣言しなければならない。そうしなければイーストプレイン家の格は下がったままで両親にも奏人たちにも迷惑がかかる。ここで死ぬわけにも、そして犠牲を出すわけにもいかない。

 将斗は暫く黙り込んだ後、

「面白い、やってみろ」

 と、ニヤリと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る