第33話:赤龍の影響1

 テイル王国の南部、サウスポートは海に面している。

 特に漁業や貿易が盛んな港町は常に潮の香りが漂い、人々の生活は海と一体化していた。

 海へと真っ直ぐに伸びた下り道は石造りの階段となり、白く塗られた家々が太陽の光を反射させる。

 町のあちこちに生える背の高い木々は細長い葉を垂らし、甘い香りを放っていた。

 白い鳥が空中を旋回し、やがて海の方へと飛んでいく。

 気温はイーストプレインよりも幾分か高いが、湿気もなくカラリとした過ごしやすい気候だ。

 さて、サウスポート家の屋敷はこの町の最南端、砂浜に面した場所にあるはずだったのだが。


「おいおいこんなの聞いてないんだけど」

 絢音がバールのようなものを手で弄びながら呆然と目の前の光景を見つめる。

 サウスポートは活気のある土地で、毎日がお祭り騒ぎのように賑やかだと聞いていた。しかし、海岸を背にしたサウスポート家の屋敷の前は「賑やか」という言葉ではやや弱い。明らかに暴動が起きていた。

 優里も屋敷の扉の前に集まる五十人程の怒り狂った人たちを見て足が竦む。皆大声で何かを叫んでおり、とても話をして分かり合えるという雰囲気ではない。木で作られた看板やこん棒のようなものを持っている者までおり、下手に近づくと怪我をしてしまうだろう。

 かといって愛子や綺音が乗り込んでなぎ倒すわけにもいかない。

 事情も分からないのに他の土地の民衆に危害を加えるなど絶対にあってはならないことだ。

「これじゃあ入れないじゃない」

 と、詩織が嘆く。ここまで車を走らせてきたのに肝心な屋敷に乗り込めないのでは意味がない。

 すると、愛子が皆を先導するように一歩前に出た。

「裏口があります」

 そう言って砂浜の方を指さす。

「そういえば……愛子ちゃんはサウスポート家にいたんだったわね」

「あ……」

 確かに愛子は元々サウスポートの家の用心棒をしていたといっていたが、それがサウスポート家だったとは。

 ただ、その家で失態を犯し追い出されたという話も聞いていたため心配になる。そんな優里を見て愛子は首を横に振った。

「気にしていません。今の私の役目は優里お嬢様を守ること。誰になんと言われようとそれだけを貫きます」

 優里が初めて愛子に出会った時、彼女はもっと暗い顔をしているような気がした。それが今は顔を上げて優しい目で優里を見つめている。

 彼女の中で何かがふっきれたのだろう。

「では……案内をお願いします」

 そう言って愛子の後に続いた。


 波が砂浜に打ち寄せる音が静かに響く。

 優里は初めて見る海や潮の香りに興味を惹かれながらも、改めて将斗・サウスポートのことを思い出し、緊張感を抱いていた。

 イーストプレイン家に連れてこられて三か月。これまで出会ってきた人々は比較的優里に対して友好的だった。しかし彼は優里を「庶民」と言って明らかに見下した態度を取ってきている。

 庶民であることは事実だ。個人的に暴言を吐かれるのも慣れている。しかし、大衆の前でそういったことを言われてしまうと、必死に優里をお嬢様として教育してくれた詩織や奏人に迷惑がかかるかもしれない。なんとか挽回できればいいのだが。

「ここです」

「これが……裏口?」

 砂浜を歩いてきた彼ら前には砂を被った大きな木の板のようなものが横たわっている。愛子は板の端に手をかけると、鍋の蓋を開けるように持ち上げた。

 中は空洞となっており、梯子が下へと伸びている。

「正確には裏口に続く隠し通路です」

「なるほど。雑な作りだが……ある意味いいカモフラージュになっているのかもな」

 奏人は梯子を眺め感心したように呟いた。確かにあのようなボロボロな木の板が隠し通路を塞ぐ蓋だとは思えないだろう。

 優里も暗闇へと続く空洞を見つめる。地下の書庫に続く階段と雰囲気が似ている。

「なんでこんな複雑な裏口を作ったんだ?」

 絢音は持ってきた紐でバールのようなものを足へと括りつけスカートに隠した。

 ここから屋敷へ入るなら武器は表に出せない。

「この街は頻繁に暴動が起きるので」 

 愛子は淡々と呟き梯子を下りていく。わざわざ隠し扉を作るくらいに頻繁に暴動が起きているとするなら、かなり治安が心配だ。

「優里お嬢様、大丈夫ですか?」

「はい、書庫の本棚にかかった梯子も上っていますから」

 奏人の心配をよそに愛子に続いていく。最後に梯子を下りた詩織が蓋を閉めてしまったため視界が暗くなるが、目がなれてくると今度は分厚そうな鉄の扉が行く手を阻んでいることが分かった。

「鍵が必要なようだけど」

 取っ手の下には鍵穴がある。もし偶然蓋を開けることができたとしても、この扉が侵入者を防ぐのだろう。

「大丈夫です」

 しかし愛子は慌てない。

 鍵を持っているのかと思いきや、スカートの中から針金の棒を取り出し、それを軽く曲げて鍵穴に突っ込んだ。それを二三度繰り返すだけでカチャリと鍵が開く。

「すごい……探偵みたいです」

 優里が読んだ探偵小説に実際そうやって扉を開いた探偵がいたので思わずそう言うと、愛子は暫く黙った後にクスリと笑った。

「どちらかといえば犯人側ですが……面白いです」 

「え……」 

 また変なことを言ってしまっただろうかと焦る優里だが、愛子は扉を開けて中へと入っていく。暫く真っ直ぐ進んだところにまた上へと続く階段があり、上り切ったところの扉を開けばエントランスホールのような場所に辿り着いた。実際左手には大きな玄関扉があり、庶民たちの怒りの声が聞こえてくる。地下を通り正面玄関の内側へと出てきたといったところだろう。イーストプレイン家の玄関よりは狭いが、両側に観葉植物も置かれており、一応訪問者を歓迎しているようだ。

「……これで呼び出せばいいのかしらね」

 詩織は壁に取り付けられた内線電話に気づき手に取る。暫く話をした後、使用人が現れた。

 しかし、優里は最初彼女が使用人だとは思えなかった。

「ようこそおいでくださいました」

 そう頭を下げるショートヘアの女性は詩織たちとは随分と服装が違うのだ。

 まず同じメイド服の筈なのにスカートの丈が短い。太腿がチラリと見える丈になっており、長い靴下を止める紐のようなものがスカートの中へと続いている。胸元のボタンも空いており、胸の下でリボンが結ばれているせいかやけに胸が強調されているように見えた。サウスポートはイーストプレインに比べて気温も高いが……暑さ対策というには随分と大げさに見える。

 少しでも屈めばスカートの中が見えてしまいそうだ。

 後に続きつつも、どうも落ち着かない。きょろきょろとしている間に応接室に辿り着いた。

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