第15話:ノースキャニオン家の現状1

「ここが……舞紗さんたちのお屋敷……」

 どの集落や村からも離れた木々に囲まれた湖畔の隣。そこにノースキャニオン家の屋敷があった。

 レンガ造りの三階建ての建物は派手な装飾もなくどこか謙虚なただずまいで、のどかな朝の風景に馴染んでいる。

 今回は絢音も車から降り、一向に着いていくことになったが、詩織からは決して喋らないことと再三注意された。

 後は集落に入った時と同じメンバーで、やはり詩織が先頭となって屋敷のインターフォンを鳴らす。

「こんばんは、昨晩お電話でノースキャニオン伯爵とお約束をしたイーストプレインの詩織・サンチェスと申します」

 インターフォン越しに対応した使用人に詩織が名乗れば、屋敷内で誰かが走ってくるような音が聞こえ、やがてがちゃりと扉が開いた。

「お父様!」

 舞紗が一歩前へと出る。普通は使用人が出てきて部屋へ案内するはずだが、何故か伯爵が直々に出迎えにきたらしい。

 彼は一行を見渡すと、

「初めまして、玲生れお・ノースキャニオンと申します。この度は舞紗の無礼、また民の暴動に関しまして誠に申し訳ございませんでした」

 と言って深々と頭を下げた。

 彼はその若々しい見た目の割に白髪も多く、一目見るだけでひどく疲れ切っていることが分かる。

「優里・イーストプレインと申します。私たちはお伺いしたいことがあって参りました。ですので、どうか頭をお上げください」

 優里は戸惑いつつも挨拶をするが、それでもノースキャニオン伯爵の苦しそうな顔は変わらなかった。

 「イーストプレインのお嬢様を危機に晒していたということを知り、すぐにでも動きたいところでしたがこちらも現状把握に時間がかかっておりまして……その間に娘に先を越されることに……もうなんと申し上げたらいいのか」

 ふと伯爵の背後から何者かの視線を感じ、優里は中をそっと覗いてみたが、誰かが立っているような気配はなかった。

「すみません、立ち話をさせてしまって。どうぞ中へ」

「ああ、では私はこれで失礼します」 

 伯爵が一行を招くと、虎徹はピシッと律儀なお辞儀をして、その場から立ち去ってしまった。

 優里は、何故彼は中へは入らないのだろうかと疑問に思ったが、黙って詩織の後に続いた。

 分からないことを不用意に聞けば失言に繋がってしまうかもしれない。そう詩織に教えられているためだ。

 それにしても……と、優里は改めて詩織や奏人の顔を見る。

 優里は発作の後に寝てしまったものの、運転をする詩織は勿論のこと、愛子や奏人、絢音もおそらく寝てはいないのだろうと思う。

 それなのに疲れの色を見せずに歩く様子は見事で、何故だか身体の弱い自分が申し訳なくなった。勿論それは黒龍に生命エネルギーを使われているからでもあるが、いつも守ってくれている彼らにこれ以上迷惑はかけたくないと思う。


 応接室に通され奥のソファーに案内されると、暫くして紅茶が運ばれてくる。屋敷でも詩織に様々な紅茶を出してもらっていたが、こんな甘い香りの紅茶はおそらく初めてだろう。表面は薄い黄色をしており、外から入ってくる光を反射してきらきらと輝いている。

「ノースキャニオンのみに生息するマイサレアの草を煎じて作った紅茶です。お口に合えばよろしいのですが」

 優里がカップを手に取るや否や、一番左端にいた愛子が素早く一口飲み、静かに頷く。優里がその意味に気づかずカップに口付ければ優しい甘さが広がった。

「とても美味しいです。あ……マイサレアという植物の名はもしかして」

「ええ。舞紗の名前はこの植物からとりました。マイサレアのように優しくそして皆から慕われる子になるように、と。けれど気付けばいらぬ後継争いのせいで……舞紗にかまってやることができず……」

 舞紗は父の隣で俯く。そして目元を隠すように赤い頭巾を引っ張った。

「それで、龍の話はどうかしら? 電話でも事情は伝えたけれど、あなたたちの方で分かっていることを教えてほしいわ」

 詩織の言葉に伯爵はやや怯むようにし、それから使用人に外に出るように告げると、扉が閉まったことを確認して口を開く。

「それではまずノースキャニオン家の現状からお話いたしましょう。もう既に調べはついていらっしゃるかもしれませんが……私たちノースキャニオン家は他の伯爵家と違って民のことを完全に把握できておりません。それは集落が点在していることもありますが単に近代システムが普及しないということも挙げられます」

「近代システム……?」

 優里は小さく呟き慌てて口を覆う。無知を自ら晒すような真似はいけないと気を付けていたのについ尋ねてしまった。

 一方隣りにいた奏人は優里を見て微笑むと、

「すみません、私の歴史教育がまだ近代まで進んでいないもので」

 と伯爵に告げる。

「いえいえ、そのただずまいだけでも……ご令嬢も従者の方も優秀であることが伺えますので」

「お褒め預かり光栄です」

 どうやら優里の失態を自分の失態のように置き換えたのだと知り焦るが、ここで奏人を庇おうとすればまた同じことの堂々巡りだ。

 焦る優里を他所に、奏人は近代システムという言葉について簡単に説明を始める。

「優里お嬢様、イーストプレインは民を管理するために電子システムを使っております。電話やテレビならご存知かと思いますが、同じように電波を介して相互やりとりができるコンピュータというものを使い、町長や市長といった町の代表とやりとりを行う。そして出生や亡くなられた方、街の困りごとなど屋敷にいたまま随時報告を受けるのです。すると実際にその街へ出向く手間が大きく減る。伯爵が屋敷にいらっしゃる時は伯爵が、そして現在は私がそれを代理で担当しています。おそらくセントラルランド、ウェストデザート、サウスポートも同じような仕組みを使っているでしょう」

 コンピュータという名前も一度聞いたか聞いていないかの名前だが、ひとまず全貌については理解することができた。

「なるほど……しかし近代ということは挙げられた四つの地域にもそれがなかった時代はあったんですよね」

「ええ。その際は直接足を運んで回らなければならないため他の地域でも度々問題が起きていたのは確かです。それでも今は落ち着いている。一方のノースキャニオンは……」

「近代化が遅れ、未だにトラブルが勃発している。集落が独自のコミュニティーを形成しているため集落の長が外から入ってくるものを拒むんです」

 奏人の言葉の続きを伯爵が告げる。

 優里のいた集落も長老だけが電話などの近代道具を持ち、他の民衆はせいぜい家に電灯がある程度だった。もし民衆が自発的に外の情報を得るようになれば……集落という小さなコミュニティーに留まる者は少なかったかもしれない。

 集落の長たちはそれを危惧したのだろうか。

「それでもなんとか電話を使ったり足を使ったりで集落や町の様子を見ていましたが、私も歳をとり、それが難しくなってきた。気付けば私の目的は長たちに近代システムを導入させることにすり替わっており……それが龍のためという意識は薄れていました」

「そしてさらに跡取り問題が勃発した、と」

「ええ。私の弟、そして二人の息子が喧嘩をし始めまして……使用人たちも巻き込まれて毎日のようにギクシャクしています。私もそれに気を取られ余計に民の管理が疎かに……大規模な森林伐採にも気づかず、龍を悲しませてしまいました」

 やっと儀式に至るまでのノースキャニオン家の話が全て繋がった。連絡が途絶えたことに不満を覚えた長老たちは自分たちで儀式を執り行って黒龍を殺してしまおうという考えに至ったのだろう。

「え……お父様は、龍が怒っているのではなく悲しんでいることを知っていたの?」

 舞紗は目を見開き父の服の袖を引っ張る。屋敷の他の人間は黒龍がお怒りだ、としか言わず舞紗の言葉に耳を貸す者はいなかった。二人の兄も、叔父も、母もそうだ。

 しかし普段忙しく殆ど接したことのなかったこの父が同じことを感じているとは予想外だった。

「ああ、私には昔から龍の言葉が聞こえるのだが……そうか、その力は舞紗に受け継がれていたのか」

 兄とは歳の離れた末っ子。いつも城の外に出て元猟師と遊んでいる少女に特別な力があると、誰も信じてはいなかった。伯爵はそっと舞紗の頭を撫でた。

「私も……黒龍の声を聞きました。儀式で私の元に降ろされる前、必死に『お前は違う』と訴えていたのです。それは私がイーストプレイン家の人間だからでしょうか」

「その可能性は高いでしょう。しかし何故数いる人間の中で、器としてあなたが選ばれたのでしょうか」

「ああ、それは私から説明します」

 そして奏人は集落で聞いてきた話をかいつまんで話した。優里が拐われ集落に連れ込まれた経緯と、そこに現れた一人の不審な女性について。

「銀色の髪……すみません、私の中では思い当たる人物はおらず……ノースキャニオン家の髪は私や舞紗のように黒髪が多いので」

 確かに伯爵の髪は白髪が混ざるものの元は黒髪で、赤い頭巾の下にある髪も艶やかな黒色だった。それどころか、ノースキャニオンの人々は全体的に黒い髪が多いように見える。

「だとしたら……他に黒龍を封印することで得をする人間って一体……」

「他の土地の人とか……?」

 舞紗が呟く。

「た、例えばウェストデザートの人がノースキャニオンとイーストプレインの共倒れを狙っていた……とか……さすがにないかな……」

 服の裾をきゅっと握って自信なさげに言うものの、その解答は割と的を射ていると優里は思う。

「黒龍は自然災害ももたらすけれど普段は豊かな実りを与えてくれる存在。それが分かっているならば殺そうとは思わないはずです。だとすれば外の人間の可能性はあり得ますよね……本当は人を疑いたくはありませんが」

「事情はさっぱり分からないがひとまずウェストデザート家とサウスポート家に連絡をとってみよう。目撃情報なんかが得られるかもしれない」

 奏人は詩織にそう告げると「情報提供ありがとうございました」と伯爵に頭を下げる。 

 彼自身の問題は山積みだろうが手伝っている暇はない。



 使用人に代わり扉の前まで見送りに来た伯爵は優里に向い改めて頭を下げた。

「優里・イーストプレイン様、この度は私たちのせいであなたに多大なるご迷惑をおかけし申し訳ございません」

 その声は震えており、舞紗も父の隣で心配そうな顔をしている。

「いえ、そんなに……」

 そんなに頭を下げないでくださいと言いかけたが、それが正しい声かけか分からずに一旦言葉を止める。そう言ったところで彼の罪悪感は拭えないだろう。

 他の地方の令嬢を傷つけてしまったことなど一地方の伯爵として大きな罪に問われてもおかしくはないこと。

 そして優しい彼は自身の監視が不届きだったことにも自責の念を抱いている。

 だったら、どう声をかけるのが正しいのか……優里は必死に言葉を考えた。

「確かに……黒龍による発作は苦しいものですが、それは災害に困り果てた集落の方々の判断であってあなたが謝ることではありません。もし周囲に責められることがあっても、私はそう宣言します」

 起きてしまったことは仕方がない。あなたは悪くない。

 かつて選択中の母の服を破いてしまい責められ続けた自分にかけたかった言葉だ。

 ただ、きっと伯爵はそれだけでは満足できない。表情からも伝わってくる。

「だから……その、一つお約束していただけるのであれば……どうぞお身体を大事にして、黒龍が帰ってくるべきこの地をお守りください。黒龍が戻る場所があるだけで私は安心です」

 言葉に迷いながらそう言って深々と頭を下げるも何も返事がない。慌てて顔を上げてみると、伯爵は目に涙を溜めていた。

「なんと……お優しくて強い方だ……」

「そうよ、優里さんはすごいんだから」

 舞紗は何故か得意げだが、伯爵は服の袖で目を擦り、

「ええ、約束いたしましょう」

 と手を差し出した。優里もおずおずと手を差し出し握手をする。

 温かく、皴のある厚い手。彼ならきっと信頼できると、目を見ながら確信した。

 ふと……朝に感じた殺気のようなものに気づき屋敷の中をこっそり覗くが、そこには起きな鏡がかけられている以外には誰もいなかった。






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