第7話 しおりの送り主

「ギリ日没前と言ったところですね」


 夕焼けが遠くなった空を見つめる詩織しおり。確かに彼女の言う通り、しおりに書かれていたミッションの制限時間は守れたと言っていいだろう。まぁ守れたところで誰かが体育館裏で待っている訳がないんだけど。


「ほら、もうすぐです」


 詩織が指さした先には体育館が大きな影を作って佇んでいる。もう日没前だというのに、そんなことお構いなしと言わんばかりの威勢のいい声が開け放たれた屋内から俺達のところにも響いてきた。俺とはもともとの性質が違うとは分かっているものの、彼ら彼女らの元気の良さにはどこか圧倒されるものがある。

 分け隔てなく笑いあって汗を流す――そんな青春甚だしい練習風景を横目に俺達は体育館の裏に回った。

 別に、悔しくなんかない。

 羨ましくなんかない。

 クラスマッチの際にスポーツの得意な男子を見て、「くそっ、ちょっとスポーツできるからって黄色い声援貰いやがってよ」などと相手チームに混ざってヤジを飛ばしたことなんかない。ちょっとばかし、ほんのちょっとだけ相手チームが勝つように祈っていただけだ。


「先輩、さすがにそれは私も幻滅します」


 普段より一層低い声色が隣から聞こえる。見ると詩織はハイライトが消えた瞳から、死んだ魚の目にグレードアップしていた。まさしく汚物を見るような、そんな瞳だ。だがそんな詩織に俺は言いたい。お前はもっとラノベを勉強して来い、と。ラノベ主人公だって、大概そんな陰キャなクズどもの集まりだって聖人君子などではないのだ。


「大体の主人公はそんなに性格曲がってませんよ。 やっぱり、童貞って被害妄想強めで怖いですねー」


 わざとらしくそう言うと、詩織は寒そうに両腕で自分を抱きしめる。


「そんな奴に好き好んで絡んでくる奴もいるがな」


「へぇー、世の中モノ好きもいるんですね」


 呆れ口調の詩織を前に俺の脳血管がプツッと切れるような音がした。

 ボケて言っているのならまだツッコミ甲斐があるが、どうやらそんな感じも見受けられないので本気でそう言っているらしい。そんな彼女を前に、「そんなモノ好き、お前のことに決まってるだろうがっ‼」と寸での所まで出かかったが(喉元を通り越して唇辺りまで来ていたが)、思いっきり睨むだけで発狂するのは何とか我慢した。なんと温厚な先輩だろうか。

 しかし俺のことなどまったく気にしてもいないらしい詩織はずんずんと先へと進んでいく。そして体育館の裏側を見た瞬間、詩織は何の遠慮もない力でいきなり俺の顔面に手を押し当ててきた。


「ぐあっ⁉ いきなり何する――」


「しっ、誰かいますよ」


 顔面に彼女の手が覆いかぶさっているせいで俺は何も見えないが、彼女が言うには誰かがしおりにあった通り、体育館裏に佇んでいるらしい。気になるから早く手をどけて欲しいのだが、彼女は体育館裏に佇む人影を見るのに夢中で俺の顔に手を置いていることを忘れてしまっている。一向にどけようとする雰囲気がない。


「お、おいっ。 手ぇどけろ!」


「あっ、すみません」


 口では「すみません」と言いつつも、全く申し訳なさを感じない謝罪と共に彼女は俺の顔から手をどけた。むしろ「これ、一度してみたかったんですよね」と言わんばかりの満足げな表情。

 まだ掌の感触が残る顔で詩織を睨むと、彼女はすぐに眉を八の字に下げた。

 やはり先輩を思いきり押さえつけたことに対して、罪悪感というものを思い始めたのだろう。「ごめんなさい」とでも言いそうな顔で詩織は俺の耳元に手を当てると、小さな顔を近づけて囁いた。


「私、実はミステリー小説も好きで。 よくあるじゃないですか、尾行しているターゲットからバレそうになったへぼ探偵を優秀な助手が抑え込むシーン。 あれ一度やってみたかったんですよね」


 はっ?

 拍子抜けした顔で彼女を見ると「にししっ」と悪戯っぽく笑って見せた。

 この野郎……っ。

 先輩を幾度となくコケにしやがって……!普通だったらでかい拳を作って拳骨を一発お見舞いするか、もしくは両頬を思いっきし抓ってやるかするのだが……まぁ今回はお咎めなしとしてやろう。

 俺が発狂して人影に気づかれるのも面倒だ。

 この境遇に感謝するんだな。

 俺が寛大な判断をしたにも関わらず、詩織は既に俺から佇む人影に興味を移している。キレるな……耐えろ、俺。肺の奥までいきわたるくらいの深呼吸をした俺は、詩織の後ろから体育館の陰から詩織が言った人影を確認する。


「うわ、マジじゃん」


 思わず声が漏れた。

 後ろ姿しか見えないものの、肩までかかった真っ黒な髪。そして、哀愁漂うスレンダーな背中がとても印象的な少女が、詩織が言うように体育館の裏口付近に佇んでいる。少女は時折あたりをキョロキョロと見回しながら、誰か来るのを待っているようだ。間違いない、俺達が見つけたしおりの送り主だ。

 まさかいるなんて。


「お、おいっ、どうする?」


「どうするって、どうするんです?」


 いつぞやで聞いたのと同じような返しをしてくる詩織。

 俺は若干の苛立ちを覚えつつ、もう一度尋ねる。


「あの子、誰か待ってるっぽいだろ。 かといって俺達が言っても、話をややこしくするだけだし。 放っておくのも何だか気が引けるし……」


 もう一度彼女を見ると、腕時計をチラチラと気にし始めた。やはりタイムリミットが近づいてきたということもあって、送り主である彼女もソワソワするのを隠せないようだ。

 そんな目の前の彼女の姿を見て、俺は胸が痛んだ。

 やっぱりしおりなんて見るんじゃなかった、と。

 だって体育館裏に来い、なんてどう考えても告白だ。告白したい相手にちょっとしたゲームをしてもらう感覚で今回のしおりを本棚に隠したのだろう。ただ、偶然にもそれを見つけた相手が悪かった。俺達がしおりを見つけてしまったせいで、彼女の意中の相手が絶対に来なくなってしまった。


「先輩が登場しましょうよ」


 俺が心を痛めているにもかかわらず、彼女はマイペースにそう答えて見せる。表情はいつも通り飄々としていて、俺の悲しむ心など露知らず、といったところだ。


「お前は鬼か」


「なんでですか。 あのしおり、先輩に当てたものかもしれませんよ?」


「はぁ? 何言って――」


「グズグズ言わない! ほーら、行ってらっしゃい!」


「うわっ⁉」


 そう言って詩織は後ろに回って俺の背中を押した。

 盛大につんのめって彼女の前に放り出される俺。

 素っ頓狂な声に驚いた黒髪の少女は、「ひゃあっ⁉」という甲高い声と共に肩をビクッとさせて振り返った。俺は彼女の顔も見ずに勢いよく謝罪する。


「ご、ごめんなさいっ! しおり、俺が勝手に見てしまいました! あなたが待っていた人と違っていて本当にすみませんでした!」


 直角に腰を折り曲げて誠心誠意頭を下げる。

 失望しているだろう。

 憤慨しているだろう。

 だって、想い人に当てたしおりを部外者に見られたあげく、そいつがいきなり目の前に現れたのだから。俺が彼女の立場だったら、胸ぐらをつかんで力任せに思いっきりビンタしてしまうかもしれない。でも、それくらいされる覚悟はできている。彼女の、告白を踏みにじられた気持ちを考えると仕方のないことだ――と思いつつ、本当にされたらどうしよう。

 頭を下げたまま彼女の返事を待っていると。


「あれは貴方にあてたしおりだったんだから、私は怒ってない。 むしろ、しおりを探してくれたこと、ここに来てくれたことが私は嬉しい。 だからそう謝らずに顔を上げてよ?」


 えっ?

 先ほどとはまるで異なるお姉さんのような落ち着いた声が頭上に降ってきた。包み込むような優し気な声色と発せられた言葉に困惑する。彼女が今言ったことがすぐさま理解できなかった。

 あれは俺にあてたしおりだった……?

 一体、どういうことだ?

 顔を上げると、そこには見たことがある顔が微笑んでいた。

 思わず言葉を失う。


「あっ……えっ……⁉」


「やっほー。 東浜君、久しぶり」


 ――困惑する俺を嬉しそうに見ていたのは、演劇部の部長だった。

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