PARADISE・LOST

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第1話 下層街 遺跡 ①

 天を貫き灰空の果てまで届く人工建造物。〈塔〉と呼ばれる存在を知ったのは俺が下層街で読み書きを覚えた頃だった。


 何でも下層市民が住むこの街は塔の最下層に位置する最低最悪のゴミ捨て場であり、人間が住むには非常に過酷な環境に晒されているらしい。汚染された空気と日常的に起こる殺人案件、奇怪な形をした生物兵器の失敗作が跋扈するコンクリート居住区、普遍的に目にするサイボーグ。上げれば上げる程切りがないが、〈上〉の連中からすればこの街は狂っている。その一言に尽きるらしい。


 ならば〈上〉はどういった環境であるか。その事を問うと〈上〉の連中は下層街に比べると天国だと笑いながら話す。常に命の安全は保障され、飢えを知ることも無く、安らかに生を終える。それが〈上〉での日常であると連中は言う。


 ―――なんと退屈な世界だろう。死に怯えることなく、常に安寧の湯船に浸かっている生活など退屈以外の何者でもない。例えるならば、そんな生活を日常と捉える者は怠惰で臆病な家畜と同じではないか。


 死に晒され、血反吐を吐いてでも生を掴み取る。〈塔〉の外に広がる荒れ果てた遺跡群の中を己が力のみで歩み、日銭を稼ぐ。死と生の狭間に命は輝き、消えて往く。何故その美しさが分からない。何故退屈な世界で生の終わりまで過ごせる。何故何も変わろうとしない世界に諦めがつく。何故―――〈塔〉の中で完結する人生を選択できる。


 遺跡群に存在する死にかけの情報保存装置に記録されている映像情報の中で見た澄み渡る青を俺は決して忘れることは無い。仄暗い雲で覆われた灰色の空からは決して想像出来ない群青はその日暮らしの生活を続けていた俺の心に果てしない夢を与え、死に腐り行く筈の肉体に無限の活力を沸かせる原動力となった希望の光。夢の懸け橋。映像を見るまでの俺は過去に遺跡群で何があり、何のために文明が滅んだか分からなかった。学者でもなければ歴史に詳しいわけでもない。何故荒れ果てた荒野と灰色の空が、地平線の向こう側まで広がっているのか考えたこともない。世界に対して無知であったのだ。籠の中でのみ生きる雛鳥のように今だけを考え、与えられた自由ばかりを享受し続けていた。


 〈塔〉が建造された理由も、下層街が隔離されている理由も、現在の文明レベル以上の遺跡が滅んだ理由も、その何もかもを知らない人間は下層街のみならず〈上〉の連中も知り得ない消された歴史である。故に遺跡学者と呼ばれる人間は危険を省みない遺跡発掘者に多額の報酬を出し、遺跡の謎と世界の謎を解き明かそうとしている。俺の雇用者であるサレナ・バートルも遺跡学者の一人だ。


 サレナは遺跡学者の父を持つインテリの一人だ。一日の多くの時間をコンピューターに囲まれた薄暗い一室で過ごし、夢半ばで死んだ父親の意思を継ぐ冷静沈着な勤勉家。下層街では珍しく人間を一人も殺したことがないと話す見た目麗しい女性だ。


 「貴男、今日は暇でしょう?」


 濃い目のコーヒーを一口啜り、あまりの不味さに顔を顰めた俺へサレナは意味ありげに切れ長の瞳を向ける。


 「遺跡に新しいエリアが発見されたそうよ。報酬を出すから言ってきてちょうだい」


 青白いスクリーンに映し出された立体地図。以前の仕事で撒いてきた地形調査ビーコンから送られてくる地形情報をコンピューターが立体処理を施し、既に調査したエリアを赤色に染めている。調査完了エリアは八割程で、水色に染められているエリアはロックが掛けられたエリアのみとなっている。


 「報酬は?」


 「二万。他に弾薬費も出すわ」


 二万クレジットと弾薬費。二週間分の生活費と弾薬を貰えるとなればこの仕事を受けない理由は皆無と言えよう。それに、新エリアともなれば持ち出されていない旧文明の遺産やら技術を発見し、〈上〉が管理する買い取り屋へ高く売りつけることも可能だ。金二万以上の利益を生むかもしれない。


 「オーケー。直ぐに準備する」


 「ええ、お願いね。あぁそれと」


 「それと?」


 「遺跡近辺で今までに確認されたことの無い新種の生物が目撃されたそうよ? 今画像を表示するわ」


 キーボードを叩く軽快な音と共に、コンマ一秒未満のスピードで画像が表示される。


 「……人か?」


 「さぁ? 私は生憎街から出たことが無いし、遺跡に行ったことも無いわ。外の状況は貴男が一番知っているのではなくて?」


 奇妙な影だった。人間に近い形を取りながら人間ではないその影は、背から四枚の羽根を伸ばし、吹き荒ぶ砂嵐の向こう側でミュータントの胸を鋭く太い爪で貫いていた。


 「解像度は上がらないのか?」


 「無理ね。写真を撮った遺跡発掘者の機械眼自体これを映した瞬間イカレタみたいだし。それに、この画像はネットで拾ったものだもの。本人の機械眼を入手して中身を検めないかぎり真相は闇の、いえ、砂嵐の中ってことよ」


 彼女なりのジョークだろうか。薄い唇に笑みを浮かべ、画像を消したサレナは大きく伸びをして可愛らしいマグカップに入っている冷めきったコーヒーを一口で飲み干した。


 「それで」真紅の瞳が俺を見つめ。「貴男はどう思う? 掃除屋さん」もう一つの仕事での呼び名を楽しそうに口ずさみ、答えを求めた。

 

 「……」


 どうだろう。〈塔〉外部は人間が普通に生きることなど困難極まる環境だ。汚染された空気が無色透明の毒をばら撒き、人体を中身から腐らせ死に追い込み、歪な進化を遂げた外生物と何らかの方法で〈塔〉から抜け出した生物兵器が日々殺し合いをしている地獄の中で幾ら人体を機械や兵器で補おうと普通の人間は生き残れやしない。遺跡から発掘された遺産を用いない人間は遺跡発掘者に存在しないのだが。


 となれば、影は人型の生物兵器か外生物、又は遺跡から発掘された遺産を用いている人間、その三つに限られる。どれも正解だろうし、不正解だろうが与えられた情報が不足し過ぎている現段階では明確な答えを導き出す事は不可能だろう。


 「分からない。その答え一つに今はしよう」


 「あぁそう。ま、貴方に答えを求めても仕方ないことだしね。バイバイ、行ってらっしゃい」


 興味を失った風でサレナは再びディスプレイと向き合い、俺など最初から居なかったかのように作業を再開する。彼女の脇からディスプレイを覗き込むと意味不明な単語と文字が羅列し、俺には彼女が何をやっていて、何を研究しているのか全く分からなかった。

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