冬虫夏草の下剋上

えりまし圭多

第1話 冬虫夏草の下剋上

 僕はキノコ。

 生まれたばかりなので名前なんてないし、キノコの僕に名前を付けるような存在はいない。


 ダンジョンで生まれた僕はただのキノコではない。

 僕は生き物に寄生して生きるキノコだ。


 勘付かれないようにそっと生き物の頭部に取り付き、頭の中へ向け魔力の菌糸を伸ばしじわじわとその生き物を支配し操り、そしてその生物の体を養分として生きていく。

 これは本能として知っている。


 この世界とは違う世界にも、僕と同じように他の生き物に取り付いて成長する冬虫夏草というキノコがいるらしいが、小さな虫に寄生する彼らと違い、僕らは自分達の何倍も大きな生き物に寄生し操ることができる。

 これは僕の親にあたる株が持っていた記憶を受け継いだものだ。


 僕に今あるのは、人間の小指ほどの小さな体と生きるために本能的に知っていること、そして親株から偶然引き継いだ記憶の一部だ。

 僕はこれから本能と僅かな知識を頼りに、この小さな体で恐ろしい生き物が棲息する広いダンジョンの中を生き抜いていかなければならない。


 小さなキノコである僕は、このダンジョンで最弱の部類だ。

 踏まれただけ、いや摘ままれただけでプチッと潰れてしまう存在だし、小動物にさえ一口でパクッといかれてしまう。小動物どころか僕より大きな虫も捕食者である。


 そんな僕にできるのは、気付かれずに生き物に取り付きその体をじわじわと支配して操ること。

 強い生き物乗っ取ることができれば、その生き物の体を使って安全に生き延びることができる。


 大きい生き物ですら乗っ取り操れる、と言ってもそれには非常に時間がかかり危険も伴う。

 それに生まれたばかりの僕は弱く、移動すらままならない状態だ。

 今はまだ、僕の親だった株が宿主としていた生き物の体に生え、ようやく寄生キノコとして独り立ちして旅立てるサイズになったばかりだ。


 僕の周りには僕と同じような小さなキノコが、僕達の栄養となった生き物の体から無数に生えている。

 白や茶色の小さなありきたりなキノコの群の中に、一つだけ他のキノコよりも二回りほど大きく、やや赤味かかった艶のあるキノコがいた。

 それが僕らの親だ。


 僕らが生まれてくるための養分となった生き物に取り付き、完全に乗っ取ったキノコ。

 生まれたばかりの僕らとは貫禄が違う。


 僕ら寄生キノコは、生き物に取り付き乗っ取りを繰り返すことで僅かずつだが強くなっていく。

 無数に生まれ簡単に死んでいくキノコの中で極一部、強さよりも運の良さ、それも運命に選ばれるほどの強運を持った個体だけが、こうして生き残り大きな生物すら乗っ取るほどに成長できるのだ。

 僕も生き延びて、運命に選ばれた個体になりたいと思う。これは僕の本能なのだろう。


 生き延び、生物の体を乗っ取り、それを糧として新たなキノコを増やす。

 簡単に死んでしまう僕ら。簡単に死ぬのならそれ以上の数を増やせばいい。

 これは本能。種を後世に残すための本能である。


 ピョコリ。


 僕達の養分になった生き物の体から親キノコが跳ねるように離れた。

 親キノコや僕達の養分となった生き物の体は、中身がすっかりスカスカとなり、穴だらけになった外側を残すだけとなっている。

 ここまで来るともう操って動かしても崩れてしまい、宿主としての意味はない。

 そうなると、もう使えない宿主の養分を全て吸い付くし旅立つ時だ。


 大きな生き物を完全に乗っ取った時は、そこからたくさんの新しいキノコを生み出すことができる。

 僕達の親が大きな生き物を完全に乗っ取り、僕達はそこから生まれた。

 そしてそれを食い尽くし、僕達は旅立っていく。 


 親がもう外側しか残っていない元宿主から離れ、ダンジョンの中へと消えていく。

 それに続くように僕らの兄弟も、一匹、また一匹と動かぬ宿主から離れ旅立っていく。




 これはダンジョン最弱の僕がコソコソと生きる話――。




 ワラワラと養分となった生き物から離れる兄弟に混じり、僕もそこから離れた。

 振り返れば穴だらけの毛皮と骨だけになった、僕らの生まれ故郷が地面に残っている。

 コイツはこのダンジョンのこの階層では平均より少し強い四足歩行の獣。

 これは僕の親から引き継いだ記憶なのか、この獣の記憶なのか。それとも親が以前に乗っ取った生き物の記憶なのか。


 僕は生まれたばかりだけれど、親やこの獣が持っていた記憶を断片的に引き継いでいるようだ。

 全てを知っているわけではないが、何も知らないよりは生き残る確率は高くなる。

 こうしてごちゃごちゃと考えてしまうのも親から引き継いだ記憶――親がかつて乗っ取っていた誰かの記憶の影響なのだろうか。




 僕は知っている。

 僕は小さくて弱いが、小さいことは悪いことではない。

 養分だった獣から離れた僕は、すぐにダンジョンの床に転がっている小石の影に身を隠した。


 その直後、周囲が急に騒がしくなった。

 周囲の生き物がザワザワとする気配。

 ある者はさっさと逃げ、ある者は物陰に身を隠し息を潜める。

 僕の兄弟達もコソコソと物陰に身を潜め始めた。そして僕も。

 まだ獣の体から動いていないのんびりした兄弟もいる。その中には残っている獣の毛皮の中に身を潜めた者もいた。

 そしてダンジョンに棲む者達がざわめく中をカツカツという音が響き、二本足の生き物が何匹か纏まってこちらに向かって歩いて来た。


「魔物の死体だ。随分ボロボロだ……うっわ、寄生キノコに取り付かれてる! 気持ち悪い! 燃やしちゃお!」

 歩いて来た二足歩行が何か音を出すと、僕達が生まれた場所が赤くて熱い光に包まれた。


 確かこの音はコトバ。きっと親の記憶。僕には使うことはできないけれど、なんとなくその音に意味があるのはわかるし、少し懐かしい気持ちになった。


 そして赤くて熱い光。

 それが僕達が生まれた場所をそこにいた兄弟達と一緒に包み込んでメラメラと高く長く伸びた。

 しばらくするとその光は小さくなって、後に残ったのは黒い粉。

 それはちょっとした空気の流れでフワフワと宙に舞い、ダンジョンの中に散らかっていった。

 僕の生まれた場所、一緒に生まれた兄弟が一瞬にして黒くなって消えていく様を目の当たりにして、改めて自分達の存在の小ささを実感した。


「あーっ! 燃やしたー!! コイツらバター炒めにしたら美味しいのに!!」

 僕、知ってるよ。それニンゲンって生き物のリョウリって養分だよね。

 親から貰った記憶の中に少しだけあるよ。

 いつかリョウリを養分にできる生き物に取り付いたら、僕も食べることができるかもしれない。


「うわっ! キノコが降ってきた」

 天井近くに隠れていた兄弟の一匹が、ふわりと二足歩行の生き物の頭の上に降りた。

 しかしすぐに見つかってしまい、地面に振るい落とされてプチッと足で踏まれた。


 これはきっと親の記憶。

 二足歩行の生き物で手が長い奴は、頭に手が届くから気を付けなければいけない。

 とくに、体の毛は薄いのに頭には毛が生えている奴ら。時々頭にも毛がない奴もいるけど。

 そう、今僕の近くにいる奴らだ。

 この種族は強さの個体差が大きく、見た目で強さが判断できない。

 この種族には手を出さなない方がいいが、もし完全に乗っ取ることができたらたくさんのことを得られると親から貰った記憶が教えてくれた。


 だけど今の僕には無理だし、きっと目の前にいるのは手を出したらいけない強い奴らだ。

 僕達の近くにいる他の生き物達も気配を殺して、奴らが通り過ぎるのを待っている。

 頭だけに生えている毛はフワフワでとても棲み心地が良さそうで本能があそこへ行けと言うが、それに従ってしまうと先ほどの兄弟みたいにプチッとされてしまう。

 僕は本能より親がくれた記憶を信じて、地面に転がる小石の隙間でじっとしていた。


「天井辺りに固まってるな。落ちてくるとめんどくさい、さっさと抜けってしまおう」

「そうしよ、そうしよ。でも、俺達の後に通る人のために掃除はしておかないとね」

 先ほどの赤い光を放った二足歩行が、上に向かってまた赤い光を放った。

 そこには、生き物の頭の上にこっそりと落ちようと潜んでいた兄弟達がいた。

 そんな彼らを赤い光が黒くしていく。

 元から小さな僕の兄弟は、小さな小さな黒い粉になり地面へと落ちることもなく、空気の流れに乗って散り散りになっていった。

 やっぱり二足歩行には手を出してはいけない。




 僕は知っている。

 僕が弱いことを知っている。

 弱いからと言って逃げてばかりだと、養分を摂れずいずれ死んでしまう。そうなる前に生き物に取り付いて僕が生きるための糧になってもらわなければいけないのだ。

 弱い僕が安全に狙える相手を乗っ取って、少しずつ強くならないといけないと知っている。


 この広いダンジョンで小さな僕は最弱な部類である。

 テコボコとした壁に張り付いてその凹凸の陰に身を隠し、僕と同じダンジョン最弱である生き物に僕は狙いを定めた。

 僕よりも少しだけ大きい白っぽくて細長い生き物、親から貰った記憶ではイモムシと呼ばれていた気がする。

 その先端には尖った小さな牙が見え、真正面から戦えば僕の方が負けて食べられてしまう。

 だけどコイツの細長い体には、短い足のようなものがたくさんあるだけで、頭や背中は無防備だ。

 そこに取り付いてしまえば僕の勝ち。


 この時もけっして油断してはならない。

 僕が狙うことのできる獲物の数よりも、僕を獲物として狙うものの方が圧倒的に多い。

 こうやって初めての獲物を狙っている時も、何匹かの兄弟が他の小さな生き物に捕食されていた。


 地面をのたのたと這う白いイモムシが二匹。

 その中でも壁に近い方を貼っているイモムシの背中に僕は飛び移り、すぐに魔力の菌糸を伸ばした。

 僕と同じダンジョン最弱。弱肉強食の最下位。

 小さくて柔らかい体には親近感すら覚える。

 そんな弱い体だから、僕の脆弱菌糸ですら体の中に入っていく。

 強い意志を持っていない小さな生き物なら抵抗もされず簡単に寄生することができる。

 僕の初めての獲物。初めての宿主パートナー


 よろしくね、これからは一緒に生きていこう――君の体があるうちは。


 初めての寄生。まだ取り付いたばかり、そして他の生き物を操ることにも慣れていない。

 しかし、急がなければならない。

 取り付いたばかりのイモムシ君の体を乗っ取り、地面と壁の隙間の間にできたひび割れの中へと這っていき身を隠した。

 今の僕ではまだ一時的にしかイモムシ君の体を操ることはできない。

 今はそれで十分だ。


 僕が初めての寄生に成功している頃、僕と同じように兄弟が近くにいたもう一匹のイモムシに取り付いていた。

 僕が取り付いたイモムシと少し離れた場所。壁から少し離れた場所。

 僕が地面と壁の隙間のひび割れに身を滑り込ませて兄弟の方を振り向くと、走って来た小さなネズミが、兄弟が寄生したイモムシを前足で捕まえて、背中に張り付いている兄弟ごとモシャモシャと口の中へと突っ込んでいるのが見えた。


 そう、たとえ生き物に寄生できたとしても安全ではない。

 僕が簡単に乗っ取ることができるイモムシもまた、食物連鎖の最下位なのである。

 イモムシ君に寄生して安全になったわけではない、生きていくための養分を手に入れただけなのだ。

 養分を手に入れ少しずつ強くなって、少しでも大きな生き物に寄生するのが当面の目標だ。


 僕の兄弟ごとイモムシを食べたネズミがその場を立ち去ろうとした時、パッと飛び出してきたヘビがネズミに巻き付いて丸呑みにした。

 そしてそのヘビも、突如現れた胴の長い四足歩行の魔物と戦って敗れ、その糧となった。

 ここはダンジョン、弱肉強食の世界。

 まだイモムシの僕はどこまで成り上がれるのだろうか。



 強い自我もなく小さいイモムシの体は、弱い僕でも簡単に乗っ取れる。

 全て乗っ取るまで一日か二日。

 完全に支配することにはイモムシ君の体のほとんどは僕の養分になっている。

 体だけではない、イモムシ君の記憶とイモムシ君の能力も少しだけだが僕のものになる。

 しかしイモムシの記憶や能力なんてほとんどない。


 生き物を乗っ取りながら、自分の子にあたる株をその生き物の体に植え付けることができる。その方が食い尽くす速度も速く乗っ取るまでの時間も短くなるし、僕の子孫を増やすことができる。

 しかし小さなイモムシならそんなことをしなくてもすぐに乗っ取ることができるし、この小さなイモムシの体に子を植え付けてしまうと僕の取り分が減ってしまう。

 子孫を増やすのはもっと大きな生き物を乗っ取った時だ。


 二日近くかけてイモムシ君の体を乗っ取り終えた頃には、僕の養分となったイモムシ君の体は外側だけになり中身はスカスカになっていた。

 だけどまだ動く。僕が動かしている。

 イモムシ君の命はすでになくなっているが、僕が取り付いている限りその体は動くことはできる。

 しかし中身がない外側だけのイモムシなど、動けばパリパリと壊れていく。


 そろそろ、限界かな?


 僕はイモムシ君から旅立つことを決意した。


 僕が離れると、空洞になったイモムシ君の体はパサリと潰れるように崩れた。

 もう中身は何もない僕の最初のおうち。


さよなら、僕の初めての宿主パートナー


 イモムシ君から離れピョコピョコと跳ねながらダンジョンの壁際を移動する。

 生まれて初めて乗っ取りをその全てを養分にして、ほんの少しだけ成長したけれど、まだまだ僕は小さくて弱い。

 はやく次の宿主を見つけなければならない。


 そしてすぐに次の宿主を見つけた。

 最初の宿主と同じ白いイモムシ――このダンジョンにおいて僕らと同じ最も弱い生き物。そして今の僕が安全に確実に乗っ取ることができる生き物。

 何度も何度も何度も何度もイモムシ君を養分にしているうちに、少しは強くなるだろう。

 イモムシ君より強い敵を乗っ取るのはそれからだ。


 僕は知っているよ。

 僕の親が何代目かの宿主を乗っ取った時に手に入れた記憶。

 石橋を叩いて渡る――何事も慎重に、用心深く。

 そうそう、僕らにした冬虫夏草ってキノコの記憶もその宿主の記憶だったと思うよ。



 それから次々にイモムシを乗っ取って養分にした。

 得られる記憶も能力もほとんどない。だけど少し成長はする、まだまだ小さい僕だけれど、生まれたばかりの頃よりほんの少しだけ強くなったかもしれない。

 へぇ、そっか。イモムシ君は成長したら大きな蝶になるんだね。

 うん、覚えたよ。

 蝶になれなかったイモムシ君のかわりに、いつか僕が蝶になってあげる。


 イモムシ君をにし続け少し強くなった僕が次に乗っ取ったのは、イモムシ君より少し大きくな虫君。

 イモムシ君より体の表面が硬くて動きも素速い。

 生まれたばかりの頃の僕なら、飛び乗るのに失敗したり、すぐに振り落とされたりしていただろうが、たくさんのイモムシ君達のおかげで少しだけ強くなった僕は、初めてイモムシ君以外の生き物に取り付いた。

 取り付いてしまえば後はイモムシ君と同じように、じわじわと乗っ取って養分になってもらう。


 イモムシ君より大きいから完全に乗っ取るまで、少し時間がかかる。

 その間、新しい宿主の虫君の体を満喫する。

 ただ満喫するだけではない、イモムシ君より素速く動けて、空中を飛ぶことができる虫君なら、ずっと行動範囲が広がる。

 しかしまだ小さな虫であることには変わらないので、捕食者には気を付けなければならない。


 うっかり捕食者に捕まった時は、食べられる前に宿主から離れて逃げるしかない。

 いきなり丸呑みされない限り逃げることはできる。

 イモムシから虫になったおかげでいきなり丸呑みされる危険はほんの少しだけ減った。

 そのかわり少し大きくなってしまったため、捕食者に見つかりやすくなった。

 時々捕食者に捕まり仕方なく宿主を捨てながらも、僕は虫を何度も乗っ取り続けた。


 イモムシよりはましだけれど、虫も記憶や能力はあまりない。

 それでもピョンピョン跳ねる虫を乗っ取った後には、僕自身のジャンプ力が強化された。ほんの少しだけ。


 何匹もの虫を養分にした後は、小さなネズミを宿主に選んだ。

 虫からネズミ、体も大きくなり自我も強くなり、最初の一匹は完全に乗っ取るまでは虫を一〇匹くらい乗っ取れるほどの時間がかかりそうだ。

 僕だけで時間がかかるなら、僕を増やせばいい。

 小さな虫ではやる必要がなかった、僕の取り分が減るからやらなかったアレを。


 僕はネズミの体に魔力の菌糸を伸ばして、僕の分身――僕の子供を植え付けた。

 それは菌糸の状態。ネズミから養分を吸い上げれば、いずれ僕と同じキノコの姿になって、ネズミの乗っ取りに協力をしてくれる。

 そして、ネズミを食い尽くした後は僕と別れて旅立っていく――かつて僕が親から別れた時と同じように。


 このネズミの程度の大きさなら、子は二ついれば足りるだろう。あまり増やすと乗っ取りのまでの期間が短くなっても、僕が得られる養分が減ってしまう。

 それに子を作り出すにも体力が必要だ。今の僕にはまだたくさんの子を作ることはできない。

 子は一日ほど時間が過ぎればネズミの表面から顔を出し、すぐに僕と同じ形になるだろう。


 こんにちは、僕の初めての子供。


 一より二、二より三。

 初めてのネズミは僕と僕の子によって、その血肉と記憶を吸い上げられて抜け殻になっていく。

 子供達のおかげで思ったよりはやくネズミを乗っ取ることができた。それでも虫と比べ時間がかかった。そしてぶん得られるものも多かった。

 虫より少し大きい体の中には、虫よりも密度の高い養分と記憶が詰まっていて、小さな虫を何匹も乗っ取るよりネズミを一匹乗っ取る方が圧倒的に効率が良いことを知った。


 ネズミから得られるものがなくなれば旅立ちの時。

 僕がネズミの体から離れれば、僕の子達も空っぽのネズミの体から離れる。

 ここからはもう僕の分身ではなく、一匹のキノコとしてそれぞれの道を歩んでいく。


 さよなら、僕の最初の子供達。


 ネズミの体、そして子供達に別れを告げた僕は、ダンジョンの壁の凹凸に身を隠す。

 虫やネズミから養分を得て生まれたばかりの頃より少し強くなったと言っても、本体だけの僕は相変わらずダンジョン最弱キノコだ。

 勘違いしてはいけない。

 宿主を乗っ取る能力はあっても僕自身は弱い。


 僕の記憶を受け継いでいるのなら、僕の子供も自分の状況を理解して安全な場所に逃げ込むはずだ。

 ボーッとしている時間はない。無防備に他の生物から目視される場所にいてはいけない。本能に負けて無謀な乗っ取りをしてはいけない。

 僕の子供達が僕の記憶を受け継いで少しでも長生きをして、たくさんの生き物を乗っ取れますように。


 プチッ。


 そんなことを思った直後に、ネズミの抜け殻を離れダンジョンの床をうろうろしていた子が、通りかかった四足歩行の大きなトカゲに踏まれて潰れた。

 残ったもう一匹は僕の後を追うようにダンジョンの壁へと移動していた。

 まだ生まれたばかりで動きは僕よりずっと遅い。

 僕もきっと生まれたばかりの頃はあんなだったのだろう。


 そしてその子が壁の隙間に辿り付く直前に、小さなネズミが走って来てその子を捕まえてムシャムシャと食べ始めた。

 ネズミから生まれネズミへと帰る。実に感慨深いループである。


 こうして僕の最初の子は全滅した。

 この世界は残酷なのだ。


 その光景を見届けた僕は、まだキノコを囓っているネズミの頭の上へとふわりと舞い下る。

 こんにちは、新しい宿主。そして、僕の子の仇。

 僕の子を食べた君が、今度は僕の栄養になって僕の子を育む番だよ。






 それから僕は、何度も何度も何度も何度も、ダンジョンに棲む生き物に寄生し乗っ取った。

 時には寄生直後に気付かれて振り落とされた。

 せっかく取り付いたのに、水たまりに飛び込まれ水の中に流されたこともあった。

 宿主が他の生き物との戦いに敗れて食べられそうになり、慌てて逃げたこともあった。

 それでも僕は生き延びて、どんどんと大きな生き物を乗っ取るようになってきた。


 大きな生き物を乗っ取る時には、たくさんの子を生み出せばいい。

 乗っ取りを繰り返し少しずつ強くなった僕は、たくさんの子供を生み出すことができる。

 たくさんの子がいれば大きな生き物でも、時間をかけず乗っ取ることができる。

 こうして僕はどんどん強い生き物を乗っ取り、その血肉と記憶、能力を吸い取っていった。

 そしてそれを武器に更に強い生き物を乗っ取る。


 強い生き物を乗っ取っている間は僕も強くなる。そしてそれだけの生き物を乗っ取れるほどに僕は成長していた。

 僕の体は、生まれたばかりの頃に見た僕の親の体と同じように、艶のある赤色に変わりつつあった。


 だからすっかり忘れていた――僕自信は弱く小さいキノコだということを。


 その時、僕はすでに大型の獣を乗っ取れるほどに成長していた。

 強い魔物を乗っ取れば、次に乗っ取る相手をこちらから攻撃して弱らせた後に乗っ取ることができる。弱った相手なら、乗っ取るまでの間に反撃をくらいにくいし、僕のものにするまでの時間も短い。

 そうなってくると、養分を吸い尽くし体がボロボロになる前、まだ体が感情なうちに次の宿主を見つけ力でねじ伏せ寄生するのが効率がいい。


 今の体を完全に支配し養分を吸い尽くす前に、次の体を探してダンジョンをうろうろしていた。

 そして、その光景を目撃した。


 僕の宿主より大きな獣。そこからは命の臭いはしないが同族――僕が生まれた頃の記憶にある気配がした。

 あの獣に取り付いているのは僕の親だったキノコだ。

 僕の生まれ故郷の獣よりもずっと大きな獣。

 僕の親はあれからずっと生物を乗っ取り続け更に力を増していた。


 そして僕の親は乗っ取った生き物の体で、人間という二足歩行の生き物と戦っていた。

 僕は大きな岩の影に体を隠して気配を消し、その戦いの行方を見守ることにした。


 人間はダンジョンに棲む大きな魔物に比べるとずっと小さい。そしてほとんどの者は、自分より小さな獣にすら勝てないほど弱い。

 しかし僕達の棲むダンジョンに来る人間は強い。中には自分より何倍も大きな魔物をあっさりと倒してしまう者もいる。

 僕が生まれ故郷の獣の体を旅立った日に見た人間もその類だ。


 僕は知っている、人間の強さは見た目ではわからない。

 僕は知っている、人間に手を出す時は慎重になりすぎなければいけない。

 それを教えてくれたのは親の記憶だったはずだ。


 その親が人間と戦っている。


 人間を乗っ取ればたくさんの記憶と知識、能力を得られる。

 僕の親は人間を狩るだけの力を持っていた。

 しかし、人間の力の天井はわからない。

 これも親の記憶。相手が悪ければ負けてしまう。


 ゴォッ!!


 熱い空気が流れてきて、親の宿主の体が炎に包まれているのが見えた。

 僕達キノコも、抜け殻になった体も炎には弱い。


 乗っ取ろうとした相手に戦いを挑んで負けることはよくある。

 負けて体を失いそうになると、体を捨ててこっそりと逃げることができるのは、本体は小さなキノコである僕らの利点である。


 燃え上がる獣の体だから、赤い艶のあるキノコ――親がこっそりと抜け出とピョコンと跳ねて、壁にある小さな割れ目に逃げ込もうとした。


 シュッ!!


 空気を切る音がして銀色で先端が尖った長細い金属が、親の傘と胴体の間を貫いた。

 親の体は傘の付け根の部分で二つに分かれ、パサリと床に落ち動かなくなった。


 あっさりしたものである。

 弱く小さいキノコから始まって、多くの生き物を繰り返し乗っ取り、大型の獣を乗っ取るまでに成長した選ばれしキノコの最期だ。


 そう、僕達は弱い。


 どんなに強い生き物を乗っ取ることができるようになっても、僕達はこのダンジョン最弱なのだ。


 けっして忘れてはいけない。













 それからどのくらいの月日が過ぎただろう。

 今の僕はあの時の親を超えただろうか?


 初めて二本の足でダンジョンの床を踏みしめた。

 可動範囲の広い前足にもまだ慣れない。

 細かい動きができる前足の先端も、頭にしかない毛も、体に色々と付けているものも、コトバを発することのできる口も、まだまだ慣れない。


 まだ完全に乗っ取ったわけではないけれど、僕の時間は長くなっている。


 完全に乗っ取る前に僕を、僕の知らない世界へと連れ出してほしい。


 そしてその世界の過ごし方の手本を見せてほしい。


 暗いダンジョンから明るい世界へ。


 ダンジョンの外に出て遭遇した人間が、宿主の名前を呼んだ。


 僕の名前ではないけれど、いずれ僕のものになる体の名前。


 つまり、僕の初めての名前。


 初めての名前に少しくすぐったい気分になりながら、僕は暗い故郷から新しい明るい世界へと踏み出した。


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