E.

「ナノマシンじゃない?」

 

 私の分析結果を聞いたマキノは驚いたように言った。

 地球に降りてトゥアレグの森を訪れた日から、もう二週間が経っていた。

 

 私は実験室にこもりきって、『環境改変ナノマシン』と思われた苔かカビと向き合い続けた。その結果、私の目の前に置かれたガラスケースの中の苔かカビは、ナノマシンの成れの果てでも暴走でもないということが分かった。

 それ以上の発見であるということも。


「ええ。これは『環境改変ナノマシン』と酷似した構造を持っているけれど、正確にはナノマシンではないということが判明したわ」

「では、この苔かカビはいったい何なんですか? ただの苔かカビなんですか?」

「うーん? 現状、これをなんて呼べばいいかは難しいわね。生態としては原生生物――そうなると苔かカビってことになるんだけど、その由来が問題なのよ」

「由来?」

「これはつまり、ナノマシンから産まれた新生物なの」

 

 私は端的に事実を口にした。そう。今私たちの目の前に存在しているそれは、ナノマシンによって誕生した新生物なのだ。


「ナノマシンから産まれた新生物? それってどういうことですか?」

 

 マキノは理解が追いつかないといった表情で尋ねた。


「『環境改変ナノマシン』が取り込んだ環境物質――おそらくバクテリアなんかの細菌類だと思うんだけど――を分解する際にエラーが起こり、バクテリアを分解できず、逆にナノマシンを取り込んだバクテリアが変異をしたって言うのが、今のところの私の見立てね。突然変異自体は自然界では珍しい現象じゃないから、長くナノマシンを運用していればこういった想定外も起こりえるでしょうね」

「それって問題はないんですか?」

「問題って?」

「この突然変異したカビが地球上を覆いつくしたり、再生した自然を根こそぎ分解したりとか?」

「なるほど。『グレイ・グー』や『グリーン・グー』を心配しているのね」

 

 私はマキノの心配を理解して笑みを浮かべた。それはナノマシンの運用初期段階で指摘された問題点や危惧だった。とても的外れな。


『グレイ・グー』というのは、暴走したナノマシンが自己増殖を繰り返し、いずれ地球全体を覆ってしまうというものだ。地球上に溢れている炭素や珪素といった普遍的な物質をエネルギー源として取り込み、無限に増殖を繰り返すというのが一般的だろう。そして最終的に地球上の全てが、ナノマシンによって分解されてしまう。『グリーン・グー』は細菌や植物などが無限に増殖して地球を覆いつくしてしまうことをいう。

 どちらも古典的なSFで使われたガジェッドだ。『ドラえもん』のバイバインの回を読んでみれば、その恐ろしさが伝わると思う。


「その心配は不要だと思うわよ。たしかにこの新種の生命体は『環境改変ナノマシン』の特性を引き継いで、分解、解析、自己増殖を行うことができるけど、それはこれまで存在してきた生物も同じなのよ。細菌やウィルスだって自己増殖して世界に蔓延してきた。菌類や類だって至る所で繁殖してる。だけど一度も地球全体を覆ったり、埋め尽くしたりはしなかったでしょう? ナノマシンだって同じよ」

「それはそうですけど、ナノマシンは最先端技術ですよ? 何が起こったって」

「単純な回答があるの」

「単純な回答?」

「エネルギーよ。地球を覆いつくすほどの自己増殖を繰り返すエネルギーなんて、どこにも存在していないの。『グレイ・グー』なんて発想は、科学の最も単純な原理である質量保存法則や、エネルギー保存法則を無視しすぎている。ナノマシンに自己崩壊の機能をつけなくても、ナノマシンが地球の全てを分解なんてしきれないのと同じ。この新種の生命体で言うならば、現状は木に寄生して栄養を摂取せっしゅすることでしか自己崩壊を防げない。そんなか弱い原生生物が、あのアフリカの過酷な環境で増殖を続けてアフリカの大地を覆いつくことができるなんて思う? 私には、どう考えも無理だと思うけど」

 

 マキノは渋々と頷いた。どうやらまだ不安が拭い去れないらしい。理屈では理解できているはずだけれど、彼女は脅威というものに対して慎重すぎる所があった。


「まぁ、このナノマシン由来の生物が大発見なのは間違いないわ。今後も分析と研究は続けるし、報告のレポートもしっかり提出する。研究が進めばいくつか論文も出せると思うから、そうすればより多くの人がこの問題に向き合うことになる。私の見落とした脅威があれば、直ぐに誰かが気づくでしょう」

 

 私はそこまで説明して話しを打ち切った。

 そしてケースの中のカビか苔にしか見えない新生物に再び意識を向けた。

 

 ☆

 

 そのナノマシン由来の新生物は、私の興味をとことんまで引いた。私はこの新生物の虜になっていた。日々この新生物の研究と実験に夢中になり、ありとあらゆる方法を駆使してこの生物の特性や特徴を解明していった。


 分かったことは、この新生物はとても賢いということだ。

 ナノマシン由来なだけあって寄生する宿主を選ばず、環境物質ならばどんなものにでも寄生し、そこで自己増殖を繰り返した。環境物質とは、つまりところ全ての元素を指す。どんな元素にでも寄生することができるとなれば、それはとても素晴らしい生存方法に他ならない。


 さらにこの新生物の賢い点は、寄生した宿主がDNAを持っていた場合、そのDNA情報を取り込み再現しようとする点だ。もちろん完璧な再現には至らないだろう。それだけのエネルギーが足りないからだ。それでも無数のナノマシン同士が結びつき、DNA情報を共有しあって再現を試みる。

 

 トゥアレグの森で最初にこの新生物を発見した時、木に寄生して苔かカビのような姿をしていたのは、寄生した木のDNA情報を取り込んでそれを再現しようとしていたからだ。トゥアレグの森の新生物たちは、今も木を再現しようと必死に自己増殖を繰り返しているはずだ。


 私の研究室に運んだ新生物たちには、違うアプローチで再現を試みさせている。


「アシリさん、また研究室に籠って。ここ一カ月まともに帰ってないんじゃないですか? 残業手当もつかないのにがんばりすぎですって」

「がんばってなんかないわよ。好きでやっていることに時間をいくらでも費やせるなんて、研究職にとっては楽園じゃない? ようこそ私の楽園へ」

「私にとっては地獄です。アシリさんの考えが主流じゃなくて本当に良かった。今の環境省で残業をする職員は5パーセントもいません」

「だからこの省はここまで落ちぶれて、クソ馬鹿無能のゴマすり社内政治野郎どもが幅を利かせるようになったのね。NUN発足時、地球環境を再生させるために全省庁をリードしていた環境省はどこに行ってしまったのかしら? 国土安全保障省、エネルギー省と並んでビッグ3とまで言われていたのに」

「そんなものは過去の栄光ですよ。この省は私が生まれた時にはもう落ちぶれてました」

 

 私は肩をすくめた。するとマキノは本題に入った。


「ナノマシン由来の新生物について進展はありました?」

 

 上司への報告義務があるのだろう。

 この新生物については、環境省だけでなく多くの省が興味を示している。本腰を入れて研究をしているのは私くらいだけど、大きな成果が見つかればそれをかすめ取りたいと思っている連中はたくさんいる。私にとってはどうでもいいことだけど。


「じゃじゃーん」

 

 私はケースの中の新生物を指さして陽気な声を上げた。正直なところ、早くのこの成果を誰かに見せたくて仕方がなかった。


「これは何ですか?」

「『オリシャ』たちが、私が編集したDNA情報を再現しようと奮闘している姿よ」

「『オリシャ』?」

「この新生物の名前よ。学術論文を発表する際に必要でしょ」

「どういう意味なんですか?」

「アフリカの神様の名前よ。詳しくは、ナイジェリアで暮らすヨルバ人が信仰していた神様の総称らしいわ」

「はぁ?」

「神様のオリシャには様々なオリシャがいて、それぞれが別の神格を司っている。空、海、戦争、鍛冶、武器、火、医療とかね。私のルーツである少数民族も、色々なものに宿る神様を信仰していた。全ての物に神様が宿ると信じていたのね。日本にも八百万やおよろずって考えがあるし、親近感湧くでしょ? それに新生物の特性ともぴったり」

 

 そう言って、私は『オリシャ』の特徴や特性を説明した。


「それで、これはいったい何を再現しようとしているんですか?」

線虫せんちゅうよ」

「おえ。なんでそんなものを再現させてるんですか?」

「人間との関りが深い虫だし、人類がはじめて全ゲノムを解析した生物でもあるからゲノム編集もしやすいでしょう? 線虫の再現には成功しそうだから、再現する生物のスケールを上げていこうと思っているわ」

「それって、いずれ人間も再現できるんですか」

「どうかしら? ものすごい時間をかければ可能かもね」

「どれくらいですか?」

「うーん? 線虫の細胞数が約千個程度。それに比べて人間の細胞数は約三十七兆個。千個程度の細胞数の再現に一か月もかかってるから、果てしない時間が必要そうね」

「そうですか」

 

 そう言うと、マキノは興味を失ったように私の研究室を後にしようとした。はしっこいんだから。

 ドアを開けて出ていく前、マキノが振り返って一言。


「アシリさん、シャワーくらい浴びたほうが良いですよ。くさいです。女性なんですからもう少し清潔感を持ってください」

 

 その一言には、さすがの私も傷ついた。

 だけど女性だからってのは関係なくない?


 ☆


『オリシャ』について、マキノには説明しなかったことがいくつかある。

 実のところ、私の研究の本命はそちら。まぁ聞かれなかったから答えなかったといったところ。

 

 ナノマシン由来の生物であるという特性が最も活かせるのは、この『オリシャ』を再びナノマシン化させた時だと私は考えている。

 地球に散布しているナノマシンは全て有機物で構成されているけれど、人の手で制御可能な機械であることには変わらない。機械であることの利点は、ネットに接続して遠隔で操作できる点にある。


 この『オリシャ』たちも、ネットを経由して制御できるように改変を加えている。それが実現すれば、その有用性や可能性は計り知れない。『オリシャ』自体を植物の種として地球に散布すれば、成長をコントロール可能な森や農場が実現する。医療での活躍も見込める。特定の臓器の再現が可能になれば、今後人類は臓器提供者ドナーを見つける必要がなくなる。

 そのためには、『オリシャ』の増殖速度を上げる必要があった。それだって、『オリシャ』を直接操作できれば可能だと確信している。

 

 私はナノマシンの性能を遥かに超えた生物を誕生させるべく、『オリシャ』の遺伝子を改変し続けた。その成果は、私の想像を超える速度で現れた。『オリシャ』は直ぐにネット経由の電気信号に反応するようになり、こちらに信号を返して来るようになった。私は様々な信号を送り続け、『オリシャ』に様々な学習をさせた。


 するとある時、『オリシャ』が不規則な信号送ってきた。

 その時の『オリシャ』は、緑色のスライムのような姿をしていた。大きさはだいたい手のひらサイズくらい。増殖を行わないように信号を送り、それを忠実に守っていた。傍目にはスライムに見えるそれだが、実際は億を超えるナノサイズの粒子の塊で、何の遺伝子情報も取り込んでおらず、再現も行っていない最も原始的な状態。それは白紙のノートみたいなもの。正確には、原生生物の状態というのが適当だろう。


 その『オリシャ』が、突然に信号を送ってきた。『オリシャ』を詳しく観察してみると、『オリシャ』自体もその信号と同じ周波数で振動をしていて、私に何かを訴えているように見えた。その信号と振動をAIに解析させると、AIはサンプリング画面を開いてそれを音に変換した。

 

 変換されたそれを流してみて、私は心から驚いた。それは私が研究室で毎日のように流している楽曲だった。今もその楽曲を流していた。


 TOTOの『アフリカ』。


 それはいつかマキノに聴かせてあげると約束をした楽曲で、私のお気に入りの一曲。それが『オリシャ』たちから送られてきた。『オリシャ』たちは、音楽を理解しているのだ。そしてそれを解析して、電気信号と振動に変えてみせた。それを理解していると私に教えるように。


 つまり、『オリシャ』には知能がある。その可能性が限りなく高い。

 私は心の中で絶叫した。世界を変える発見になると確信したからだ。

 きっと私のサブジェクトは、大きな前進を見せるだろう。

 私は『オリシャ』と一緒に口ずさんだ。『アフリカ』のメロディを。


 

 アフリカに恵みの雨が降りますように

 アフリカに恵みの雨が降りますように

 誰も成し遂げていない事をするには、時間が掛かるんだ


 ☆


『オリシャ』とのコンタクトは、とてもスムーズにいった。『オリシャ』は私の与える刺激を正確に理解していった。私は慎重に与える刺激や情報を選びながら、『オリシャ』に進化を促した。

 

 数週間が経つ頃には、私と『オリシャ』は簡単な会話を交わすことができるようになっていた。

 当然、言語による会話じゃない。それは0と1を用いた最も単純な会話。

 

 2進法。


 それはコンピューターを動かす絶対的な法則で、0と1というたった二つの数字を用いる。その二つの数字だけで、この世界の全てを表現することができる。音楽も、絵も、動画も、ゲームも、全て2進法で表現できるのだ。

 ナノマシン由来の新種である『オリシャ』には、2進法によるコミュニケーションが最も効率的だと判断した。それは正しい選択だった。


『オリシャ』は私が学習用に組んだAIと0と1のやり取りを繰り返した。『オリシャ』は時折、私に0と1の数字を送ってよこした。そこには「むずかしい」という内容が込められていた。私も0と1で返事を返す。「だいじょうぶ」。すると「がんばる」と返してきた。

 私は必死に頭をはたかせている緑色のスライムをにっこりと見つめた。

 

 近い将来、『オリシャ』が高度な知能を有するという確信を得ていた。その先に自我のようなものが芽生え、自分たちの頭で考えて行動をするかもしれないという予感や危惧をも感じていた。


 この先に進んでいいのか、それを考えあぐねるほどに。

 だけど――


「あなたたち、勝手に入ってきて何なの?」


 突然大勢が、私の研究室のドアを乱暴に破り入ってきた。終わりが雪崩のように押し寄せて、私の楽園を侵していった。

 

 私は、いつの間にか国土安全保障省に身柄を拘束されていた。

 広めの会議室に連れてこられた私の目の前には、国土安全保障省の特別捜査官が立っている。男性が二人。女性が一人。全員が高級なスーツに身を包み、厳かなモノリスにでもなったみたいに無表情と沈黙を貫いていた。


「それで、私は逮捕されたのかしら?」

「逮捕はしていない。あなたに話を聞きたくて任意同行を求めただけです」

「私のオフィスを荒らしておいて? 令状はあるのかしら?」

「あなたのオフィスではない。環境保護省の施設です。あなたの長官から立ち入り調査の許可は得ています」

「なるほど」

 

 クソ裏切り野郎。私は心の中で毒づいた。

 そして、私の目の前に座った女性の捜査官を冷ややかに睨みつけた。つまり、これはしっかりと根回しが行われた捜査ということになる。ある程度のシナリオは出来上がっているのだろう。


「あなたは国土を脅かす文明を地球に持ち込み、その研究を行っていますね?」

「どちらにもノーよ。国土を脅かすという部分に対しては、明確な説明を求める」

「あなたなは人類の制御を離れたナノマシンを地球から持ち帰り――」

「人類の手を離れたナノマシンではなく、ナノマシンを由来とする新種の生命体よ。ナノマシンとは似て非なるものだし、それらは、はじめから人類の制御下にない。先回りして教えてあげるけど、私はそれを持ち込んでもいない。その生命体は地球で新しく誕生したの」

 

 私の説明に、彼女は一瞬押し黙った。


「あなたはそのナノマシン生物を研究し、国土に危険を及ぼそうとしてる」

「ナノマシン生物ではなく、ナノマシン由来の生命体。それを研究することが、どうして国土に危険を及ぼすの? 研究をしないで放置しておく方が危険じゃない?」

「ナノマシン由来の生命体は機械と変わらず、それは増殖を続けて国土に危険を及ぼさないわけがない。それは『文明を持ち込まず、つくらせず、拡散させない』というNUNの理念に明確に違反している。さらにあなたは、その生命体をさらに改良して増殖の速度を上げようとしてる。これは国土への明確な脅威だ」

「まず、ナノマシン由来の生命体は機械じゃない。生命体は文明には当たらないはず」

「だが、ナノマシンを由来としているなら、金属の塊でありコンピューターであることは違ないはず。それは文明と言えるだろう」

 

 私は、あまりの回答に笑ってしまった。こんなクソ馬鹿無能と話していると思うと、本気で笑えてきた。学生と話す方が百倍マシだ。私の嘲笑が気に障ったのか、特別捜査官の女性は顔を赤くして私を睨みつけた。


「何がおかしい。真面目に話をする気があるのか?」

「これがおかしくないわけないでしょう? ナノマシンが鉄やシリコンなんかの無機物でできていると思っているの?」

 

 私が尋ねると、女性は本気で意味が分からないとい顔をした。

「地球で走らせているナノマシンは、全て有機物で構成されているのよ。有機物の意味は分かるかしら? ナノマシンを動かすバイオチップの話をしてあげても良いけど、一時間くらい特別に講義をすることになるわね。私は高校生と話しているの?」

「人を馬鹿にするのもいい加減しろ」

 

 私の言葉に、特別捜査官は激高した。後ろに立っていた男性の捜査官が彼女を落ち着かせ、部屋の外に出した。私はやれやれとため息を吐いた。その後、男性の捜査官が話の続きをはじめたけれど、基本的な認識が違い過ぎる上に環境科学の知識が全く足りずに話にならなかった。


「あなたたち、本当に国土の安全を守る捜査官なの?」

 

 私は呆れてそう言うしかなかった。特別捜査官たちはこれ以上の手札が無いのか、焦燥しょうそう感が表情にありありと浮かんでいた。

 すると、突然に会議室の電気が消えた。どうやら建物全体が停電したみたいだった。


「最近多いわね。また太陽フレアかしら?」

 

 私が言うと、会議室に別の捜査官が入ってきて男性の捜査官に耳打ちをした。直ぐに顔色が変わり、事態が深刻なことが伝わってきた。「今日のところは帰っていい」と言われ、私は解放された。私に構っていられなくなったらしい。

 

 色々なことが起こりすぎて、私はどっと疲れていた。

 久しぶりに熱いシャワーを浴びてベッドで眠りたくなった。


 ☆


 停電は数時間経っても復旧せず、臨時ニュースでは『太陽光発電炉カグツチ』が故障した可能性に言及していた。


『太陽発電炉カグツチ』は、太陽に近い宙域に設置された全十二基からなる発電炉で、マイクロ波によって電力をコロニーに送っている。とても革新的な発電技術で、現在のコロニー生活を安定させた最も重要な基盤ともいえる。

 従来の技術では、コロニーの電力を太陽光のみでまかなうのは不可能とされていた。だけどある出来事をきっかけに太陽が活発化し、それに伴って太陽光発電の技術は格段に進歩した。現在の太陽光発電は、コロニー市民の生活全てを支える基盤であり生命線だった。

 

 私はシャワーを浴びた後、環境省に戻った。省内は蜂をつついたような騒ぎになっていたけれど、私たちにできることは少ない。私のラボは荒らされたままの無残な姿だったけれど、幸いなことに『オリシャ』は無事だった。


「アシリさん、大丈夫だったんですか?」

 

 研究室に入ってきたマキノが困惑した顔で尋ねる。


「ええ。全くの素人に取り調べを受けたからコテンパンにしてやったわ。ぐうの音も出ないって感じで泡吹いてたわよ」

 

 私は軽口を叩いた。


「あまり敵をつくらないで下さいよ。恨みを買うと厄介なんですからね」

「はいはい。それにしても、今回の停電は長いわね? 速報だと『カグツチ』が故障したって情報だけど本当なのかしら」

「本当みたいです。でも壊れたのは数基――多くても三機ということなので、復旧のめどは経っているみたいです」


 マキノはそう言ったけれど、その表情はとても深刻だった。まるでもっと悪いニュースが流れることを知っているみたいに。

 私は現状を確かめるために友人に連絡を取った。


「もしもし、ジジ?」

「アシリ? あなたが連絡をしてくるなんて珍しいね」

「忙しい時にごめんね。今の状況を確認しておきたくて。『カグツチ』が故障したって話だけど本当? 太陽フレアのせいなの?」

「ごめんなさい。詳しい話は今ではできないの。こっちも情報を精査するのに手いっぱいで。人手も機材も足りないし、」

 

 ジジは歯切れ悪く言った。


「はぐらかしてるのバレバレよ。ジジは昔から都合の悪い話になると長ったらしい言い訳を並べるんだから」

 

 私がズバリ指摘するとジジは押し黙った。


「この回線じゃ話せない。一時間後に思い出の場所で」

「ありがとう」

 

 どうやら事態は恐ろしく深刻らしい。

 私は様々な事態を想定しながら目的の場所に向かった。


 最悪、全ての『カグツチ』を失った場合――いや、半分失っただけでも――コロニーは地球で発電しなければならなくなるだろう。そうなればNUNが百年かけて行ってきた地球環境の再生と保全は、全て水の泡と化す。コロニー市民一億人の命がかかっているとなれば、苦渋の選択を取らなければならいだろう。


 私は環境の回復した地域と、新しく発電所を建設できる場所のリストアップをAIに命じていた。コロニー市民が移住をする可能性も考え、生活環境を整えることができる国や地域のリストも必要だろう。

 

 私たちの生活は、全てが様変わりするかもしれない。

 人類はまた百年の遅れを取るかもしれない。月面の開発が失敗した時、人類が描いていた未来へのスケジュールはもろくも崩れ去った。人類が宇宙のみで人生を営み、そして外宇宙に進出するという壮大な計画は、数百年の遅れを取ることになった。

 私たちは、またしても後退するのかもしれない。そう思うと、とても歯がゆくて悔しかった。それでも、私にできることはまだあると信じたかった。


 だけど、そんな私の淡い希望もジジの言葉で砕け散った。


「人類が滅亡する?」

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