アフリカ

七瀬夏扉@ななせなつひ

Q.

 

 遥か彼方から見下ろしたそれは、暗闇に垂れた一滴の雫のように見えた。その雫のあまりの青さと美しさは、人類がどれだけ愚かな行為を働いたとしても全く色褪せない。

 

 ペイル・ブルー・ドット。


 宇宙という真っ黒なキャンバスから見れば、その星はただの淡い青色の点でしかない。六十億キロメートル離れた宇宙から撮影をした地球は、まさに青く淡い点ペイル・ブルー・ドットだった。

 だけど、それは奇跡の青だ。

 

 地球という青い星だけが、この宇宙で命を持つことを許された。人類だけでなく、動物、植物、微生物、菌類。多くの生命を育むことを。今のところはね。だって明日、いきなり宇宙人が地球にやってくる可能性だってあり得なくはないでしょう?


 そんな奇跡のような地球から人類が退去し、地球を輪のように囲んだ『オービタルリング・コロニー』に移住してから、百年の歳月が経とうとしているのよ。


「えーと」

 

 私は、そこで言葉を止めた。


「あなた――人類が地球から退去するきっかけとなった歴史的な出来事は分かるかしら?」

 

 私の講義を聞いている生徒を指して尋ねる。まともな答えが返ってくるとは思っていない。

 案の定、生徒は困ったように講義用のスクリーンをただ見つめているだけ。美しい地球が映し出されたそこに、答えが書かれていることを祈るように。

他の生徒も同様で、私と目を合わせないように明後日の方向を見ていた。


「答えは、月面開発の失敗――『月面撤退アルテミス・フォール』。そして、それが引き金となって起こった資源戦争よ。その結果、地球は人類が暮らせないほどに汚染されてしまった。連鎖的に起きた破滅的な出来事により、人類の人口は百分の一程度にまで減った。後の人類は、この悲劇を『大災厄ドゥーム・フォール』と呼称した。残された人類は宇宙に上がり、この『オービタルリング・コロニー』での生活を余儀なくされた。それが、今の私たち。皮肉なものだと思わない? だって、月面開発は人類が宇宙に進出するために行われていたのよ。その計画が失敗して地球を失ったことで、ようやく人類は宇宙での生活をはじめたんだから」

 

 生徒たちは私の話の何が皮肉なのかもわからないという純粋無垢な表情で、私を見ていた。なんだか使っている言語が違う気がして不安になってきた。いや、言葉は通じるのに話が通じないというべきか? 

 これが一番恐ろしい。争いや混乱の多くは、言葉は通じるのに話が通じないという奇妙な現象から巻き起こるからだ。対話というものは、それくらい繊細で危険なものなのだ。

 私は気持ちを切り替えて講義を先に進めることにした。


「現在、地球は環境回復のため原則として人類の立ち入りを禁止しているの。査察や慰問などの特別な行事を除いて――または膨大な手続きを踏まずに――地球に降りることが許可されている機関は二つだけ。一つは『国土安全保障省』。もう一つが、私が所属する『環境保護省』。中でも環境保護監察官ともなれば、環境保護や調査目的で頻繁に地球に降りることができるの。母なる地球の大地に立つことができるなんて、とてもワクワクしない? 私たち環境保護省は、いつだって野心的で革新的な人材を求めているわ」

 

 ☆

 

「アシリさんの講義、受講生たちに全く響いていませんでしたね? 私、途中で吹き出しそうになっちゃいましたよ。だって宇宙人でも見るような目でアシリさんのことを見てるんだもん」

 

 マキノがお腹を抱えて笑っている。

 私は、この助手の心のない言葉に怒り心頭していた。彼女は大学での講義を終えてからずっと、私の失敗を笑っているのだ。私の失敗は、彼女の失敗だというのに。


「うるさい。私の話が響かないのも、受講生たちが地球環境に興味がないのも分かっていたわよ。でも、マキノみたいな奇特な学生が一人ぐらいいるかもって期待したって良いでしょう?」

 

 大学生のマキノをリクルートした時のことを思い出す。今日のように講義をした後、今回も収穫なしと肩を落としながら去ろうとした私に、「少し良いですか?」と質問をしてきたのがマキノだった。


「アシリさんがあまりにも悲しそうに講義室を去ろうとするから、胸が痛んで声をかけただけですよ。政府機関で働けるならどこでも良かったんです」

「それはどうも」

 

 憎まれ口を叩くマキノだけど、彼女が地球と地球環境に興味があり、環境省への入省を望んでいたことは間違いない。

 彼女はとても優秀だった。しかも多方面に。生物学と植物学で博士号を取り、環境テクノロジーやバイオマスの分野でいくつかの論文を出していた。学生ながら宇宙空間での船外活動記録が八十時間もあり、三等航宙士の資格まで有している。私なんか、今でも船外活動記録は四十時間に満たないというのに。

 

 マキノをリクルートしてから五年の歳月が経っていた。マキノ以降、私がリクルートをした人材は一人もいない。それでも毎年講義をする価値はあると思っている。続ける意味も。それは、種をまき続けるということでもある。いずれ収穫と時が来ると信じて。


「私はこれから地球に降りるけど、マキノはどうする?」

「また地球に降りるんですか? これからって」

 

 マキノが呆れたように言って表情を歪める。明らかに面倒くさいって顔だ。日焼け止めや虫よけスプレーを忘れたのだろう。


「別についてこなくてもいいけど? あなたは私のアシスタントだけど、私の仕事全てに同行する義務も責任もないんだから。自分のサブジェクトを進めるのも、アシスタントの重要な仕事の一つだし」

 

 マキノの役職は環境保護監察官補佐。

 私は環境保護監察官であり、その中でも自由に地球に降りる権利を持った上級監察官という役職に就いている。上級監察官は、職員をアシスタントとして起用する権限を持っている。そして上級監察官以下の職員は、上級監察官以上の役職の同行の下でしか地球に降りることができない。

 つまり地球行きのパスポートは、私しか所持していないのだ。


「アシリさん、私のサブジェクトが地球に降りなきゃ進まないことを知っていて言ってますよね? もちろん同行します。私だってさっさと結果を出して出世したいんですから」

「良い心がけね。優秀な人材はそうでなくちゃ。私たちの仕事の基本はフィールドワーク。現場に出ないような監察官は監察官失格よ」

「はいはい。アシリさんが省内で嫌われてる理由がわかります」

「えっ、私って嫌われてるの?」

「え?」

 

 ☆

 

 環境保護省には七つの『サブジェクト』がある。

 サブジェクトとは主題や問題といった意味であり、私たち環境保護省の職員一人一人に課せられた命題ともいえる。基本的には解決することのない永遠のテーマだ。


 七つのサブジェクトは以下の通り。

 気候変動、災害・紛争、生態系管理、環境ガバナンス、化学物質・廃棄物、資源効率性、環境レビュー。


 この七つの問題に取り組みながら、地球の自然環境の回復を促進していくのが環境保護省の存在意義だ。各職員はこの七つのサブジェクトから一つを選び、問題解決のために活動をする。本業務とは別に。法律の提出、論文の発表、他の省庁との連携、フィールドワーク。解決のための手法は各職員に一任され、それぞれがそれぞれのやり方で問題に向き合う。終わることのない宿題みたいなものだ。


 私が選んだサブジェクトは、生態系管理、環境ガバナンス、化学物質・廃棄物。これは別に珍しいことではなく、包括的な活動を行おうとするならばサブジェクトは必然的に複数に渡る。サブジェクトを進めるなら地球に降りるのが最も効率的なのだけれど、地球に降りる職員の数は日に日に少なくなっている。


 人類が泣く泣く宇宙に上がり、国連に変わる新しい機関――つまり環境省――が発足したばかりの地球環境と比べれば、現在の地球環境は格段に良くなっているからだ。もう地球にマスクや防護服をつけて降りる必要も、降りた後に隔離されて入念の除染を受ける必要もない。環境省はその役目をすでに終えたとさえ言われている。そのため他の保護監察官の多くは、デスクワークのみでサブジェクトを進めようとはしない。


「今の私たちが他の省庁からなんて呼ばれているか知ってます? 古井戸掘りですよ。使えない井戸をいつまでも掘り続けてるって笑われてますよ」

「私が地球で復元した葉物野菜は十分な功績じゃないの? デスクにしがみついてるクソ無能バカどもを黙らせるには十分だったはずよ」

「口が悪すぎますよ。やめてください」

「だって、『環境改変ナノマシン』が解析したDNAを取り出して復元するのに三年もかかったのよ? 今コロニーで下仁田ネギや水菜が食べられるのは私のおかげなのに」

「あれは農務省との共同事業でした。功績は農務省が持っていきました」

「サハラ砂漠の部族間の対立を調停したのだって十分な功績でしょう? あれで私たちが自由に活動できる範囲が増えたんだから。今じゃ現地のガイドにもなってくれるのよ」

「国土安全保障省が激怒してましたよ。勝手なことをするなって。全人類を宇宙に上げて地球を保護することが、私たち『NUN』の使命なのわかってます? 存在を認めていない部族とコンタクトを取るだけじゃなくて、部族間の争いを調停して物資まで提供したらさすがにまずいですって」

「まずいも何も、彼らは彼らの決断で地球に残ったんだから、私たちがどうこうできることじゃないでしょう? 宇宙に上がった当時にやっていた人間狩りみたいなことは、今はできるわけがないんだから。いくら全ての人類を宇宙に上げることが使命だとしても、そんなのは狂気の政策よ。それにそれ以降、彼らを存在しないものとして扱ってきたのが、そもそもも間違いなのよ。彼らは過酷な地球環境の中で、これまで必死に生きてきた。それは壮絶な日々だったはず。そういった経験だって保護する価値があると思わない?」

「でも、また地球で文明が発達して環境を汚染しはじめたらどうするんですか? 私たちがこの百年かけてやってきたことが無駄になりますよ」

「それはないと思うわよ」

「どうして言い切れるんですか?」

「地球に残った人たちの出生率は異常に低いのよ。常に有害な物質や放射能にさらされ続けてきた弊害ね。到底、文明を維持できる人口は保てない。文明を発達させるのに必要なのは人口だからね」

「どうして分かったんですか?」

 

 マキノは驚いたように尋ねる。


「彼らに物資を届けた時に健康診断をしてあげたでしょう? あの時にDNAを採取しておいたのよ。保険省と共同でDNAを解析したってわけ。国土安全保障省にも結果は報告してあるから、私たちの調査や活動に横やりを入れてくることもないでしょう」

 

 私が言うと、マキノは目を細めて恨めしそうに私を睨む。


「アシリさんって抜け目ないというか、頭が切れますよね?」

「褒められてる気がしないんだけど?」

「褒めてません。切れすぎるとそのうち痛い目を見ますよって言う警告です」

「ありがと。素直に受け取って胸の奥の宝箱にしまっておくわ。話も終わったところで、ちょうどステーションについたわね」

 

 私たちの乗っていたリニアは軽快な音を鳴らして止まった。目的の『ワンガリ・ステーション』についたのだ。

 地球を囲むように建設された『オービタルリング・コロニー』は、複数の区画に分かれている。リニアはコロニーの外側の建設されたレールの上を走り、各区画間を繋いでいる。コロニー市民には『チューブ』の愛称で親しまれている。

 

 私たちが下りたステーションは地球へ降りるための軌道エレベーターに繋がっていて、区画というよりは静止軌に設置された宇宙ステーションと言うのが正しい。コロニーから少し離れた宙域に設置されたドーナツ型の宇宙ステーションで、軌道エレベーター専用のステーションとなっている。

 第六軌道エレベーター『ワンガリ』を使用するためのステーションなので、『ワンガリ・ステーション』と名付けられている。

 地球に降りる手段は、軌道エレベーターしかない。遠い宇宙から見れば地球に向けて垂れ下がる一本の糸にしか見えないだろうそれは、その通り人類にとっての命綱に他ならないのだ。または蜘蛛の糸か。


 かつては『セブン・シスターズ』と呼ばれた七つの軌道エレベーターが、大勢の人類を宇宙に打ち上げていた。そして地球に迎え入れていた。だけど今では、軌道エレベーターは三機しか残っていない。まともに動かせる軌道エレベーターはこの『ワンガリ』のみで、残りの二機は長期間のメンテナンスに入っている。

 もしも人類が『ワンガリ』を失ったらと思うと、恐ろしくて身震いがする。それは私たちと地球との断絶を意味するからだ。


「あらん、アシリじゃない?」

「ジジ? 奇遇ね」

 

 私は思いがけない友人との再会に笑みを浮かべた。ジジは今まさに軌道エレベーターから降りてきたところで、プラットフォームでエレベーターの到着を待っていた私を見つけて駆け寄ってきた。

 次の出発までは十五分ほどある。積もる話をするには十分だ。


「アシリはこれから地球へ降りるのも? ほんともの好きね」

「ジジはまた高軌道ステーションに上がってたの? もの好きなんだから」

 

 私たちは顔を見合わせてくすくすと笑った。


「最近、太陽フレアが活発でしょう? 宇宙気象が不安定だから頻繁ひんぱんに『ハイロウ』に上がって観測しなくちゃいけないのよ。おかげで残業続き。嫌になるわ」

「電力供給が安定していいんじゃない?」

「エネルギー省は大喜びでしょうけど、宇宙気象庁はそうもいかないのよ。天気は外れっぱなしだし。予測値と実測値が違うなんてイライラしてしょうがないじゃない? 観測データや設定した変数や閾値いきちに間違いがないか全部見直しよ」

「わかるわかる。とりあえず納得する計算結果が出るまで延々AIを走らせちゃうよね。全パターン総当たりでやる羽目になったとしても」

「ねー」

「あのー」

 

 私たちが可愛らしいトークで盛り上がっていると、マキノがうんざりした声で割って入った。


「私のことをお忘れじゃないですか? 紹介していただけると嬉しいんですけど」

「ああ、すっかり忘れてた」

 

 マキノが恨めしそうに私を睨みつける。


「こちら、私の友人のジジ。大学で同じ専攻だったんだけど、ジジは宇宙気象庁に入省したの。二人で環境省に入ろうって誓いあってたのに。私は今でもそれを恨んでる」

「私はアシリが宇宙気象庁に入省してくれなかったことを恨んでる」

 

 私たちが顔を見合わせて笑うと、マキノは今にも吐きそうな顔をした。


「マキノよ。私の助手なの。環境省きっての秀才よ。在学中に書いた人間を種子化して宇宙にまくって論文には特に驚かされたわ。そんな発想、私には思いつかないもの」

「それは面白い。アシリ好みね」

「あの論文の話はやめてください」

 

 マキノが悲鳴を上げるように言う。たしかに色々ツッコミどころのある論文で散々な評価を受けていたけれど、私は心から評価していた。実現不可能と思えるものにアプローチするという姿勢が、私たち研究者にとっては何よりも大切なことなのだ。理論や実証はあとから埋めていけばいい。その時に血反吐を吐けばいいのだ。


「私はマキノが、いずれ地球環境にパラダイムシフトをもたらすサブジェクトを達成するって信じてる」

 

 私が自信を持ってそう言うと、マキノは少し困ったような顔をした。罪悪感を覚えたような表情を。


「アシリの助手が務まってるってだけで、マキノがいかに優秀かわかるわ。彼女の助手は大変でしょう?」

「殺意が湧くほどには」

「それはひどいって」

 

 私が悲鳴のような声を上げると、ジジは嬉しそうにほほ笑んだ。


「アシリは友達が少ないから、マキノみたいな優秀な助手がそばにいてくれると安心ね。ほんといつも孤立してたもんね」

「省内でも孤立してます。今では誰もアシリさんに話しかけません」

「みんなひどいよね」

「あんたは優秀過ぎるのよ。それでいて、その他全員が自分と同じようにできると思ってるから、誰もついていけなくなって離れていくのよ。太陽みたいに眩しすぎるんだから」

「本当にそれです。アシリさんは人類に期待しすぎです」

「だって、期待することをやめてしまったら前進できないじゃない? 誰だって前に進んでいけるはずなのよ。全ての人類がね」

 

 私の言葉を聞いたマキノとジジは、正真正銘のサイコパスでも見るような目で私を見ていた。心外すぎる。

 

 でも、私って本当に嫌わてるの?

 

 ☆

 

 ジジと別れた私たちは、地球行きのエレベーターに乗り込んだ。

 広々としたエレベーターの中は、『アパルトメント』の愛称で呼ばれている。複数の座席が置かれ、強化ガラスからは宇宙と地球が一望できる。起動エレベーターはカーボンナノ・チューブのワイヤーを伝って地球と宇宙とを往復し、その間に設置された複数の宇宙ステーションを駅として経由する。

 ジジの言っていた『ハイロウ』とは、軌道エレベーターの最上階に当たる高軌道ステーション愛称だ。宇宙望遠鏡や観測装置などがあり、宇宙気象庁や天文学者などが通い詰めている。


「これでしばらくはゆっくりできます」

 

 座席に腰を下ろしたマキノが、ため息交じりに言う。私も隣に腰を下ろして一息ついた。しばらくすると、出発を告げるメロディ『マーシー・マーシー・ミー』が流れた。私はこの曲が嫌いだ。だからいつもイヤホンをして聞かないようにする。


「アシリさんってこのメロディが流れると必ずイヤホンをしますよね? 何か理由があるんですか?」

目敏めざといね」

「アシリさんの観察が仕事ですから」

 

 まぁ、それはそうのだろう。私はイヤホンを外して口を開いた。


「『マーシー・マーシー・ミー』って曲なんだけど、歌詞の内容を知ってる?」

「いえ、曲名もはじめて知りました」

 

 当然だ。この曲が発表されたのは1971年。私たちが生まれる遥か以前で、その頃は冷戦の真っただ中だった。そして世界は核の恐怖に怯えていた。『アポロ14号』が月面着陸を成功させ、世界初の宇宙ステーション『サリュート1号』が打ち上げられたりと、宇宙開発的には大きな前進のあった年でもある。

 

 私は『マーシー・マーシー・ミー』を小さな声で歌った。


「曲の冒頭から『あぁ、主よ、どうかお許しください』『あぁ、すべては昔と変わり果ててしまった』って、謝罪しっぱなしでしょ? 曲の後半では放射能が溢れ、人口が過密して、地球はあとどれだけ人類の仕打ちに耐えられるだろうって嘆きっぱなしなのよ。この曲を聴いてると、いったい神様なんてインチキに何を謝罪する必要があるんだって、声を大にして言ってやりたくなるの。人類は多くの過ちを犯してきた。宇宙に逃げ出すしかなかった今の状況は、人類が犯した最大の過ちと言えると思う。それでも、神なんてものに謝罪をする必要はない。過去を振り返り反省する必要があったとしても、それは神ではなく人類にするべきなのよ。神に謝罪し、祈った瞬間に、人類は歩みを止める。だから、私はこの曲が嫌いなの。神なんてものに逃げているようにしか聞こえないから」

 

 私がまくし立てると、マキノは本当に困ったような顔をして私を見た。


「理解に苦しみます。多くの人は、アシリさんのように人類を絶対の存在と考えることはできないと思います。神に祈ることで救われる人が、大勢いるはずです。宗教というものが担ってきた役割だって、きっと大きいはずです。逃げることで救われる人も」

 

 マキノの言葉に私は心を痛めた。彼女の言うとおりだからだ。

 私の考えは、いつだって自己中心的だ。いつだって他人を思いやることにかけている。幼いころから、そのことでいつも失敗をしてきた。

 だから私は常に孤立しているのだ。


「そうね。私が間違っているんだと思う」

 

 私は素直に認めて続ける。


「だから、なるべくこの曲を聞かないようにしているの。他の軌道エレベーターでは『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』や『ウェン・ユー・ウィッシュ・アポン・ア・スター』が使われているのよ。知ってた?」

「知りませんでした。軌道エレベーターごとにテーマソングみたいなものがあるんですね?」

「開発に関わった人たちに所縁のある楽曲を使うみたい。ロマンチックよね? TOTOの『アフリカ』とかだったら、私もノリノリで聞くんだけどね。これからアフリカに降りるんだし、ぴったりの楽曲でしょ?」

「それはどんな曲なんですか?」

「すごく壮大なメロディで、イントロからとってもワクワクするの。今度データを送ってあげるわよ」

「楽しみにしてます」

 

 私たちは互いに口を閉ざした。微妙な空気が『アパルトメント』に充満していて、マキノはとても居心地が悪そうだった。


 私は足元の地球を眺めた。

 青く美しい地球は、全てを受け入れるかのように広がっている。度重なる人類の仕打ちを受けてなお堂々とそこにあり続ける偉大なる存在に、私の心は癒された。

 全ての生命の揺籠ゆりかごであり、私たち人類の唯一の故郷ふるさと

 地球の確かな重力を感じながら、私は大きな安心感に包まれていた。

 早く大地に立ちたいと願ってしまうほどに。

 

 ☆

 

『アパルトメント』は無事に地球に降り、『ワンガリ・ステーション』の始発駅ともいえる赤道ギニアの地上ステーションへ到着した。


 赤道ギニア。正式名称『赤道ギニア共和国』は、アフリカ中部の共和制国家だった。大陸部とギニア湾に浮かぶエロベイ諸島を領土とし、首都をビオコ島のマラボに置く珍しい国でもあった。国名の通り赤道に位置する――正確には大陸部は赤道直下ではないけれど――国家で、軌道エレベーターを建設するうえでは最適な場所だった。

 

 世界初の軌道エレベーターが開発されて運用に至ると、世界各国はこぞって軌道エレベーター事業に乗り出した。ロケットの打ち上げという前時代的な手法よりも、格段に安価で宇宙に上がることができたからだ。なにより建設に伴う経済効果が大きかった。建設地ともなれば、その経済効果は計り知れなかっただろう。

 そんな新時代の港を獲得しようと、どの国も躍起になった。赤道ギニアも建設地に名乗りを上げ、見事六機目の軌道エレベーター建設の栄誉をたまわった。そしてアフリカ大陸で唯一の軌道エレベーター『ワンガリ』を完成させた。

 現在では、世界で唯一稼働している軌道エレベーターだった。


 私はそんな偉大なる軌道エレベーターを眺めながら、アフリカの眩しすぎる太陽を眺めた。地上に目を向けると、手入れのされていない生い茂った緑が連綿と続いている。軌道エレベーターを運営する公社はほとんど最低限の人員しか配置していないので、目に見える範囲に人の姿はまるでなかった。


『ワンガリ・ステーション』はギニア湾の沿岸部と言って差し支えない場所に置かれているので、大自然の香りとともに潮の香りも感じることができる。

 この場所は、どんな場所よりも地球という存在を強く感じられた。

 私は、大地に立ったこの瞬間が大好きだった。


「暑すぎませんか? 前に来た時よりも太陽が大きくなってる気がするんですけど」

 

 私の感動や感傷をぶち壊すように、マキノがうんざりした声を上げる。


「ジジも言っていたけど、太陽フレアの活動が活発になっているみたいね」

「太陽はいい加減にしてほしいです。この間も太陽フレアの影響で、大停電と通信障害を起こしてたし」

「でも私たちがコロニーで安定した暮らしを営めているのは、活発化した太陽のおかげなんだから感謝するべきよ」

「年々活発化しすぎですよ。エネルギーも供給過多になってきたので、少しお休みしていただきたいです」

「本当に人間のエゴってやつはどうしようもないわね」

 

 私はくすくすと笑って歩き出した。


「もうフィールドワークに出るんですか? せっかくなんでステーションで涼んでいきましょうよ。軽食とコーヒーくらいとったって罰は当たりませんよ?」

「ここからは自由行動でもいいわよ? 私は自分のサブジェクトを進めるから、マキノもご自由にどうぞ」

 

 私が冷たくあしらうと、マキノは喉の奥から絞り出したようなうめき声をあげて私についてきた。本当にかわいい助手なんだから。

 

 私たちは手配しておいたジープ・ラングラーに乗り込み、目的地へと向かった。

 私は車の運転が大好きだ。特にガソリン車はたまらない。踏み込めば踏み込んだだけスピードが増す感覚はなにものにも代えがたい。

 コロニーではガソリンなんていう過去の遺物は消え去り、車は電気によって動いている。そして全ての乗り物は運輸省によって管理・監督され、AIによる制御を受けている。当然、自分の意志でスピードを出すなんてことはできない。そのおかげで空気を汚すことも、事故を起こすこともない。別にガソリン車を復活させろとか、好きなようにスピードを出させろなんて言うつもりはない。それらは過ぎ去ってしまった栄光なのだ。


 私がご機嫌でジープを飛ばしている横で、助手席に座ったマキノはずっと不服そうな顔をしていた。お互いサングラスにサファリハットをかぶっているので、それほど表情は読み取れないけれど。


 私は好都合とばかりにさらに速度を上げて、生い茂った緑の中を駆け抜けた。遠くに青い海が見え、反対側には今は廃墟となった古都の残滓ざんし。かつて赤道ギニア最大の都市だったバタは、生い茂った緑に覆いつくされていて太古の遺跡のように見えた。その光景には、自然の力強さが感じられた。地球の逞しさが。


 ジープはバタを北上してカメルーンとの国境付近へ走り続けた。徐々に青々とした自然の姿も消えていき、砂漠が広がり始める。かつて赤道ギニア、カメルーン、中央アフリカ共和国とった中部アフリカの国々には、砂漠はそれほど広がっていなかった。カメルーンをさらに北上し、ニジェール、マリ、アルジェリアまでたどり着けば――世界最大の砂漠地帯、サハラ砂漠。


 現在のサハラ砂漠は、さらに広大になっている。『環境改変ナノマシン』を散布さんぷし走らせ続けても、砂漠化の進行をかろうじて抑えられるという程度。そんな過酷な環境でも、逞しく生活を営み続けている人々がいる。きっと彼らにとっては、この生活こそが正しい日常なのだろう。何百年も前から続く、部族の伝統と文化。それを正しく守り続けている。


 指定された場所には数十名を超えるトゥアレグ族が待っていた。伝統の青いターバンと青い衣装を身にまとい、全員が顔を隠して武装をしている。ラクダと日本車が並び、まるでキャラバンのように見えた。それか戦闘部隊か。


「アシリさん、あれ大丈夫なんですか?」

 

 マキノは姿勢を正して身構えた。


「大丈夫よ。連絡をしてきたのは彼らだし、贈り物だって持ってきてるしね」

「全員武装してるんですよ? あんな人数で? あの青い衣装はトゥアレグですよね? ずっと戦い続けてる好戦的な部族ですよ? 人質にでもされたら――」

「この地域で、戦い続けていない部族なんて存在しない。それにこの地での争いの多くは、他所から持ち込まれたものよ。今のNUNの前身が火をつけたとっても過言じゃない」

 

 私がそう言うと、マキノはそれ以上何も言わなかった。


「私が話を進めるから、マキノは私のボディーガードって雰囲気で堂々と立っていて」

 

 トゥアレグ族の前でジープを止めると、私は手を上げて笑顔を見せた。続いて車を降りてサングラスを外す。先頭の男性は私を確認すると、ゆっくりとライフル銃から手を放した。他の男たちもそれに習う。

 はい。平和的。


「ようこそ、ケル・タマシェクの王国へ。また会えて嬉しい」

「私も、また会えて嬉しいわ。お誘いありがとう」

 

 私たちは軽く抱き合って再会を喜んだ。


「贈り物をたくさん持ってきたわよ。あなたたちが欲しがっていたものばかりだから遠慮せずにどうぞ」

 

 私はジープの荷台に積んだ荷物を指して言った。それを見たトゥアレグの民は、両手を上げて喜ぶ。彼らはせっせと荷物を運び出し、ラクダや車に積み込みはじめた。車の多くはトヨタ車で、私は『大災厄ドゥーム・フォール』を経てもなお走り続けている日本車の姿に感動した。


「いったい何を贈ったんですか?」

「医療品とか浄水器とかの生活必需品よ。あとは電子パーツとかガイガーカウンターとか、古いPCもあったかも?」

「地球に文明を持ち込むのはまずいですって」

「別に文明が発達するわけじゃないんだし問題ないわよ。少しでも快適に生活して欲しいじゃない? 同じ人類なんだから」

「だったらコロニーに上げて、NUNに加盟してもらえばいいじゃないですか?」

 

 私が首を傾げて視線を向けると、私と抱擁ほうようを交わしたトゥアレグの戦士が代わりに口を開いた。彼は私たちの言葉が理解できている。


「ケル・タシュマクは空に上がる気はない。我々は、ようやくこの地を取り返した。長い間、余所者に支配されていた我らの神聖な大地を。我々は聖戦に勝ち、今この地に足を踏みしめている。母なる大地に立っている。そして、これからもこの大地とともに生きていく。我々ケル・タシュマクが生き続ける限り」

 

 トゥアレグの戦士は力強い声でそう宣言した。その言葉の中には警告が含まれていた。


「だけどこんな汚染された大地で生きていくよりも、コロニーに上がって快適に暮らした方がいいでしょう? あなたたちだって、文明を享受すれば分かるはず」

 

 マキノは負けじと言い返した。トゥアレグの戦士たちが、私たちのやり取りに興味を持って集まりはじめた。


「空の民よ、それはお前たちの価値観だ。お前たちが押し付ける身勝手な思想や主義だ。我々はかつて、お前たちの身勝手な思想や主義にしいたげられた。空の民、お前は『大災厄ドゥーム・フォール』以前のアフリカの地図を見たことがあるか?」

「あると思います」

「アフリカの大地の国境線を覚えているか」

「国境線?」

「そう、国境線だ。アフリカの国境線の多くは直線だった。アフリカだけでなく中東も。お前たち侵略者が勝手に押し寄せ、我々の土地を奪い合い、勝手に線を引いて分割したからだ。そうして国を、民を、伝統を、文化を、神を、思想を分断した。空の民、お前たちは、いつだって我々の土地に争いを持ち込む。だが、我々は二度と土地を失わない。二度と奪わせない。我々は、ようやく勝利を手にしたのだから。我々はこの地で、我々の伝統と文化を守り続ける。勝利し続ける」

 

 トゥアレグの戦士は、私たちを侵略者と呼んで睨みつけた。その瞳は戦いを覚悟しており、死ぬことすらいとわないという強い意志を秘めていた。

 トゥアレグの戦士たちの全員が、同じ瞳をしていた。

 青い民の意志は一つだった。


「はいはい。お互いの議論をぶつけ合うのはここまでにしましょう。有意義な意見交換ができて良かったわ」

 

 私は笑顔でそう言って手を叩いた。そして向かい合っているマキノとトゥアレグの戦士の間に立ち、その間に線を引いた。

 砂漠の砂につま先で引いた線は、二人を別ち――分断した。


「私たちの間には、国境線が引かれている。それは高い壁となってそびえたち、私たちを分断している。私たちは分かち合えないかもしれない。私たちは手を取り合えないかもしれない。私たちは理解し合えないかもしれない」

 

 私は、私たちとはまるで違う青い衣装の戦士たちを見つめた。

 そして宇宙で暮らすマキノを見つめた。


「私たちの思想や理想は、あまりにも違い過ぎる。それを乗り越えるのは、とても難しい。私たちは、いずれ戦い合うのかもしれない。以前の愚かな人類のように。でも、今はその時じゃない。私はあなたたちに贈り物を持ってきたし、あなたたちに快適な暮らしを送ってほしいと思っている。この地球でね。あなただって、空の上にいる私に連絡をくれた。あなたたちの土地の異変を知らせるために。私が力になれると信じたから。私たちは、ある部分では協力ができている。今は、それで良しとしない? いずれ戦うとしても、それは今じゃなく、私たちじゃないかもしれない。今は、それで十分だと思う。私たちがこうして一時でも手を取り合った経験が、役に立つ時が来ると思うから。大切なことは、相手を理解しようと思い続けることよ。そして尊重しようとすること」

 

 私が言葉を終えると、トゥアレグの戦士は口元を覆っていた青い衣を脱いで笑みを浮かべた。


「我々は、今は敵同士ではない。あなたたちは大切な客だ。そしてケル・タシュナマクは、いつだって客人を歓迎する。今は友として付き合おう。素晴らしい言葉だった。それが何よりもの贈り物だ」

「ありがとう。私も素敵な贈り物をもらったわ」

 

 私たちは、そうしてこの場所を後にした。


 私が砂漠に引いた線は――私たちを分断する国境線は、アフリカの風に吹かれていつの間に消えていた。

 はじめから国境線なんて存在しなかったみたいに。

 

 ☆

 

「これを見て欲しい」

 

 案内されたのは、小さな森だった。

 そこは『環境改変ナノマシン』によって水源と原生林を復元し、それをさらに広げるためにさらに多くのナノマシンを散布した実験的な区域でもあった。


 現在、地球で走っているナノマシンは大きく分けて二つある。

 一つが、放射能や有害物質などの汚染を除去する『除染ナノマシン』。

月面撤退アルテミス・フォール』以後に起きた戦争では、大量の核爆弾が使用された。小型のものを含めれば、その数は百を超えるとさえ言われており、それが後の『大災厄ドゥーム・フォール』を引き起こす直接的な原因となった。愚かな人類は多くの土地を人の住めない死の大地へと変え、その生存圏をいちじるしくせばめた。

 コロニーに上がった人類が、地球を再生するために行った最初のステップが、地球の除染作業だった。


『除染ナノマシン』には、放射能や有害物資などを食べる細菌を利用した。細菌のDNAをナノマシンで構築し、自己増殖と分解の機能を強化してプログラムした。それを大量に地球に散布することで、地球全体の汚染――空気中、地上、地中、海中といった様々な場所の除染を可能とした。

 このナノマシンの特徴は、有機物で構成されているという点だ。汚染を除去する役目が終えたあとは土に返り、肥料になるという性質も併せ持つ。


 その後、二つ目のナノマシン――『環境改変ナノマシン』が地球環境を再生させていく。『環境改変ナノマシン』は、元々は月面で研究されていたテラフォーミング技術だった。人類が地球の代わりとなる星を発見した時、その星を人類が移住できる星にテラフォーミングし、地球環境に限りなく近く改変するために研究と開発が進められていた。だけど、この技術が新しい星で使われることはなく、汚染されつくした地球で使用されることとなった。まぁ、早めに試運転と考えれば悪い話じゃないだろう。


 人類がいつの日か第二の母星を発見した時に、地球で培ったデータや経験が役立つはずだ。だから『環境改変ナノマシン』に触れる時は、私はいつもワクワクしてしまう。遠くの星でナノマシンが走る姿を想像してしまうから。


 だけど今私が目にしている『環境改変ナノマシン』は、私たちが想定をしていた運用結果とは大分違う動きをしていた。


「いつからこんな状態なの?」。

「一か月ほど前からだ。徐々に広がっていき、今では木をおおいいつくそうとしている」

「最初に発見した時は、どんな様子だった?」

「木の根元からこけが生えているのだと思っていた。珍しいことではない。だから放っておいた。だが日に日に広がり、木全体を覆いつくした。まるでパンに生えたカビのように。けずってがそうともした。だが、剥がしても翌日にはまた広がっていた。」

 

 私は、原生林を覆うように付着した濃い緑色の物質をまじまじと見つめた。彼らの言う通り、それは苔かカビように見えた。だけど他の原生林には、こんな物質は付着していない。明らかこの木だけが異様な状態にあった。


 木の形をした毬藻まりものようにしか見えない。


「これを見てほしい」

 

 そう言うと、トゥアレグの戦士はナイフで苔のむした幹を切りつけた。刃に付着した苔を見ろと示す。


「これって?」

 

 私はスマートレンズを拡大して苔を観察した。少しずつレンズの倍率を上げていく。想像した通りだった。それらは動いていた。小さな粒子の一つ一つが大きなかたまりになろうとしているみたいに、ナイフの表面をうごめいている。


「何が分かったんですか? 私の目には異常発生したカビにしか見えないんですけど」

 

 マキノが首を傾げて尋ねる。


「これは『環境改変ナノマシン』なのよ」

「役目を終えたら土に返って肥料になるはずじゃ?」

「だから驚いているのよ。この『環境改変ナノマシン』は、役目を終えた後もどこかからかエネルギーを得て活動を続けている。想定外の事態ね」

「ナノマシンのエラーですか?」

「その可能性もある。『環境改変ナノマシン』は分解可能な環境資源に付着すると、環境資源を取り込んで解析をはじめる。解析が完了し、環境資源を復元可能と判断したら環境資源を増殖。そして役目を終えたら自己分解を行う。つまり散布、付着、分解、解析、増殖、自己分解の流れを組むはずなんだけど、このどこかでエラーが発生して自己分解の機能が損なわれているのかも? それか、ナノマシンに影響を及ぼす環境物資が存在するのか」

「それってナノマシンがハッキングされてるようなものじゃ?」

「簡単に言えばそうなるわね。でも、自己分解の機能を阻害そがいする環境物質ってことも考えられる。その場合は、対象の環境物質に適応するようにナノマシンをバージョンアップすればいいだけだけど、ナノマシン自体を改変する環境物質が存在してるとなると、少し厄介かもね」

「どういうことですか?」

「お互いがバージョンアップを繰り返すことに、つまりはいたちごっこになりかねないってこと」

「環境物質がウィルスの性質を持っているってことですか?」

「正解」

 

 私は助手の聡明そうめいさに改めて感嘆かんたんした。


「地球に散布したナノマシンも、基本的な構造はウィルスと変わらない。故に常に突然変異の恐れがあり、制御不能になる可能性が考えられた。それを防ぐために自己分解をするように設計した。だけどウィルスである以上、取り込んだ物質の影響を必ず受ける。これまでも分解や解析がうまくいかないという報告は無数に上がっているし、増殖の失敗もそれほど珍しくない。それでも自己分解だけは問題はなかった。それは、ナノマシンに活動限界を定めているから。一定期間を過ぎたナノマシンは、必ず自己分解する。自己分解というよりも、寿命で崩壊現象が起きるといったほうが正解ね。だけど環境資源による何かしらかの影響を受け、自己分解の機能が失われた――または、活動限界を超えても活動できるように改変されたのだとしたら、私たちがバージョンアップしたナノマシンも同じように改変を受けるかもしれない」

 

 私は目の前の『環境改変ナノマシン』だったものを真っすぐ見つめ、その予期せぬ存在に心を惹かれた。


「危険なものなら、今すぐ焼き払ったほうが良いのか?」

 

 トゥアレグの戦士が一歩前に出て言う。彼らは危険というものに対してとても敏感だ。


「今のところ危険はないわ。私たちが調べて必ず問題を解決するから、あなたたちはこの木を守ってほしい。新しい発見があるかもしれないから」

 

 私は彼らを説得して木の存続を約束させた。


「早速、サンプルを持って帰りましょう。急いで原因を究明しないと再生した森を焼き払われかねないわ」

 

 私は深刻な口調でマキノに言った。

 だけど私の助手は、とてもうんざりした顔で私を見つめていた。


「アシリさん、なんだかワクワクしてません? 深刻な状況にも関わらず、ものすごく楽しそうです」

「え、そう?」

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