第20話

 事務所での用事を終えて楓も現場へと向かった。

 もう撮影が始まる時間だ。楓は英治の控室には寄らずに直接スタジオに入った。


「あ、松島さん、久しぶり」


 しかし、そこに英治の姿はなかった。楓は一瞬動揺したがすぐに平静を装った。

 BIBI編集長の佐野に声を掛けられたからだ。


「佐野さん、本日はありがとうございます」

「いえいえ、こちらもいい話を頂いて本当にありがたいわ。いてもたってもいられなくて現場まで来ちゃった」


 佐野はふふふ、と笑った。40代と聞いたことがあるが、20代と言われても信じてしまいそうだ。

 若い時から英治を買ってくれており、忙しいだろうにスタジオまで来てくれるのもそれだけ気にかけてくれている証拠だろう。


 佐野に対応しながら周りを見渡すと、楓はスタジオの隅で落ち着かない様子の西村くんを見つけた。

 佐野におじぎをして失礼した後、楓は西村くんを捕まえた。

「英治は?」焦りからつい語気が強くなってしまう。

「あ、あの、一人になりたいと仰ってて……僕どうしたら……」

 西村くんは涙目だった。


 ――まだ復帰には少し早かったのだろうか、楓は唇を噛んだ。


「……分かった、ちょっと見てくる……」


 そう言って楓が控室に向かう廊下を見ると、スタジオに入ってくる見慣れた人影があった。

 パステルブルーのシャツに黒のジーンズ、耳の辺りまで伸びたサラサラの髪に、少し緊張した面持ち。


 英治だった。


 英治の姿を見て周りのスタッフがざわついた。

 恐らく皆週刊誌の記事を見て少なからず不安を覚えていたにも関わらず、現れた英治が以前と変わらない――いや、それ以上の風貌だったからだろう。


「ご、ごめんなさい、お待たせしましたか……?」


 その動揺を違った形で捉えた英治は思わず謝った。

 楓はほっとして小さく首を振った。


「大丈夫よ、英治。まだ5分前」


 楓の言葉に英治も安心したように頷き、真っすぐ佐野のほうに向かって行った。


「佐野さん、今日はありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 英治は深々とお辞儀をした。


「英治……元気そうで本当に良かった。それに……」

 佐野は久々の英治を堪能するようにゆっくり全身を見渡した。

「前よりもっと男前になって……」

「いや、そんなことは……」


 英治はそう言いかけて、背中を川島先生に強く叩かれたような気がした。


 ――卑屈になりすぎるな。


「……ありがとうございます。嬉しいです」

 

 頬を染めてハニカミながらそう答えた英治の姿は佐野にとって刺激が強すぎたようだ。

「はわわ……」

 言葉にならない声を出し、何とかへたり込まないようにするのが精いっぱいだった。


「おはようございまーす」

 カメラマンの篠原の声だった。いつも直前に現場入りすることで有名だった。

 スイッチが入らないと撮影が押すことが多いのが玉にキズだが、スイッチが入った時の写真の出来栄えは折り紙付きである。


「篠原さん、今日はよろしくお願いします」

 英治はすぐに篠原に声を掛けた。

「おぉー英治久しぶり、元気だった……」

 篠原は機材の準備をしながら笑顔で英治の方を向いて、その後言葉を失った。

「篠原さん……あの……何か……?」英治は不安そうに篠原を見た。


「……英治、すぐ始めよう。俺のイメージが消えないうちにすぐ撮りたい」


 篠原の目の色が変わった。どうやら早くもスイッチが入ったようだ。

 ――今日の撮影はうまく行きそうだ、楓はそう確信した。


 まずは立ったままポージング。


「うん、英治、いいよ。こっち目線ちょうだい?」


 篠原は頷きながらどんどんシャッターを押していく。

 英治は最初こそぎこちなかったが徐々に感覚を取り戻したのか、自然な表情を見せるようになった。


「うん、いいね、英治。じゃ、シャツのボタン外してもらえる?」


 そう言われると英治はもじもじとボタンを外し始めた。

 その間も篠原はシャッターを切り続ける。

 あまりに英治が恥ずかしそうにしているので、楓は何だかイケナイものを見ているような気分になった。


「ふふ、期待しているといいわ」


 昨日楓がブンちゃんに英治の進捗を確認したら、それしか教えてくれなかった。

 でもブンちゃんが自信満々にそういうと言うことは……。


 シャツのボタンが全て外れるとキレイに6つに割れた腹筋がそこにはあった。


「最高だよ、英治。想像以上」


 篠原は恍惚とした表情でひたすら写真を撮り続けた。

 英治はそう言われると安心したようににっこりした笑顔をカメラに向けた。


 楓は驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。


 ――あれが自分の目の前で数か月前ボロボロ涙を流していた人なのか。

 ――太って服が着れないとこぼしていた人なのか。

 

 とても同一人物とは思えなかった。


「凄いなぁ、宮本英治……」

 

 思わず心の声が漏れてしまっていた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 撮影の後、インタビューが終わり、英治は帰り支度を始めていた。

 その時、控室のドアをノックする音が聞こえた。


「英治、ごめん、入っていい?」


 楓の声だった。


「はーい」

「英治、お疲れ様」楓はドアを開け、英治に微笑んだ。

「……今日の撮影、どうだった……?」英治は楓におずおずと尋ねる。

 あれだけカメラマンを骨抜きにしておいて、まだ不安なのか。

 楓は若干呆れさえ感じながら、英治に答えた。


「最高だった。発売楽しみね」


 楓のその言葉を聞いて、英治は心底嬉しそうな顔で笑った。


「で、ごめん、疲れてるところ申し訳ないんだけど、ちょっと一緒に事務所来てもらっていい?」

「うん?いいけど、何で?」


 楓は少しため息をついて続けた。


「……『スイーツ探偵 甘宮』の原作者の姫川先生が事務所に来るらしくて……英治と話がしたいって」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る