第13話

 初めは笛、続いてサロードやヴィーナなどの弦楽器、タブラーのような打楽器が加わっていき、音は一気に豊かさを増す。さらにアプサラス舞団の面々が踊り始めると、手足についた鈴の清らかな音が合わさって神秘的な雰囲気がかもし出された。

 今日は楽団も舞団も団員が総出のようで、そのぶん音も踊りも迫力がある。よく響く聖堂内での演奏というのも、人々に普段とは違う魅力を与えているに違いない。初めこそ「いつもの演奏か」と思っていた者たちも、少しずつ魅了されていく。

「なあガレス。太鼓の横で叩いてるタンバリンみたいなやつはなんだ?」

「あー、あれは……」

「カンジーラだ」

 答えが分からないでいたガレスに代わり、ハウトがぶっきらぼうに楽器の名を挙げた。

「表面にはトカゲの皮を張っている。子どもの頃、女神がヴィーナを奏でる隣でよく叩いていた」

 一瞬だけ懐かしそうに目を細めたハウトだが、すぐに傷ついたように少しだけ俯いた。

 国王は楽団の演奏も、舞団の踊りも観るのは十数年ぶりだという。臥せっている間も評判は聞いていたようで、久しぶりに目にしたそれらは記憶や想像にあるより遥かに洗練されていると感嘆の吐息を漏らしていた。

「今日のはどういった演目なのだ。雨乞いか? ハウト、分かるか」

 父の問いにハウトが首を横に振る。

 演奏が朗々と響く中、舞団の中から一人の踊り子が前に歩み出てきた。彼女は観衆に向かって優雅にお辞儀をした後、女神の像に向き直った。

 やがて彼女の唇から発されたのは、力強くも透明感のある流麗な歌声だった。

 歌が加わるのは予想外だったのか、群衆はもちろん、国王やハウトも目を丸くしている。アルバンは全身で歌を感じようとするかのように目を閉じ、口元に穏やかな笑みを浮かべていた。

 古い言葉が使われているらしく、残念ながらガレスには言葉の節々が分からない。それでも何を言っているのか、だいたいの想像はつく。

 ――そういう風に歌ってくれないかって頼んだの、俺だし。


 女神よ 古より国を見守りし母なる神よ

 あなたより賜った水は 今なお滾々と湧き出て枯れることなく民を潤し

 あなたより授かった知恵は 民が困難と向き合うための礎となる

 女神よ 人の世に現れ そして還った母なる神よ

 あなたに捧ぐ民の愛は この先永久に朽ちることなく

 あなたを敬う民の心は この先永久に変わることなし


 先日、ガレスが楽団と舞団のもとを訪れたのは、「歌に詩をつけてくれないか」と頼むためだった。

 現在の演目にはどれも歌詞がない。雨乞いにせよ豊穣を願うものにせよ、しっかり把握しているのは団員たちだけで、聴衆は長年の経験からどういった願いが込められているのか察するしかない。

 ただ聞いているだけでも十分楽しめるものではあるが、明確に意図が分かった方が人々には伝わりやすいのではないか。特によそから来た旅人には、と考えたのだ。

 初めは戸惑われたが、やってみると言ってくれてありがたかった。時間のない中で急きょ作り上げたであろう詩は、それでも麗しく、水のように観衆の心にしみわたっていく。歌声も見事なもので、女神に語り掛けるように歌う少女は緊張した様子も見せず、堂々と喉を震わせている。


 女神よ 今は天より我々を愛し導く母なる神よ

 あなたに受けた愛を 我々は決して忘れることなく

 あなたに受けた愛を 我々は永遠に語り継いでいく


 すうっと余韻を残して歌が終わり、それを追うように演奏と踊りも終盤を迎える。始まった時と逆の順番で少しずつ楽器が減っていき、最後に笛の音が高い天井に吸い込まれるようにして消えた。

 一瞬の静寂と緊張感の後、観衆から爆発的な拍手が巻き起こった。素晴らしかったと称賛の声もあちこちから聞こえてくる。中には涙を流して感激している者の姿もあった。

「見事だった!」

 国王は立ち上がって拍手を送り、楽団と舞団はそろって頭を下げた。ハウトも控えめながら拍手し、時々目元を指で拭っている。その様子を後ろからうかがいながら、ガレスも同様に手を叩いた。

『聖堂で演奏してみてはどうかと思うんです』

 国王にそう提案した時、初めはなぜだと首を傾げられた。

『楽団と舞団は普段、基本的に屋外で演奏しているでしょう。それでもじゅうぶん素晴らしいものではありますが、より環境が整った場所で演奏することで、音の広がりや豊かさといった真価を発揮すると思うんです。城下を見た中では、サラスヴァティーを祀る聖堂が適所かと感じました。また今までは時間と場所こそ決まっていましたけど、具体的な日付けが決まっていない状態で公演を行っていましたが、大々的に公演場所と時間を知らせることで、これまで楽団や舞団を見たことのなかった人々が足を運びやすくなるかと思うんです』

『なるほど、面白い試みではあるな』

 楽団や舞団はサラスヴァティー以外の神を祀る場所に向かい、そこで演奏することもあると言っていた。それと同じことを聖堂で行っても問題はないはずだ。

『ただ、聖堂も無償で使わせてくれることはないはずです。演奏の場を借りた謝礼が発生する。それを支払うのは当然、二団体です。謝礼を確実に支払うために、そして今後も活動を続けていくために、聴衆からはしっかりお金を受け取る必要があるでしょう』

 屋外で演奏していた時、一通り聞き、堪能するだけ堪能して金を支払わずに帰る者の姿も見かけた。そういった者が一人でもいると、「じゃあ自分も払わなくていいかな」と感じる者が現れる。

 素晴らしい演奏や踊りを見たのなら、それ相応の対価を支払うべき。ガレスの訴えに、国王は「で、あれば」と口髭を撫でた。

『聖堂の入り口で前もって金を払わせてはどうか。払ったものだけが入場でき、払わないものは足を踏み入れる資格はない。金を支払うだけの演奏が行われるのだという価値も上がるのではないか?』

『ですが、あまり高い金額だと庶民が入れなくなってしまいませんか』

『民の負担を減らすために、聖堂の使用料の六割は私が出そう。残りの四割は入場料として徴収するとして、身分や見物場所によって支払う額に差をつけるのも良いだろうな』

 国王の提案は採用され、聖堂の入り口では入場料の支払いが行われた。入場を許可された者は見物場所が書かれた紙片を受け取り、そこで演奏を聴ける仕組みだ。上手くいくか、人がどれだけ来るのかと心配事はあったが、大きな混乱が起こっていないところを見るに、ガレスの杞憂で終わってくれたようだ。

 慣れ親しんだ聖堂で行われる慣れ親しんだ演目と、新たに加わった歌の要素。屋外では味わえない音の広がりは人々の心をしっかり掴んだと思われる。

 またアルバンを呼んだのにも理由があった。

「わが国にはない楽器と音色でした! 世界にこんな素晴らしい音楽があったなんて知りませんでした」

 彼は感激に声を潤ませ、国王に熱く語りかける。

「演奏も踊りも、全てが独特です。他国で見かけたことがない、ファラウラの特色といっても過言ではないでしょう。今までこんな素晴らしいものを知らずにいたなんて……色々なものを見た気でいたけれど、ぼくもまだまだだな。帰国したらすぐに言いふらして自慢しますよ、どんな素晴らしいものを観たかって。そうだ! ぜひわが国でも演奏してほしい。きっとみんな大好きになる。お前もそう思うだろう、フランツ?」

「はい、アルバンさま。私も初めて耳にする響きに酔いしれました」

「そこまで気に入ってもらえるとは。なによりだ、アルバンどの」

「ええ! ぼく、音楽とか芸術とか、そういうのが大好きなんですよ」

 大好きというよりも愛しているの領域ではないか、とガレスは思った。実際に目にしたことはないが、彼の部屋には各国から集めた絵画や美術品が大量に収められているという。

 話に水を差すわけにはいかないので黙っておいたが。

「なにより驚いたのが、演奏に乗せて詩を謳うという点ですね。わが国にも幻獣を讃える詩はありますが曲はない。詩は親から子に伝わってくるものですが、歌にすることで覚えやすくなるような気がしますね。これはいい」

「貴殿の国では幻獣を祀っているのか?」

 アルバンの話に興味を示したのか、ハウトがわずかに背筋を正す。

「わが国では幻獣ラドンが神として祀られているんです。その巨体で他国からの侵略を防いでくれただけでなく、リンゴの育て方も教えてくれて」

「……リンゴ?」

「おおもとの神話では『黄金のリンゴを守っていた』とされているのですが、わが国でも同様にリンゴの木を守っていたんです。どういう経緯でリンゴを守るためだけにラドンが作られたのか定かではないんですが、ともかく、ラドンは民にリンゴを共に守るならという約束のもと、育て方を教えてくれた。獲れたリンゴは色々と加工されて、ラドンがいなくなった今でもわが国の名物です」

「いなくなった、だと?」

 ハウトが驚いたように身を乗り出した。アルバンはいたって平静に「ええ」と首肯する。

「他国からの侵略を受けた際、ラドンは〈核〉を破壊されて死んでしまったんですよ。体が大きかったぶん崩壊後に積み上がった石や砂も多くて、ちょっとした丘くらいの大きさがありましてね。百年以上たった今では草木も生え、『ラドン山』として慕われています」

「百年も神がいない状態だと言うのか!」信じられない、とハウトが頭を振った。「復活させようとは思わないのか?」

「だって幻獣作成は現在では禁忌ですし、仮に禁忌でなかったとしても、一度壊れてしまったものと全く同じものは作れません。リンゴの育て方を教えてくれたラドンと、新たに作られたラドンは同一個体ではない。名前が同じなだけの別物で、気性も異なる可能性がある。でしょう?」

「………………」

「それにラドンが壊れたからといって、ラドンから授かった知恵まで消えてしまうわけではない。リンゴが名物なのはその象徴といってもいいでしょう。我々がすべきことは消えてしまったラドンの復活を望むことではなく、教えと感謝を後世に引き継いでいくことです」

 先ほどの歌のようにね、とアルバンは微笑み、ガレスに片目をつぶってみせた。

 ――俺が言おうとしてたことを全部言いやがったな。

 なんとなくイラついたが、ガレスから話していたのではハウトが納得しなかった可能性もある。アルバンが語るからこそ納得させられるものもあるだろう。

 ハウトにとってサラスヴァティーは母と同等か、それ以上に大切なものだ。蘇らせたい気持ちが分からないでもない。けれど新たに作ったとしても、それはハウトのことを知っているサラスヴァティーではない。アルバンの言葉を借りて言えば「名前が同じなだけの別物」だ。

 それに。

「殿下。殿下は以前『女神の存在はわが国にとって不可欠だ』と仰っていましたが、私にはやはりそうは思えません」

 出来るだけ刺激しないように言葉に気を付けつつ、ガレスはハウトに語り掛けた。

「サラスヴァティーがいなくても水は枯れていない。恵みだって、女神の存在が必ずしもそれに直結するとは限らない。各地からの観光客や、他国との交易によって栄えるのも恵みの一つでしょう。民だって女神の復活を強く望んでいない。なぜなら女神は『天に戻った』と考えられているからです。それは殿下もご存知のはず」

「…………確かに、知らぬわけではない」

「女神を慕うことが悪いわけではありません。ただ、いつまでも復活を望んでばかりでもいけない。殿下がすべきなのは復活への執着ではなく、これまでの感謝と恵みの継承や、女神から受けた愛を周囲にも分け与えていくことではないでしょうか」

 人々の歓声と拍手が続く中、ぜひもう一曲、と求める声が挙がった。一つ、二つとそれは増えていき、やがて大きな塊となって聖堂内に響き渡った。

 当初の予定では一曲だけだったが、楽団と舞団は求めに応えた。ガレスも聴いたことがある、神と人間の愛を表した曲だ。歌詞こそないが、これまで主旋律を奏でていた笛の代わりに声がそれをなぞり、同じ曲のはずなのに別の新たな曲が生まれたようだった。

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