第12話

「いやー、すごいね! 初めて見るものばかりだし、飯だってぼくの国じゃ味わえないようなものばかり! 幻獣信仰だって他国のやつは初めて見たからいい刺激になったよ!」

「あのな、何回も言ってるだろ。こっちの信仰はお前のところと違って『幻獣そのものを祀ってる』んじゃなくて、『元から信仰されてた神と後からやって来た幻獣の名前が一緒だった』んだって」

「ははっ、なあ見てみなよこれ、このクッション! すっごいふかふかだしさ、柄も繊細だしさ、ぼくこれ気に入ったなあ。ふっかふかー」

「人の話を聞けって!」

 聞いてるさー、と金髪の青年が菫色の目を細めて快活に笑う。酒に弱いくせにしこたま飲んだせいで白い顔が真っ赤に染まっている。調子に乗って何度もガレスの背中を叩いてくるのが地味に辛い。

 夜の城下町は賑やかだが、ガレスの周囲は特に賑々しい。目の前の机には料理が乗っていた皿が塔のように積まれ、いつ崩れるかと気が気でない。だというのに、向かい側に座る青年は、新たに酒を注いだ木の杯を傾けて追加の料理を頼んでいる。彼の食いっぷりに店の主人は感激し、頼んでいない料理まで持ってきた。それらも全て平らげるのだから、ガレスより細い体のどこにそんなに料理が入るのかとむしろ怖い。

 ――呼んだのは失敗だったかな。

 ――っていうかもしかしなくても、お金は俺が払うのか?

「アルバン、もうそれくらいにしとけよ。悪酔いしても知らないぞ」

「酔ってないって。大丈夫らからぁ」

 呂律が回っていないのに大丈夫なものか。アルバンと呼ばれた青年は一瞬だけ目元を引き締めて見せたが、すぐに表情がへにゃりと砕けた。

 彼こそ「放浪王子」と呼ばれる男で、ガレスの数少ない友人の一人である。

 アルバンに出した手紙は明日の朝に着くと思っていたのだが、どうやら彼自身が自宅に居なかったらしく、運よくファラウラの近くにある国に滞在していたそうだ。「アルバンのところに届くように」と力を込めた手紙は、昼頃に受け取っていたと酔う前に聞いた。

 そこからすぐに来てくれたのだからありがたいが、こちらが詳しく話をする前に酔っ払っている。とても二十三歳の男とは思えず、まして将来的に国を継ぐ器にも見えない。

「坊ちゃん」

 水を貰いに行っていたオリフィニアが戻ってくる。彼女は顔を赤らめているアルバンに冷めた眼差しを向け、ガレスの隣に腰を下ろした。

「この人、仮にも王子なんですよね?」

「仮にもどころか正真正銘の王子っていうか王太子だよ……幻獣ラドンって知ってるだろ? 頭が百個もあるって言われてるヘビみたいなやつ。こいつの国はそれを神として祀ってんの」

「王太子……王位を継ぐ方……?」

「疑いたくなる気持ちも分かるけどさ、正気に戻ると結構ちゃんとしてるんだよ、こう見えて」

 その〝ちゃんとしてる〟状態に戻ってくれたのは、翌日の昼頃だった。

 宿のことなど一切考えずにファラウラに来たとのことだったので、小間使いに事情を説明してアルバンにはガレスと同じ部屋で寝泊まりしてもらった。正気を取り戻した時の一言は「どうせなら綺麗なお姉さんに囲まれて寝たかったな」である。まだ酔っているのかとぶん殴りたくなった。

「昨日聞きそびれたんだけどさ、お前一人で来たのか? いつも付き添ってる、フランツだっけ? あの人は?」

「あとから来る」

「……置いてきたんだな」

「ここに来ることは書き置きしてきたし、まあそのうち他の奴らと一緒に追いつくだろ」

 それを見越してるくせにと言われて、ガレスは軽く肩を竦めるだけに留めた。

 手紙には一応書いておいたものの、念のためガレスは口頭でアルバンを呼んだ理由を説明してやる。オリフィニアも興味深そうに聞いていて、最後に納得したような、けれど不安そうな表情を浮かべていた。

「素晴らしい考えだとは思いますし、アルバンさまを呼ばれた経緯も理解はしましたが、坊ちゃん、そんなに上手くいくでしょうか」

「微妙なところだとは思うけど、俺はこれしか思いつかなかったんだ。失敗したら失敗したで、別の案を考えるしかない」

「その時は遠慮なく言えよ、ぼくも出来る限り相談に乗ってやるから」

「お前が話に加わるとおかしなことになりそうだから乗らなくていい」

「時々思うけどさ、一応ぼく、王子よ? 偉いわけよ。なのにその扱いはどうなの?」

「さすがに公衆の面前じゃ取り繕ってるだろ」

「取り繕われた記憶がないぞ」

「ていうかアルバンお前、なんで国に居なかったんだよ。また勝手に城を抜け出してきたのかよ」

「勝手じゃないさ、『出かけたいなー』って言ってから出てきた」

「誰に?」

「道端を歩いてた犬に」

 それを勝手に出てきたというのだろうが、と頭を抱えたくなった。アルバンの世話係を務めている男には同情しか感じない。

 ひとまず王宮に滞在させている以上、国王に挨拶させねばならない。国王も異国の王族がやって来たと聞いて興味を持ったのか、すぐに応じてくれた。アルバンがおかしなことを言いださないかと冷や冷やしたが、彼は先ほどまでの飄々とした雰囲気をひそめ、至極まっとうな王族として振る舞っていた。あまりの猫かぶりにオリフィニアが引いていたほどだ。

 国を継ぐ者同士、ハウトとも顔を合わせるべきだと考えたのだが、アルバンは乗り気だったもののハウトに拒否された。

「殿下。一つだけ話を聞いて下さいませんか」

 仕方がないので扉越しに声をかけてみる。無視される可能性もあったが、意外にも応答があった。

「断る。そなたが女神を蘇らせると言うまでは話などするものか」

「だから女神は幻獣で……ああ、いや、今はその話をしたいんじゃないんです。女神に関連する話です」

 返事はなかったが、まだ扉の近くにはいるらしい。立ち去る音はしなかった。

「明日の昼、サラスヴァティーを祀る聖堂に来てくださいませんか」

「なぜだ」

「来てくだされば分かります」

 行くとも行かないとも返事はなかった。だが女神が関わっていると聞けばハウトが来ないはずはない。

 ――来てもらわないと困るしね。

 城下の様子を見てみたいというアルバンに、ガレスとオリフィニアはここ数日で何度も歩いた町を案内してやった。彼が女神に興味を示していたため聖堂を案内するついでに、参拝客の様子を見ていた王弟である神官に声をかけてみる。準備は順調ですと答えが返ってきて、ガレスはひとまず安心した。

「腹が減った」と訴えたアルバンには、昨晩とは違う店を紹介してやった。また酔われては困るので酒は無しだ。最初こそ文句を言われたが、次から次に提供された料理を堪能し始めてからは黙ったのでほっとする。かと思うと、厨房に乗り込んでいってあれこれと話を聞きに行かれたせいで、ガレスたちが王宮に戻れたのは夜だった。

「疲れた……」

 ベッドに倒れ込みながら思わず吐露すると、すでに寝転んでいたオリフィニアが苦笑した。アルバンは国王と話があるとかで部屋にはいない。

「散々振り回されていましたものね。お疲れさまです」

「あいつが放浪王子って呼ばれる理由が分かっただろ? 目を放した一瞬の隙を突いて勝手にどこか行っちゃうんだよ」

 王宮に戻ってくるまでの間、アルバンは興味の赴くままあちこちに目を向け、そのたびそちらに行ってしまったので、見つけ出す手間もあってなかなか先に進まなかった。特に昨晩の飲食店にあったクッションがお気に召したらしく、その店を見つけた時は「もう遅いから帰ろう」と促してもびくともしなかった。

「一緒に姿をくらます側なら楽しいんだけどさ、逆の立場になると面倒くさいし疲れるんだな……」

「でも彼だからこそファラウラに呼んだんでしょう? それに『面倒くさい』と言いながら、坊ちゃんも結構楽しんでいたじゃありませんか」

「いい息抜きになったのは確かだよ。女神の復活とか調査とか、魔力とか、気を張ってばっかりだったから。フィニだってそうだろ?」

「子どもの頃の自分を思い出してちょっとだけ恥ずかしかったですけれど。アルバンさまのことをとやかく言えないくらい、私も勝手にどこかへ行っていましたから」

「戻ったぞー!」

 目が覚めるほどの大声を上げてアルバンが部屋に入ってくる。遠慮もなしにガレスとオリフィニアの間に寝ころぶと、なにやら満足そうに「むふふ」と気色悪い笑みを浮かべだした。国王との話で何かしら収穫があったのだろう。

「呼んでくれてありがとな、ガレス。正直に言うと『いくらガレスの頼みごととはいえ面倒くさいなあ』とかちょっと思ってたけど、想像以上に楽しい」

「そりゃ良かった。で、その手に持ってる瓶はなんだ。まさか酒じゃないよな」

「そのまさかだ。ガレスってもう十八歳だろ?」どこぞの叔母と似たようなセリフだ。嫌な予感がする。「十八ってことは成人だ、酒が飲める歳だ。だから、な?」

「なにが『な?』だ。飲まないからな! 明日の朝は早いんだって分かってるか、おい!」

「お嬢さんも一口どう? ファラウラで有名なワインでさ、ぼくもさっき一口飲んだんだけど美味しかった」

「人の話を聞けってば!」

 王族というのはどいつもこいつも人の話を聞かないのかと頭が痛くなる。

 結局ガレスはアルバンを止められず、彼がワインを一瓶空けるのを眺めていることしか出来なかった。


 女神を祀る聖堂には、いつになく人が溢れていた。だが人々は中央に据えられた女神の像に祈るでもなく、像を取り囲むように広がりながら何が始まるのかと言葉を交わしている。

 ガレスとオリフィニアはその最前列にある、三方を柵で区切られた特等席ともいえる位置にいた。女神の像を正面から望むそこには国王夫妻はもちろん、異国の王族であるアルバンと、数日ぶりに部屋から出てきたハウトが並んで腰かけている。ガレスたちはその後ろに立っていた。

「ガレスさま、ここで何が始まるんです?」

 訊ねてきたのは、ガレスの隣にいるドゥルーヴだ。まだ殴られた痕がうっすらと残っているし、まぶたも少し腫れている。ろくに寝ていないのか隈もひどい。彼の周囲に漂っていた魔力はひとまず浄化したけれど、またいつ発生するとも知れない。〈核〉をどこに置いているのか分からない以上、注意深く見守るしかなかった。

「ガレスさま?」

「あ、ごめん。ちょっと考えごとしてた。何が始まるか、だよね」

「はい。聖堂にこれだけ多くの人が集まったことなんて、今まで無いように思います」

「もうすぐ始まるから、見てて」

 前に座る三人の様子を見てみると、国王とアルバンはいかにもわくわくとしているのに、ハウトは仏頂面のまま像を見つめている。今朝顔を合わせた時は目元が赤らんでいるように見えたのだが、泣いたりしていたのかも知れない。

 人々のざわめきが大きくなる。かと思うと、「アルバンさま!」と慌てたような声が群衆の間から聞こえてきた。

「お、やっと来たな」と呼ばれた本人が立ち上がると、彼を呼んだ何者かが人々の隙間から押し出されるようにして現れた。アルバンの側近を務めているフランツという男だった。首の後ろでくくっている茶髪は、人にもみくちゃにされたせいで無残に乱れていた。

 さすがに大勢の目があるところで怒鳴るのは憚られたのか、フランツはアルバンの腕を引っ掴むと「どういう状況ですか!」と耳元で囁くように問う。

「勝手にいなくならないで下さいと何度申せば……! 捜すのに苦労したんですよ!」

「はいはい、あとでいくらでも謝るから。それよりほら、まずは挨拶じゃない?」

 アルバンの両隣に居るのが国王と王太子だと分かると、フランツは即座に跪いて素性を述べた。彼は状況が理解できないままドゥルーヴの隣に並ばされた。フランツのほかにアルバンのあとを追ってきた者たちも聖堂の中にはいるとのことだ。

 再び人々がざわめく。今度現れたのは、鳥のくちばしや翼を模した装いの楽団ガンダルヴァと、濃紺の紗幕に似た生地の衣装で身を包んだアプサラス舞団だ。彼らは観衆が左右に分かれたことで出来た道を歩き、像の前で脚を止めるとゆっくりと一礼する。

 ――いよいよだ。

 ――頼むから上手くいってくれよ。

 手のひらに浮かんだ汗を握りこみ、ガレスは息をのんだ。オリフィニアも胸の前で組んだ手を強く握りしめている。

 次第にざわめきが静まっていき、何が起こるのかと誰もが黙り込む。

 完全な静寂が訪れると同時に、すっ、と息を吸う音が細やかに響き、やがて優雅な笛の音が聖堂いっぱいに広がった。

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